第144話 二体の神兵級4
砂煙が舞う。
ぼくたちは、もとの場所に戻ってきた。
砂嵐と業火が荒れ狂う、嵐の神殿左手の戦場へ。
虚脱状態のルシアが、空中十メートルほどの地点から落下する。
まだグレーター・インヴィジビリティがかかったままだから、このままではアリスが助けにいけない。
だからぼくは、ルシアになるべく接近して魔法を行使する。
「ディスペル・マジック」
覚えたばかりの付与魔法ランク6だ。
その名の通り、魔法を解除する魔法である。
射程は十メートルだから、今回はギリギリだった。
ちなみに付与魔法のディスペル・マジックは、治療魔法のディスペルより、色々と適用範囲が広い。
こちらの魔法は、かなり大雑把な指定でも、範囲内にかかった魔法を無理矢理、除去してしまうのである。
ルシアにかかったグレーター・インヴィジビリティが切れる。
落下する彼女の姿が、全員に見えるようになる。
アリスが慌てて、ルシアのもとへ飛ぶ。
「ん。だいじょうぶ。ステイシス・フィールド」
ルシアの身体を黒い半透明のスポンジ状物質が包み込む。
落下が止まった。
ルシアはぴくりとも動かない。
あの空間内では、時間が停止しているのだ。
同意した対象、あるいは無機物を時間停止保存する魔法。
それが風魔法のランク9、ステイシス・フィールドである。
うん、たぶんアリスが飛んで行っても間に合ったけどね。
新しく覚えた魔法を使いたかったんだろうなあ……とミアの方を見てみれば、ドヤ顔をしていた。
「殴りたい、この笑顔」
「カズっちのDVがとどまることを知らない」
などといいつつも、ミアは適当なタイミングでステイシス・フィールドを解除する。
ルシアの落下点でアリスが待ち構え、両手でキャッチ。
ぼくはついでとばかりに、全員のグレーター・インヴィジビリティをディスペル・マジックで解除した。
これ以上、透明でいるのは不利益しかないという判断だ。
互いの姿が見えなければ、連携も難しい。
「じゃ、カズっち。いってくる」
「カズさん、いってきまーす」
「おう、ふたりとも気をつけろ」
ミアがたまきの手を取った。
「ディメンジョン・ステップ」
ふたりの姿が、ぱっとかき消える。
一瞬ののち、百メートルの距離を超え、無傷のメキシュ・グラウのすぐ近くに出現した。
たまきは両手で剣を構え、神兵級の化け物に上空から襲いかかる。
メキシュ・グラウは突然の攻撃にも慌てず、巨大な剣でこれを迎え撃つ。
刃と刃がぶつかりあい、激しく火花が散った。
両者、その膂力はまったくの互角……。
いや、メキシュ・グラウがわずかに後ずさる。
たまきのパワーが、全長六メートルのケンタウロス型モンスターを上まわった。
前回と違うのは、剣技もさることながら、彼女の肉体スキルが1から4に上昇していることか。
ぼくたちはどんどん進化していく。
巨大モンスターすら超えるパワーをたやすく身につけ、どこまでも成長していく。
この先には、はたしてなにが待っているのか。
メキシュ・グラウが反撃する。
弓を捨て、四本の手にそれぞれ剣を召喚する。
四刀流で、たまきに打ちかかる。
これはさすがに、たまきも分が悪い。
いささか劣勢になるも、これをミアが適宜、魔法でフォロー。
相手の動きを止めたりめくらましをかけたりして、優勢を維持していた。
これなら、本当にふたりだけでメキシュ・グラウを倒せそうだな……。
ならぼくは、ゆっくりと事後の策を巡らすか。
懐から、貝殻のようなものを取り出す。
さきほど、別れ際に志木さんが渡してくれたものだ。
これは魔法による通信機であるらしい。
ただし前提条件として、マナが濃い場所でしか使えないのだと。
この嵐の寺院近くや世界樹限定の装備ということだ。
もっとも、世界樹ではほとんど流通していないらしい。
人間たちのごく一部が用いる技術であり、それを今回の作戦のため、融通してもらったのだとか。
使用方法は簡単で、貝殻を手にして特定のキーワードを唱えるだけで、対となる通信貝を持つ者に声が伝わる。
通信が繋がり、ぼくは志木さんに助力を求める。
数名、こちらによこして、ルシアを運んでいって欲しいと頼む。
「いきなり、そんな無茶をねえ。あの子、もう少し冷静だと思ったんだけど」
「冷静ではいられなかった、みたいだ」
「わかったわ、人員を出す。あなたたちは、メキシュ・グラウを始末したあと、嵐の寺院に向かってちょうだい」
メキシュ・グラウが寺院の守りから外れた間に、精鋭部隊が嵐の寺院への突入を決行したのだという。
