第88話 メキシュ・グラウ
数キロ先のメキシュ・グラウが丘の上のぼくたちめがけ、炎の矢を放つ。
「テンペスト」
ミアの轟風魔法が、ふたたびこの炎の矢を脇にそらした。
丘の左手の草原で着弾、巨大な爆発が生まれる。
すさまじい爆風が丘を襲う。
丘の裏手に避難していた町のひとたちが、悲鳴をあげる。
まあ、皆には伏せるよう指示を徹底しているから、だいじょうぶだろう。
アリスとたまきは、悲鳴をあげて頭をかばい、爆風をしのぐ。
そのあと爆心地を見て、仲良く息を呑む。
「か、カズさん、どうなってるの? あいつなんなの? あと丘のあっち側で悲鳴が聞こえたけど、あれって……」
「いろいろあったんだが、簡単にいうと、あのメキシュ・グラウって化け物がボスだ。あいつを倒す。以上、詳しいことは白い部屋で」
白い部屋、というのはぼくたちにとって、もはや魔法の言葉だ。
時間がない、あとで話す、という意図をくみ取り、たまきはうなずく。
「えーと、でも、倒せるんでしょうか」
アリスは、ぼくとミアにヒールをかけつつ、冷や汗を垂らしている。
なんの心構えもないところに、いきなりすさまじい爆発を見てしまって、いささか焦っているようだ。
無理もない。
ぼくも大見えを切ったとはいえ、確実に勝てるなんて自信は無い。
アリスとたまきの応援があってなお、厳しい戦いになると判断している。
でも、勝たなきゃいけない。
敵はそうやすやすと逃がしてくれないだろうし、ぼくたちの背後には無辜の民がいる。
いや、別に守れとは誰も命令していないし、そんな義務はひとつもないのだけれど……。
領主たちは、敵わぬと知りつつ、ぼくたちのために時間を稼いでくれた。
なら、その心意気に応えてやらなきゃ、寝覚めが悪い。
それに……ぼくは、ミアを見る。
ミアはぼくを見上げ「ん」とうなずく。
彼女にしては珍しく、声に気合が入っている。
「遠距離だけなら、何度でも防ぐ。これ以上、あの矢で被害は出さない」
「といっても、こっちには何キロも先を攻撃する方法なんてないぞ」
「向こうも、効かないなら……接近、してくるはず」
ミアのいう通りだった。
ケンタウロス型モンスターは、巨大な蹄で地面を蹴り、ぼくたちに向かって走り出す。
ぐんぐんとその距離を詰めてくる。
「あ、そうです、カズさん」
アリスが慌てていう。
「洞窟の反対側に蜂の巣があって、そこでいっぱい敵を倒して、ええと、たまきちゃんが剣術をランク8にしたんです」
「そりゃ、心強い。たまき、きみが頼りだぞ」
「え、え、わたし……うん、が、がんばるわっ」
たまきの剣術がランク8になったか。
それなら、いけるかもしれない。
ぼくはアリスとたまきに基本のエンチャントをしていく。
フィジカル・アップ、マイティ・アーム、クリア・マインド。
それからディフレクション・スペルで、レジスト・エレメンツの火と風。
さらにディフレクション・スペルを使い、ミアのフライ。
今回は敵が近づいてくるまで余裕があるから、さらに付与魔法を……。
と思ったら、メキシュ・グラウが炎の矢を放ってきた。
ミアが、これもまたテンペストで横にそらす。
だが今回は、先ほどまでと比べてだいぶ距離が詰まってからの一矢だ。
丘のすぐ近くに着弾し、爆風と同時に熱や泥まで飛んでくる。
丘の後ろに隠れた人々が、かん高い悲鳴をあげる。
「ここにいるのは、まずいな」
「ん。さっさと距離を詰めるべき」
ぼくは最後に、ディフレクション・スペルからのヘイストをかけ、ケンタウロスナイトに飛び乗る。
アリスからヒールをもらったおかげで、さっきよりずいぶん身体が軽い。
「いくぞ」
と声をかけ、散開しつつ巨人に向かって丘を飛び出す。
アリスとたまきが、赤い閃光となってぼくたちの前を行く。
すぐ後ろから、ウィンド・エレメンタル二体とミアがついてくる。
「アリス、たまき、聞いてくれ。敵はメキシュ・グラウ。この世界の神話によれば、炎の矢、雷の剣、偽りを見抜く眼を持つ化け物らしい」
それぞれ邪炎撃、邪雷斬、邪竜眼ということは伏せておく。
そんな名前で呼びたくないし、なによりいきなりいわれても覚えられないだろう。
「だから、魔法で視界を遮るような手段は使わない。インヴィジの類もダメだ。雷の剣というのはよくわからないが、一応、注意だけはしておいてくれ。レジに頼りすぎるのは危険だ」
「はい、わかりました!」
