第10話 決戦準備
白い部屋のなかで、ぼくとアリスは顔を見合わせた。
「どういうことでしょう」
「考えられる可能性は、これ、かなあ」
ぼくたちは、互いの右手の小指にはまった赤い幻のリングを見る。
それから、机に視線を移す。
今回、机と椅子はふたつあった。横に並んでいた。
机の上に載るノートPCには、ぼくとアリスのそれぞれの能力が表示されている。
ぼくは、どれどれ、とアリスのPCの画面を覗きこんだ。
「これが、アリスのステータスか……」
「わっ、わわっ、見ちゃだめです!」
「別にいいだろ。恥ずかしいものじゃないし」
「なんか恥ずかしいんです!」
慌ててぴょんぴょん飛びはね、ぼくを彼女のPCの前からどかそうとするアリス。
それが面白くて、ぼくはついつい、意地悪くPCを覗きこもうとしてしまう。
「むう」
ついには、真っ赤になったアリスに、わき腹を小突かれた。
「セクハラです」
「場を和ませるジョークだよ」
「顔がいやらしくにやけてます」
それは否定しない。
ぼくは、真っ赤になって画面を手で隠すアリスを見て、笑った。
「もーっ! ひどいです! カズさんのこと、見損ないました!」
「ごめんなさい、悪乗りしました」
さすがに話が進まないので、素直に謝罪する。
このままでは時間を無駄にしてしまう。
時間が止まっているこの空間では、いくらでも無駄なことができるのだけれど。
そう、ぼくたちは時間を無駄にしてもいいし、しなくてもいい。
この部屋、作戦会議にはぴったりだなあ。
とりあえず、自分の椅子に座り、PCのウィンドウに質問を入力してみる。
ふたり同時にこの部屋に来たのは、パーティを組んだ状態でひとりがレベルアップしたからなのかどうか。
答えはイエスだった。
今後も、パーティメンバーのひとりがレベルアップするたびにこの部屋に来られるらしい。
このPCで設定を行うことで、いちいちこの部屋に来ないようにすることもできるという。
たしかに、表示項目が増えていた。
パーティメンバーという項目に、アリスの名前がある。
アリスの名前の横にアイコンがあった。
これをクリックすることで、パーティメンバー同行機能がカットされるようだ。
「こんな設定、いらないよな……」
この部屋に来たくない、というわけではない。その逆だ。
よっぽどパーティメンバーの仲が悪いとか、能力を隠したいとかでない限り、この部屋に来るというのは、メリットしかない。
特におおきいのは、落ちついて考えをまとめる時間を取れること。
しかも、パーティメンバーと話し合いする時間を充分に取れる。アリスとの細かい連携の打ち合わせができる。
日没までの時間が迫っているいま、これはとてもおおきい。
といっても、今回はそれほど相談する必要がないか。
育芸館に突入するための作戦を練るのは、ぼくがレベル3になったときでいい。
「いちおう、いま相談しておきたいこととか、あるか」
アリスに訊ねてみた。
「そう……ですね」
アリスは、椅子に座るぼくを見て、少し戸惑う。
「カズさんのことを聞いても……いいですか」
「ぼくのことなんて、つまらないよ」
とっさに、そんなことをいってしまった。
アリスはうつむく。
彼女は賢明だ。ぼくがこの件に触れて欲しくないと気づいたのだろう。
「そうですか。では、いつか」
「ああ、いつか話すよ」
いつか。
そのときまで、きみとぼくが一緒に行動していれば。
ぼくは、その言葉を心のなかでつけ加えた。
※
アリスが改めて椅子に座り、自分のノートPCを操作する。
アリス:レベル2 槍術1→2/治療魔法1 スキルポイント2→0
画面操作が終わり、エンターキーを押した次の瞬間。
ぼくたちふたりは森に戻っていた。
「さて、急ごう。あと何体、オークを倒せばレベルアップできるかはわからないけれど、急ぐに越したことはない」
「はい。……あの、もし、ですが。オークが二体いたら、二体とも連れてきていただけますか」
なるほど、槍術がランク2になったいまなら、ぼくの援護もあわせて、二体のオークを同時に相手取ることができるかもしれない。
厳しければ、ぼくが使い魔のカラスでサポートしよう。
どうしても敵わない場合も、ぼくたちは付与魔法で逃げ足がはやくなっている。逃走すればいいだけのことだ。
どのみち、今後は否応なく複数の敵を相手にすることになる。
こういったことは、いまのうちに試してみるべきだった。
ちょうどそのタイミングでカラスが帰ってきた。
「あっちに、二体。こっちに、一体」
くちばしで向きを指し示して、そう告げるカラス。
「二体の方へ案内してくれ」
そういって、ぼくは走り出す。
※
アリスは、ぼくが二体のオークを引き連れてきても、平然としていた。
心なしか、鉄槍を構える仕草が堂に入っている。
「いけるか」
「はい!」
すれ違いざま、それだけ言葉を交わす。
アリスは、腰を落として地面を蹴る。
裂帛の気合のもと、オークに突進する。
ぼくはアリスとすれ違ったあと、立ち止まる。
振り返った。
アリスは重い槍を軽々と両手で構え、剣を振り上げて向かってくるオークの一体に視線を合わせ……。
その身体が、すっと斜め右前に動く。
とてもスムーズな動作で、槍を突き入れる。
右手のオークが、一撃で喉笛を貫かれた。
ぼくはあっけに取られて、その光景を眺める。
鳥肌が立つほど自然な動きだった。まるで達人のように、彼我の間合いと呼吸を完璧に理解した動きだ。
もう一体のオークが、たたらを踏む。
