第48話 中等部本校舎決戦1
ぼくは転んだ状態から上半身を持ち上げ、ジェネラル・オークを仰ぎ見る。
黒い肌の大柄なオークは、銀色に光る剣を無造作に下げ、仁王立ちする。
ぼくを見下ろし、勝ち誇ったように笑う。
ヤバい。
こいつは、マジでヤバい。
昨日の夕方、エリート・オークと戦ったとき、ぼくは即座に撤退を決断するほど恐怖した。
だけどいまは、あのときよりはるかに絶望的なちからの隔たりを感じている。
昨日は、ぼくもアリスもぼろぼろだった。
反面、ぼくのレベルアップによって対策を講じることができた。
すべてがピタリとはまって、かろうじて勝利を得ることができた。
今回は、ぼくがレベルアップしたばかりだ。
ヘルハウンドを倒しても、次のレベルははるか彼方だろう。
いや、ヘルハウンドの経験値にもよるけど、ひょっとしたらアリスはレベルアップするかな。
となると、アリスは槍術を5にできるか。
……それでどうにかなるとは思えないくらい、目の前のジェネラルはヤバいんだけど。
サイレント・フィールドすら破る咆哮とか、冗談じゃない。
魔法の説明は絶対じゃないってことか。
っていうか、魔法そのものを吹き飛ばした?
となると、ミアのほかの魔法、たとえばヒート・メタルなんかも効かないってことか?
そもそもあの剣、銀色に光っているけど、魔法的になにかあるのだろうか。
ファンタジーによくある魔剣ってヤツなのだろうか。
切れ味とか、すごいんだろうか。
あるいは追加効果とか?
魔剣。
ぱっと思いつくのは、どこぞの小説の、相手の魂を喰らって世界を滅ぼすアレとか……。
いやまあ、そんなクラスじゃないにしても、なんらかの追加効果は……ある?
そんなものを握る相手と、アリスやたまきは打ちあわなきゃいけないのか。
ぼくの大切な恋人、アリス。
恋人ってわけじゃないけど、大切な仲間のたまき。
彼女たちに、突っ込めと命令しなきゃいけないのか。
いまさらながらに、ぼくは、本校舎を攻めたことを後悔していた。
一手間違えばこうなると、わかっていたはずなのに。
いや、志木さんが悪いわけじゃない。
志木さんは、現状での最善の方法を提示して、ぼくはその賭けが必要だと認めて、でも……。
思考がどうどう巡りする。
ものすごいスピードで無駄なことばかり考えている。
ダメだ、集中しろ。
いまぼくがやらなきゃいけないことは、なんだ。
いまはとにかく、目の前のことを……。
「スモッグ」
ミアが魔法を使う。
風魔法ランク1、スモッグは、煙を巻き起こして視界を遮る魔法だ。
魔法の煙がものすごい勢いで周囲に拡散し、皆の視界をふさぐ。
そうだ、いまここで、ヘルハウンドとジェネラル・オークを二体同時に相手どるわけにはいかない。
やるべきことは、ただひとつ。
撤退だ!
「志木さん、逃げる、あれを!」
森に逃げた志木さんに、その声は聞こえただろうか。
とにかくぼくは立ち上がり、転がるように森へと走り出す。
アリスとミアもぼくに続く。
ヘルハウンドと相対していたたまきは、じりじりと森の方へ移動し……。
「いくわよ、たまきちゃん、距離をとって!」
「あいさーっ」
森のなかから姿を現した志木さんの合図。
たまきが、パッとヘルハウンドから飛び退く。
黒い巨犬はたまきを追おうとして身をかがめ……。
志木さんが、缶詰を開けて、その中身ごと投擲する。
缶詰の中身がヘルハウンドの顔にかかる。
ヘルハウンドが悶え苦しみ、怒りの咆哮をあげる。
首をおおきく左右に振る。
風に乗って、ぼくたちの方にも臭いが漂ってくる。
卵が腐ったような酸っぱい臭い、とでも評すればいいのだろうか。
なんかもう、とにかく壮絶な臭いだ。
「シュールストレミングって、ほんとに臭いのね……」
ひとごとのように、志木さんが呟く。
呆気にとられるぼくたちに合図し、走り出す。
「さ、こっちよ。ほかの子たちは直接、育芸館に戻るようにいったわ」
「きみが担いでた子は」
「すみれちゃん、だっけ。あのふとっちょの子に」
ああ、いっちゃった。
デブっていっちゃった。
ぼくがせっかく、脳内で控え目な表現をしていたのに。
いやまあ、どーでもいいんだけど。
彼女もいい運動になるだろう。
「わたしたちは、あいつらを落とし穴におびき出すのよ」
「わ、わかった」
それにしても、どうしてあんな缶詰があったのだろう。
あとで志木さんに聞いてみたいところだ。
