第245話 魔王討伐1
太陽が間もなく沈もうとしていた。
閉鎖された羽田空港の滑走路から、ぼくたちは夕焼けの空に舞い上がる。
カヤが下を向いて、ワンさんに「ばいばーい」と手を振っていた。
いや、魔王を倒したあと、もういちどここに戻ってくるんだけどね。
ワンさんの隣に立つ少女を見下ろす。
志木さんには、ここで待機してもらうことになったのだ。
仕方がないことだった。
一気にレベルアップしたといっても、彼女はやっとレベル25。
レベル53のアリスたちと比べると、半分以下なのであるから。
これまでの経験で、レベルの上昇とともに、HPともいうべき肉体的なステータスが上昇しているのはわかっている。
隠しデータみたいなものだけれど、パーティごとまとめてファイアボールで焼き払われたときなどに、レベル差は如実に顕れた。
この最後の戦いに志木さんを連れていくのは無謀すぎる、ということだ。
彼女にいま、死んでもらうわけにはいかない。
向こう側の世界で、まだまだやってもらわなきゃいけないことがある。
ぼくひとりでは、とうてい育芸館の子たちをまとめることなんてできやしないのだから。
『カズよ』
傍らを飛ぶクァールからテレパシーが入った。
『主から連絡が入った』
「いまになってか」
『やはり、あの魔王を中心として向こう側との門が開いているようだ。それはほんのわずかな穴にすぎないが、魔王はそこを通して魔力を得ることで、あの巨体を存在させているらしい』
ワンさんがいっていた、世界の裂け目か。
間もなくワンさんの仲間が発動させる境界結界によって、そのつながりは断ち切られるはず。
つまりせっかく再開されたクァールと彼のいう主、すなわち黒翼の狂狼アルガーラフとの電波的なつながりも、あとわずかだ。
「アルガーラフはどうしている。こっちに援軍を派遣とか、できないのか」
『主はいま、楔の維持に全力を注いでいるとのことだ』
「楔の……維持? つまりアルガーラフががんばらないと、学校の山の楔は……」
そしてもちろん、あの楔が破壊されれば。
ぼくたちが戻るべき向こう側の世界は滅びを迎える。
アルガーラフは、配下のモンスター軍団のためにも、いまぼくたちと一蓮托生であった。
『日が沈むまで』
「なに?」
『この場所の時間で日没までが限界だと、主はおっしゃられた』
「それは……アルガーラフが楔を支えることが、だよな。どうすれば楔を守ることができる」
『楔の終端から魔力を吸い続ける存在を討伐せよ、と』
クァールは前方に浮かぶ直径数キロの巨大な黒い球体を見る。
東京湾に浮かぶ、あまりにも非現実的な大規模構造物。
いや、あれで生物なのだという。
魔王。
アルガーラフは、あれを討伐しろといっているのだ。
そうか、とぼくはうなずいた。
「どのみち、いまからやるところだって返しておいてくれ」
『すでにお伝えした』
「話が早くて助かるよ」
いまの話、ワンさんが語っていたこととだいたい一致する。
ディアスネグスの行動とも。
やはりあの亡霊王は、少しでも時間を稼ぎアルガーラフの努力を無駄にするべく策謀を巡らせていたのだ。
ともあれ、亡霊王の野望も潰えた。
あとは魔王を倒すだけだ。
ふっ、と全身が冷たくなるような感覚に襲われた。
「結界が展開されたようです」
ルシアが告げる。
なるほど、ワンさんの仲間が動いたか。
これで魔王と楔とのリンクは切れたはず、だけど……。
彼方に浮かぶ魔王を見れば、その巨体がぶるりと震えたように思えた。
それは錯覚だったのかもしれない。
だが、結界の展開に対して相手がリアクションを起こしたのはその直後だった。
唐突に。
なんの前触れもなく。
魔王の周囲に空飛ぶクラゲが姿を現した。
ほかでもないフライング・ジェリーフィッシュだ。
ただし、その数が問題だった。
無数。
本当に、数え切れない。
何百、何千という程度ではない。
おそらくは万に及ぼうかというフライング・ジェリーフィッシュの大軍勢が、ふっと魔王の近傍に出現したのである。
前方の空いちめんに、あのクラゲの化け物が浮かんでいる。
夕焼けに染まった半透明のその集団は、あまりにも毒々しいオレンジに輝いていた。
「これは」
ルシアが絶句している。
「これが、魔王」
彼我の戦力差については、ある程度わかっていた。
それが途方もないものであることも理解していた。
そのつもり、だった。
まともに戦っては駄目でも、作戦次第でやりようはあると思っていた。
これまでだって、なんとかしてきたのだ。
今回もなんとかなると、そう信じてきた。
だけど、これは。
目の前に展開されるこの光景は。
あまりにも、あまりにも……これはもう、戦力の差などというものではなかった。
