第249話 休戦協定
また真っ暗な空間だった。
ぼくとカヤは暗黒に浮いていた。
目の前に黒い大型の魔物がいた。
鋭き刃の翼もつ一本角の大狼。
黒翼の狂狼アルガーラフだ。
アルガーラフは、ぎょろつく赤い目でぼくを睨んだあと、ふっと笑うように顔をゆがませた。
そこには、かつての威圧感がない。
ひょっとして、消耗しているのか。
楔を維持するというのは、それほどの難事だったのか。
己の身を削るほどのことであったのか。
それでも彼は、己のため、己の配下のためにそれを為したのか。
『戦うつもりはない。おまえが襲いかかってくるなら、応戦するほかなかろうが』
「もう戦う気力もない、の間違いだろう。……ずっと、楔を支えてくれていたのか」
『取引条件だった。あやつとの、な』
あやつ。
たぶん、ミアのことだ。
目の前の存在が、あの日、両脚を斬り捨てた少女といまのミアを同一視しているかどうかはわからないけれど。
「ディアスネグスと魔王は倒した。これから先、おまえは魔王軍すべてを率いるのか」
『われが支配するは、魔獣軍団のみ。それはこれまでも、これからも変わらぬこと』
「そうか。……おまえたちは、ヒトと和解する気とか、ないのか」
アルガーラフはゆっくりと首を振った。
『いまのきさまらは、災厄そのものだ。天災に正面から立ち向かうのでは、無知蒙昧の徒と変わらぬ』
なんかこいつ、ぼくよりよっぽど頭がいいこといってるぞ。
腹がたつな……。
まあ、いいけど。
『いくらきさまらが強かろうと、百年か二百年、雌伏すれば死に絶えよう』
「あ、うん……ぼくたちが普通に死ぬかどうか、ぼくたちの子供が同じちからを持って生まれるかどうかもわからないんだけどね」
『そのときは、そのときだ』
アルガーラフは達観したように呟いた。
『われらは北の地に去ることとなろう。きさまらが追いかけてくるようなら、最後の一体になるまで戦うほかあるまいが……』
「たぶん、そんなことにはならないよ。魔獣軍団以外は魔王の手を離れて好き勝手に動くだろうし、だったらぼくたちが戦わなきゃいけない相手はまだまだたくさんいるだろう」
『で、あろうな』
こいつめ、そこまで狙っての発言か。
狙ってるに決まってるよなあ。
モンスターで唯一、計略でもって魔王の支配から逃れただけのことはある。
たとえ一時的とはいえ、一軍が素直に退いてくれるなら。
それによって、ぼくたちがほかにリソースを割く必要がなくなるというのなら。
この取り引きは、本当におおきい。
ああでも、本当に腹がたつな……。
一発くらい、ぶちかましてやろうか。
いや……うん、ダメモトで、ひとつやってみるか。
「ねえ、ものは相談だけどさ。お互いに連絡をとりあえるようにしないか」
『きさま、なにをいっている』
アルガーラフは、驚いたような声を出す。
これがブラフか、それとも計算のうちかはわからない。
でもまあ、相手が拒絶しないなら、話を進めてみよう。
どうせ、リスクはゼロだ。
いま相手に戦意はないのだから、いうだけならタダである。
「クァール……おまえが寄こしたあの黒豹につけた名前だけど、あいつを連絡員として遣さないか。世間一般には、ぼくが召喚した使い魔ってことにすればいいしね」
『それで、なんのメリットがある』
「おまえたちは、ぼくたちを内部から観察できる。ドッペルゲンガーなんてものを使わずにね。ぼくたちは、モンスターの支配領域や支配体制といったことについての情報が欲しい。クァールの口を通じてそういった情報を提供してくれると、とても嬉しく思う」
アルガーラフは呆れたように、ぼくを見つめた。
やがて、ゆっくりとうなずく。
『きさまたちにその意思があるのなら、試してみても損はなかろう』
「ありがとう。じつは、もうひとつ理由があるんだ」
『ほかに理由?』
「いっしょに戦ってるうちに愛着が湧いてね。うちの子も、クァールがお気に入りみたいなんだ」
そばでおとなしくしていていたカヤが「クァール、かわいい!」と手を挙げる。
「クァールは、いいこ、いいこ、です!」
アルガーラフの目が、今度こそおおきく見開かれた。
そうとうに驚いたようだ。
絶句している。
『きさまはそれで、よいのか』
「いや、うーん、どうなんだろう?」
ごめん、ちょっとなんともいいがたいかも。
でもなあ、かわいい娘の情操教育としてもいい気が……うん? なんかおかしいか?
