第145話 ガル・ヤースの嵐の寺院1
ラスカさんたちは、寺院の内部にぼくたちを導いてくれた。
ガル・ヤースの嵐の寺院は、モンスターの攻撃で陥落する以前、とある宗教国家の聖地であったという。
宗教国家、といっても特定の神さまを崇めるのではない。
この世界は基本的に多神教で、しかも神さまの実在まで確定している。
神託、という手段でもって、限定的ながらも神さまと直接、コンタクトが取れるくらいだ。
ゆえに、それぞれの信仰を統率する者たちも、ゆるやかに連帯している。
普通に仲が悪かった教団同士とか、ナチュラルに戦争していた教団同士とかもあるそうだが、そのへんを踏まえた上で、わかりあえるところはわかりあおう、ということらしい。
その輪に入ることを拒否する教団とかもあったらしいけど、それもまあ、自由だったのだと。
そうして統一組織をつくった理由は、各国に対して神さまたちの意思を伝えるため、であるらしい。
この嵐の寺院から神託を受け、それを各国に伝えるという形にすることで、権威づけをしたという。
政党の大連立、みたいな感じかなあ。
どうしても法改正しなきゃいけないことがあるから、党派を超えて、ってことなんだろうか。
でもそうしたやりかたは、長く続くうち制度疲労を起こしたそうだ。
汚職とか、闇社会とのつながりとか、挙句の果てに他国への不正な介入とか……。
人間の組織だから、どうしてもそういうことはある。
嵐の寺院は、次第に神託という権威をかさにきるようになる。
無論、自浄作用も働いた。
そういった闇を払おうとする者たちもいたし、そういった改革の機運も盛り上がったのだが……。
不幸にして、寺院全体が内輪モメで割れに割れたところに、モンスターが襲ってきたそうだ。
強大な守りを誇っていたはずのこの聖地は、あっけなく陥落した。
豚のように肥え太っていた神官たちも、若い気鋭の論者たちも、ひとしく皆殺しにされたという。
ごく僅かに、神の声を聞くことができる者、すなわち神子のひとりと、そのとりまきだけが逃げ延び……。
その神子をめぐって、またいろいろ人間社会のアレやらソレがあったようだが、幸いにしてこの血統が絶えることはなかった。
神託の使いすぎで命を落とした先代のあとを継ぎ、いまはその息子である若い男が二代目として、とある堅牢な地で神事を取り仕切っているとのことであった。
なるほどなー。
っていうか、神託って命を削るようなことなのね。
どうせこの世界はこんな状態で、せっぱつまり過ぎていて、あとのことなんて気にしていられないんだろうけども。
いまの神子ってのも、きっと酷使されているんだろう。
実のところ、ちょっと神さまとコンタクトを取ってもらい、ぼくたちがなぜこんなことになったのか小一時間、問い詰めたかったんだけど……。
そんなことをする余裕は、ないんだろうなあ。
ラスカさんたちは、つい最近まで、神子の護衛をしていたらしい。
でも、今回の作戦に志願した。
神子のもとで、いつかこの寺院の奪還をと祈願していた先代のとりまきから、寺院の内部資料を提供されていたからだという。
自分たちは必ず役に立つ、とラスカさんは士気を上げていたらしい。
腕も立つし、寺院の構造も、裏通路まで含めて頭に入っている。
にもかかわらず、突入部隊は、女であるというだけで彼女たちを入口の見張りにした。
ぼくが三人の少女を連れてやってきたとき、チャンスだと思ったんだろうなあ。
なんせぼくの場合、女の子に前衛を任せて自分は戦闘中、ほとんど指示だけってスタイルだし。
まあ、彼女たちのことだ、たとえそうじゃなくても、ついていきたいと懇願していただろうけど。
ぼくたちは、ラスカさんたちと会話しながら、高さ五メートルくらい、横幅も七、八メートルはある石造りの通路を進む。
通路の壁面に、明かりが灯っている。
壁の一部が、オレンジの光を放っているのである。
魔法の明かりなのかもしれないが、おかげで足もとまで明るいのはありがたいことだ。
これなら、モンスターが隠れることは不可能である。
高さ三メートルから四メートルの像が立ち並んでいた。
ローブを着て鬚を生やした老人、凛々しい女性剣士、弓を構えた精悍な男……。
これはなにをモデルにしたのかと、問いかけてみた。
「すべて、神々の使徒のお姿です」
あ、使徒なんているんだ。
詳しく聞きたいけど……まあ、いまはいいや。
ちなみにここは、贖罪の回廊と呼ばれていたらしい。
外から来た者は、俗世の罪を洗い流すため、この長い道を歩いて寺院に入るとか。
なかにいる人たちの罪は、きっと溜まっていく一方だったんだろう。
それにしても、ここ、なにか違和感があるんだけど……。
「モンスターに襲われたのに、ずいぶんときれいですね」
アリスが、ぽつりといった。
ああ、それだ。
ぼくはぽん、と手を打つ。
この通路、埃こそ積もっているけれど、戦いによって破損した跡がない。
モンスターのことだから、石像なんて見つけたら、とりあえずぶち壊している気がするし。
なのにここに並ぶ像も、壁面も、きれいなままだ。
これは……ここでは戦いが行われなかったのか。
いや、そもそも……。
「モンスターはここに足を踏み入れていない?」
「はい。この通路は、長く封印されていたと聞きます。モンスターは寺院の反対側の壁面を破壊し、内部に侵入したそうです」
なるほどなあ。
モンスターが攻めてきたから表門を封鎖したら、裏から突撃されたってことか。