相手は巨人で、こちらはアリだとしても、これほどのちからの差はないだろう。
あるいはあの黒い球体をひとことで表現するなら、それは……。
神。
そういえば、いいのだろうか。
それでなお、あれの本質をいい表せるのだろうか。
「か、カズさん、どうしよう」
「命令してください。命令があれば、わたしたち、いけます」
「いやいやいや、なんの策もなしに突撃とか絶対に無理だからね」
青い顔をしているアリスとたまきに笑いかける。
ぼくの顔も引きつっていたかもしれないけれど、でもまあ、冷静さは失っちゃいない……はずだ。
少なくとも、やけっぱちにはなっていない。
敵がどれほど強大だろうと、ぼくたちは別に、あれらをすべて倒す必要などないのだから。
そう、極端な話をすれば、フライング・ジェリーフィッシュなどただの一体も倒す必要などない。
敵は魔王、たったの一体だ。
そしてぼくたちには、こと対魔王においての切り札がある。
「カヤ。魔王にとりついてから、どれくらいの時間がかかる」
「なかに、もぐります」
「ひとりでか。……いや、おれたちもついていけるか」
「ひとり、なら」
随伴はひとりだけ。
なら、選択肢もひとつだけだ。
「ぼくがいっしょにいく。いいね」
「はい、パパ!」
「ま、待ってください、カズさん! 危険すぎます!」
慌てるアリスだが、ここだけは譲れない。
ルシアとふたりで潜入作戦を行ったときと同じだ。
ぼくには召喚魔法がある。
「みんなは、なんとしてでもぼくとカヤを魔王のもとへ送り届けてくれ。といっても、カヤにはディメンジョン・ステップがあるから……。おおよそ一キロ以内には入れれば、テレポートで一気に魔王のもとへ行けるはずだ」
ディメンジョン・ステップで跳躍できる距離の最大は、ランクにつき100メートルだ。
風射術によって風魔法の実質ランクも上昇しているという。
現在のカヤは、実質風魔法ランク11である。
射程1100メートルといっても、魔王の手前数十メートルあたりに出現してしまっては、フライング・ジェリーフィッシュの集中砲火を浴びかねない。
ここは確実に、魔王の体表の上に降り立つ必要があった。
一キロというのは、安全に跳躍できるギリギリのラインだろう。
「問題は、フライング・ジェリーフィッシュがどこまで近づけば攻撃してくるか、だけど……」
「渋谷では、けっこう遠くからバンバン撃ってきてたよねー」
その渋谷は架空世界の方だね。
いや、さすがのたまきも区別はついてるだろうけど。
たしかにあのときは、数キロメートル先から撃ってきてたなあ。
「わたしのライトニング・ムーヴで距離を詰めてはダメですか」
アリスがいった。
たしかにそれも一案なんだけど……。
「見えない障壁とか、張ってそうでさ。一昨日の夜、世界樹の森でトロルと戦ったときみたいに」
あのときは、シャ・ラウのライトニング・ムーヴで接近しようとして、ひどい目にあった。
けっきょく、ミアのディメンジョン・ステップで接敵したんだよな。
モンスターの魔法には見えない壁をつくるものがあって、でもディメンジョン・ステップならそれを越えることができるというのが明らかになった場面であった。
「試してみても、いいですか」
「そうだね。もしうまくいけば、それがいちばんいいか。たまき、カヤ、アリスといっしょにいってくれ」
このふたりがいっしょなら、万一、なにかあってもだいじょうぶだろう。
※
結論からいえば、ライトニング・ムーヴでは魔王のもとに辿りつけなかった。
アリスたちは魔王のだいぶ手前に出現してしまい、フライング・ジェリーフィッシュの集中砲火を浴びた。
慌てて逃げ帰ってくる。
幸いにして負傷者はいないようだが……。
三人とも、冷汗をかいて空中にへたりこんでいる。
「そういえばワンさんが、空間の歪みがあってドローンや航空機、ミサイルなんかが近づけない、っていってたよね」
「もうちょっとはやく思い出してよ、カズさん!」
「ともあれ、こうして目のあたりにしてようやく、ワンさんの言葉の意味がわかったような気がする。やっぱりディメンジョン・ステップしかないか……。いや、ディメンジョン・ステップでも辿りつけるかどうかわからないけど」
その場合、お手上げだ。
打つ手がない。
「だいじょーぶ! ディメンジョン・ステップで、いけます!」
カヤが自信満々に宣言した。
えっへんと胸を張る。
あのー、それ、どこ情報?
「ママが、いってました!」
「もうちょっとはやくいってほしかったなー、パパ」
「ついさっき、です!」
え? とぼくたち全員がカヤを見た。
カヤは慌てて両手で口を押さえた。
おーい。