その隙に、アリスは鉄槍から手を放した。
「カズさん!」
「お、おうっ」
ぼくは慌てて、近くの木に立てかけてあった竹槍を取り、彼女に投げ渡す。
二体を同時に相手にするなら、一体を貫いた槍が一時的に使い物にならなくなることもあるだろう。
そう考え、こうして予備をすぐそばに用意していたのである。
アリスは竹槍を受け取ると、すぐに構え、おおきく踏み込む。
動揺するもう一体のオークに、刺突を叩きこむ。
だが、今回の攻撃は、いささか浅い。
こちらのオークは、槍を手にしていた。
アリスの攻撃を肩で受け、うめきつつも強引に身体を回転させる。
オークが、槍を横薙ぎに払う。
風圧で、アリスの身体が吹き飛ばされそうになる。
いくらスキルのおかげで槍の腕があがっても、しょせんは中学校三年生の少女なのだ。
だがアリスは、フィジカル・アップとマイティ・アームの効果でかろうじて踏みとどまった。
横薙ぎの一撃で体勢を崩したオークの懐に、敏捷に飛び込む。
槍の柄を短く持ち替えた。
急所たる喉を、正確に突く。
青い血しぶきがあがる。
オークは、その場にくずおれ、動かなくなる。
交戦時間は、二体合わせても十秒といったところだろう。
ぼくが予備の槍を渡すとき、スムーズにできていたなら、タイムはもっと縮んだはずだ。
「意外と、いけます」
振りかえって、アリスは微笑んだ。
彼女の背後で、倒れた二体のオークが姿を消していく。
あとには宝石だけが残る。
ファンファーレが、耳のなかで鳴り響いた。
「あなたはレベルアップしました!」
中性的な声が聞こえてきた。
なるほど、とぼくは思う。
ぼくとアリスは、コンビを組んでから六体のオークを倒している。
ひとりあたり、オーク三体分の経験値を得ているということだ。
「ひとりにつき、次のレベルと同じだけのオークを倒せばいいってことか」
ぼくとアリスは、白い部屋にワープした。
※
改めてぼくたちは、白い部屋で顔を見合わせる。
「これでぼくは、召喚魔法をランク2にできる」
「はい」
「約束通り、育芸館の偵察をしよう」
「はい!」
さてそうなると、時間短縮のためにも、綿密な打ち合わせが必要だ。
「まずぼくたちは、育芸館のそばまで移動する。周囲をうろつくオークがいる場合、まわりに気づかれないようなら、迅速に始末する」
「数を減らすんですね」
「そこから先は、状況を見ての出たとこ勝負になるが……」
いまは、午後五時ちょうどくらいのはずだ。
充分な偵察をする時間がないかもしれない。
だからといって、夜になってから戦うのは無謀だ。
第一に、オークが夜目を持っている可能性がある。
実際にそうなのかどうかは、いまあまり関係がない。
こいつらの生態がまったく不明な以上、ある、という前提で動かなければならないというだけだ。
「夜目とかって……猫みたいに、目が光るんですか?」
「そのあたりはわからないけど。でも少なくとも、イノシシは夜に活動する。豚は家畜化されたイノシシだ」
「あ、そうですね」
「だいいち、同じ人間でも、ぼくたち現代の日本人は目がかなり退化……というか視力がよろしくない部類だよ。狩猟採集生活をする民族だと、夜の森を平気で歩くとか、そんな話があったような……」
「カズさん、物知りなんですね」
いや、この話って小説だったっけな?
アリスは、目をきらきらさせていた。
黙っておくことにする。まあ、とにかく夜はこちらが不利なのだ。
「いちおう、ランク2の召喚魔法に、サモン・フローティング・ランタンという、浮遊する明かりを召喚する魔法があるみたいだけど……」
「照明は、目立ちますね」
そもそも、懐中電灯でいい気がする。
いまぼくは懐中電灯なんて持っていないけど。
「とにかく、敵をおびき寄せるとまずい。こっちは、ただでさえ少数なんだ。多数のオークに取り囲まれたら、どうしようもなくなる」
だから敵の方が多数の場合、ヒット・アンド・アウェイが基本戦術となる。
「一か所にいるオークが三体以下の場合、強襲で倒す。さっきアリスが二体を沈めたあの手際をもう一度発揮してくれるだけでいい。簡単だな!」
「え、ええと……がんばりますっ」
アリスは、ぐっとかわいらしく拳を握った。
ついさきほど、阿修羅のような戦いをこなした者と同一人物だとはとうてい思えないほど、それはなんとも無防備な姿だった。
「一度に七体以上の場合、逃げる。オークが四体以上六体以下の場合は、ぼくや、ぼくの使い魔を囮として運用する。各個撃破だ」
「カズさんのリスクが高いと思います」
「オークがどう動くか不明な以上、きみの方が危険だ。囲まれる可能性もある。そうなったら、助けてやれない。失敗すれば……」
「わかってます」
アリスは、胸もとでぎゅっと両手を握った。
その肩が、小刻みに震えていた。
当然だ。怖くないはずがない。失敗すれば、女として悲惨な目にあったあと、殺されるのだから。
彼女はただ、それ以上の気持ちで親友を助けたいと、そう願っていただけなのだから。
「わたし、一度、捕まって……。あのとき、カズさんが助けてくれなかったら……」
「この作戦を実行するかどうかは、きみ次第だ。無理そうなら……」
「いいえ」
アリスはそれでも、首を振る。
強い意志のちからで全身の震えを抑え込み、まっすぐにぼくを見る。
「やります。やらせてください」
そう、はっきりと宣言してみせる。
和久:レベル3 付与魔法2/召喚魔法1→2 スキルポイント2→0




