表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/115

63 - 墜ちる

 意識の浮上は極めて緩やかなものだった。

 軽い力ではあったが急かすように頬を叩く感覚で、億劫そうに目を開ける。

 視界を埋めたのは金色だった。

 目を細め、その金に手を伸ばす。触れた金はふわふわと柔らかかった。

「起きた?」

 感触を楽しむように触れている金色の間から声が降ってくる。

 細めていた目を開けると、見慣れた女の顔が金色の中にあった。

 エリスだ。

 触れていたのは彼女の髪だったらしい。アップにしていた髪が解けてしまっている。

 離しかけた手で再びエリスの髪を捕まえて、そのまま口元に運ぶ。当たり前の行動であるかのように軽く口付けると、呆れるように顔をしかめてエリスの顔が遠ざかってしまった。

 と同時に体の上に圧し掛かっていた重みが消えた。

 どうやらエリスがシックの上に馬乗りになっていたらしい。目先の欲に負けて惜しいことをした。


 体を起こす。

 乱れた髪を乱暴にかき混ぜると、背後に回り込んだエリスが手櫛で整えてくれた。いつになく優しいのは、フューレ戦後に膝枕をして以来シックに対しても保護欲が湧いたからなのか。なんにしろ心を許してくれているのならばシックに不満はない。

 礼を言ってから立ち上がると、近くにシュキハもいた。心なしか顔が蒼いのは、血を流しすぎたせいだろう。切り落とされた左腕は遠目ではつながっているように見えた。

 状況を確認する。

 ドアを抜けた先で宙に放り投げられたと記憶しているが、見たところ誰も怪我をした様子はない。少なくともシックが意識を飛ばす程度には落下は継続していたはずである。そんな高度から落下して無傷でいられるはずもない。

 体の調子を確かめるように右手をぐっぱと開閉する。やはり異常はなかった。

「ルーダとナルは?」

 周りを見渡しても白い空間が広がっているだけで他に誰もいない。

 ナルがついていればルーダに心配はないのだが、もし離れているとしたら心配だ。化け物を前にして完全に縮み上がっていた様を思い出して、シックは苦々しく顔を歪めた。

 考えてみればおかしな反応だ。これまでの旅路でいろいろと精神も鍛えられたはずなのに、今さら化け物を前にして竦み上がるなど。

 魔導的な要因でも絡んでいたのかもしれない。そこはシックではわからないところだった。

「周囲の気配を探ったが見つからなかった。近くにはいないのかもしれん」

「……そうか」

 シュキハの返答に知らず嘆息が漏れる。

 敵地で仲間と逸れることほど恐ろしいことはない。もしひとりでいるのならば早々に見つけてやらねばならないだろう。


「シュキハが言うにはあっちのほうに建物が見えるらしいの」

 エリスが指さす方角に目を向ける。

 確かに遠くに建造物が見えた。

「留まっていても仕方がない。合流できる可能性が高いほうに移動しよう」

「そうね、わかった」

 歩き出すとエリスが小走りでついてくる。

「シュキハ、腕は大丈夫?」

 隣を歩くエリスが反対側を歩くシュキハの腕をしげしげと見ながら尋ねる。

 答えなのか、シュキハは小さく首肯してから左腕を上げてみせた。

「神経はつながっている。直に継ぎ目がうっすらとわかる程度まで自己治癒するはずだ」

「痛い?」

「さほど」

 恐る恐ると言った風にシュキハの左腕に触れるエリスに、シュキハは特にどうという反応も見せなかった。

 多分にやせ我慢もあるだろう。それを見せないのはエリスに心配をかけたくないからだ。


「邪視はどうなった?」

「……消えた。おばあ様が亡くなられたと同時に」

「そうか。すまない」

「いや……」

 うつむくシュキハの手をエリスが握る。

 沈みそうになっていたシュキハはそれで深みに沈み込むのを回避できたようだった。

「それにしても、さっきの化け物はなんだったのかしら」

 ただ歩いていても退屈なのか、ぼんやりとした口調でエリス。

 異様に筋肉の発達した赤黒い巨躯の化け物の姿を脳裏に描いて、シックはわずかに顔をしかめた。

 あれは危険だ。それは誰が指摘するまでもなく全員が共通で抱いた印象だろう。事実、その腕の一振りはルーダの体を100メートル以上吹き飛ばした。いくら鍛えられていない魔導師とはいえルーダも立派な男だ。軽々と吹き飛びはしないはずだ。

