第04話 オークと少女
数分後。
ぼくは、木陰に隠れて、オークと人影が十歩ほど先でもみ合う様子を覗きこんでいる。
ここに来るまでに、マイティ・アームの魔法の効果が切れていた。
フィジカル・アップはまだ残っている。
魔法の効果時間は、二十分から三十分程度か?
これもあとで、白い部屋にいったとき、質問しておく必要がありそうだ。
オークに組み敷かれているのは、女の子だった。
中等部の制服を着ていた。黒髪を腰のあたりまで伸ばした少女だった。
オークは鼻息荒く、少女に乱暴しようとしている。
なんだこれ。
なんでこいつ、女の子の股を開かせようとしてるんだ。
なんでこいつ、武器の剣をそこらに放り出してるんだ。
なんでこいつ、ぼくに無防備な尻を向けて、レイプなんてしようとしてるんだ。
無防備じゃないか。
チャンスだ、と思った。
女の子が泣き叫んで暴れているから、こっそり近づけば気づかれないかもしれない。
彼女には、囮となってもらおう。
いつかは、落とし穴なしでこいつらモンスターとかいうのを倒さなきゃいけないときがくる。
その第一歩として、このシチュエーションは、まずまずじゃないか。
ぼくは、落ちついて深呼吸した。
竹槍に魔法を使う。
「キーン・ウェポン」
竹槍が淡く輝きはじめた。尖った先端が硬くなって、貫通力があがったはずだ。
「マイティ・アーム、フィジカル・アップ」
ぼくの腕と脚が光る。まだフィジカル・アップの持続時間は残っているが、念のためだ。
これで腕力と脚力も強化状態になる。
いざというときは、少女を見捨てて逃げればいい。
少し頭がくらくらする。
魔法をだいぶ使ってしまった。
レベルアップでのMP上昇に期待したいところである。
とはいえ、ぼくの魔法はすべて、事前にかけておくべきものばかりだ。
まだいける、と判断する。召喚魔法で呼び出したカラスを呼び寄せる。
「マイティ・アーム、フィジカル・アップ、キーン・ウェポン」
カラスを魔法で強化した。
付与魔法は他人にも使えるのだ。
むしろ、他人に使い援護することこそが、付与魔法の真髄であるようだ。
キーン・ウェポンはカラスのくちばしにかけた。
これで多少は、あのオークへの牽制になるだろう。
なって欲しい。
頼むから、援護して欲しい。
ぼくひとりじゃ、ひどく心細い。
これ以上、やれることはない。
よって、準備完了。
ぼくは竹槍を手に、少女を組みふせるオークの背中へ、ゆっくりと忍びよる。
オークは腰巻きをとり、醜い尻を露出させていた。
人間、一番無防備な瞬間は排泄時だと、えらい誰かがいっていた気がする。
考えてみれば、射精もまあ一種の排泄だ。
たしかに無防備極まりない格好だなと思った。
どこを突くか。
考えた末、無難に首の後ろを狙うことにした。
狙いがそれたら、槍の先が女の子に当たるかもしれない。
そのときはそのときだ。
カラスには、戦闘開始と同時に。そばに転がるさびた剣を奪って逃げるよう命令する。
これで奇襲に失敗しても、相手は素手でぼくと戦わなきゃいけなくなるというわけだ。
一歩、あと一歩と、後ろからオークに近づく。
もう少しだ。
ぼくはごくりと唾を飲み込み……。
組みしかれている少女と、目が合った。
まずい。
冷や汗が噴き出た。
ここで彼女が不審なそぶりをすれば、オークがぼくの存在に気づくかもしれない。
ぼくはいまからきみを助けてやるんだぞ、と怒りが沸いた。
それはもちろん勝手な話で、ぼくはさっきまで少女を囮にする気まんまんだったのだけれど……。
裏切られる。
反射的に、そう思ってしまった。
また、裏切られる。
あのときもそうだった。
ぼくがあいつに目をつけられたきっかけだ。
クラスにいじめられているやつがいた。
ぼくはそいつを助けようとして、あいつはそれが気に食わなかった。
いじめられっ子のかわりに、ぼくがいじめられるようになった。
そのいじめには、ぼくが助けたもといじめられっ子まで加わるようになった。
ぼくは忘れない。
もといじめられっ子が、地面に這いつくばるぼくを見て嗜虐的に笑った、あのときのことを。
濡れたトイレ掃除用の雑巾でぼくの顔を拭いたときの、あの愉悦に満ちた目を。
ぼくの好意は最悪のかたちで裏切られたのだ。
正義を行おうとした結果が、それだった。
彼に対して親切心を起こした結果が、それだった。
ひとが皆、善良な心を持っていると信じた結果が、それだった。
だからぼくは、誰も信じない。
あいつを殺す計画は、ひとりで立てた。
必要なものはひとりで集めた。
幸いにして、そのころには友達なんてひとりもいなくなっていた。
