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第208話 テパトの寺院3

 油断していた、迂闊だったとはいえ、仕方のなかったところでもある。

 ドームに入ったあと、先に侵入していたグレイウルフとの魔法的接触が復活すれば、おおいに情報を得られたのは間違いないのだから。

 アイソレーションは、ぼくたちにとって有益な精神接触系魔法すら遮断してしまうという欠点が存在する。


「反省は反省として、次に生かそう」


 ぼくは自分とシャ・ラウにアイソレーションをかけた。

 これでもう、この空間を監視しているなにものかから干渉を受けることが……。

 と、思ったときだった。


 ぐりゃりと足もとの地面が沈む。

 慌てて顔をあげれば、空が赤黒く染まり、ビル群が歪み始めていた。


「な、なんですかこれっ」

「にゃーっ、気持ち悪い!」


 アリスとたまきの悲鳴。

 ぼくは慌てて、ミアを見る。


「アイソレーションのせいっぽい?」

「そうか、ぼくの心を読み取れなくなったから……」


 この奇妙な世界そのものが、自壊を始めた。

 この渋谷は、ぼくの記憶から出来ているのだから、当然のことなのか。


 どうする、とぼくは極力、冷静さを保つよう努めながら考える。

 アイソレーションを解くべきか、解かないべきか。

 でも、もし間違った選択を選べば、ぼくたちはどうなってしまうのだろう……。


 と、ぼくの腕を誰かが掴んだ。

 顔をあげれば、ルシアがぼくを見つめている。


「カズ、覚悟を決めましょう。どういう選択肢であっても、わたくしたちはあなたに従います」

「そうよー、恨みっこなしよー」


 ルシアと啓子さんは平常運転に見えた。

 本当にそうかどうかはわからないけれど、でも完璧に自分の表情を制御してみせるふたり。

 ぼくはおおきく深呼吸して……。


「よし。このままだ。ミア、フライを。ディフレクション・スペル」

「ん。フライ」


 全員が宙に浮き上がった。

 これで万一、足もとが崩壊しても慌てずに済む。

 少し上昇しながら、ぼくたちは渋谷の町が崩壊する様子を眺め……。


 赤黒い空のもと。

 ビル群が消えたことで、視界が通るようになる。

 彼方に浮かぶ巨大クラゲの姿が見えた。


 あ、やばい、これは……撃ってくるか。

 はたしてフライング・ジェリーフィッシュは触手の群れをこちらに向け、弾丸の発射態勢になる。


「みんな、シャ・ラウにしがみつけ!」


 ぼくはそう叫んで、幻狼王に目くばせする。

 もう定番となった作戦だ、詳しい指示は必要ない。

 腹に響く炸裂音と共に、無数の弾丸がぼくたちに飛来し……。


「右斜め前」

『任された』


 シャ・ラウが二時の方向に高速移動する。

 いつもの強引な加速だが、ぼくたちもさすがに慣れたもの、なんとか毛皮にしがみついて、Gをこらえてみせる。

 辿り着いたのは、フライング・ジェリーフィッシュから百メートルほどの宙空だ。


 下を向けば、すでに足場は完全崩壊し、漆黒の虚空が広がっている。

 落ちたらどうなるのか、考えたくもなかった。

 あとでエア・ウォークを重ねがけしておきたいところだ。


 後方で激しい連鎖爆発が起こる。

 弾丸が、ついさっきまでぼくたちのいた空間で起爆したのだろう。

 遠すぎて、まだこっちまでは爆風が届かないけど……。


「いまのうちだ。ルシア、プロミネンス・スネークを十倍、準備にかかって。発射は次の移動の直後」

「はい」

「シャ・ラウ、弾丸がきたらタイミングを合わせて逃げろ。横軸をずらすことを意識」

『承った』


 今回、前衛組の出番はない。

 さきほどの戦闘で、あのクラゲの化け物に関しては、近寄らずに魔法攻撃だけで仕留めるのが最上と知った。

 なら、わざわざ危険を冒す必要もない。


 ルシアが魔力解放のタメをしている間、ぼくたちはフライング・ジェリーフィッシュの動きに目を凝らす。

 巨大クラゲは、ぼくたちの姿をつかの間見失ったようだが……。

 やがて、半透明の本体部分に存在する無数の赤い球体が、一斉にぼくたちの方向に集まってくる。


「気づかれた。来るぞ」


 触手たちが、こちらを向く。

