第七話 ギルド登録
―――シャラン、 ―――シャラン、
―――リィン、 リィン、 リィン―――
――― シャラン、 ―――シャラン、 ―――
真っ暗な、光のない世界で、ころころ、からから、と鈴の音が響く。
何度も、何度も聞いた音。
いつの日にか聞き慣れて。何故かひどく懐かしいものに思える。
だけれどこれは夢の中。目が覚めたとして覚えているか。
おそらく、はっきりと思い出すことはないだろう。
そんな朧げでありながら。
身体に、心に、魂に、麗らかに響いていく。
―――そんな音。
※ ※ ※
―――カラァーン、 カラァーン、 カラァーン……
この学院では鐘の音で一日の時間を区切る。
先ほどの神秘的な音色とは打って変わり、現実へと叩き落とす硬質な鐘の音が高らかに鳴り響く。
続けてもう何回か鳴らした後、いい加減起きろとばかりに重低音の余韻を残しつつ、この季節特有の靄がかかった朝の空気に溶けていった。
二、三度目あたりの鐘でゆらゆらと意識が浮上し始める。
往生際悪く微睡見続けていると、窓から差し込む朝日に追い討ちをかけられ、うっすらと重い瞼を上げる。
そして起き上がろうと頭を上げた瞬間、不意に軽い頭痛を覚え、ぼすっ、と枕に不時着した。
痛みを紛らわすように目を閉じると、真っ先に思い出すは例の鈴の音色。
「つ………またあの夢かよ」
額を押さえつつ、ため息混じりに上体を起こす。
新しく、慣れない寝具で眠りが浅かったのか、それとも例の夢のせいなのか、寝ているとも起きているとも言えないようなぼんやりとした意識で思考を巡らす。再度、長い息をはきながら。
小さい頃、前世の記憶が戻ってからというものの、希にこのように奇怪な、音だけの夢を見るようになった。否、夢を聞く、といった感じだろうか。
本当に極まれに見て、忘れた頃にたびたび夢を聞く。前回聞いたのはいつ頃だっただろうか。
それとは別に、とうに記憶にもないような前世の記憶を夢に見ることもある。
こんなこともあったっけ、と懐かしむと同時に、心に穴があいたような空虚な感情も感じる。
でもそれらは実際に自分自身が体験したことであるから夢に見るのはまあ、納得できるといえばできる。
しかしそれに対して夢を聞く場合、これまでの人生で聞いたこともない不思議な音を聞くのだ。
はっきりとは覚えてないけれど、そう断言できるほど、どこまでも響く純粋な、透明な音だったから。
(…何なんだろうな、これ)
そんな音であるからか、思考を凝らしているうちに、鈴の音は頭の中から消えてしまった。
聞こえなくなったというわけでなく、透明すぎて、記憶のどこかへと溶けてしまったというのが妥当だろうか。
要するに、聞いた、という記憶はあるのに、それがどんな音だったかが思い出せなくなるのだ。
そのことがとても不可解で、四苦八苦しつつ思い出そうとするが、毎回失敗に終わってしまう。
まあ、それが夢というものだ、と言われたらそれまでなのだけれど。
「……はあ」
気にしても仕方がないか、そんな投げやりな気持ちで、頭痛を引きずりながら寝台から降りた。
ベットで考え事をしていた分、やや急いで身支度をする。
顔を洗い、黒い制服に袖を通し、最後に未だ抵抗を続けるしつこい寝癖を水で無理やり制圧しようとするが半分ほど失敗に終わった。しかしいつものことなので放置。
こういう髪型だと思ってくれ、お願いだから。
おかしな方向に曲がった、やや長い前髪を引っ張って元の位置に伸ばしつつ、部屋を後にした。
「あ、おはようございます」
「ルーク遅いよー」
「待ちくたびれたわよ」
寮の下で三人と合流する。昨日の夜に待ち合わせをしていたのだ。
「お前らが早すぎるだけだろ」
まあね、とからから笑う。今日は入学式。楽しみでつい早く準備してしまうのはお約束だろうか。
食堂で簡単な朝食をとったあと、入学式に出席するべく第一体育館へと向かう。
黒魔術科、魔法剣術科、白魔術科、にわかれ、自分の生徒番号の席へと座る。
