第28話 志木縁子と対決する
育芸館のロビーで、少女たちが慌てている。
育芸館に生徒の生き残りが集まっていることを、オークに知られてしまった。
そのことに、ひどくうろたえている。
ぼくは、彼女たちにどんな言葉をかけてやればいい?
これからどんな作戦を取ればいい?
いや、そもそもこの場に留まることは最善なのだろうか。
いますぐここから逃げ出すべきなのではないだろうか。
逃げ出すとして、全員で?
女子寮から連れてきた少女たちは、半数以上がまだぐったりしている。
残りも、走ったりするのは無理だろう。
では彼女たちを見捨てて、残りで?
それを皆が納得するかどうかは別として、以後の生活はどうする。
どこか別の場所をオークから奪い返し、再度、拠点とするか。
オークに見つからないよう、こそこそ移動しながらサバイバルするか。
それでどうにかなるのか。
明日、明後日を生き延びることができるのか?
いっそ、ほとんど全員を見捨てた場合は?
ぼくと、アリスと、たまきと、ミアだけで逃げ出すというのは?
だが、それでアリスたちが納得するかというと……。
ぼくは激戦があったばかりの玄関前に立ち尽くし、必死で思考を巡らせる。
たまき、アリス、ミアが、心配そうにぼくを見上げてくる。
と、志木さんが手を叩き、皆の注目を集めた。
「まずは、できることをやりましょう」
彼女の指示に従い、少女たちが動き出す。
まだぐったりして生気のない生存者を三階のベッドに寝かせる。
女子寮からここまで歩いてきた子たちには、風呂場へ案内する。
その間、ぼくはじっと、志木さんが中等部の子たちに指示する様子を眺めていた。
わかっている。
自分なんかより、彼女の方がずっと、こういうことに手慣れている。
戦闘指揮官としてはどうかわからないが、彼女はリーダーとして有能だ。
そんな志木さんとぼくが、確執を抱えている。
いまこの集団における最大の不安要素は、それだった。
たぶん、いま気づいているのは、事情を知るアリスくらいだろうけれど。
遅かれ早かれ、皆は気づく。
ぼくの狭量に。
志木さんの優秀さに。
そのとき、皆は……。
いや、ぼくには戦闘力がある。
アリスやたまきは、ぼくに従ってくれる。
ほかの子たちは、武力を抑えているぼくに逆らいはしないだろう。
だから、どうした?
そんなことで、ぼくたちはオークに勝てるのか?
ぼくは血が出るほどきつく唇を噛む。
嫌になる。
己の心の弱さに、偏屈さに、そして臆病さに。
決めた。
ぼくは顔をあげ、アリスたちを見る。
「一時的にパーティを解散するよ」
驚く彼女たちに安心するよう笑いかけ、一度外に出て、カラスを偵察に放つ。
それから。
ロビーで指揮を執る志木さんのもとに歩み寄り、その腕をつかむ。
「ひっ、ちょっと、なによっ」
志木さんは、表情を青ざめさせて、怯えた表情でぼくを見る。
あ、しまった。
彼女は男性に触られるのが怖いんだった。
ぼくは慌てて謝罪し、しかしすぐに本題を切りだす。
「ぼくとパーティを組んで」
「だから、なにを……」
「ぼくは、あと一体、オークを倒せばレベルアップする。白い部屋で話がしたい」
志木さんは戸惑うようにぼくを見た。
「ふたりきりで?」
「ああ」
志木さんは、ぼくの表情からどんな決意を読み取ったのか。
「わかったわ。つきあってあげる」
ためらいがちにうなずいた。
ぼくは、ちょうど戻ってきたカラスから、報告を受け取る。
「南東の方角に、森のなかを一体でうろついているオークがいる。そいつを仕留める」
「長く留守にするわけにはいかないわ。すぐ行きましょう」
ぼくと志木さんは、かけ足で森のなかに入った。
五分ほどで、迷っているオークを発見する。
オークは、手に槍を持っていた。
ぼくは灰色狼に攻撃を命じた。
使い魔の狼が、オークに飛びかかる。
オークは槍で突いて反撃してくる。
「さっさと仕留めるわね」
志木さんの声が聞こえる。
ふと周囲を見渡せば、どこにもその姿が見えなかった。
偵察スキルで、隠密行動に入ったのだ。
どきりとする。
まさか、彼女はぼくの命を……。
かぶりを振った。
そんなわけがない。
いい加減にしろ、賀谷和久。
いまの彼女に、ぼくを殺すメリットなんてなにひとつない。
はたして志木さんは、狼と死闘を繰り広げるオークに対し、死角となる木陰からナイフを投擲した。
ナイフは、オークの背中に深く突き刺さる。
オークは驚きと怒りで背後に振りかえる。
狼に対して無防備となる。
ここぞとばかりに、狼がオークに飛びかかる。
押し倒す。
灰色狼は、オークの喉笛を素早く食いちぎった。
ぼくはレベルアップする。
ぼくと志木さんは、共に白い部屋にワープする。