いや、なんかあまり聞きたくないけど。
腐った缶詰とか、どうして用意してるんだって話なんだけどさ……。
とにかくぼくたち精鋭パーティ四人と使い魔たちに志木さんを加えた一行が、森のなかを走る。
落とし穴に誘導するため、敵から全力で距離を取る。
どうせヘルハウンドは、すぐ追いついてくるだろう。
へたに速度を落としても、意味はない。
はたして……。
遠吠えが響く。
ぼくたちの背後の森が、燃え上がる。
あんにゃろう、無茶をする。
魔法的な火は、たぶんだけど、消火しにくい。
魔法には魔法でしか対処できないっぽいのだ。
かわりに、一定時間で必ず鎮火する。
かといって、種火が燃え広がったら……。
大規模な森林火災を起こす気か。
自然破壊だぞ、こんちくしょう。
いや、犬っころに自然破壊とかいっても仕方がないか。
ところが、その犬っころの行動が怪しい。
どしん、どしんと樹にぶつかる音が連続して響く。
あー、これ、嗅覚に異常をきたしちゃってる?
結構チャンスだったりする?
といっても、ジェネラル・オークもいる。
いまとって返しても、厳しいだろう。
やはりここは、落とし穴まで誘導するのが正しいか。
落とし穴さえあれば、なんとかしてくれる。
落ちつけ、まだ慌てる時間じゃない。
「カズさん」
アリスがぼくの横を駆けながら、肩に手を触れる。
「ヒール」
そういえばぼく、火傷を負ってたんだっけか。
そのあと、ジェネラル・オークの咆哮で吹き飛ばされて、なんかアスファルトの破片が額に当たったような気もする。
額に手を触れてみると、あ、なんか血が出てる。
なんかもうその程度の負傷、怪我ともいえない気がするけど……。
レベルが10を超えて、ぼくの身体はいっそう頑丈になっているように思える。
いくら火耐性の付与魔法があったとはいえ、あれほどの炎を浴びて、たいしたことがないといえるんだから……化け物だよな。
まあ、化け物でいい。
ぼくの身体がどう変化していようと、それが生存につながるなら、どうでもいい。
そういったものが結果的にアリスたちの安全に繋がるのだから、素晴らしいことだ。
アリスの手が触れたところから、じんわりと暖かくなっていく。
痛みが消えていく。
「ありがとう、アリス」
「無事で、よかったです。カズさんが犬さんの火に包まれたとき、わたし、心臓が止まるかと思いました」
「だいじょうぶ、ぼくの心臓も物理的に止まりそうだった。ある程度は魔法で防げて、本当によかったよ」
付与魔法がなければ即死だったんじゃないだろうか。
いや、レベル11になったいまのぼくだと、ゲーム的なヒットポイントじみたものが大量にあって、ひょっとしたら耐え抜くことができるのかもしれないけど……。
そんな人体実験、試す気にはならない。
ほかのひとがブレスを喰らうのもごめんだ。
アリスがあの炎を浴びて焼けただれた皮膚を晒すなんて、絶対に嫌だ。
結論として、あのヘルハウンドは、さっさと殺してしまいたい。
できれば落とし穴に落としたあと、なにもできないうちにアリスが刺し殺すとかがベストだけど……。
「ジェネラルの方が前に出ているわね」
前を走る志木さんがいう。
え、なんでわかるの?
言葉に出していないのに、志木さんはぼくの方をちらりと振り向く。
「うまく集中すると、声でわかるのよ。偵察スキル、ランク2になるとだいぶ高性能ね。ちょっとコツがあるけど」
うわあ、すごいな、偵察スキル。
コツってのが不安だけど。
妙な練習とか白い部屋でやっていたんじゃないだろうな……。
「左耳と右耳で精度を変えられるのよ。方角と聞こえる音の調整はランク1でもできるから、そのあたりを丹念に訓練すれば」
あーやっぱり、ちょっと常人じゃ理解が追いつかないコトしてる。
これだからMMO廃人は……。
ま、まあいいや。
そのちょっとしたコツが、いまはとても役に立っている。
「ジェネラルを穴に落として、ヘルハウンドはみんなでボコるしかないか」
「そうね。それでいきましょう」
ぼくは念のためにと、走りながら志木さんとミアにもレジスト・エレメンツ:火をかけておく。
これ、うちのパーティにはディフレクション・スペルで拡大してかけたかったな。
そんな余裕がなかったから、仕方ないんだけど。
これで全員が、あの火のブレスを喰らっても生きていられる……はずだ。
いや、レベルの低い志木さんは厳しいか?