 途中で受け止められたから良かったものの、シュキハの場合はもっとひどかった。自ら飛んだ分もあるかもしれないが、下手をしたら全身の骨がバキバキに砕けていても不思議ではなかった。


「可能性としては3つだな」

「3つ?」

「黄昏の駒。エドゥ以上の切り札である可能性」

 ふんふんとエリスがうなずく。

「黄昏の駒であることは変わらないが、黄昏の手にも余る存在。黄昏すらも制御ができていない可能性」

「それ最低じゃない」

 うんざりとエリスが呻く。

「黄昏にはなんの関係もない野良、あるいは第三者の介入。思惑がまったく存在しないか、予想もできない思惑が絡んでいる可能性」

「今さらイヤよ、第三者なんて。ようやく全部のカードが出揃うかってとこなんだから」

 先ほど以上にうんざりとエリスがため息を吐く。提示した可能性の中で最も気に食わなかったらしい。

 シックとしても最後の可能性だけは遠慮したかった。黄昏の他にも敵がいるなど考えたくもない。

「結論としては、現状では推測ぐらいしかできないといったところかな」

「パレニー様とバーリハーがあっさり倒してくれることを期待するわ」

「望み薄だと思うけどな」

 腕を軽く叩かれた。気休めでも賛同して欲しかったらしい。


 そうこうしているうちに遠くに見えていた建造物の元まで辿り着いた。もう少し距離があると思ったが、エリスが息切れする前には到着できた。

「私、黄昏の意図が全然理解できないわ」

 辿り着いたそこはどこかの田舎村のようだった。

 牧歌的なのどかさの中に、ぽつりぽつりと家屋が立ち並ぶ。大きな風車が村の奥に見えた。

 穀倉地帯だったシックの実家がある田舎村とはまた違った趣がある。収穫期に黄金の稲穂が奏でる潮騒は、この村では聞くことができないだろうと思えた。田舎は好きではなかったが、あの稲穂の潮騒は結構気に入っていた。

 人の気配はない。

 作り物めいた平和に没するゴーストタウンは、相反する要素を取り込んで不要な不気味さを演出しているようでもある。

「幻影か何かか?」

 偵察にシュキハが近くの家屋に向かう。

 裾を引っ張られる感覚を覚えて視線を落とすと、控えめにエリスがシックの裾をつかんでいた。不安そうに周囲を伺っている様子から見るに、無意識の行動かもしくはシックに気付かれていないと思っているのか。

