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第15話 白い部屋で、いろいろな魔法を試す

 エリート・オークとの戦いは、極めて勝算が薄かった。

 それでもぼくは、戦った。

 アリスを救いたかったからだ。

 誰も信じないのが正しいと思っていた。誰かを信じて、手ひどく裏切られることを恐れていた。

 そのうえで、なお。

 彼女があんな化け物の手にかかるなんて理不尽が、どうしても我慢ならなかった。


 無謀で、非合理的な行動だった。

 だけど後悔はない。


 そして、救えた。

 アリスを助けることができた。

 ぼくはそれが嬉しくて、嬉しくて嬉しくて仕方がなくて、白い部屋にワープしたとたん、アリスに駆け寄り、彼女の華奢な身体をぎゅっと抱きしめた。


「わっ、わわっ、カズさん……」


 アリスが「ひゃあ」と気の抜けた声をあげる。

 ぼくは少し身体を離した。アリスの顔が見たかった。

 アリスは頬を上気させて、ぼくを見つめ返す。


「よかった。うまくいって、本当によかった」

「そ、それって、適当な作戦だったってことですか」


 アリスがジト目になった。


「正直、勝つ可能性は三割もないと思ってた。きみがぼくを信じてくれたおかげだ」

「なら、勝つのは当然でした」


 アリスは、満面の笑みを見せた。


「カズさんを信じて死ねるなら、わたし、幸せだって、そう思っていましたから」

「きみは……なんで、そこまで」

「カズさんは一度だって、わたしの期待を裏切らなかったです」


 それは単に、きみが利用価値のある人間だったからだ。

 その言葉を、ぼくは呑みこんだ。

 それがもう欺瞞にすぎない、自分をごまかすための言葉にすぎないと理解していた。

 以前はそうだったかもしれない。それだけだったかもしれない。

 でも、ぼくがいま彼女を助けた理由は、それだけじゃない。


 はたしてアリスは、うるんだ瞳でぼくを見つめる。

 ゆっくりと、しかし決意のこもった表情で、口をひらく。


「もう一度、いわせてください。好きです、カズさん」


 答えのかわりに、ぼくはアリスに口づけした。

 アリスはぼくの首の後ろに手をまわし、熱烈に応えてくれた。



        ※



 ぼくたちは身を離す。改めて、アリスを見下ろす。

 ぼくのパートナーは、ぺたんとその場にくずおれ、えへらと笑ってぼくを見上げる。


「気が抜けちゃいました」


 よくよく見れば、彼女の姿は先にも増して、ぼろぼろだった。

 ぼくのあげたシャツはおおきく裂け、胸もとが露出している。

 スカートなど、もはや切れ端程度だった。

 ほかにも服のあちこちが破けて、柔肌が見える。

 そのうえ全身傷だらけで、腕や脚の皮がむけて、血を流している。


 ぼくはアリスにならって、彼女の前に座り込んだ。


「だいじょうぶ……じゃないよな、そりゃ」


 アリスは、ぼくを安心させるように微笑んだ。

 ぼくは、そんなに心配そうな表情をしていたのだろうか。

 していたかもしれないなあ。


「傷なんて、治療魔法ですぐ治りますから」


 そういって、己の手足にヒールを使った。

 青い光とともに、アリスの傷がみるみる消えていく。

 ヒール十五回で、アリスの傷はすべて癒えた。


 さっき、肩を怪我したときはヒール三回だった。

 そう考えると、かなり重傷だったんだなあ。


「これでへいき、です」

「でも、この部屋で傷を治しても、向こうに戻ったらまた傷だらけなんだよな」

「それは……そうなんですけど」


 まあ、いいか。今後のことについて相談したいこともあるし、そもそもアリスのスキルをどうするか決める必要がある。


 そう。

 この白い部屋にぼくたちがいるということは、アリスがレベルアップしたということにほかならない。

 ぼくがレベルアップしたのは、エリート・オークと戦う直前だ。

 ぼくとアリスの経験値差は、オーク二匹分。

 ふたりパーティだから、取得した経験値は半分ずつに分けられる。

 つまりエリート・オークの経験値は、最低でもオーク四匹分ということになる。


 いや、あのすさまじい強さを考えると、オーク四匹の方がよっぽど楽だけども。

 正直、オーク十匹より強かった気がするけども。

 もっといえば、あんなのとは二度と戦いたくないけども。


 いま彼女は、レベル5で槍術スキルがランク3、治癒スキルがランク1。

 スキルポイントが3点、余っている。


 槍術スキルが1ランクあがるだけで戦闘力が素晴らしく上昇することは、すでにアリスが何度も実証している。

 おそらくこのスキルシステム、一本伸ばしが相応に強い。

 ただそれは、充分な人数を用意できる場合だけだ。


 いまぼくたちは、ふたりしかいない。ふたりですべてをまかなっている。

 一本伸ばしは、自分たちの土俵で戦えている限り、無類の強さを発揮するだろう。

 しかし不測の事態に弱い。

 今回のようなイレギュラーには、ひどくもろい。


 今回は、エリート・オークとの激戦で負った彼女の傷を癒やすために、じつに十五回ものヒールを必要とした。

 肩の傷のときは、三回だった。

 その前にちょっとした怪我をヒールしたときは、一回で充分だったように思う。


 ヒールの効果が弱くなったのではない。

 ゲーム的にいえば、ぼくたちのHPがレベルがあがるに従って上昇しているのだ。

 それは、初期の回答で示唆されていたことである。MPがあがるのだからHPがあがってもおかしくはないだろう、とそのときはスルーしていたのだが、実際に体験してみると、ずいぶんと奇妙な感じがした。


