65 - 再会
「あ、これ少年死んだっしょ」
不吉なことを言うナルを無視して白目を剥いて泡を吹いているルーダを蹴り転がす。
シュキハには手加減という概念が欠如しているのか、きれいに鳩尾に叩き込まれた拳はルーダから意識を奪うのに十分すぎるほどの威力を発揮していた。
確かに洗脳された人間に対して気絶させるのは有効的な手段だろう。
が、悶絶することも許さないほど容赦なく叩きのめすのはどうなんだろう。仮にもルーダは一般人なのだから。
そのあたりの倫理を説いてもなんとなくシュキハには無駄なような気がした。
「生意気にあたいに攻撃してくるとか、ほ~~~んとおもしろいことするけーね」
治療してあげることすらせずに、上機嫌にニコニコ笑ってナル。とても楽しそうな口調が逆に彼女の怒りの度合いを表しているようでもあった。これはルーダが目を覚ましたら修羅場確実である。
洗脳されていたのだから、という言い訳はナルには通じないだろう。洗脳させるような脆弱な精神が悪いと言いそうだ。
「今のうちに髪を抜いてツルツルにするとかどうけ?」
「やめてやれ」
言うと同時に実行しようとしていたナルを止める。放っておいたら絶対に実行していただろうことは想像に難くない。
エリスを除けば一番古い付き合いのシックには彼を守る義務があるような気がした。保護者的な意味で。
ひどく不満そうな半眼で見上げてくるナルに肩をすくめてみせ、今はシュキハに抱き着いているエリスに目を向ける。顔色は見えないが、あの様子から良くはなっていないだろうと予想がついた。
「エリス、まだ音は聞こえるか?」
頭が上下する。声を出す元気もないらしい。
「音?」
白目を剥いているルーダの頬を摘まんで遊んでいたナルが興味を引かれたように尋ねてくる。ぷにぷにと頬を抓る手を止めないのが実にナルらしいと言えばナルらしいが、実害はなさそうなのであえて注意することはしなかった。
「エリスには笛の音が聞こえているらしい。人を洗脳する力を持つとかいう笛なんだが、君は聞こえるか?」
「うんにゃ、聞こえないっしょ。けーど、それはあれけ? 魔笛クライシス」
「魔笛?」
大きくエリスの肩が跳ねた。
訝しげに眉根を寄せる。
この期に及んでまだ何かを隠しているのだろうか。そうとしか思えない反応だ。
問い詰めたい気持ちを抑えてナルに話の続きを促す。だがシックの思いとは裏腹に、興味なさそうにエリスを見上げていたナルはひょいと立ち上がってエリスの両耳を塞いだ。突然のことに驚いて顔を上げたエリスの耳元で何かを囁く。エリスはそれで納得したようにうなずいた。
何をして何を話したのかはわからないが、踵を返したナルが白目を剥いているルーダの耳を同様に塞ぐ。それから放置していた治療をさっさと済ませると、ルーダの腹に肘打ちを喰らわせた。
「ぶふっ!」
跳ね起きて悶絶するルーダを指さし、実に楽しそうにナルがけらけらと笑った。
「ナル!」
「少年は日に日におもしろくなってくっしょ」
「こっちは全然面白くもなんともないよ!」
目を覚ました(強制的に)ルーダがナルに食って掛かる。洗脳されている様子は見えなかった。
「何をした?」
「笛の音が届かないように魔力で両耳をコーティングしたんしょ。君たちにも後でやったげるけ」
事もなげに言うナルに首を傾げたのはルーダだけだった。説明が面倒くさいからしてあげないが。
エリスを見るとホッとしたような表情を浮かべてシュキハから離れていた。顔色も少しはマシになっている。
「魔笛クライシスが相手だとこれでもすこーし不安なんだけーど、まぁなんとかなるっしょ」
「その魔笛というのはなんなんだ?」
尋ねたらあからさまに面倒くさそうな顔をされた。
以前から思っていたしルーダも度々文句を本人に隠れて言っているが、この魔導師は説明という行為を面倒くさがりすぎではないだろうか。師匠のほうは説明したがりなのになんだろうかこの差は。
「魔笛クライシスは精神を犯して幻覚作用を引き起こす恐れがあります。用法用量を守り計画的にご使用ください」
「ツッコまないよ」