 発射。

 その瞬間、シャ・ラウが加速する。


 腕がちぎれそうなGが、瞬間的にかかる。

 ぼくたちは必死でそれを堪えて……。

 急停止。


「ルシアっ」

「プロミネンス・スネーク」


 巨大な炎の蛇が眼前に出現する。

 燃える大蛇は、フライング・ジェリーフィッシュに向かって飛んでいく。

 敵はその巨体ゆえか、動きが鈍く逃げることすらできず……。


 衝突。

 すさまじい爆発が起こる。

 そして、ぼくたちは白い部屋へ。


 どうやら、無事に倒せたようである。



         ※



 レベルアップしたのは、アリスと啓子さんだ。

 啓子さんがいうには、レベルアップするためにはあと最低でもレベル49のモンスターを倒さなければいけなかったとのことで……。


「あのモンスター、レベル49以上ってことかよ……」

「ん。強さ的には、ありえない相手じゃない」

「そうですね、わたしがいくら槍で突いても、たまきちゃんがいくら剣で斬っても、ぜんぜん効いた様子がなかったですし……」


 なんかこう、やはりフライング・ジェリーフィッシュは、なにかがこれまでの相手と違う気がする。

 それは単に、強い、というだけではなくて……。


「コズミックな感じ」

「ミアのアレな意見に同意することは非常にシャクだが、ぼくもそう思う」

「あの、カズさん、コズミックってどういう意味なんでしょう」


 どういう意味なんだろう。

 具体的に説明すると難しい。

 まあ、いいんだそんなことは。


「物理攻撃に耐性、魔法攻撃が弱点、って感じっぽい」

「そうねー、ルシアちゃんの一発は、ちょっと過剰火力だったかもねー」


 そうかもしれない、とぼくも思う。

 でもあの場面は、とにかく絶対の一撃でケリをつけたかった。


「次に出会ったら、もう少しいろいろ試してもいいかもしれない」

「会いたくないけどねー」

「ところで、ルシア。体調はだいじょうぶか」


 ルシアは額に玉のような汗をかいているが、でもその程度ですんでいるのは幸いか。

 だんだん後遺症も少なくなってきている気がする。

 今回は一発だけだし、魔力解放十倍を二連発した昨日よりだいぶレベルが上がってるからなあ。


「問題ありません。今日なら、三発連続でもいけそうです」

「それはとても頼もしい言葉だけど、本当に無理はやめて。逐一、ぼくに体調の報告を」

「はい、カズ。あなたを不安がらせるような行為は慎みます」


 ほんとうだろうねー? とルシアの顔をしげしげと見る。

 ルシアはきょとんとしていた。

 この顔は、だいじょうぶだろう。


「カズは疑り深いですね……」

「おうおう、昨日、あれだけ無茶した御方がなにかいっておられるぞ」


 ミアが急にヘンな口調になって、ルシアをくさす。

 エルフの王女は、ちいさくうなずき、「それが仲間にどれほど迷惑をかけるか、いまならば理解しております」という。


「うむ、愛いやつじゃ」


 背伸びしてルシアの頭を撫でようとするミア。

 あーちょっと背丈が足りませんねー。

 ルシアは、わざわざ少しかがんで、ミアに撫でさせてやる。


「よい心がけである。ついでに、耳も触らせるがよい」

「心得ました」

「あらあら、仲良しさんねー」


 ほんと、啓子さんのいう通りだ。

 ときどき、ミアがこうして、さりげなく潤滑油になってくれているのはわかっている。

 本人が調子に乗るから、意地でも褒めないけど。


「ええんか、ここがええんか」

「あ、ちょっと、ミア」

「カズっちはどうしてくれたんじゃ、おお、ここか、ここか?」

「調子に乗るな」


 首根っこをつかんで引きはがした。

 ルシアは顔を真っ赤にして、喘いでいる。

 ミアは猫のマネをして「にゃーん」と鳴いた。


「二度も同じごまかしかたをするな」

「おなご同士の、ちょっとしたじゃれあいじゃよーっ。百合百合じゃよー」


 ばたばた暴れるミアを、啓子さんの方にポイと投げる。


「あらあらあらー」

「ちょっとニンジャ的に折檻してくれませんか」

「もー、わたしはそんなことしないわよー」


 ちぇー、啓子さんのおしおきなら、ちょっとは懲りるかもしれないと思ったのに。