そこでふたりは、対峙する。
「話がある」
ぼくはいった。
※
白い部屋で、ぼくは志木さんと向かい合う。
「話題はふたつ。今後の作戦についてと……」
といって、まっすぐ志木さんの目を覗きこむ。
「ぼくときみの関係に関することだ」
「わかったわ」
志木さんは胸もとで腕を組み、うなずいてみせる。
きっと志木さんは、ぼくが彼女をこの部屋に連れてきた理由を理解しているだろう。
ひょっとしたら、ぼくの狭量さ、愚鈍さすら理解しているかもしれない。
「それで、わたしをここに連れてきたのは、思う存分、いたぶるため? アリスちゃんにしたみたいに」
「ぼくをからかって楽しんでるだろ」
「ええ、もちろん」
志木さんは、口もとを皮肉に吊り上げた。
「ごめんなさいね。わたし、強がっていないとダメなタイプなの。不快になったら、好きなだけ殴ってくれて構わないわ」
「じつはマゾなんだろ」
志木さんは軽く肩をすくめる。
「あなたがアリスちゃんに嫌われるようなことをするはずがないって、信じているもの」
「ほんと嫌な女だな、きみは!」
完全に遊ばれている。
ひととおりぼくを言葉で弄んだあと、志木さんは「さて」と真面目な顔になった。
「あなたがためらっていること、先にいっておくわね。わたしはあなたに命を救われた。地獄から救い出してもらった。あのときは心底、死にたいと思ったけど、いまは逆。なんとしても生き抜いてみせると誓っているわ。そのためには、あなたのちからが絶対に必要なの。だから中等部の女の子たちには、あなたを崇拝するよう思考を誘導しておいたわ」
なにそれ怖い。
思考を誘導?
ちょっとこのひと、なにいってるんですかね。
「呆れてる?」
志木さんは、ふふ、と笑った。
「難しいことをしたわけじゃないわ。あの子たちには、心の支えになる英雄が必要だったの。アリスちゃんが目を輝かせてあなたの活躍を語るから、ちょっとだけその尻馬に乗ったってわけ。あなたがよければ、わたしは今後もずっと、みんなの前であなたを褒め続けるわ」
「やりすぎない程度に頼む」
ぼくは苦虫を噛み潰したような表情になっていただろう。
志木さんは、口もとに手をあて、くすくす笑う。
「馬鹿にしてるのか」
「まさか。あなたをみくびっていたな、って自分を笑っていたの」
「ぼくはそんなに過小評価されていたってこと?」
志木さんは、あごに人差し指をあて、んー、と天井を仰ぐ。
「なんていうのかな。あなたにここまでリーダーとしての素質があるのが、予想外」
「ぼくはリーダーに向いてなんかいない」
「昨日は出会ってから二時間程度でアリスちゃんの心をがっちりつかんで崇拝させてみせたわね。今日は、やっぱりたったの数時間で、たまきちゃんとミアちゃんに心から信頼されている」
「アリスについては、運というか、巡り合わせというか……。たまきとミアは、アリスがいたからだ。それと、彼女たちにとって必要なのが年上の男性だったというだけ。ぼくじゃなくてもよかったはずだ」
「そうかしら」
志木さんは肩をすくめてみせる。
「どのみち、ここまでの戦いをすべて勝ってみせているんだから、たいしたものだと思うけれど」
「それについても、運がよかったとしかいいようがないな」
事実、ちょっとした巡り合わせの関係で負けていたかもしれない戦いがいくつもある。
さきほどの女子寮の戦いだって、レベルアップのタイミングが悪ければ、立て直しができなかっただろう。
その場合、全員がエリート・オークに殺されていたか、あるいはミアの風魔法で煙を出し、ほうほうの体で逃げ出していたか。
「過程はともかく、大切なのは結果ということ。あなたは勝ち続けた。そしてみんなが、そのことを知っている」
「だから、ぼくを褒めたたえると?」
「みんなが団結するために必要なことよ。だからあなたも、あまりみんなの前で弱音を吐かないでね。そういうのは、わたしとアリスちゃんの前だけにしなさい。アリスちゃんには、ちゃんといってあるから」
「いってある、って……」
「みんなにあなたを尊敬してもらうには、彼女の協力が絶対に必要だもの。ごめんなさいね、恋人を利用してしまって」
勝手なことを、と思う。
とはいえ、そういうことなら。
志木縁子が皆に高等部でのぼくの情けない姿を暴きたてるかもしれないという心配はいらなかったか。
「アリスはなんていってた」
「それがあなたのためになるなら、少しくらい鼻の下を伸ばしていても我慢するって。よかったわね。浮気の許可、出たわよ」
ぼくはどきりとした。先刻、アリスがいっていたことを思い出す。
たまきが望んだら、彼女を抱いてあげてくれ。
あれは、志木さんの入れ知恵なのか?