「でもさ。楔を守るって目的は同じである以上、ぼくたちはこの先も共闘できると思うし、だったら交流とかあってもって」
アルガーラフはしばし沈黙したすえ『よかろう』といった。
『その交わりによってなにかを生むことができるというのなら……やってみるがいい』
そういうと、アルガーラフは目をつぶった。
どうやら、話は終わりのようだ。
「カヤ、いこうか」
「はい、パパ!」
カヤはぼくを連れて、魔法を使う。
視界が変化する。
※
ぼくたち親娘が出現したのは、育芸館の跡地だった。
ザガーラズィナーの浮遊島の砲撃によって無残に破壊し尽されたままの場所だ。
どうやら、地球ではなくこっち側の世界に戻ってきてしまったようである。
夜だった。
見上げれば、満天の星空。
周囲にはひとやモンスターの気配がまったくない。
「ひょっとして、結構時間が経ってた感じか、これ。いま何時くらいなんだ」
リュックサックにだいじに仕舞っておいた腕時計を取り出す。
ミアからもらった腕時計だ。
時刻は夜の十一時を差していた。
「よいこは、ねる、じかんです!」
時計の針を見て、カヤがとても元気な声でそう告げる。
「眠いのか?」
「ぜんぜん!」
まあ、彼女はさっきまで寝ていたようなものだからなあ。
夜では、リーンさんの鷹がこっちを見つけてくれることに期待もできない。
さて、どうするか……。
と思ったら、そばの茂みががさりと揺れた。
身構えるぼくたちの前に、のっそりと現れたのは……。
一体の、黒豹のモンスターだった。
「おまえ、もしかしてクァールか」
『さようだ。主の命を受け、おまえたちを探しに来た。仲間と合流するのだろう?』
「あ、ああ」
どうやらアルガーラフは、さっそく約束を守ってくれたようだ。
クァールは、この条約についてどう思っているんだろう。
自分が親善大使兼スパイみたいな役割を果たすことについて。
クァールの案内で歩きだす。
彼にはひとの集まってる一帯がわかるようだ。
「この山、スケルトンはもういないの?」
『ディアスネグスが地球に飛んだ瞬間、すべてのスケルトンが動きを止め、塵となったそうだ。あれらはすべて、ディアスネグスが支配する使い魔であったらしい』
「あれ全部が、か……。やっぱりあいつ、すさまじいちからを持ったやつだったんだな」
地球では、さまざまな制約からその全力を出すことができなかっただろうディアスネグス。
もしあいつが、その持てるちからをすべて出し切って襲いかかってきていたら……。
ぼくたちはいまごろ、生きてこの地を踏めていただろうか。
「そういえば、クァール。きみはいつごろ、こっち側の世界に戻ってきたの」
『おまえのつがいたちと共に、日が暮れて少しのちだ』
「ああ、アリスたちといっしょか。……あいつらにいじめられたりしなかったか」
クァールは先頭に立って道を歩きながら、ゆっくりと首を振った。
『丁重な扱いだった。まるで、われを傷つけることでわが主の勘気を買うことを恐れているかのようだった』
「どっちかっていうと、カヤのためじゃないかな……」
『そこの未熟なメスか?』
カヤが嬉しそうに笑う。
いや、いまのどっちかっていうと侮辱……まあいいか。
「きみはカヤのお気に入りらしいから」
「クァールは、かわいい、です!」
『……そうか』
黒豹は、赤い目で少しだけこちらを見たあと、ぷいとそっぽを向いてしまった。
でもその尻尾がぶんぶんと勢いよく振られている。
かつてなく嬉しそうだった。
「そういうわけだから、よろしく。娘のお目付け役、頼むよ」
『おまえの娘がわれを監視するのではないか』
「カヤはどこに飛んでいくかわからないからね。きみなら、きっとカヤのストッパーになれる」
クァールは黙ってしまった。
でも、相変わらず尻尾がものすごくぶんぶんしてる。
どうやら「お目付け役」を気に入ってもらえたようだ。
正直な話、モンスターとの交流とか不安で仕方がなかったし、うちの愛しい娘をモンスターと接触させることに不安がないわけではない。
でも、まあ。
カヤは、なんといってもあのミアの娘なのだ。
きっと、クァールとのコンビも上手くいく。
理屈ではなく直感で確信した。
※
高等部の本校舎跡地近くに、テントが立ち並んでいた。
焚き火がいくつもできていて、その中央で青白く転移門が輝いている。
光の民の兵士や高等部組が、そのまわりをうろうろしていた。
でもって。
転移門付近でそわそわしていた数名の少女が、森から現れたぼくたちに気づく。
育芸館組の子たちだ。
彼女たちがなにか叫び、テントからアリスが顔を出す。
アリスはどだだだだっ、と走ってきて……。
半泣きで、抱きついてきた。
「カズさんっ、カズさんっ、カズさんっ! 心配っ、心配、しました!」
「ただいま、アリス。みんな無事か」
「は、はいっ!」
詳しく話を聞きたいところだけど……。
とりあえず、ぼくは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたアリスを慰めることにした。