「うん、任せて!」
ふたりとも、返事だけは元気がいい。
いやまあ、アリスは返事の通り、気をつけてくれるだろう。
願わくば、たまきの分まで注意しておいて欲しい……かなあ。
いちおう、勝算らしきものはある。
この世界、スキルのランクは9が限界だということだ。
たまきの剣術ランクが8に上昇したと聞いて喜んだのは、そういうことである。
メキシュ=グラウがどれほどおそるべき破壊力を持つ存在であっても、接近してしまえば、あとは接近戦のランク差がおおきくものをいう。
それはジャイアントとの戦いでも証明されている。
いくらメキシュ=グラウが強いといっても、たまきほどの近距離のエキスパートを相手にして、互角に戦えるはずがない。
巨人は、ぼくたちが接近してくるのを見て、下の腕で剣と盾を構えてみせる。
そのうえで、もう一度、上の両腕でもって矢をつがえ……。
「何度も、させない」
そのころには、もうミアの魔法の射程に入っていた。
彼我の距離、およそ二百メートル。
「エレクトリック・スタン」
巨人が矢を放つ直前、彼女の雷撃が先手を打つ。
風魔法ランク7、覚えたてのこの魔法は、敵の全身に電撃を行き渡らせ、その身体を一瞬だけ麻痺させるというものだ。
射程はランク1につき三十メートル。
これだけ高いランクなのになんとも地味、と思わないでもないが……。
この魔法、レジスト系魔法が入っていないと、まず抵抗できないらしいのである。
一瞬の硬直は、致命的な隙を生む。
わずかなショックを受け、メキシュ・グラウの狙いがわずかに逸れた。
放たれた炎の矢は見当違いの方向に飛び、はるか彼方で爆発する。
爆風がぼくたちの背中を焼く。
だがその隙に、たまきとアリスが敵の懐に飛び込んでいる。
「いくよ、アリス!」
「はい、たまきちゃん」
たまきの白い剣が、メキシュ・グラウの下右手の剣と激しく刃を打ち鳴らす。
かん高い音が響く。
同時に、アリスの槍がメキシュ・グラウの下左手の盾によって防がれる。
「うげ、防がれた」
ミアが呻く。
ううむ、エレクトリック・スタンを受けてなお、アリスとたまきの同時攻撃をしのぐとか……。
半端ないな、こいつ。
というか、剣術ランク8のたまきが剣技で押されていた。
こいつ、ひょっとしてランク9とかの領域なのか?
それって……そうとうにマズいんじゃ……。
「でも、見た感じ、パワーはあんまない」
ミアが、上手な滑空で、ケンタウロスナイトに騎乗するぼくのそばまで来る。
「巨人にしては、だけど」
そういえば、たしかにアリスの突進は跳ね返されたけど、たまきの方は空中で互角に打ち合えている……のか?
いや、どうやらたまきは、巧妙な角度で剣をぶつけることで、相手の勢いを削ぐ戦い方をしているようだ。
ようだ、といっても、具体的にぼくが剣技を見て判断しているわけじゃない。
ぼくがまたがるケンタウロスナイトが、そう教えてくれた。
ぶっちゃけ、ぼくの目では、たまきとメキシュ・グラウの激しい剣がさっぱり見えないのである。
この二者があまりに激しく動くため、いまやその姿は残像となってぼやけている。
これが、ランク8以上の領域か。
スキルランクが極まった者たちの戦いなのか。
アリスも、いささか手を出しかねている。
彼女は、一本伸ばしのたまきと違い、槍術が6しかない。
パーティ編成の都合上、仕方がないとはいえ、治療魔法と並行して上げていたからなあ。
「ど、どうしましょう、カズさん」
アリスは一度下がって、振りかえり、ぼくに指示を仰いでくる。
「どう分析する?」
ぼくはケンタウロスナイトに訊ねた。
餅は餅屋だ。
「剣技では、敵が上であろう。しかしメキシュ・グラウの体さばきは、たまき殿に対抗するだけで限界のようだ」
なるほど、腕が四本あるっていっても、身体はひとつ……か。
そこが攻略の鍵になるかもしれない。
なら。
「アリス、たまきの反対側にまわれ!」
「え? あ、はい!」
アリスはすぐ、ぼくの意図を了解したようだ。
おおきく旋回して、メキシュ・グラウの背後を取ろうとする。
敵もそうはさせじと、立ち位置を変える。
だがそれは、たまきに対して注意が分散されるということだった。
たまきは、ここぞとばかりに激しく打ちかかり……。
ごくわずか。
ケンタウロス型巨人の、弓を持つ手に傷がつく。
メキシュ・グラウは苦悶の声をあげた。
よし……っ!
