第43話 中等部本校舎制圧作戦4
アリスとたまきの友人、杉之宮すみれは、おさげに縁なし眼鏡の、少しぽっちゃりした女の子だった。
なるほど、文学少女っぽい。
上は制服で、下にジャージだ。
たまきがそこらの教室から拝借したのだろう。
靴下は履いてない。
うん、濡れたからね。
仕方がないね。
すみれは、アリスと抱き合ったあと、ぼくにぺこぺこ頭を下げた。
身体はアリスやたまきよりひとまわり大きいけど、おどおどした態度は怯えた子ネズミを思わせる。
たまきによれば、彼女がロッカーの近くを通りかかったとき、掃除用具入れが動いたのだという。
思わず大斧でぶった斬るところだったらしい。
うん、やっぱりたまきって……うっかりさんだよなあ。
いやまあ、いきなりロッカーが動いたらびっくりするのは当たり前だけどさ。
すみれは、いきなり周囲の音が消えて、慌ててしまったのだという。
そんな彼女にいくつか聞きたいことがあったのだけれど……。
その前に、すみれのお腹がかわいらしく鳴いた。
すみれは、お腹を押さえて赤面した。
「あー、カロリーメイト、食べるか。水筒はぼくのをあげよう」
どうせぼくは、その気になれば水と食料を好きなだけ召喚できる。
このペースだと、先にミアのMPの方が尽きるだろうし。
すみれは喜んでカロリーメイトをかじった。
ぼくは彼女に、食べながらでいいから、と訊ねる。
「オークたちが連れている動物を見ただろうか」
すみれはきょとんとして、首を横に振った。
そうか、知らないか……。
少しでも彼女から情報を得られたら、と思ったが。
「あ、でも。吠え声は聞いたような……。犬みたいな声だったと思います」
「きみは気づかれなかったんだね」
「はい。少し遠くから聞こえたように思います」
なるほど、まあ気づかれていたら、いまごろこうして無事じゃないよな。
育芸館で確認した、中等部本校舎の地図を思い返す。
ちなみに、地図を書いたのはアリスたちだ。
地図によれば、彼女の隠れていた場所の近くを通らなくても、校庭に出るルートがいくつかある。
外階段を使う方法もある。
その動物が、すみれが隠れていたあたりを通らなかったというだけなのだろう。
すみれは幸運だった。
その幸運のせいで、ぼくたちは情報を新たに得ることができなかったわけだけど。
まあ、そんなことはいい。
彼女には簡単に状況を説明し、トイレにでも隠れてもらうことにする。
ついでに、ありったけのカロリーメイトを渡しておく。
とても喜んでいた。
食欲旺盛なのはいいことだ。
※
さて、風魔法ランク3のインヴィジビリティは、対象ひとりを透明人間にする魔法だ。
ビジュアル的には、某アニメ映画にでてきた光学迷彩、というとわかりやすいかもしれない。
もっとも、ほかの魔法と同様、原理とかそのへんはまったくわからないけど。
持続時間は、ランク3の時点で三分から四分。
対象が着用しているもの、手に持っているものも同時に透明化する。
透明になる、というと無茶苦茶強いように思えるが……。
この魔法、欠点がある。
激しく動いたりほかの生物と接触すると、透明化が解けてしまうのだ。
ぼくたちは、白い部屋でしつこくQ&Aを行なった。
この「ほかの生物」には蚊や蝿のようなちいさな生き物は含まれないという。
また「激しい動き」には、走ったり手足を振りまわしたり、普通のスピードで話す行為が該当する。
しかし、歩いたり、ゆっくりしゃべったりする程度は許容範囲であるらしい。
なお、魔法の行使には発声動作が必要である。
魔法の行使はこの「激しい動き」に該当する。
結局のところ、透明な状態でできることは、ゆっくりとした移動程度のことだけなのだ。
それだけで充分に強力ではある。
敵の不意をつき、接近できるというのは、とてつもないアドバンテージだ。
サイレント・フィールドと組み合わせることで、この魔法は素晴らしい隠密コンボへと変化する。
沈黙し、姿も見えない暗殺者がこっそり敵に忍びよることができるのだ。
もちろん、サイレント・フィールドの範囲内に入ってしまえば、完全に音が聞こえなくなる。
敵は異変を察知するだろう。
だが半径三メートルというのは、アリスやたまきにとって充分な距離だ。
相手がなにか気づいたときには、もう遅い。
ゆっくり動かなければいけないという仕様の都合上、ヘイストをかけてやれないのがネックとはなるが、利点はそれを補って余りある。
なおサイレント・フィールドの効果範囲のなかで魔法が使えるのか、という問題については、以前にノートPCに質問してある。