制服は黒で、女子はスカートが三つの科で、青、赤、白、というふうになっていて、男子は上下黒でそれぞれの学科の色のラインが入っている。あとはネクタイとリボンの色が同様になっているか。
この生徒が並んでいるのを上から見たらさぞカラフルであろう。
そんな感想を抱きつつ、校長の、催眠効果でもあるのかと思われる長々とした話から幻術逃避をする。
内容としては授業形式や校則について。
授業の仕組みは、何だか大学の形式に似ている。科で生徒が分かれてはいるが、クラスというくくりはない。自分たちで受けたい授業を選ぶことができ、更に自身が所属する科以外の科の授業も受けるのは自由。各科で必修授業という、必ず受けなければいけない授業もあるが、基本的にフリー。
単位というものもあって、一定量の授業と試験で点を取れば、平日だろうが授業をパスして好きなことをできるという。努力して良い結果を残すほど、自分の自由時間が増えるわけだ。
そんな、とっくにもう知ってますから、的なつまらない話が続く。
最悪寝ないようにと眠気と戦うが、それから更に長々とした、伝統ある我が学院の校則の内容などという生徒手帳にびっしり書いてある、大変どうでもいい話になる。
生徒たちが「いい加減黙れよコイツ」「同じこと繰り返し話すんじゃねえ」「その喋り方ウザイ」的な険悪な空気になり始めた頃、ようやく式が終了した。
結果、どこの世界でも偉い人の話は長くて暇だというのは一貫されているらしい。
※ ※ ※
長い話のせいで未だ眠気を訴えている頭で自室へ戻る。まだ朝の頭痛の余韻が残っていたので、制服の上着を脱ぎ捨て、ベットに仰向けに倒れ込んで光を遮るように目の上に腕を乗せた。
…特に予定もないことだしこのまま寝てしまおうか。
そんなことをゆらゆらと考えていると、どうやらその願望は打ち砕かれるらしい。
バタバタと廊下を走る音が聞こえる。
流石にこんな弱った姿を見られるのはごめんだ。上体を起こし、ベットに腰掛ける姿勢にする。
「ギルド登録しましょう!」
その瞬間、ノックなしで勢いよく扉が開き、案の定ルナとレディが部屋に押しかけてきた。
開口一番これである。
いや、ノックぐらいしろ。コンマ一秒姿勢を正すのが遅かったら間に合わなかったぞ。
二人はソファーに座り、こちらを向く。
「ギルド?まあもとより登録するつもりだったから願ったり叶ったりだが…いきなりだな」
せっかく王都に来たのだ。大きな冒険者ギルドもあることだし、前からレイディと二人でパーティーでも組もうかという話をしていた。
「あれ、もしかしてルーク具合悪い?なんか怖さが二割増しぐらいになってるよ?」
調子が悪いのが隠しきれてなかったのか、レイディが首をかしげた。こいつが鋭いだけだろうか。
余計なことも言うが、これでも心配してくれているのは理解している。
「ほっとけ。……ただ少し頭が…」
「悪いの?」
「死ね」
前言撤回。心配とかされてないように思えてきた。
頭痛でイライラしているのも加わり、鋭い黒い眼光で睨みつける。普通にしていても怖いと言われる彼が睨むと、更に普通にたじろぐ程度には怖い。
しかしレイディは慣れている故にあっけからんとした様子で笑った。
「あっははは、その様子だと大丈夫そうだね」
「…他に確認の仕方いろいろあるだろ」
何でコイツはこうも人の神経を逆なでするようなことを選択するんだよ。昔からだから慣れたけどな。
そんな二人のやりとりを見て、ルナが軽く吹き出した。
「ふふっ、私もステラと二人でパーティー組む予定だったのよ。そう話してたらせっかくだから四人で組まないかってことになったの」
笑いをこらえつつ理由を話す。
ほう、いつに間にそんな話が。そういえばさっきからそのステラがいない、どこに行ったのだろう。
どこに行ったのか、そう口を開きかけた瞬間、部屋に風が吹き込んだ。
「魔法役、回復役、前衛役二人、バランスのとれたパーティーだと思いません?」
後ろから涼しげな声が響く。
意表を突かれ、後ろを振り返るとステラが小鳥のように窓の枠にとまっていた。
確かに窓は開けっ放しにしてあったが、いつからそこにいた。ここ四階だぞ。