「志木さんは、落とし穴への案内が終わったら、離れておいて」
「そうするわ。無駄に前に出るのは蛮勇ね。ここでわたしが戦死しても、自己満足にすぎないわ。わたしの命は、もっと効率的に使わせてもらう」
いや、素直に死にたくないっていって欲しいんだけど。
いわないか。
このひねくれ者め。
「この先よ。ついてきて」
志木さんが一度立ち止まり、獣道を左に折れる。
ぼくたちは全員、彼女に続く。
おおきな樹の幹をまわって、落とし穴と思われる地面の反対側に。
ちょうどそのタイミングで、ジェネラル・オークが背の高い下生えを割って飛び出てくる。
彼我の距離は十数歩。
ぼく、ミア、志木さんが後ろに下がり、アリスとたまきは武器を構える。
ジェネラル・オークはにやりと笑い、銀色に光る剣を構えて突撃してくる。
アリスとたまきが待ち受けているにも関わらず、一見、無造作に突っ込んでくる。
己の技量に絶対の自信があるのか。
それとも、ただ馬鹿なのか。
あるいはその両方なのか。
ジェネラル・オークは、まっすぐ突進して。
さくっと落とし穴に落ちた。
「うしっ」
ミアがぐっと拳を握る。
「やったわ、あとはボコるだけよ、アリス!」
「うん、たまきちゃん!」
アリスが、ひょいと穴の底を覗きこもうとし……。
ぼくは果てしなく嫌な予感に襲われる。
「アリス、止まれ!」
反射的に、魔法を使っていた。
「リフレクション」
アリスの手前に虹色のバリアが出る。
バリアがなにかを反射する。
落とし穴のなかで、鈍い音がする。
背筋が凍えるような咆哮が森に響く。
周囲の落ち葉が、竜巻のように舞い上がる。
アリスとたまきが、思わずよろけて下がる。
そして。
黒い大柄なオークが、穴から飛び出してくる。
跳躍したのだ、とぼくが気づいたときには、ジェネラル・オークは穴のそばの地面に着地している。
ジャンプひとつで穴から出てきやがった。
ぼくは戦慄する。
無敵の落とし穴が破れた、その瞬間だった。
それに……あれは……いま反射したのは、まさか。
なにも見えなかったけど、もしぼくの予感が正しかったとしたら。
偵察のあのとき、カラスを殺したのは……。
ぼくは、ジェネラル・オークがアリスに放った攻撃の正体について、ある予測を立てる。
ということは。
いまジェネラル・オークが腰のポーチから左手でなにかを取りだしている、あの動作は……。
来る。
誰に来る?
いや、目標が誰だとしても、誰に来られるとまずい?
そんなの、簡単だ。
このメンバーのなかで、一撃死する危険があるのは……。
ぼくは志木さんをかばうように彼女の前に立つ。
「リフレクション」
半分、正解だった。
ジェネラル・オークの左手から飛び出したなにかが、飛来する。
いや、もうはっきりいおう。
小石だ。
ジェネラル・オークはどういう手段をもってしてか、小石を高速で打ち出している。
その小石が、志木さんをかばったぼくを襲う。
そして、虹色のバリアによって跳ね返される。
だが、小石は一発ではなかった。
ジェネラル・オークは小石を二発、連続して飛ばしていた。
二発目の小石が、ミアを襲う。
「え?」
びっくりするような、ミアの声。
ミアの身体が後ろに吹き飛ぶ。
同時に、ぼくから跳ね返った小石がジェネラル・オークの左手に衝突し、こいつの左手の親指があらぬ方向に折れ曲がるのだが……。
つまりは、それほどの威力だった。
迂闊だった。
こんなの、当たりどころが悪ければ、志木さん以外でも死ぬ。
というか。
ミアの横で、細長いものが、宙を舞っている。
腕だった。
ミアの左腕が、小石の一発で付け根からもぎ取られ、吹き飛んでいた。
「あ……っ」
ミアは驚愕の表情のまま、地面に転がる。