 ひょっとしたらぼくたちは、いままでぼくたちがそうだと思っていた人間の基準から、どんどん乖離していっているのかもしれない。

 化け物じみた存在へと変化しているのかもしれない。

 いや実際のところ、そうでもないと、アリスがエリート・オークなんて化け物の攻撃を受けて、かろうじて五体満足だった説明がつかない。


 もちろん、彼女が無事であることは喜ばしいことなのだが……。

 ぼくたちは、これからどうなってしまうのだろう。


「カズさん、どうしたんですか」


 ぼくはそんなに難しい顔をしていただろうか。

 きょとんとした表情で、アリスが見上げてくる。

 ぼくは、内心の動揺を押し隠し、そんな彼女に笑いかけた。


「きみが、ずいぶん扇情的な格好だな、って」

「え? あ、そのっ、これはっ」


 ようやく自分の格好に気づいたのか、アリスは顔を真っ赤にして、慌てて手足で急所を隠した。

 でも、アリス、知っているだろうか。

 男は、そうして羞恥にもだえる様子を見ると、余計に興奮する生き物なんだぞ。


「ええと……あの、でも、見たいですか」

「そりゃ、まあ」


 ぼくは照れくさく笑いながら、そっぽを向く。

 むしゃぶりつきたいです、という本音は紳士的に押し隠す。

 だがアリスは、上目遣いにぼくを見つめ、口をひらく。


「カズさんなら……いい、です」


 情けないことに、ぼくは思わず、生唾を飲み込んでいた。

 そんなぼくの様子を見て、アリスは身を縮め、恥ずかしそうにしつつも、ぼくから目をそらさない。


「あー、いいか、アリス。男ってのは、そういうこといわれると、狼になっちまうもんで……」


 アリスの手がすっと伸びて、ぼくの手をつかんだ。

 引っ張られる。

 気づくとぼくは、アリスに覆いかぶさるかたちになっていた。

 桜色の唇が、目の前に迫る。

 口づけ。


「狼さんは、どこですか」


 はい、ここです。



        ※



 ひとつに溶け合うような時間のあと。

 ぼくたちふたりは、実験のすえ、新たに重要な発見をした。


 治癒ランク1のリムーヴ・ペインがあれば、はじめてのときでも安心なのだ。


 いやほんと、最初はアリスがあんまりに痛がっていたので、途中でやめようと思っていたのである。

 だがアリスは、賢明だった。己の持つ魔法についてよく調べていた。

 リムーヴ・ペインがあればだいじょうぶだと請負った。

 実際、なんとかなった。


 ぼくたちは、そこそこうまくやれた。お互いはじめてにしては上出来だと思う。

 なおリムーヴ・ペインは、過度の痛覚を消すだけで、それ以外の感覚については普段通りであることを特に明記しておく。


 次に、この白い部屋で長い時間を過ごしていれば、少しずつMPも回復するということもわかった。

 すっかりMPが切れたと思っていたぼくだが、お互いの身体を洗うために水が欲しかったため、召喚魔法のランク1にあるサモン・ウォーターを使って水を出してみたのである。

 サモン・ウォーターを複数回使っても問題がない程度には、MPが回復していた。


 過去の経験からいって、ここで回復したMPは、もとの場所に戻ったときにリセットされているだろう。

 だけどこの白い部屋のなかでは、魔法が使いたい放題だ。

 魔法の実験にはいいかもしれない。


 もっとも、最初に出した水はすぐ床に落ちて、どこかにある排水溝に流れていってしまった。

 改めて、同じ召喚魔法ランク1のサモン・コールドロンでつくり出した大鍋に水を貯め、それで身体を洗った。


 アリスが身体を洗っているのを見て、ふたたびぼくの戦意が湧いたため、こうした努力は無駄になった。


 そういった話は置いておくとして。

 ぼくとアリスは、召喚魔法のランク2、サモン・クロースで呼び出した白い絹布を身にまとい、部屋の壁に並んで背を預ける。


「カズさんのこと、聞いてもいいですか」

「つまらない話しか、できないよ」

