第07話 アリスの覚醒
二十分ほどのち。
ぼくは、今日四体目となるオークから逃げていた。
アリスが待ち構える落とし穴まで、オークを誘導しているのだ。
上空で使い魔のカラスが、かーと鳴いた。ぼくを応援しているのだろうか。
今度のオークは、いままでと違って槍を手にしていた。
さびた粗末な槍だが、竹槍よりは強そうに思える。
落とし穴に落としたあと、この槍をなんとかしなきゃな、とぼくは考える。
一方的に攻撃できるから、勝ち目があるのだ。
反撃をしてくるモンスターを相手にするなど、ぞっとする。
ぼくでもそうなのだ。彼女なら、なおさらだろう。
だがその方法については、あとだ。
ぼくはオークに追いつかれないよう、しかし引き離しすぎないよう、適度な距離を取って逃げている。
フィジカル・アップの能力が、おおよそ以前の二割増しになっているからだ。
付与魔法をランク2にした結果、新たな魔法を手に入れると同時に既存の魔法もパワーアップしていることが判明していた。
レベル2になったことで、MPも上昇している。
白い部屋で質問を繰り返し、ランク1の魔法を倍の数使えるようになっていることがわかっていた。
レベル1では、ランク1の魔法を十回、使うことができた。
レベル2になったら、二十回ということだ。
面倒なので、以後、ランク1の魔法を一回使えることをMP1と呼ぶことにしようと思う。
つまりぼくの最大MPは、いま20だ。
HPについては、上昇しているということしかわからない。
最大HPを調べるためにオークの攻撃を受けるなど、絶対にごめんである。
落とし穴の近くまで来た。
ちらりと木陰を見る。
打ち合わせ通り、アリスが太い木の裏に潜んでいるのが見えた。
いま彼女は、ぼくの鞄から予備のシャツを出して、それを着ている。
年下とはいえ、さすがに服の前が破けた格好は目に毒すぎた。
なんで予備なんて持っていたかといえば、このところ毎日、穴掘りですぐ汗だくになっていたからである。
なにが幸いするか、わからないものだ。
よし。
ぼくは落とし穴を飛び越え、反対側に着地する。
三度目だ。
慣れたものだった。
振り向く。
ぼくのあとを追ってきたオークは、重い足跡を響かせながら、ぼくと同じ場所を通過し……。
偽装された落ち葉に足を踏み入れる。
オークの姿が消え、次の瞬間、下方からすさまじい悲鳴があがる。
穴を覗きこむと、穴の底の竹槍が、オークの身体を見事に刺し貫いていた。
今回はいつもより槍の刺さりがいい。
おかげでオークは手に握っていた槍を取り落としていた。
槍の対策を立てずに済むのはありがたかったが……。
これで致命傷になったら、まずいんじゃ?
急ごう。ぼくはポリタンクを手にして、中身を穴のなかに思い切りぶちまける。
オークの身体が油まみれになる。
「下園さん!」
「はい!」
木陰から出てきたアリスが、新聞紙を丸めたものにライターで火をつけ、穴のなかに放り入れた。
オークの身体が燃え上がる。
「竹槍!」
「い、いきます!」
アリスは緊張した面持ちで竹槍を握った。
ぼくは彼女に駆け寄り、その震える腕に触れる。
「マイティ・アーム」
アリスの両腕が淡く輝いた。
レベルアップのおかげか、さきほどより光が強い。
「ありがとう……ございます」
「うん、がんばって」
ぼくは、へっぴり腰になるアリスの肩を軽く叩いた。
「気合入れて!」
「はい!」
槍の先端は、これまたあらかじめかけてあった魔法によって、どす黒く染まっていた。
ブラッド・アトラクション。付与魔法をランク2に上げた際に手に入れた新魔法だ。
アリスは、かわいらしい声で気合を入れて、穴のなかに竹槍を突き入れる。
オークのうめき声が、穴の底から響いてくる。
それに伴い、アリスの身体全体が青白い光に包まれた。
アリスの身体の傷が、少しずつ癒えていく。