無情なルーダのツッコミ――ツッコまないとは言っているが声をかけている時点でツッコミだとシックは思う――に、なぜか機嫌を直したようにナルがニタニタと笑った。顔を引きつらせるルーダの腕を取って、そのまま自然な流れで腕ひしぎをかけるナルにルーダが本気の悲鳴を上げる。
ルーダはナルの専門家としてこれからも尊い糧になってもらおう。今決めた。
「師匠の長い話の中にあっただけだかーらあたいも詳しくは覚えてないけーど、下手したら精神がぶっ壊れる悪質な魔武器のひとつけ。師匠が所在を探したときは見つからなかったって話け、黄昏のとこにあったとはそら見つからんはずっしょ」
愚痴るようにこぼしながらも、自分自身とシュキハの耳に手を当てて件の魔力コーティングなるものをして回っていたナルがシックの元にもやってきた。手を当てやすいように少し腰をかがめてやる。両耳が塞がれたと思ったらすぐに離れていった。
耳に違和感はない。音が聞き取りにくくなっていることもないし、こそばゆくもない。
「あのさ、状況が呑み込めないんだけど」
決められた腕を涙目で擦るルーダが恐る恐る挙手をして発言する。瞬間、ナルの顔がニタァッと獲物を見つけた悪魔のように歪んだ。
「そうけそうけ忘れてたっしょ。少年にはたぁ~~~っぷりお礼をしなきゃいけなかったんしょ」
「えぇ!? お、お礼ってなに!? おれなんかした?!」
後退るルーダ。にじり寄るナル。
どうやら洗脳されていたときの記憶はルーダにはないようだ。手をわきわきとさせたナルに捕まったルーダが悲鳴を上げているのを横目に、シックは留めておけなかったため息を吐き出した。
黄昏にはまだまだ打てる手があるが、こちらにはもう隠し玉はない。追いつめているのか、追いつめられているのか。
「どの道、進むしか道はないけどな」
諦めと共に顔を上げる。
視線の先には崩れた風車と、その前に悠然と佇むドアがあった。ここへ落ちるときにくぐったドアと同じ花柄のドアだ。
座り込んでいるエリスに手を差し出す。顔を上げたエリスはその手を取らずに立ち上がった。
「行きましょう」
うなずく。
ナルの手により恥ずかしい髪型にされていたルーダも慌てたように駆け寄って――というか逃げて――きた。
「あたいは一旦師匠と合流するっしょ。少年、今度はすぐに助けに入ってあげられないけ、自分が魔導師だってこと忘れずに行動するっしょ」
「う、うん」
こくこくうなずくルーダの額をステッキの先で小突いて、満足したようにナルは影に沈んでいった。
なんだかんだ言ってもナルも面倒見のいい女である。面倒を見られている本人はいろいろ精神が抉られているようだが。
いち早くドアの前で待機していたシュキハに目線で合図を送る。心得たとばかりにシュキハがドアを蹴り開けた。
ドアの先には再び穴、などということはなく。
「今度は庭園か」
どことも知れない村の後に用意されたのは、手入れの行き届いた見事な庭園だった。
シュキハに先行させてからシックらも続く。
落ち着いていたはずのエリスの手がまたシックの服の裾をつかんだ。手を握って安心させてやりたかったが、いつ不意の事態が訪れても対処できるように手はフリーにしておかなければならない。ジレンマである。
「あ!」
唐突に誰かが声を張り上げる。ルーダだろうと思っていちべつしてみたが、きょろきょろとしているので違うらしい。
「エリスさん!」
横手から声。
「ラド!」
エリスが驚愕の声を上げる。
どたどたと慌ただしい足音と共に飛び込んできた男ががばりと――狙いを外して――ルーダに抱き着いた。
「良かった! 無事だったんだねエリスさん! 心配したよー!!」
「ちょ、ち、ちが、ちがうって――!」
涙を流して全身で喜びを表現する男、ラド。抱き着いている対象がルーダでなければ感動の場面だった。
どんなときでも残念クオリティを維持するところが実にラドらしい。
「ラド、それは私じゃないわよ」
「気にしなーい!」
「いや、気にしなさいよそこは」