ぼくは拳を握り、喜ぶ。
だが、次の瞬間。
たまきは悲鳴をあげて、弾き飛ばされていた。
「え、な、なんだ?」
「雷撃だ、主!」
ケンタウロスナイトが慌てて、飛行したまま急カーブする。
ミアがとっさに、ぼくの腰に手をまわす。
ぼくとミアを乗せ、ケンタウロスナイトは地面まで駆け抜け……。
ついさっきまでぼくたちがいた軌道を、広範囲の雷撃が薙ぎ払う。
紙一重、避けた。
轟と唸る風が、頭上を吹き抜けていく。
空気が焼ける匂い。
それは、メキシュ・グラウの剣の一閃から生まれた、おそるべき斬撃である。
ぼくたちの背後で、見えない刃が草原を引き裂く。
地面がえぐられ、深さ一メートル以上はあるだろう黒い土の溝が生まれた。
「邪雷斬」
ミアが呟く。
あ、その名前、使うのね。
正直、たまきはレジストが入っていなければ、かなりヤバかっただろう。
炎の矢と違って、避け辛いのが問題だ。
あまり遠距離までは届かないようだけど……。
じつはこいつ、遠近共に隙がないのか?
いや、それでも遠距離でやり合うより、接近した方がまだマシだ。
なにより、ぼくたちはあの一撃を受けてなお、誰も深手を負っていない。
ことに、反時計まわりに背後へまわる最中だったアリスには、攻撃が届かなかったようだ。
攻撃範囲は、正面から右手側、あわせて百八十度くらいか。
それでも充分、広いけど。
直撃を食らったとおぼしきたまきだが、空中でスピンしつつも体勢を整える。
すぐに雄たけびをあげて、突進していく。
ひどい傷を受けたわけではなさそうだが、でも少し動きが鈍い……かもしれない。
でも、そんなことは、たまきだってわかっている。
そしてなにより、彼女の親友たるアリスがよく理解している。
「お願い、アリス!」
メキシュ・グラウに白い剣を振りおろしながら、たまきが叫ぶ。
アリスは阿吽の呼吸で、魔法を使う。
「レンジド・ヒール」
現時点で25メートル先まで届くこのランク4の回復魔法は、敵をはさんで接近戦を行うこの戦場において、充分な射程を持っていた。
アリスの魔法を浴びて、たまきの身体が淡い光に包まれる。
とたん、たまきは元気を取り戻し、メキシュ・グラウにちから強く打ちかかる。
一方アリスは、背後からさかんに巨人を脅かす。
敵の盾が届かぬ後方上空から、刺突を入れようとして……。
メキシュ・グラウが、後方に勢いよく飛び退いた。
アリスは、押しつぶされないよう、慌てて離脱する。
「来るぞ、主!」
ケンタウロスナイトが叫ぶ。
メキシュ・グラウは弓に矢をつがえる。
「ミア」
「ん。テンペスト」
ミアの突風魔法が、大気を激しくかき乱す。
メキシュ・グラウはそれでも構わず、炎の矢を放つ。
だが今度は、彼我の距離が五十メートルもない。
テンペストによる突風は、威力の減衰もほとんどなく、放たれたばかりの炎の矢とまともに衝突した。
炎の矢が、この至近距離ですさまじい爆発を起こす。
アリスとたまきが、吹き飛ばされて悲鳴をあげる。
正面で、爆煙があがる。
ちい……っ。
こうなれば、イチかバチか。
「リフレクション」
唱えた瞬間、わかってしまった。
タイミングが遅い。
爆風は、魔法の盾をすり抜けてぼくたちを襲う。
ケンタウロスナイトが、己の身体を盾にして、ぼくへ来る衝撃を防ぐ。
彼が「ぐう」と呻いた。
使い魔でも防ぎきれなかった熱風が、ぼくの肌を焼く。
直後、煙の向こう側から蹄の音。
ぼくはとっさに叫ぶ。
「退避っ! 逃げろ!」