 鼻から息を吐いて小さく笑って、シックは視線を外した。

 指摘したら反発して離れるかもしれない。ならば放っておいて傍にいさせたほうがいい。


「どうだ?」

 近くの家屋を調べていたシュキハは、家屋の中をもう一度振り返ってから微妙な顔をした。

「生活している痕跡はあるが、生活感がまるでない」

「うん?」

 よくわからない言い回しだった。

 口にしたシュキハにしてもそれは同様だったらしく、口元を歪めて首を捻ってみせる。だがうまい言い回しは見つからなかったのだろう、肩をすくめてかぶりを振った。

 試しにシックも窓から家屋を覗いてみる。

 あまり掃除をしていないのか、ガラスの質が悪いのか、家屋の内部はよく見えない。外が明るいため照明の灯りはついていなかった。

 目を(すが)めてみても中は見通せない。ただ、生物が動いている様子はなさそうだった。それくらいはわかった。裏を返せば、その程度しかわからなかったとも言える。

 調査を諦めて家屋から離れる。

 確認するように周囲を見渡しても真新しい発見はない。最初にエリスがぼやいた通り、黄昏の意図がいまいち読めなかった。


 つと視線が滑って村の奥へと向かう。

 この村で目ぼしい建物といったらもうそれしか残っていない。

 罠のにおいはするものの、ここで足踏みをしていても状況は停滞したままだろうことは想像に難くない。罠が仕掛けられていると想定したうえで慎重に近づくしかなさそうだ。

「シュキハ」

「心得ている」

 名を呼んだだけで意図を汲み取った――というか同じ考えに至ったのだろう――シュキハが短く答えて足先を風車へと向ける。斥候として先行して風車に向かうのだ。

 剣帯の位置を確かめてから顔を上げる。

 まるでそのタイミングを計ったかのように、風車に雷が落ちた。


 響く轟音。

 崩れ燃え上がる風車。


 駆けだそうとしていたシュキハも合わせて3人で顔を見合わせる。

「今のって――」

「自然に発生したとは考えにくい。魔導だろうな」

「……ルーダ?」

「可能性は高い」

 シュキハに目配せすると、こくりとうなずいて即座に駆けだした。

 妙な胸騒ぎがする。

 エリスを見ると、先ほどよりもずっと強く裾を握りしめていた。

「行けるか?」

「もちろん」

 手を握ろうとしてやめた。今エリスはそれを望んでいない。

 代わりに軽く駆けだす。ヒールの高い靴――これもバーリハーが用意したものなのか――で走りにくそうではあるが、それでもエリスは文句のひとつも言わずにちゃんとシックについてきた。速度をだいぶ落としているとは言え、やはりエリスはたいした女だと思う。だからこそ惹かれたわけだが。


 風車に近づくにつれ砂埃が濃くなっていった。砂埃の向こうからまた雷鳴が響き渡る。

 これだけ距離が近づけばシックの耳にも聞き慣れた声が届いてくる。魔導を放つために発する勇ましい詠唱の声は、聞き間違えでなければ確かにルーダのものだった。

 何者かと戦っているのだろうか。だとしたら参戦したほうがいいのか、砂煙が邪魔で判断できない。

 逆にこれ以上近づくのは危険と判断し、シックは足を止めた。

「シュキハが戻るのを待とう」

「わ、わかった」

 裾を握るエリスの手が震えているのがわかる。

 ふと疑問が湧く。

 エリスはこんなにもあからさまに震える女だっただろうか。もっと毅然としていなかっただろうか。意地を張ったやせ我慢も含んで気丈に振る舞うのがエリスだったはずだ。

「大丈夫か?」

 今度はためらわずに手をつかむ。エリスも抵抗しなかった。

 だがそんなことよりもシックをぎょっとさせたのは、つかんだエリスの手の冷たさだ。とてもではないが大丈夫だとは思えない。

 顔を見下ろすと、心なしか青ざめているようでもあった。

「何があった?」

 つかんだ手に力を込める。

 砂煙の向こう側を凝視していたエリスの目がシックに向いた。

 その顔に浮かんでいるのは怯えだ。

 尋常な様子ではなかった。


「……聞こえない?」

「聞く? 何をだ?」

「ふえの」

「笛?」

 うなずくエリスの手が震える。尋ねながらも、確信がある様子だった。

 半ば反射的にエリスの体を引き寄せる。腕の中に閉じ込めると、堪えていたものを解放するようにガタガタと震え出した。小さく気付かれないように震えていたあの状態が、いろいろ堪えていた状態だったのだろう。それはつまり、表に出てしまうほど尋常じゃなく怯えていたということだ。