「志木先輩のこと、ええと……あのひとと、なにかあったんですか」


 ああ、うん、やっぱりそういう話か。

 胸の奥がきゅっと痛む。

 アリスは、身体をこわばらせたぼくの肩を、そっと抱き寄せた。


「無理はして欲しくないです。でも、カズさんのことを知りたいんです」


 そういって、うるんだ瞳でぼくを見上げる。

 ……その目は、反則だ。


「いやな気分になる話だよ」

「はい。それでも、です」


 ぼくは、話した。

 憎いあいつのこと。あいつに受けた仕打ちのこと。

 ぼくがとことんまで追いつめられて、人間不信だったこと。落とし穴は、あいつを殺すために掘っていたこと。


 クラス全体、いや高等部全体が彼の味方であったこと。

 そして志木縁子、彼女もまた、同調圧力に取りこまれていたこと。


「冷静に考えて、ぼくに彼女を恨む資格なんてないと思う。彼女の行動は、当然の処世術だ。彼女にはなんのちからもないんだから、おおきな流れに身を寄せるのは当たり前のことだ」


 ぼくは淡々と語った。

 語っているうちに、心の整理ができてくる。

 そう、志木さんは悪くない。それでも納得はできないけど、だからといって彼女を不当に貶めるべきではない。

 だいいち、いまの彼女は、ぼくなんかが追い打ちする必要がないくらい深く傷ついている。


 アリスに抱え起こされたあと、彼女と目があったときの、あの表情を思い出す。

 罰が当たったのだ、と自嘲していたようにも見えた。

 もちろん、ぼくには、なお彼女を罰する権利があるといい張れる。その方法もある。

 そう、いまのぼくには、ちからがある。

 その気になれば、志木縁子を排除することだって可能なのだ。


「ぼくが志木さんに復讐するっていったら、きみはぼくを軽蔑する?」

「しません。わたしに、そんなことをする権利なんてありません」


 かたい表情で、アリスはいう。


「きみはもっと、聖人君子かと思った」

「いまのカズさんの話を聞いて、高等部のひとたちを軽蔑して、殴ってやりたいと思ったくらいには、わたし……」


 アリスは胸もとで、かたく拳を握った。


「わたしが大人しくて、静かな子だったって、いいましたよね」

「聞いた気がするな」

「それって、わたしは運動が苦手だったからでもあります。わたしは弱いから、おとなしく、目立たないようにって。誰かがいじめられてても、見て見ぬふりでした。……志木さんと、あまり変わりません」


 そういって、許しを請うように、ぼくを見る。


「わたしのこと、軽蔑しました……よね」


 答えのかわりに、ぼくはアリスの頭を両手で抱えて、胸もとに抱き入れた。


「アリスがぼくになにかしたわけじゃない。自分の手が届かない範囲のことまで考える必要なんてない」

「はい」

「きみまで志木さんを憎むことはない」

「わかってます」

「ぼくも、なるべく折り合いをつけていく。向こうにその気があれば、だけど。……折り合いをつけていった方が今後のためになる」

「今後……ですか」


 ぼくは現状について、簡単に語る。

 おそらくは、ここが異世界であること。

 自分たちは漂流者で、そして少なくともオークたちという目下の敵がいること。

 いまのところ、孤立無援であること。

 あるいは、唯一の味方といえるのが、この白い部屋をつくったなにものかであること。

 いや、この部屋の主すら、本当に味方かどうかもわからないこと。


 現状、帰還の手段が存在するかどうかすら不明なこと。

 そして生き残った生徒が団結しなければ、当面の生存すら危ういこと。


「レベルアップするためには、この部屋に来るためには、オークを一体、殺す必要がある」

「普通は無理です」

「ぼくがきみにしたように、サポートがあれば、話は変わる。明日から、生き残りの希望者には、きみと同じようにレベルアップしてもらうつもりだ。武器系のスキルが1でもあれば、だいぶ楽になる」