爆発の煙を突き破り、少し肌を焼け焦げさせたメキシュ・グラウが突進してくる。
まずい、炎の矢を爆発させることすらも計算のうちか。
それを煙幕につかって、さらには爆風でこちらの体勢を崩して、その隙に各個撃破しようというのか。
メキシュ・グラウは突進しながら、まず近くにいたアリスに剣を振るう。
剣の先から閃光が煌めく。
まずい、電撃だ。
アリスは体勢が整わないながらも、メキシュ・グラウの行動をはっきりと見ていた。
敵が近すぎて、逃げることは難しい。
「フラワー・コート」
とっさに彼女がしたことは、自分自身に薄いバリアを張ることだった。
たいして強力なバリアではないが、アリスもほかに方法がなかったのだろう。
少女はかろうじて、電撃を帯びた剣の攻撃を槍の柄で受ける。
絹を裂くような少女の悲鳴が、戦場に響き渡った。
アリスの身体はおおきく吹き飛ばされ、きりもみ回転して地面に落下する。
少女の墜落地点で、派手な土煙があがる。
ケンタウロスナイトは、敵の動きがよく見えていた。
ぼくが叫んだ瞬間、横に飛び退っている。
空中で激しく回転する。
ぼくは振り落とされないよう、その背に必死でしがみつく。
メキシュ・グラウは一直線に駆け抜け、距離をとる。
ケンタウロスナイトが、なんとか体勢を立て直す。
たまきが、待てと叫びながらメキシュ・グラウに突進した。
遠距離戦ではこちらが著しく不利だ。
これは正解だ、少なくとも彼女には時間を稼いでもらわなければならない。
あとは……。
ぼくはアリスの名前を叫びながら、ケンタウロスナイトに馬首を巡らすよう伝え……。
「待って」
その行動を、いつの間にかすぐそばまできていたミアが止める。
ミアはぼくの肩を、そのちいさな手でちからいっぱい握りしめた。
「アリスは、だいじょうぶ。いまは、勝つこと」
ぼくはカッとなってミアをどなりつけようとして……。
ミアが、身を乗り出す。
ぼくと唇を重ねる。
一瞬のキスだった。
でもそれは、ぼくに冷静さを取り戻させるのに充分だった。
さっきのお返し、か。
「すまない」
「ん。あとで愛してくれれば、いい」
「それは、いささか承諾しかねる」
ミアは「ちぇっ」と舌うちする。
ぼくはそんな彼女の頭を軽く叩く。
「でも、いまのは本当に助かった」
「カズっちの英雄に、少しは、なれた?」
「英雄……なのかなあ」
ぼくは苦笑いする。
「そのひとにとって出来ないこと、でもしなきゃいけないことができるのが、英雄なら」
ミアはそういって、ぼくの目を覗き込む。
「わたしは、きっと、カズっちの英雄」
「……そうかもね」
「ん」
ミアは、わずかに口もとをほころばせる。
一方、メキシュ・グラウの突進は、たまきが止めていた。
彼女は孤軍奮闘、全長六メートルの怪物と激しく打ち合う。
何度吹き飛ばされても、再度、飛びかかっていく。
「エレクトリック・スタン」
ミアが時折、援護を入れて、おかげでなんとか拮抗状態に持ちこんでいる。
ぼくやケンタウロスナイト、ウィンド・エレメンタルは、この激しすぎる戦いを傍観するしかない。
だが、このままでは……じり貧だ。
どうするか。
このまま、ミアに切り札を切らせるべきか。
「カズっち、判断は、任せる」
ミアは介入のタイミングを窺いながら、そういってぼくを見上げる。
「いまなら、アリスを助けにいっても、いいよ?」
「でも、さっきは」
「さっきのカズっちは、冷静じゃなかった」
いやはや、もっともである。
ぼくは苦笑いして……。
次の行動を宣言する。




