64 - たとえこれが罠だとしても
脳筋兵器シュキハが出動する少し前に時間は遡る。
ルーダは耳の奥で鳴り響く音に揺り起こされるようにして意識を覚醒させた。
しぱしぱする目を何度か瞬かせて、小さく呻きながら体を起こす。寝ぼけたように目を擦り――はっと思い出して自身の手足を慌てて確認する。折れているどころか痣も擦り傷もどこにも見当たらなかった。
「……すごい落ちたはずなのに」
どれくらいの高さを落下したかわからないけれど、確かに落下したことは覚えている。
「ナルかな」
魔導師なのに、なんの対処も取れないうちに気を失ってしまった不甲斐なさに、気分が落ち込む。ルーダにはできないことを難なくこなしてしまうナルならば、あの状況からでもなんとかしてしまえたのだろう。
手足を見下ろしていた視線を周囲に這わせる。近くには誰もいなかった。ナルも、エリスたちも。
ついでに、そこがどこかの建物の中であることもわかった。
大きな歯車が並び、ごとごとと忙しなく動いている。中央部で我が物顔で居座っているのは粉挽き用の臼だ。それだけでルーダにはこの建物が風車であることがわかった。いや、ルーダでなくてもそれくらいはわかっただろうけれど。
どこか懐かしい気分に陥った。
確かルーダの村にも風車が一基だけあったはずだ。ただし、ルーダの村にあった風車は製粉用ではなく魔力発電用だ。なぜか製粉用の臼はあったけれど、ただの飾りだったような覚えがある。あまりにも謎すぎて村中のおとなに理由を聞いて回った記憶がある。納得できた記憶がないので恐らく村の誰も臼の意味を知らなかったのだろう。なんかよくわからないけどあるんだから必要なんじゃないか、というのが大方の村人の結論だった。
懐かしさから小さく笑いが漏れる。
立ち上がって近づいてみると、ますます村で見た謎の臼に似ていた。というか普通に製粉している臼を見たことがないので違いはわからないのだけれど。
「ナルたちどこだろ」
郷里を思い出して懐かしがっている場合ではない。郷愁の念を振り払って風車の入り口に顔を向ける。
上から落下してきたのだから、誰かがルーダをこの風車に運んできたことになるはずだ。引きずられた後がないからシックかシュキハだろう。いや、影に運ばせることもできるからナルでも可能か。
なんにしろ誰も近くにいない状況というのは不安だった。
皆の安否も気になる。風車の外に探しに出たほうがいいのだろうか。迷う。
(ううん、迷ってる場合じゃないよね)
足踏みしていていい状況とそうでない状況がある。今は後者だ。
試しにブレスレットの思念リンクからナルに呼びかけてみたけれど、返事はなかった。
腕に巻いていた鞭を解き深呼吸をする。
それだけで不安が渦巻いていた心が落ち着いたような気がした。
よし、と気合を入れて風車の入り口へ向かう。そんな技術もないのに外の気配をうかがってから、恐る恐る入り口から外の様子を覗き見る。
「……え?」
人がいた。たくさん、ではないけれど普通に。
普通に普通の村人の格好をした普通の人が普通に村を歩いている。日が傾きだして皆帰路についているのだろうか、心なしか早足に。それまでまったく気づかなかった夕餉の香りが鼻腔をくすぐった。
どこの田舎でも見ることのできる風景だ。
ずっと前にルーダが失った故郷でも見られた光景だ。
――違う。
否定する。強く否定する。
――違う。
ここはルーダの村だ。忘れるはずがない。
この光景を知っている。近所の子どもたちとかくれんぼをして、風車に隠れこんだときに見た光景と同じだ。結局すぐに見つかって鬼になって、村中を駆け回ったあの頃と何も変わっていない。
「うそ……なんで……」