「ちょ、どこから入ってきてんのよ?」
「あはは、この部屋は校舎から死角になっていて、周りを警戒さえすればバレないんですよ」
そういえば昨日、ルナがベランダから飛び降りて呼び出しくらったとか言っていたっけ。
その次の日にこれだ。これは流石に―――
「おいおい、バレなきゃ良いって問題じゃ―――あ、良いか、バレなければ」
よし問題ないな。
「ちょっと!?」
ルナの言及をかわしつつ、ステラが紙を八枚、机に置いた。
「冒険者ギルド登録用紙、もらってきましたよ。急ぎで、と言われたものですから」
「確かに言ったけど!…ああ、もう良いわ…」
猫耳をパタリとふせ、肩を落とした。何かやるせない気持ちに苛まれているようだ。
八枚というのは、ギルドへ申請するためのと、学院に提出する用、の四人分の八枚だ。
ギルド登録する時は学院にも知らせないといけないという決まりがある。そしてクエストをこなしていけば、単位の足しにもなるのだ。
「おお、わざわざありがとうな、手間が省けた」
用紙に名前や役職を記入する。
白魔術師なのに剣を使って戦うとか我ながら皮肉なものだ。実質前衛が三人なのではないだろうか。
皆それぞれ二枚ずつ書き込み、間違いがないか項目を一つずつ確認する。
ふとレイディが、忘れてた、といった風に口を開いた。
「あ、そういえばパーティーリーダー誰にする?」
瞬間、漆黒の瞳と三人の視線が交差する。
「ルークで」
「ルークがいいかと」
「右に同じ。よし決定」
カリカリ、とレイディがリーダーの欄に勝手に俺の名前を書き込んだ。
「ちょっと待てこら!」
俺の意見どこいった。自由権の侵害で訴えるぞ。
「この四人中だったらルークが一番向いてると思うよ。俺は戦闘に夢中になっちゃうから全体の指示とかは無理だし、ルナとステラも戦況を細かく判断できるような戦い方じゃないから」
このパーティー編成だと魔法攻撃は全てステラに任せることとなる。かなりの集中力が必要だから司令塔の役割はできないだろう。ルナだって戦場をハイスピードで跳び回る戦い方だ、同じく無理がある。
「消去法かよ。…まあ良いか、俺の戦い方だったらそうなるだろうし」
医者と同じである白魔術師にとって素早い状況判断能力は必須だ。良い訓練になるだろう。
そう思えば悪くもないか。
「それにペンで書いてしまったのでもう消せませんしね」
…おい。
やや腑に落ちない感がするが、そのまま用紙に記入し、再度確認する。
あとはこれをギルドと学院に提出するだけだ。
「よし、じゃあ俺とレイディがギルドに届けるから、二人は学院に提出してきてくれ」
「え、いいの?なんか悪い気が…」
「用紙とかいろいろやってもらってるからな。このくらいはするさ」
そう言うと、ルナはふわりと笑った。
「ふふ、律儀なのね。お言葉に甘えるわ」
「ああ、じゃあ行ってくる」
その意味合いもあるけれど、『面倒』なことは先に終わらすに限るからな。
軽く手を挙げ、制服の上着を羽織って部屋を後にした。
ルナとステラとわかれ、レイディと二人でギルドへと向かう。
二人の色に思わずと振り返る人たちを視界の端に収めつつ、昼時で賑わう大通りをまっすぐ進んだ所にそれはあった。とても大きな二階建ての建物で、何だか要塞のような雰囲気であった。
中に入る前に一度立ち止まり、眼前の建造物を見上げながら呟く。
「さあて、腹くくるか」
「賭ける?」
「は、昨日と同じ」
嘲笑してわざとらしく肩をすくめると、レイディは返事を返さずクスクスと笑う。
ま、こんな会話でもしないとやってられないというわけで。
気を引き締め、扉に手をかける。見た目よりもよほど重く感じるのは気のせいではないだろう。
カラン、と音を立てて中に入ると、一斉とまではいかないが、気味の悪い波が起きたように、ざあ、と這いずるような視線が押し寄せた。皮肉なことに、意に反して予想どおりだ。
異質なものを見る視線にはなれているつもりだが、こういった密室の中ではまた別だ。開放的なところとは違う、なんだか押しつぶされる感覚がする。