で、そのまま逃げることもできず……と。
ひょっとしたら、ドッペルゲンガーが手引きした、とかそういうことかもしれない。
ドッペルゲンガーの存在は、昨日まで誰も知らなかったくらいだし。
ま、いまとなっては真実なんてわからないけれど。
ラスカさんが、一本のナイフを見せてくれる。
銀の刃が、波打つようにぐねぐねしていた。
柄のところに複雑な文様がほどこされていて……これ結構、高級品っぽいなあ。
「封印を破るには、この鍵が必要でした」
「魔法の品、なんです?」
「はい。神子さまの一族に代々伝わるものであるとか」
そんなものを貸し出してくれたのか。
いや、この鍵を貸し出すために、彼女たちは参戦したってことか。
で、精鋭部隊は、鍵開けのためだけに彼女たちを使い、そのあとは見張り……と。
それは、なんというか、不本意なのもわからないでもないなあ。
男の側の事情というか、見栄とか義務感もわかるけどね。
※
贖罪の回廊の出口付近で、ラスカさんが立ち止まり、壁を調べ始めた。
「ん。もしかして矢印隠し扉」
「矢印とかリアル会話で使うな」
ラスカさんをはじめとしたこの世界の人々が、ぼくとミアの会話にきょとんとしている。
いくら翻訳魔法でも、こんな微妙な文化を伝えるのは困難だろう。
いや……これ、文化……なのかな。
「はい。警備兵用の通路があるはずなのですが……。申し訳ありません。高度な幻影の魔法がかかっているらしく、なかなか見つけることが……」
「あ、魔法で隠してあるんですか」
そういうことなら、とぼくは覚えたばかりの付与魔法ランク6、マナヴィジョンを唱えた。
ランク1につき一分間、視界内のマナを視覚で捉えることができる魔法だ。
はたして、周囲が真っ赤に染まる。
思わず、悲鳴をあげた。
「ど、どうしたの、カズさん」
「だいじょうぶですか!」
たまきとアリスが、のけぞったぼくを左右から支えてくれる。
「いや、だいじょうぶ。ちょっとびっくりしただけだから……。この魔法、調節しないとダメか」
幸いにして、すでに白い部屋でヴィジョンの調整方法は調べてあった。
一分ほどの試行錯誤ののち、満足のいく結果を得る。
とはいえ、やっぱり周囲一面がマナに染まっていることには変わりない。
この通路全体に魔法がかかっているのだろう。
それも永続的なものが。
これは……やっぱりこの寺院が楔であることと関係あるんだろうか。
「木を隠すなら森、ってことかも」
ミアがぼそりといった。
うん、どういうことだ?
「まわりがマナでいっぱいなら、隠し扉を魔法で隠しても、ほかのマナにまぎれて感知できない、とか。探知魔法の強いTRPGだと基本」
「なんだよそのチキンレース!」
けどまあ、実際にそういうことなんだろうなあ。
ルシアがいれば、詳しく聞けたかもしれない。
一時的にリタイアしてしまった少女のことを、ふと思い出して……いまはそんなときではないと、すぐ頭の隅に追いやる。
「えーと、ラスカさん。このあたりであることは間違いないんですね」
「はい、神子さまと、その周囲の方々にお聞きした限りでは、ですが……」
なるほど、ではその神子さまを信じてみるとしよう。
ぼくはラスカさんを下がらせ、周囲の壁面をマナヴィジョンでじっと見つめる。
やっぱり、マナがいっぱいなせいで、まわりとの違いはよくわからないけれど……。
「ディスペル・マジック」
はたして、ぼくの選択は適正だったらしい。
目の前の壁面が、ぱっとかき消える。
「これ……幻影の魔法じゃなくて、壁そのものを魔法でつくり出していた?」
「そんな感じっぽい」
ミアがため息をつく。
「そうとわかっていれば、地魔法でもなんとかなったかも?」
「も、申し訳ありません!」
「あ、気にしないでください。結果的にうまくいきましたし、こうした考察は次の機会に活かすためですから」
ミアも、恐縮するラスカさんたちに「次は上手くやるがよい、若人よ」と胸を張っていた。
相手は、きみの倍かそれ以上の年齢なんですがねえ。
女性に対して年齢の話題とか出す勇気なんてないので、沈黙しますが。
さて、気を取り直して隠し通路に入っていく。
ここは真っ暗だったので、懐中電灯をつける。
長年にわたり放置されていたはずなのにも関わらず、床には塵ひとつ落ちていなかった。
これも魔法、かなあ。
万能すぎる。
「ところで、先行して突入したひとたちには、ここのことを教えていたんですか」
「一応教えましたが、わからなかったらそのまま正面から突破する、と」
あー、無謀な。
いや、兵は神速を尊ぶ、ってことかな。
いちいち調べながら行動していては、敵に体勢を立て直す隙を与えてしまうとか。
それは正しいように思う。
彼らが全滅しなければ、の話だけれど。
結果的に戦いに負けてしまっては、どうしようもない。
他人の指揮官に作戦をどうこういえる立場じゃないけれど……。
ぼくだったら、もう少し石橋を叩いて渡る、かな。
そのへん、意識の違いって、どこから来るものなんだろう。
もうちょっといえば、どうして彼ら精鋭部隊は、そこまで焦っているのか。
うーん、いままでの情報だけじゃ、わからないな。
ところで……。
「あなたがたと突入したひとたち、通信貝で連絡を取り合えばよかったんじゃ」
「あれは、開けた場所でなければ、うまく通信が繋がらないのです。屋内では、ほとんど……」
「あ、そのへんは電波と一緒なんですか」
なるほどなあ。
なお、電波といわれて、ラスカさんたちはきょとんとしていた。