発声動作を行うことが必要で、音そのものは重要ではない、という回答だった。
音が出なくても構わないということだ。
これはのちに実験し、確認している。
「二階の廊下にいるオークは、廊下の中央付近でただ立っているだけだ。こいつらは無視して、それより手前の部屋にいるオークを先に始末しよう。向かって左手からだ」
どうせ、二階のオークも殺せるだけ殺すのだ。
効率的にいこう。
ミアがアリスとたまきに、インヴィジビリティ、サイレント・フィールドの順番で魔法をかける。
周囲の音が消える。
ぼくはゴーサインを出す。
ふたりの姿は見えないが、周囲の音が戻ってきたことで、ふたりが移動したことを知る。
「ミア、ぼくたちもいこう」
「ん」
ぼくたち後衛ふたりも、インヴィジビリティとサイレント・フィールドをかけて二階にあがる。
二体のオークが通路のど真ん中に立って、暇そうにしている。
こちらを見てもいないが、いちおう警邏のつもりなのだろう。
なるほど、オークたちは警戒の必要性を認めつつも、だらけているのか。
ぼくたちは、インヴィジビリティがきれないよう、ゆっくりと歩を進める。
アリスたちが入ったであろう部屋のなかを覗き込む。
エリート・オークが一体、普通のオークが一体、部屋のなかにいた。
男子生徒の死体がいくつか転がっていた。
二体は死体の首でお手玉をしていた。
アリスとたまきが姿を現し、その二体に襲いかかる。
たまきの斧の斬撃が、エリート・オークの首を切り落とす。
アリスの槍の刺突が、雑魚オークの首筋を一撃で貫く。
レベルアップの音が聞こえてきた。
あ、ぼくだ。
※
白い部屋の様子が、いつもと違った。
部屋の中央に、両替機のようなものが配置されていた。
液晶パネルがあり、なにやら文字が表示されている。
本当に両替機ならお金を入れるはずの部分が、漏斗状になっていた。
なにかを入れろ、ってことなんだろうけど。
なにを?
ぼくたち四人は、顔を見合わせる。
「なんだろーね、これ」
「なんでしょう……」
首をかしげるアリスとたまきに、ぼくはとりあえず、ねぎらいの言葉をかける。
そのあと、さて……。
改めて、両替機のようなものを見る。
疑問点はふたつ。
これはなんなのか。
なぜこれが現れたのか。
「カズっち、いまレベル10になった?」
「あ、ああ」
「レベル10になったボーナス、とか?」
その発想はなかった。
さすがミア、オタクの鑑だ。
「触る前に、PCに聞いてみるか」
かくして恒例の質問タイムが始まった。
各人のPCで、手分けして質問を連打する。
主にこの両替機のようなものについて質問した。
わかったことは、以下の通り。
・この両替機のようなものは、ぼくのレベルアップ・ボーナスである。
レベル10以上の者がパーティに存在する場合、白い部屋にこの機械が出現する。
なお機械の名前については、ぼくたちが勝手につけろ、と突き放された。
・この両替機のようなものは、ひとことでいって、トークンをアイテムに変換する装置である。
この場合のアイテムとは実体のあるものだけでなく、スキルや魔法や特殊能力も含まれる。
むしろ、スキルや魔法や特殊能力がメインである。
・トークンというのは、どうやらオークを倒したときに落ちる赤や青の宝石のことらしい。
以後この宝石を赤トークン、青トークンと呼ぶ。
・赤トークンが1点、青トークンが10点となる。
なるほど、エリート・オークのドロップは十倍の価値か。
経験値だと五倍なんだけどなあ。
いやまあ、強さ的には十倍以上な気がするけど。
・一度、この機械に入れたトークンは、二度と払い戻せない。
またこの部屋で使ったトークンは、もとの場所に戻っても消えている。
いやまあ、システム上そりゃそうだ、という話ではあるけど。
これまでは、もとの場所に戻ったとき、白い部屋に来る直前の状態に巻き戻ったからなあ。
このトークン・システムだけは例外、ということか。
「とりあえず、この機械の名前だけど、自動販売機でいいか?」
「カズっち、センスない」
「ほほう、ではセンスのあるミア先生の命名をお聞かせ願えましょうか」
ミアは、うっ、とひるんだように身をのけぞらせた。
「え、ええと……アイテムベンダー?」
「英語にしただけじゃないか」
「中二病的に正しい」
ドヤ顔で指をVの字に突き出してくる。
中一のくせに、なにいってやがる。
アリスとたまきは、とふたりを見た。
「どっちでもいいよう」
「はい、お任せします」
うん、そうだよねー。
ほんとマジ、どうでもいいよね名前なんて。