こればっかりは慣れる気がしない。
二人は周りに対して特に反応を示さずに、カウンターまで歩く。
ここで何かしら弱気な行動をすれば後々面倒なことになるからだ。
受付の女の人は茶髪に茶色の目の、優しそうな印象を受ける人だった。
「あ、ご、ご用件はなんでしょう?」
受付の仕事に慣れていないのか、はたまた真っ黒に畏怖しているのか、たどたどしく対応してくれた。
できれば前者であってほしい。
「ギルドの登録に来ました。用紙はこれです」
「あ、はい。少々お待ちくだひゃい」
緊張しているのか、思いっきり台詞を噛んだ。先程の理由はどうやら両方のようだ。
大丈夫かこの人…
登録代金の銀貨四枚を渡し、ギルドカードを受け取る。
この世界のお金は銅貨、鉄貨、銀貨、白銀貨、金貨、白金貨、というふうになっている。銅貨が大体十円と同じ位の価値で、鉄貨が百円位、あとは十倍ずつになっていく。最終的に白金貨が百万円という馬鹿げた値段となる。日常的に生活していれば普通は見ることがない。貴族が家を建てる時などに使うぐらいだろうか。
「ええと、まずギルドの説明からさせていただきます。冒険者にはスタート時のFからAと、その上にSランクが設けられていて、クエストをこなしていくと次のランクに上がることができます。受けられるクエストには制限があって、自身のランクより二つ以上のものは受けることができません、これは冒険者の命を守るためのシステムのようなものですので、どうかご了承ください」
今度はどうにか噛まずに言い切った。いささか早口だったのはスルーするべきか。
「あ、そうだ、あとはパーティーを組む時なのですが、Dランクになったらパーティーの名前をつけてもらうことになります。知名度が上がるのでギルドで区別しやすくするためです。…ええと、あとは、ええと…あ、他に質問はありますでしょうか?」
途中まではよかったが最後で台無しとなった。敬語の使い方が軍人のような大変面白い事となった。
本人も言い切ってから気付いたらしく、あ、と声を漏らし羞恥心からか俯いてプルプル震えてしまった。
こういう時は早く話を終わらせてあげないといけない。相手への気づかいでもあるが、これだと俺が泣かしたシチュエーションになってしまっているから。
そして更に腹立たしいことに斜め後ろでレイディが下を向いて必死に笑いをこらえている。
お前は何もやってないだろうが!
「い、いえ、大丈夫です。説明ありがとうございました」
先ほどとは違う、周りの人の視線が背中に痛い。返事を待たずに、軽く冷や汗をかきつつ急いで、しかし余裕をもって建物を出た。
そして、ギルドを出てしばらく歩いた頃。
「あっはははは!あれはまた災難だったね!くくっ…あ、ちょ、痛い」
ガッ、とレイディの赤く透明な角を掴み、自分側に引っ張る。これ超便利。
「うるせえよ。見てないで何かしてくれても良かっただろ!」
「いや、あれは無理でしょ。何かしたところでむしろ悪化するから。放置が一番いいと判断したよ」
「後ろで笑ってただろうが!」
「あははは、あれは笑うなとか無理…って、いや、悪かったって首痛い」
殺意が湧いたので角を掴んだまま更にガクガク揺らす。
「じゃあ次に受付行く時お前が対応しろよ」
もう少し折檻を続けたいところだが、一応謝罪の言葉が出たので手を離す。
開放されると、シェイクされて頭が痛いのか目を閉じ、額にに手を当てながら嫌々承諾した。
「はいはい、分かりましたよ。―――で、どうする?」
目を片方だけ開き、赤い瞳と目が合う。いつの間にか、先程のようなふざけた空気はどこかに消え去っていた。
「どうするもこうするも、後をつけられてはな」
ギルドを出た時からだろうか、距離があり解りづらいが、俺たちの後をつけている者が二人いた。
まあ、理由が何にせよ普通にいい気がするはずもないわな。
思わず、ニヤリ、と口が弧を描く。
レイディも同様、面白そうな獲物を見つけたといった笑みを浮かべていた。
「―――売られた喧嘩は?」
「はッ、買うに決まってるだろ!」
―――丁度、イラついていたところだ。