滅んだはずなのに。小国の独立戦争に巻き込まれる形で、帝国の軍人に蹂躙されたはずなのに。
そもそもここは敵地の中だ。あるはずがない。違う。ここは村ではない。
「ルーちゃん?」
体が跳ねた。
知らない間に固く閉じていた瞼が痙攣するようにして開いていく。
「何してるの? こんなところで。またいたずらしておばさんから逃げてるの?」
「……イレーヌ」
あどけなさの抜けた顔に微笑を浮かべて、そこにいた女性が小首を傾げる。長く伸ばされた中頃で結んだこげ茶の髪が、四足動物の尻尾のように揺れた。食堂の制服であるいつもの青いエプロンドレス姿に身を包んだイレーヌはあの頃と何も変わっていなかった。
小さく無力だったルーダでは自力で合わせられなかった目線が、今は普通に立っているだけで合う。あまり背の高いほうではないルーダではあったけれど、そのルーダよりもイレーヌのほうが背は低かった。
恋と呼ぶには未熟すぎた年上のお姉さんに対する憧れは、今このときになっても色褪せることなくルーダの中で色づいていた。
呆然としていた感情が、徐々に涙腺を刺激し始める。
「なぁに? 泣き虫ルーちゃんに逆戻り?」
からかうように笑うイレーヌが昔と同じように頭を撫でてくれる。
たとえこれが夢だとしても、敵の仕掛けた幻影だとしても、ルーダにはどうでもよかった。
しゃがみ込んで声も抑えずに泣き声を上げる。堰を切ったように溢れ出す涙は拭っても拭っても溢れ出してきて止まる様子を見せなかった。
会いたかった。ずっと会いたかった。会って謝りたかった。
軍人に蹂躙される村から魔の領域へと逃げ延びたルーダを、魔から逃がしてくれたイレーヌに謝りたかった。
弱くてごめんなさい。震えて泣くことしかできなくてごめんなさい。自分が囮になるから逃げろと言ったイレーヌを止められなくてごめんなさい。一緒に戦わずに逃げてごめんなさい。
いっぱいいっぱい。謝りたいことがいっぱいいっぱい。
口を開けば泣き声しか出なくて、謝りたいと思っていた言葉の何ひとつ口にできない。こんなにもたくさん謝りたいことがあるのに。こんなにもたくさん謝らなければならないことがあるのに。
言えない。何も言えない。
何も言わずに頭を撫でてくれるイレーヌの手が優しいから。
嗚咽が止まらない。
「いつまで経っても泣き虫ねぇ、ルーちゃんは」
よしよし、とイレーヌが背を叩く。いつもそうだったように、まるでそれが魔法の言葉であるかのように、ルーダの中の爆発的な衝動が収まった。
しゃくり上げる回数が少なくなり、やがて鼻をすする回数も減ってくる。
大泣きしてしまったことが恥ずかしくて上目づかいにイレーヌを見上げると、イレーヌは変わらず優しい微笑を浮かべてルーダが泣き止むのを待ってくれていた。
そこに――
「少年!」
声が飛び込んできた。
赤く泣き腫らした目で声の主を探す。声の主はなぜか風車の中にいた。臼の近くだ。
奇抜な格好の女性だった。髪の色も瞳の色も不自然極まりない。一目で魔導師だとわかる服装も今どき珍しい。なぜかはわからないけれど、ひどく焦っている様子だった。
気のせいだろうか。どこかで会ったことがある気がする。
頭に霞がかかったようでうまく思い出せない。
困惑するルーダの前に誰かが立ち塞がる。顔を上げて確認すれば、それはイレーヌだった。
「ルーちゃん逃げて」
体に電流が走ったような感覚に襲われた。
フラッシュバックするあの日の光景。無力だったルーダを逃がすために、魔に立ち向かっていったイレーヌの後ろ姿。今も鮮明に思い出す断末魔の悲鳴。
――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。嫌だ!