ブラッド・アトラクションをかけた武器で敵を傷つけると、敵の傷に応じて使い手の怪我が消えていく。
RPGふうにいうと、敵のHPを減らしただけ、使用者のHPが回復するのである。
加えて、与えるダメージそのものも底上げされるというから、さすがはランク2の魔法といったところであった。
アリスのひと突きごとに、オークが悲鳴をあげる。
アリスは無我夢中で穴のなかに突きを入れ続けた。
やがて、オークの悲鳴が止む。
穴のなかを覗きこんでみると、致命傷を負ったオークの身体が薄く消えていくところだった。
アリスの身体が、ぴくりと硬直する。
それはほんの一瞬の変化だったが、ぼくはたしかに、アリスの雰囲気が変化したことを理解する。
そう、彼女はレベル1になったのだ。
ぼくと同じ立場、あの白い部屋に入る資格を得たのだ。
そしておそらく、この一瞬、彼女はあの部屋で長い時間を過ごした。
ノートPCでいろいろ調べろ、とぼくはアドバイスしていたから、それに従っていれば、少なくとも一時間か二時間は過ごしたに違いない。
だからこそ、彼女は落ち着いている。
アリスが、おおきく息を吐き出す。
槍を手にしたまま、ぼくを振りかえる。
心なしか、槍を持つ仕草が自然なものに変化しているように思えた。
いや実際、変化が起きたのだろう。
「槍術と治療魔法を取りました」
アリスはいった。
※
「ヒール」
アリスがぼくの手に治療魔法を唱える。
皮がずるむけ、さきほどまでズキズキと痛んでいたぼくの手が、青い光に包まれる。
痛みがみるみる消えて、あっという間に怪我そのものがなくなってしまう。
皮がむけていた名残りなのか、その部分だけ少しピンクになっていた。
「なるほど、便利だ」
「はい」
アリスは、にっこりとして、次は自分の傷を癒していく。
自分の方がよほどボロボロだろうに、最初の治療魔法はぼくに使いたいといってきかなかったのである。
「白い部屋、本当だったんですね」
「疑っていたのか」
「そういうわけじゃ、ないのですけど……」
ぼくは苦笑いした。
「ちょっと信じられないような現象だよな」
「はい」
実際、ぼくだって、立場が逆だったら……。
うん、鼻で笑っていただろうな。
「でも、ちゃんと、スキルを選べました。賀谷さんの、おかげです」
「和久、あるいはカズって呼んでくれないか。ぼくたちは、仲間だ」
「はい、和久さん。……カズさん。あの」
アリスは、少しはにかんだ笑顔をうかべ、ぼくを見上げる。
「わたしのこと、アリス、って呼んでください。みんなそう呼ぶんです。あと、わたし、後輩です。呼び捨ててください」
「わかった、アリス」
「はい!」
アリスは、嬉しそうに笑う。
それを見て、ぼくも嬉しくなってしまい、微笑んだ。
「槍の方は使えそうか」
「はい」
彼女はいま、さきほど死んだオークの持っていたさびた槍を手にしている。
穂先の鉄がさびているとはいえ、ぼくがつくった適当な竹槍なんかより、よほど使えることだろう。
というか、これ。付与魔法でなんとかならないかな。
ぼくは、ランク2の付与魔法のひとつを思い出して、槍の穂先のさびた鉄に触れた。
「リペア・メタル」
はたして、鉄の穂先が青く輝き、みるみる錆が落ちていく。
十秒ほどで、槍の先の金属部分は、つくられた当初の輝きを取り戻していた。
「わあ」
思わず、といった様子で、アリスが感嘆の声をあげる。
「すごいです、カズさん」
「ああ、すごいことだな」
自分がやったことだというのに、ぼくはなんだか、とても他人ごとのようにそういった。
それだけ、目の前で起きていることが非現実的だったのだ。
いやはや、現実的な感覚なんて、ぼくのなかではとっくに消えていたと思っていたのだが。
「でも、これで、わたしも……戦えます」
アリスは、唇をきゅっと結び、かたい表情でうなずいた。
「わたしはもう、無力じゃない」