 ミアは啓子さんの背中を盾にして、ぼくに対してあっかんべーをしている。

 ……小学生かよ。


「わかった、わかった。ミア、きみが道化を演じてくれることには感謝してるよ」

「お、おうっ、カズっちがデレた! みなのもの、カズっちがデレたぞよっ!」

「そうやって、ぼくの言葉にいちいちアレな反応するから、ぼくときみの仲が進展しない可能性について」

「……いまわりとガチでダメージがきたぞよ」


 ミアが胸もとを押さえて、がっくりと膝から崩れおちる。

 ついでに、なぜか流れ弾を喰らったっぽい啓子さんまで、床に突っ伏す。


「ううーっ、なんでわたし、肝心なところでユウくん相手におちゃらけちゃうのかしらー」


 さめざめと泣き出す。

 あ、こりゃあかん。


「カズさん、その女のひとを泣かせる趣味、よくないよ」


 たまきに怒られた。

 ぼくは必死で謝罪する羽目になった。


「ええい、ミアめ」

「ん。さすがにそれは逆恨み」

「わかってるよ!」


 ミアは無表情でぼくを見上げ、「いえーい」と親指を突き立てる。


「カズっちがいつまでもデートしてくれないから、バチが当たる」

「そんな暇がなかっただろ……。この白い部屋ならともかくさ」

「ここでどれだけ一緒に過ごしても、記憶しか残らない」


 うん、ミアのいいたいことはわかる。

 この白い部屋は、虚構の存在に近いものだ。

 ここで過ごした時間は、夢に近い。


 ここに引きこもっていれば、モンスターの脅威を感じることなくいつまでも平和に過ごせる。

 でもそれは逃げにすぎなくて……。


「つーわけでカズっち。無理は頼まないから、約束」

「なんだよ」

「ほんの少しでも、次に時間が空いたら。一緒に、ふたりきりで」


 ぼくはアリスたちを見た。

 アリスもたまきも、それからルシアまでも、うなずいていた。

 こいつめ、あらかじめ話を通してあったな……。


「根まわしのうまいやつめ」

「コミュ能力といいたまえ。で、返事」

「わかったよ。この戦いのあとででも……なんとか、時間をつくる」


 ミアはあいかわらずの無表情ながらも、満足そうに「ん」とうなずいた。



        ※



「さて、この空間だけど……どうしたもんかなあ」


 ひととおり空気を弛緩させたあと、本題に戻す。

 重要なのは、この奇怪極まりない空間で、ぼくたちがどう行動すべきかだ。

 なにせ、まだロクに情報を得られていない。


「誰かがアイソレーションを解けば、いいんじゃないかしらー」

「たしかに、それはひとつの手なんですけどね」


 渋谷の町が消えたのは、ぼくがアイソレーションをかけなおし、全員の思考ブロックが完璧になってしまったためで間違いないだろう。

 ならば、誰かの思考ブロックを解けば、敵はふたたび町をつくる……のか?

 そもそもの話……。


「敵……なのかな」

「え、なにがですか、カズさん」

「いや、さ。あの偽の渋谷をつくっていた存在って、ぼくたちにとって敵にあたる存在なのかな、って」


 その存在が攻撃の意図をもって渋谷の町をつくったなら、ぼくたちはもっとすぐ攻撃されていたはずだ。

 そもそも、いまのぼくたちは敵の腹の中にいるようなものである。

 生殺与奪の権利は、向こうにあるといっていい。


「待ってよカズさん。じゃあ、なんでそいつらは、渋谷の町なんてつくったの」

「それは……さっぱりわからない。ミア、適当な仮説でいい、なにかいってくれ」

「正体不明の宇宙人が意味不明のことをしてきたら、たいていは相手にとって対話のつもり」


 さすが、物語のパターンを把握しきったオタクである。

 見事に、それっぽいことを即答してきた。


「理解できなくはない、わねー」


 啓子さんは口もとに手をあて、小首をかしげる。


「でもたぶん、ちょっとだけ違うわー」

「ほう、義姉よ、そのこころは」

「カンよー」


 うわー、カンかー。

 でもなあ、ほかのひとならともかく、啓子さんのカンだからなー。

 正直、下手な論理より、彼女の第六感の方がよっぽどアテになりそうな気がしてならない。


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