「わたしが、みんなのぶんも戦えば……」

「自分の身は、自分で守れた方がいい。それに、ぼくたちが別行動をすることも考えるべきだ」

「わたしとカズさんが、ですか」

「いや、たとえばぼくとアリスがふたりで、中等部の本校舎の方に行くとか。その場合、留守番するひとたちは……」


 なるほど、とアリスはうなずいた。


「生き残るためには、戦えないと、ダメですね」

「ああ。全員とはいわないけど、何人かはね」


 おそらく、育芸館は今後のぼくたちの拠点となる。

 たまきがいっていた生存者というのが何人いるかはわからないが、相応に守りを固められるなら、明日以降、ぼくたちは後顧の憂いを絶つことができるだろう。


 そう、明日だ。

 今日はもう日が暮れる。

 夜中の活動は危険がおおきい。

 なにより、ぼくもアリスも疲れきっている。

 今日はもう、ゆっくり休みたい。


「明日はまず、みんなのサポート……となると、治療魔法のランクを2にした方がよさそうですね」

「治癒のランク2は……そうか、フラワー・コートか」

「はい」


 ノートPCでの質疑応答の結果、治療魔法のランク2に存在することが判明しているフラワー・コートは、いわば対象のHPを一時的に水増しする魔法である。

 それが実際にどれほど有用性を持つ魔法かはともかく、保険がある、というだけでひとは気がラクになれる。


「そうしてちからを蓄えて、ゆくゆくは高等部に……ですか」

「高等部で何人生き残っているかは、わからないけどね。あいつが生き残っていたら……あいつだけは、許さない」


 ぼくは拳をかたく握った。


「その、あいつ、って……なんてかたなんですか」

「あー、うん。佐宗芝さそう・しばってやつだ。なんでも父親がここの理事のひとりで……」


 ぼくは、あいつの悪口をひとしきり語った。


「だからさ、アリス、きみはあんなやつのことを気にする必要は……。ねえ、アリス?」


 気づけばアリスは、どこか心あらずという様子で、うつむいていた。


「だいじょうぶか?」

「あ、はい」


 慌てた様子で顔をあげる。少し疲れた表情だった。

 無理もない。彼女はさきほどまで、その身を挺して死闘を演じていたのだ。精神的な疲労もひとしおだろう。


「ごめんよ、つまらない話につきあわせて」

「い、いいえ。……いいんです、別に、そんな」


 アリスは、慌ててぶんぶん首を振る。

 ぼくが気分を害したとでも思ったのだろうか。

 違うよ。いまのぼくは、ただきみの顔を見ているだけで嬉しいんだ。


「ところでさ、アリス」

「はい」

「この白い部屋から出たら、きみはまた処女に戻るわけだ。つまりこの部屋でする限り、ぼくは毎回、きみのはじめてを……」

「……あの」


 アリスは、半眼になった。


「わたしを痛がらせて、嬉しいですか」

「いや、その。……泣くアリスもかわいいけど、そういうのとはちょっと違って、ですね」

「どうして敬語なんですか」

「あー、それはその、えーと」


 しどろもどろになるぼくに、アリスはおおきくため息をついてみせた。

 そして、上目遣いに睨んでくる。


「本当にカズさんが望むなら、喜ばせてあげたいです、けど」

「けど?」

「ちょっと今後のおつき合いを考えさせてください」

「あ、えーと、ほんとマジ調子に乗りました。ごめんなさい」


 ぼくは平謝りした。

 内心では、ご褒美です、と思っていたけれど、謝り倒した。



アリス:レベル5 槍術3/治療魔法1→2 スキルポイント3→1



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[気になる点] もしかしなくてもリムーヴ・ペインって本来は戦闘前に使ってスーパーアーマー状態にする魔法なんじゃ……?
[一言] 心配7割、紳士()3割な希ガス
[一言] 処女厨きんもー
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