なるほど、彼らにすれば、ぼくたちという不確定の戦力に期待などできなかったというところか。
神兵級二体に対する捨て石になってくれれば、それでよいと。
それならそれで、いいだろう。
向こうが寺院内部の露払いをしてくれるということだ。
ぼくたちは、そのあとで悠々と乗り込めばいい。
通信貝を仕舞うころには、こちらの戦場の勝敗がはっきりとしてきていた。
メキシュ・グラウが、その身をたまきに切り刻まれていく。
あれほど強大だった神兵級は、彼女とミアのコンビネーションを前に、一矢報いることすらできずぼろぼろになっていく。
一日。
たった一日で、ぼくたちはこれほどのちからを得た。
明日のいまごろ、というものがもしあったとして……。
そのときぼくたちは、どれほどの地平に辿りついているのか。
「カズさん、ルシアさんが目を覚ましました」
アリスの報告に、我に返る。
彼女に介抱されていたルシアは、ぼくの方を見て、弱々しく笑う。
その胸もとは、呼吸を楽にするためか、おおきく開かれていて……深い谷間が見えた。
「カズさん、どこを見てますか」
アリスが半眼になってぼくを睨む。
ごめんなさい、と謝る。
戦闘中なのに、ずいぶんなことだと思うけど……まあ、そのあたりは前衛のふたりに対する信頼感だ。
やがて、メキシュ・グラウが倒れ伏す。
白い部屋へ。
レベルアップしたのは、アリスだ。
いまアリスのスキルポイントは7。
だが彼女は、槍術を上げるため温存を望んだ。
ぼくは許可を出す。
最低限の打ち合わせを終え、部屋を出る。
アリス:レベル29 槍術8/治療魔法5 スキルポイント7
※
メキシュ・グラウが落とした黄色い宝石を二個、回収する。
ひとつでトークン百個分だ。
大切に使わせて貰おう。
さきほどまで逃げ惑っていた数十名の兵士たちが、離れたところから、唖然としてぼくたちを見ている。
ざわつき、戸惑っているようだった。
命が助かったことが、まだ信じられない様子である。
一応、ぼくたちの戦力については、リーンさんたちから広告されていたと思うんだけど……。
あまりにも馬鹿げていて、信じられなかったのか。
それとも、単にぼくたちの応援など想定されていなかったのか。
いずれにしても、いま彼らの相手をする暇はない。
負傷者多数で、放置していたら死ぬようなひともいるだろうけど、彼らにアリスのMPを割く余裕なんてない。
向こうが遠巻きにしていてくれるなら、それは幸いなことだと考えよう。
ひとまず、いまはルシアだ。
アリスに介抱されている最中の彼女に近づく。
「先に、いってください」
ルシアが半身を起こして、そういってくる。
どうするか。
少しだけ迷ったすえ、だいじょうぶだという彼女に甘えることにした。
通信貝で志木さんに連絡をとった上で、ルシアの身柄をまだ無事な兵士たちに預け、飛び立つ。
ぼく、アリス、たまき、ミアの四人で、直接、嵐の寺院へ飛行する。
すでに各国から選りすぐられた精鋭部隊が突入しているはずの場所へ。
聞けば、昨夜、ちょっとした腕試しがあったらしい。
通信だったから詳しくは聞けなかったけど、武闘面では長月桜の圧勝だったそうだ。
うん、なるほど、精鋭でもその程度の戦力か。
いや、武器ランク6とか7とかの人間が、そもそもおかしいんだろうけど。
そんでもって、それ以上のちからを誇るモンスターたちが頭おかしいんだけど。
そんなモンスターは数が少ないだろうけど、もし寺院のなかに、そのクラスがいたら……。
精鋭部隊が全滅していないよう、祈りたいところである。
彼ら各国の虎の子は、きっとこの戦いのあとも貴重な戦力になるはずだ。
だからぼくたちは、精鋭部隊を追って、可能ならば彼らを守る。
精鋭部隊を守るって、なんか盛大に矛盾している気がするけど……。
白い部屋がチートすぎるんだから、仕方ないよなあ。
曇天のなか、寺院のある高台を仰げば、相変わらずその周囲では絶え間なく落雷が続いている。
すごく……怖いです。
けどまあ、護符があればだいじょうぶという、リーンさんの言葉を信じるしかない。
実際のところ、先行部隊は突入に成功しているんだしなあ。
モンスターたちは、どうしているんだろう。
幸いにして、落雷の一帯にモンスターの姿はないんだけども。
倒したのか、それともあんなところにはいられないのか。
おかげで寺院のある高台の下では激しい戦いが続いているというのに、入口付近は閑散としているというのは、なんとも奇妙なものだ。
落雷が続いて焼け焦げた地面は、そうとうに威圧感があるんだけど。
「いちおう、レジストかける?」