とち狂ったラドのセリフにエリスの顔にも笑みが浮かぶ。できの悪い弟を見るようなそんな笑顔だった。
「私よりあんたは大丈夫だったの? オルフェにさらわれたんでしょ? ていうかなんでここにいるの?」
つかんでいた裾を離し、ルーダを絞め殺しているラドに近づきながらエリス。そこでようやく間違いに気づいたラドが、ぐったりとしているルーダを解放した。
エリスに駆け寄る姿はまさに尻尾を振る犬のごとく。目にたっぷりと涙を浮かべて保護欲を掻き立てる行為はシックには真似できない所業だ。頭を撫でられるときの慣れている感が忠実な犬を連想させた。褒めて褒めてと付きまとうおバカな犬系統ではあるが。
「そうだ聞いてよエリスさん! なんか露出の多い女の人に拉致されてから大変だったんだよ!」
ひとしきり撫でられて満足したのか、突然スイッチが入ったようにラドがしゃべりだす。話を促すエリスは慣れているのだろう、特に驚いた様子はなかった。
「手足縛られた状態でずっと耳元でもふもふ言われ続けたんだから!」
「……は?」
さすがにこの発言はエリスも慣れていなかったらしい。頭を撫でる手を止めてきょとんとしている。
そんなエリスの様子に気づいた様子も見せず、ラドの話はさらに熱が入ったように早口に続けられた。
「エンドレスもふもふだよもふもふ! しかもそれを僕にも言うように強要してくる極悪さ! 拒否すると目の前でもっふもふの犬をもふもふし始めるんだよ! 絶対に触れない位置で! もふもふもふもふ楽しそうに! 泣いても喚いてももふもふもふもふ! もふもふのゲシュタルト崩壊!」
エリスの眼差しが一瞬にして生暖かいものに変わった。
とりあえずひどいことはされていなかったらしいと知れたことに安堵していいのか、楽しげな拷問(?)を受けていたらしいことに腹を立てていいのか。半笑いの表情からどちらか決めかねているのが伝わってくる。
もふもふ地獄――あるいは天国――が如何にひどいものであるか熱弁するラドの無軌道奔放っぷりを、とりあえずシックも笑っておいた。
ほのぼの主従会話を耳に入れながら、周囲を警戒するように見渡す。
整然と配された樹木は最も映える位置に計算しつくされて配置されていた。ここまで見事な庭園は見たことがない。一騎士として上流階級の催すパーティの警護で何度か富豪の屋敷に訪れたことはあったが、その中でもこの庭園は群を抜いていた。
「聞いてるエリスさん!?」
「聞いてない」
「聞いてよー!」
じたじたと駄々をこねるラドはラドでエリスの身をずっと案じていたのだろう。その顔は嬉しそうだった。
「それより、あんたなんでここにいるの? 黄昏にさらわれたんじゃなかったの?」
放っておくといつまでも――それこそエンドレスに――もふもふ言い続けていそうなラドへと本題をぶつける。どうやらまだもふもふ言っていたかった様子のラドが少しだけ拗ねたように口を尖らせたものの、すぐにぱぁっと表情を明るくさせて両腕を広げた。
「助けてもらったんだ!」
「……誰に?」
「エリスさんも知っている人だよ。あっちにいるから会いに行こう!」
「あ、ちょっと」
はしゃぐラドに腕を引かれてエリスがつんのめる。
とっさに腹の前に手を差し込んで転倒するのを防いだものの、ラドは少々浮かれすぎているらしい。
「ラド、はしゃぐのは構わないが、君はエリスの状態を見てから行動したほうがいい」
背後からエリスを抱く形になっているのでシックとしては役得だが、極力それを悟られないように苦言を呈しておいた。
なぜか不満そうにされた。
「えー……あれ? エリスさん着替えたの?」
「気づくの遅っ」
「ええぇ!? だって地味だったから!」
「地味? これが? ドレスだよ?」
「お屋敷での普段着もっと派手だからねー。それにそれ見るからに既製品だし、オーダーメイドしか着ないエリスさんには似合わないっていうか」
「うわ」
「ちょっと、私見て引かないでよ」
住む世界が違うことを改めて思い知ったとばかりにルーダが引く。
この程度の格差で引くとはルーダも青いものである。シックなんて既に格差については無視することが脳内で閣議決定されているというのに。