 そこまで気づけなかった自分に腹が立つが、今はそれよりも彼女を怯えさせている元凶をどうにかするほうが先決だ。

 建物が崩れる音や燃え盛る音が雑音となっている中で耳を澄ます。

 出し惜しみをしている場合ではないので疾風乱舞(バースト)で聴力を強化した。他の五感が邪魔なので目も閉じた。

 が、シックの耳が笛の音を捉えることはできなかった。

「エリス、今も聞こえているのか?」

「聞こえる」

「いつからだ?」

「ドアを抜ける前から。あの化け物が現れたくらい」

 顔をしかめる。

 化け物由縁の事象だとすれば、シックに対処する術はない。

「気のせいかと思ったけど、ここに着いてからすごく大きくなって」

「俺にはまるで聞こえないが……黄昏の仕業だとしたら君にだけ聞こえても不思議じゃないな」

 気休めすら提示できない状況に歯噛みする。

 原因を排除したくてもその原因の見当すら付かなかった。


「シック」

 顔を上げる。砂煙の向こうからシュキハがやってくるのが見えた。

「どうだった?」

「ルーダの姿を確認した。……が」

「が?」

「様子がおかしい」

 眉根を寄せる。

 家屋の様子と同様に妙な言い回しだった。

 怪我をしていたならば普通にそう言うだろう。半狂乱にでもなっていてもそう言うだろう。

 何が、と問う前にまた一際大きな雷鳴が響き渡った。

 反射的にエリスの耳を両手で塞ぐ。おかげでシック自身の耳が一時的に麻痺するだろうが、現状においては何においてもエリスが優先だ。シックには聞こえない笛の音に怯えているエリスは驚くほどに無防備だった。

「シュキハ、君には笛の音が聞こえるか?」

 右手で槍を構えるシュキハにも確認を取る。エリスにだけ聞こえるのか、シックにだけ聞こえないのか、少なくとも判断材料にはなる。

 怪訝そうに振り返ってきたシュキハは、予想違わず首を左右に振った。

 なんだ、とシュキハの口が動いたのを見て腕の中のエリスを示す。

「エリスには聞こえるみたいでそれに怯えている。化け物が乱入してきた辺りから聞こえていたらしい」

 そこで初めて気付いたとばかりにシュキハの視線がシックの腕の中に納まっているエリスに向けられる。常にないその様子に、シュキハの顔に渋面が浮かんだ。


 ひとまずはこの場から離れたほうがいいのかもしれない。

 シックがそう結論付けたとき、状況が動いた。

 下から上へと巻き上がった風が砂煙に覆われた視界を一気にクリーンなものへと変えていく。風に弄ばれるエリスの暴れる髪を抑えながら、目を細めて砂煙が晴れた向こう側へと視線を送る。

 原型を留めず崩れて燃え上がる風車だった建物をバックに、2人の男女が対峙していた。

 共にシックの知る人物だ。

「クロスライトニング!」

 ひとりはルーダだ。

「バーカバーカ少年のバーカ」

 もうひとりはナルだった。

 ルーダの手から迸る雷撃がナルの眼前で千々に霧散して消える。ナルが手にしているステッキをくるくると回すと、それに対抗するようにルーダも鞭を振るった。

 わけがわからない。なぜこの2人が争っている。

 状況が飲み込めずに疑問符だけを頭上に飛ばすも、都合良く誰かが現れてすべてを解説してくれるなどという状況になることはなかった。

 魔導士が2人、争っている。原因は不明。

 シックらに理解できるのはその二点のみだった。


「どうなってる?」

「拙者にもわからん。何度も声をかけたがまるで聞こえていないようだった」

 呻くようにシュキハ。

 様子がおかしい、確かにおかしい。

 ルーダのみならずナルも。

「少年のあほんちんー。べろべろばー」

 いや、違う。ナルは割と通常運転だ。

 それによく見れば、ナルからは攻撃していなかった。

「――……てる……」

「ん?」

「たぶん、洗脳されてる」

「洗脳?」

 腕の中のエリスが身じろぐ。少し力を抜いてやると、苦しげに表情を歪めながらも争う2人の魔導士に顔を向けた。

「そういう笛が存在するの」

「笛……君が聞こえている笛と同じか?」

「たぶんね」

「君は大丈夫なのか?」

「ええ、私は。大丈夫じゃなかったら初めから私を狙ってるはずだし」

 エリスはそう言うが、それでも笛の音がエリスに与える影響はゼロではない。現に腕を緩めた今もシックの服を握る手は離れていなかった。


 気丈に振る舞おうとしているエリスの頭を引き寄せる。強張っていたエリスの体から少しだけ力が抜けた。

「洗脳を解く方法は?」

「そこまではわからない。わかってたらとっくに教えてる」

「そうだろうな」

 震えが激しくなったエリスを落ち着かせるために軽く背中を叩く。

 ばきばきっ、と横から音が聞こえてきた。

 見ればシュキハが手を鳴らしたところのようだった。

「古今東西、洗脳の対処は決まっている」

 どこか獰猛な笑みを浮かべてシュキハが言う。

 何かと問うことなくシックは胸中でルーダに謝罪を送った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