「じゃあ、アイテムベンダーでいいか」
いや、まてよ。
ぼくはふと、あることを思い立ち、ノートPCに質問を入力する。
・Q:ここで決定した前述機械の固有名詞は、ほかの生徒がレベル10になったときにも使用されることになるのか。
・A:イエス。
・Q:ほかの生徒とは、ぼくたちが接触していない生徒も含まれるのか。
・A:イエス。
「これ、メッセージに使えるんじゃ?」
ぼくは三人を見た。
まだ接触していない人々に、ぼくたちからの言葉を伝える。
それはとても魅力的な提案に思えたが……。
あ、でも。
それって、あいつにも伝わるってことか。
高等部のやつらだ。
「それ以前に、カズっち。重要なことがもひとつ」
ミアがピッと人差し指を立てる。
「これ、10レベルに最初に到達したのがカズっちなんじゃ?」
「あー、そうかもな」
一応、質問してみたが、返答はなかった。
まあそうか。
いままでの感触から考えて、このノートPCの後ろにいるやつは、ぼくたち全員に対してフェアに振る舞おうとしている。
裏づけは得られなかったが、ミアの推測は当たっているだろう。
そうじゃなきゃ、ここで固有名詞を決めろ、なんていってこないはず。
さて、じゃあこのささやかな先行者特権をどう使うか、だが……。
「たとえば『育芸館に集合』という名前にすれば、ぼくたちが育芸館を拠点としていることを伝えられる、けど」
「それナシで」
ミアがばっさりと切って捨てた。
「10レベルになった生き残りが、味方かどうかもわからない」
兄を助けるため高等部にいきたい、といっている彼女が、あっさりそういってのけたことに、ぼくは驚く。
はたしてミアは……。
「ねえ、カズっち。よく聞いて」
「う、うん」
「ゾンビ映画のオチって、ゾンビよりほかの人間の方が恐ろしいって感じになること、多い」
映画の話かよ。
……いや、そうか。
彼女がいいたいであろうことは、はからずもぼくが想像したこと、高等部を偵察したときの様子と符合している。
つーか、こいつ、結構鋭いな。
状況をよく理解している。
普段からふざけているから、気づかなかった。
ミアは、いつものようにあまり表情を変えずぼくを見上げる。
その目が、少し悲しそうに、寂しそうにしているように思えた。
ぼくが高等部を偵察したことに、彼女は気づいているのだろうか。
彼女たちを頼りにしてくれないことに、失望しているのだろうか。
とはいえ、いまはまだ高等部の話をするべきではない。
これは志木さんとも話し合った結果だ。
いまは中等部の解放に専念する。
あまり余計な情報を入れて、混乱させない方がいい。
ぼくも志木さんの考えに同意を示した。
いまは彼女の指示通りにいく。
「たしかにその考え方には、一理あるな」
実際のところ、ハナっから『育芸館に集合』なんて名前にするつもりはない。
そんなことをして、あいつに目をつけられたら、たまったものではない。
じゃあ、この命名権をどう有効に使えばいいのかといわれると……。
「そのうえで、わたしが名前をつけたい。わたし個人のために、使って、いい?」
「別に構わないけど、どうするんだ」
「兄に、メッセージを送りたい。もし生きていれば、だけど。わたしも生きているって、伝えたい」
ああ、とぼくはうなずいた。
たしかにこれは、ぼくたちにとってなんのメリットもない話だ。
だが彼女にとっては、とても重要なことだ。
問題は一点。
彼女の兄が敵にまわった場合、だけども。
ミアがどこにいる、とまで伝える気はないのだから、まあいいだろう。
どうせ命名権を使う時点で、誰かが先にレベル10になったことはバレている。
「じゃあ、名前をつけてくれ」
「ん」
ミアはうつむいて少し悩んだあと、顔をあげた。
「シンプルに『ミアベンダー』で」
「いいのか、自分の名前つけて」
「兄は馬鹿だから、ちゃんと伝わるように」
うん、お兄さんに対する絶対の信頼が伝わってくるな。
まあその兄が生きている可能性は……ほとんどないだろうけど。
ミアという名前は珍しいから、お兄さんが生きてレベル10になれば、ミアの意図を理解するだろう。
肉親に生存を伝えたいという気持ちは汲み取ろう。
それが彼女にとって大切なことなら、いいだろう。
そう考えながら、ぼくはノートPCに、固有名詞を入力した。
「じゃあ、改めて。このミアベンダーをどうするか、なんだけど」
「ん。よく考えたら、まるでわたしが売り物にされるみたい」
「そこまで考えてなかったのかよ」
思わずツッコみを入れてしまう。