身をよじられたので手を離す。
「ねぇラド、私の服取ってきてよ」
「お屋敷の?」
「トレジャーハンターの」
「えー」
不服そうに声を上げながらも、べろりと空間をめくる。どこかの小屋らしきものが見えた。めくられた空間の向こう側に行ったと思ったら、すぐに服の上下を持って戻ってきた。
「……ここで着替えるのか?」
「覗いたら燃やす」
服の一式を受け取ったエリスはめくられた空間の裏へと回ってしまった。のみならず、それまで会話に参加せずにいたシュキハがめくられた空間の前に移動してきて、わざわざ後ろを向くように強要までしてくる始末。
堂々と覗きをするような男だと思われているのか。ひどく心外である。
心外なので、後ろを向かずに堂々とその場に立っておいた。シュキハの眼光が小虫くらいなら焼き殺せそうなほど鋭くなったが知ったことではない。
「シックって時々バカだよね」
大人しく後ろを向いているルーダのつぶやきは鼻で笑っておいた。
男の本能に従っているだけだから恥じることではない。
結局柔肌のひとつも拝めないうちにエリスの生着替えは終わった。終わってしまった。
無念そうに息を吐くシックを見るエリスの視線には、蔑みの感情が見え隠れしていたような気がした。恐らくは気のせいだ。
「敵地で着替えができる君の神経の太さを疑うよ」
「敵地でセクハラかまそうとするあんたの神経を疑うわよ」
露出の少なくなってしまった――主に足の――服装にまたため息が漏れる。抱き心地は明らかに先ほどまでのドレスのほうが良かったというのに。脱がせやすいし。
一歩背後に下がる。
鼻先を拳が通り過ぎて行った。
「理不尽な暴力はいかがなものかと思うが?」
「邪念を振り払ってやろうと思っただけだ」
軽口を叩けば低く唸るような声が返ってくる。
拳の主はシュキハだった。相変わらずお堅い思考の女である。もっと柔軟に物を考えたら人生が楽しくなるというのに。
「はいはい、そこケンカしないの」
「粛清だ」
エリスの仲裁にも即座に噛み付くシュキハの膝を背後から押す。かくん、とはならなかった。さすが無駄に鍛えているだけはある。ルーダだったらすっ転んでいただろうに。
首だけ振り向いてきたシュキハが誇らしげに笑う。若干イラッとした。
「そんなことよりエリスさん! 早く会いに行こうよ!」
大人げない戯れを繰り広げるシックらのやり取りに飽きたのか、大袈裟なまでに大きく腕を振ってラドがアピールする。珍獣の求愛行動並みの大袈裟っぷりだった。
「あんたの恩人?」
「そう! 早く早く!」
派手な柄のバンダナを頭に結んでいるエリスを邪魔するように腕を取る。よっぽど早く会いに行きたいのか、文字通り浮足立ってぴょんぴょんと跳ねる。落ち着きのなさは天下一品だ。
「はいはい、わかったわよ。引っ張らないで」
「はーやーくー!」
パタパタと駆けて、エリスがついてきているか確認するように立ち止まる。全然ついてきていないのに気付くとまたバタバタと駆け戻ってくる。
久しぶりの散歩にはしゃぐ犬のようで微笑ましい。
渋々ながら歩き出したエリスの後をついてシックも歩き出す。
低木に囲まれた道を導かれるままに道なりに進むと、やがて広く開けた場所が前方に見えてきた。
色とりどりの花に囲まれた小さな広場。白いテーブルに白い椅子、白いパラソル。それがこの広場の中心なのだろう。
パラソルの下には女がいた。大きな縁の帽子を被り、優雅な仕草で湯気の立ち上るカップに口をつけていた。
足を止める。
エリスの手が、シックの服の裾をつかんだ。
「お嬢様をお連れしました」
あれだけ馬鹿高かったテンションが嘘であるかのように、その貴婦人に告げるラドの声は芯のない無機質なものだった。
カップがソーサーに置かれる音がかちゃりと響く。
顔を上げた女を見て、思わずシックは言葉を失った。
「久しぶりね、エリス」
整った顔を縁取るウェーブがかった金糸の髪、勝気そうな碧の双眸。
まるで。
「……――ママ」
愕然と、エリスが膝から崩れ落ちた。