いちおう、確認を取ってみることにした。
だが志木さんは、きょとんとする。
「そこまでいったつもりはないわよ?」
「……なんなんだ、いったい」
「中等部には、ボーイフレンドをシェアする契約とか、あるのかしら……?」
志木さんは、腕組みして考え込む。
ぼくは彼女を睨む。
「そんな話、聞いたこともないぞ」
「あなた、そんな話する友達がいた?」
一撃でノックダウンさせられた。
ぼくはそっと目をそらし、次いでとぼとぼと自分のPCに向かう。
PCの前の椅子に腰をおろし、ため息をつく。
志木さんが慌てて追いかけてきて、ぺこぺこ頭を下げた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。つい余計なことをいってしまうのは、わたしの悪い癖なの」
「いまのは本当にひどい!」
振り仰いで、睨んだ。
涙目だったかもしれない。
「うん、謝る。何度でも謝る。なんでもするから、お願い、この通り!」
志木さんは、腰を折り、両手を合わせて拝みこんでくる。
ああもう、悪気はないみたいだけどさ……。
ナチュラルに毒舌なんだなあ。
「志木さんが思った以上に意地の悪いひとで、びっくりしたよ」
「はい、わたしは意地の悪い性根のひねくれた女です。ウジ虫以下の売女です」
「そこまでいわなくていいよ!」
ああもう、このひとはーっ。
はたして志木さんは、お茶目に片目をつぶった。
な、殴りたい……。
いや、うん、以前みたいに恨めしいとか心底憎らしいとか、そういう感情じゃないんだけど。
わかってる。
ぼくは彼女に親近感みたいなものを覚えていて、これはそういう範疇での、ツッコミを入れたい、って気持ちだってこと。
こういう気持ち、久しく忘れていた。
ぼくは苦笑いする。なぜだか少し、嬉しくなってしまった。
ああ、思えば、アリスもたまきもミアも、中等部の人間だ。
彼女たちにとって、ぼくは年上の男性、先輩だ。
志木さんみたいに同格の相手とこんなに長々と会話したのって、いつ以来だろう。
ぼくは立ち上がって、もう気にしていない、と肩をすくめてみせた。
「話を戻すけど、じゃああれだね。ぼくはきみを思う存分、こき使っていいわけだね」
「いいわよ。それこそぼろきれになるまで酷使してくれていいわ。心も身体もね。……エッチな意味じゃないわよ?」
「わかってるよ」
「あ、でも、エッチな意味で襲ってきても黙っていてあげるわ。わたしには負い目があるしね。泣き寝入りしてあげる」
「襲わないっていってるだろ」
志木さんは「知ってる」と笑う。
「アリスちゃん、かわいいものね」
「おう。真面目だし、正直だし、だれかさんと違ってまぜっかえしたりしないからな」
今度は、志木さんが顔をしかめる番だった。
「や、やるわね……」
よし、一本取り返した。
ぼくは心のなかでガッツポーズを取る。
「ってことで、ノーガードの殴り合いはここらへんにしておこうじゃないか。不毛だ」
「まったくね……。そういうわけだから、事務的なところと、みんなをまとめる役は、あなたさえよければわたしがやるわ。悪いわね、試すような真似をしちゃって」
「ぼくが自分の心に整理をつけるの、待っていてくれたんだろ」
志木さんは黙って苦笑いする。
まあ、そうだよな。
いまならわかる。
彼女がぼくに全権を預けたのは、別に遠慮してのことでも、ぼくの能力に期待してのことでもない。
彼女は、賭けたのだ。
ぼくが自分の限界を知り、自分から彼女を頼るよう仕向けたのである。
汚い手を使う、とは思うが、同時にそれがたしかに有効な手段であることは認めざるを得ない。
昨日の今日で精神的にもギリギリのはずなのに、彼女はこなくそと前を向いて戦おうとしている。
泥水をすすってでも生き延びようとしている。
皆を生かすことが最善手だと信じて、そのためにぼくを利用しようとしている。
その苛烈なまでの闘志は、どれほど打ちのめされても立ち上がろうとする覇気は、無意識に嫌なことから逃げようとしていたぼくにとって、とてもまぶしかった。
ひょっとしたら、こうしたちょっとしたやりとりすら、ぼくと打ち解けようとする彼女の気遣いなのかもしれない。
互いにからかいあって、ツッコミを入れ合って、ごく普通に会話できる関係になろうという、そういうジェスチュアなのかもしれない。
だとしたらぼくは、ずっと彼女の手のなかで踊っている、ということだが……。
それも、いいだろう。
彼女は本音で語ってくれた。
少なくとも、ぼくがそう信じるに足るだけ、胸襟をひらいてくれたように思う。
「よろしく頼む」
「ええ」
ぼくは改めて、手を差し出した。
志木さんと握手をかわす。