ミアが訊ねてくる。
うーん、雷は風魔法だと思うから、ハイレジスト・ウィンドがあればたしかに……。
ちょっとMPがもったいない気もするけど、ここはMPで安心を買おう。
「頼むよ。ディフレクション・スペル」
「ハイレジスト・ウィンド」
全員の身体が、淡い緑の輝きに包まれる。
うん、これでだいじょうぶなはず。
その状態でおそるおそる飛び、嵐の寺院に近づいていく。
ついに、丘の上、地面が焼け焦げたあたりに辿り着いた。
思わず身を固くしてしまう。
アリスたちが、不安げにこちらを振り返る。
ぼくはアリスとたまきの手をとって、三人で飛ぶ。
ミアが「むう」と唸って、ぼくの背に抱きついてきた。
結局、四人、固まって飛行することになる。
で、結局のところ……。
雷は、ぼくたちを避けて地面に落ち続けた。
たまきやアリスの武器は金属なわけだけど、まったく目標になっていなかった。
やっぱり、護符のおかげ……なんだろうなあ。
寺院を覆う高い壁の前、無残に破壊された両開きの門に辿りつく。
かつてはジャンプマンガの修行シーンとかで出てきそうな、立派な構えだったんだろうと思う。
現在、コンクリートでできたこの大門は、アーチが崩れ落ち、いまや瓦礫の一部にすぎなかった。
そこを守る者もいない。
話によると、このあたりに突入部隊の一部が待機しているらしいけど……。
きょろきょろしつつ、壁を越えて、そこでようやく地面に降り立つ。
このあたりは、もう、地面が普通の色をしているからだ。
外を振り返れば、ぼくたちが通ったあとに、一条の雷が落ちた。
これみよがしの一撃だ。
やっぱり……雷が護符を持つぼくたちを避けてくれたんだよなあ。
そんなことを考えていると、前方で物音がする。
たまきとアリスが緊張したのがわかる。
ぼくは前に向きなおる。
「あの、勇者さまの部隊ですか」
はたして……おそるおそる、といった感じで、物陰から兵士たちが進み出てきた。
四名で、全員が女性だ。
ただし年齢は、皆、二十代の後半かそれ以上だろう。
性別以外はほかと同じ人間の兵士かと思ったけれど、その身なりが違うことはひと目でわかった。
異様なほど傷ついた金属の鎧は、しかしどこか輝いているように見える。
兜の奥からこちらを窺う双眸が、とてつもなく鋭い。
そのものごしは泰然としていて……ああ、そうだ、金属の鎧を着て歩いているのに、足音ひとつ立てていない。
なるほど、このひとたちが……。
ベテラン、という枠すら超えた者たち。
各国の最精鋭。
まさに彼女たちにぴったりの言葉だ。
「勇者、と呼ばれるのは……どうなんだろうと思うけど、はい、ええと……」
ぼくたちは互いに挨拶を交わした。
彼女たちのリーダーは、その名をラスカハルィなんとかなんとか……忘れた。
とにかく、ラスカさんと呼べばいいらしい。
名前が長いのは、貴族だからとか伝統ある家だとか、そういうことなんだろうなあ。
実際のところ、国名も聞いたんだけど、覚えられなかった。
戸惑っていたら、「しょせん、滅んだ国の名です。覚えなくても、なんの問題もありません」と豪快に笑われてしまった。
なんかもー、自虐ネタとしても、ひどい。
なにがひどいって、まわりの女たちも笑っていることだ。
彼女たちの国も、やっぱり滅んでいるらしい。
で、なんでここにいるのが女性ばかりかといえば……。
精鋭部隊のうち、前列に出る者たちが、残るなら女だ、といったらしい。
この戦いが終わったあと、少しでも子を産む者が増えるようにと。
なるほど、男たちの気持ちもわかるし、それを歯がゆく思う彼女たちの想いもわかる。
ここまで来て、戦えないというのは、そりゃなあ。
ルシアを見ていれば、この世界の生き残りたちが抱くモンスターに対する憎悪は……ね。
「勇者さま……いえ、カズどのとお呼びするのでしたか。カズどの、わたしたちもついていってよろしいでしょうか」
「無論、お願いします。あなたがたは、このなかに詳しいんですよね」
「もちろんです。頭のなかに、地図を叩き込んであります」
それは頼もしい。
ぼくたちも一応、地図は見てきたし、デジカメにとってバッグのなかのタブレットに保存もしてあるけど……。
戦場で、いちいちタブレットを操作している暇なんてないだろうから。
ぼくが承諾の旨を告げると、彼女たちは歓喜に沸いた。
喜びのあまり、ふたりほど首に抱きついてきた。
うわっ、臭い……そりゃ、そうか、戦場なんだもんな。
うう、なんともロマンがない。
屈強の女戦士に首を絞められながら、ぼくは息を止めて筋肉の拘束からの解放を待った。