「サンダーレイン!」
天から降り注ぐ雷が風車を穿った。イレーヌの腕を引いて風車から逃げ出す。背後で派手に風車が崩壊する音が聞こえてきた。
「ルーちゃん!」
「イレーヌは下がってて。ここはおれがやる」
自分は強くなった。あの頃と違う。もう逃げない。
砂煙が視界を汚す中、振り返り鞭を構える。
隠す気がないのかゆらゆら揺れる魔力が砂煙の向こう側に視えた。魔力で感情などわかるはずもないのに、相手が物凄く尋常ではないほどに怒り狂っていることがなぜかわかった。
「い~~い度胸してるけ~~しょ~ね~~~~ん」
「ひぃっ!」
這い寄るような怨嗟の声が耳に届く。思わず反射的に喉の奥で悲鳴を漏らしてしまった。
知らない相手のはずなのに、その精神的極悪さをよく知っているような気さえしてくるから不思議だ。何かトラウマ的なものを、真綿に偽装した千枚通しでめった刺しにされているかのようでとても恐ろしい。背中を流れる汗が半端ない。
得体のしれない恐怖心を振り払うようにかぶりを振る。
自分は強くなったのだから、わけのわからない妄想に怯えている場合ではない。
「クロスライトニング!」
突き出した左腕から迸った雷撃が砂煙を裂いて敵に殺到する。砂煙の向こうで膨れ上がった魔力が雷撃を難なく相殺した。
その慣れた動きで、相手が熟練の魔導師だとわかる。でも威力ではルーダのほうが押していた。
――大丈夫。勝てる。大丈夫。
自分に言い聞かせる。
砂煙の向こうで魔導師が何やら喚いているけれど、耳に入ってもそれを認識しないように努めた。それを聞いたらいけないような気がした。
相手の隙を誘うつもりで何度か魔導を打ち込む。油断なくすべての魔導を防いでくれる魔導師ではあったけれど、不思議なことにまったくこちらに攻撃はしてこなかった。ただ何やら喚くだけ。
馬鹿にされているのだろうか。格下に見られているのだろうか。
そんなはずがない。相手魔導師とルーダの魔力総量はほぼ同じだ。むしろルーダのほうがやや上回っているくらいだ。同格の魔導師を相手に余裕でいられるはずがない。
「クロス――」
「影面」
ルーダが呪を唱え終わるよりも先、魔導師の放った魔導が効果を発揮した。
地面から吹き上がる風が視界を覆っていた砂煙を巻き上げる。体ごと持って行かれそうになる強風に、思わずルーダは発動しかけていた魔導を中断した。
だけど崩れた体勢を立て直してすぐさま左手を前方に突き出す。
「クロスライトニング!」
発動のタイミングをずらされた魔導は、魔導師の展開していた魔力障壁に阻まれて霧散した。
思ったよりも手練れだ。ルーダよりもずっと戦闘慣れしていた。
魔導師が手にした銀のステッキをくるくるとバトンのように回す。
対抗するようにルーダも鞭をぐるぐると頭上で振り回した。
――なぜ?
ふと疑問が湧く。
鞭は本来そんな使い方をしない。というか頭上で振り回すなんてまったくの無意味な行動だ。鞭の正しい使用法とは言えない。
自身の行動の意味がわからなくて頭上を見上げる。振り回している鞭が周囲の魔力を引き寄せてわたあめのような魔力塊を作り出しているのが見えた。異常な光景だ。
ぎょっと目を見開いて手の動きを止める。鞭は力を失ってくたりと垂れ、集まっていた魔力もふわふわと散開した。
「なにこのわたあめ製造機」
よく見ればずっと愛用していた鞭とは違っていた。
さらには腕にも意味不明な形をした見知らぬブレスレットをしている。デザインがいろいろとおかしい。しかもなんだろうか、見ているとなぜか胃がチクチクとしてくる。とてつもなく不吉な呪われたアイテムか何かだろうか。
ひとつ疑問が生まれると次々と疑問は湧いてきた。
わたあめ製造機と言い、呪われたブレスレットと言い、なぜ自分はこんなものを所持しているのだろう。
というかそもそもなぜ自分はあの魔導師と戦っているのだろう。
ていうかここはどこだろう。
「少年。少年」
ひとり混乱するルーダの耳に笑いが含まれた声が届く。
一応警戒しながらも声の主に視線を転じると、悪い予感しかしないニタニタとした笑みを浮かべてこちらを指さしていた。イラッとするよりもまず諦観の念が湧いてくる。まるで条件反射のように。
「後ろ」
「うしろ?」
ポン、と肩を叩かれる。
振り返る視線の先に魔導師とは違う女性の顔。
そして。
下腹に突き刺さった固い拳がルーダの意識をものの見事に刈り取った。
なんだかんだでルーダはナルと同格の魔導師にまで成長しました。
経験値の差があるからまだナルには負けるけど、ガチ勝負すれば善戦できるはず。
……うん? 精神面? 勝負にならないと思います。