誰もぼくのことなんて気にしなかったから、ひと目を忍んで行動するのは楽だった。
これまでも、そしてこれからも、ぼくはひとりでいい。
そう、ひとりでいい。
だから目の前の少女が裏切ったところで、関係なんてない。
ぼくはこのオークを殺して、経験値にする。それだけだ。
まだ数歩の距離があるものの、ここは一気呵成で……。
踏み込む覚悟を決めた、その次の瞬間。
「いやっ! やめて、離れてっ!」
少女は、大声で騒いだ。
それはまるで、オークの注意を自分に引きつけようとするかの行動だった。
少女が、両手でオークの分厚い胸板を叩く。
オークはうざったそうに少女を見下ろし……。
その頬を、はたいた。
少女の口の端が切れて、少しだけ、血が飛び散った。
彼女は、それでも暴れた。
オークはいっそう不機嫌になり……。
もう、充分だ。
ぼくは雄たけびをあげて、オークに襲いかかった。
オークの太い首に、思いきり竹槍を突きたてた。
青い血が、ほとばしる。
オークが絶叫し、身体を振る。
すごいちからだ。だけどぼくは、離れるものかと竹槍を両手でつかみ、さらにちからを込める。
オークは少女から離れて横に転がった。
その拍子に、首筋に突き刺さったままの竹槍が、ぼくの手から離れる。
オークが手荒く竹槍を引き抜き、放り捨てた。
オークはさびた剣を探して首を振った。
だが、ない。
そりゃあそうだ。その剣は……。
カラスがくちばしにさびた剣を咥えて、ぼくのもとへ運んでくる。
魔法でブーストされているからか、身の丈よりおおきな剣をなんとか持ち上げて飛ぶことができたようである。
よし。ぼくはオークの剣を握った。
へっぴり腰で、構えた。
カラスには、オークの目を狙うよう命じる。
カラスはひと声鳴いて、オークの顔にとびかかった。
オークは手でカラスを追い払おうとする。
しかしぼくが召喚したカラスは、執拗にオークの顔を狙った。
その隙を突いて、ぼくは大声で叫びながらオークに飛びかかる。
剣で胴を薙ぐ。
青い血が吹き出て、オークはよろよろとあとずさる。
ぼくはさらに踏み込み、斬る。
だけどそれは、オークの手で払われる。
ものすごい衝撃だった。
腕がしびれた。
剣が宙に舞い、藪のなかに落ちる。
まずい、と思ったとき、オークが踏み込んできた。
ぼくは慌てて距離を取った。
魔法によるブーストが効いているおかげで、身が軽い。
たやすくオークから離れることができた。
とはいえ、これで奇襲のメリットはなくなってしまった。
なにより問題は、ぼくの手足がひどく震えていることだ。
怖いのか?
ああ、怖いね! めちゃくちゃ怖いね! いますぐ背中を向けて逃げ出したいね!
歯がカチカチ鳴っている。
息が荒い。
なんかもう、オークの鼻息よりぼくの息の方が荒いんじゃないかってくらい、ぜえぜえいっている。
これっぽっちも傷を受けてないのに、なぜかぼくの方がグロッキーだ。
それでも一応、オークだって、よろよろしている。
首の後ろをえぐったのが、かなり効いているのだろうか。
人間だったら普通に致命傷な気がするけれど、どうやらこいつはおそろしくタフなようだ。
まあ、これだけの筋肉ダルマだしな……。
とはいえ。
やっぱり、剣じゃダメだ。
ふと見ると、オークのそばに、まだ竹槍が落ちている。
どうやらオークは、あれを武器として認識していないらしい。
あの竹槍が、こいつをひどく傷つけたというのに。
こいつめ、ひどく単細胞だ。
だがその頭の悪さは、ぼくにとってすごく有利な要素だった。
利用させてもらおう。
ぼくはカラスに、オークの顔のまわりを飛びまわるよう命じた。
牽制だ。
狙い通り、オークはカラスの攻撃にてんてこまいとなった。
その隙に、ぼくは竹槍のもとへ駆け寄り、素早く手に取る。
いや、嘘だ。正確には、よろめきながら竹槍のもとへ駆け寄って、手が震えるせいで二度、竹槍を取り落としながら、三度目でようやくすべり止めに巻いていた布をつかむことができた。
ちょうどそのとき、オークはカラスに目を刺され、かん高い悲鳴をあげ……。
ぼくは竹槍を構え、雄たけびをあげて突進する。
両手を顔にあてて無防備となった胴に、ぼくの竹槍が突き刺さる。
青い血しぶき。
絶叫。
ぼくは、弱々しく反撃を続けるオークに、何度も何度も竹槍を突き入れた。
オークが倒れ、うずくまる。
その身体が透明になって消えるまで、ひたすらに突いた。
耳もとでファンファーレが鳴り響いた。
「あなたはレベルアップしました!」
ふたたび、中性的な声が聞こえてきた。
視界が白に染まる。
気づくと、ぼくはまた、白い部屋にいた。