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62 - 化け物の咆哮

週二更新を再開。

「おばあ様ぁ!」


 絹を裂いたような悲痛な叫び声が響き渡る。

 目の前で起こった出来事が信じられずに、ルーダはただその光景を呆けたように見続けることしかできなかった。

 視界に映るのは赤黒い体色、一流の彫刻家が造形したような隆起した筋肉。赤く血走った目はどこに焦点を合わせるでもなく、生えた4本の腕は先ほど1本が切り落とされたはずなのになぜか4本とも揃っていた。その腕のうちの1本に虫でもつぶすようにして押しつぶされたのは、つい先ほどまですぐ隣にいたヤマトの仙女だ。そしてこちらもつい先ほどまでシュキハらと戦っていたはずの魔の戦士も共に。

 ――黄昏に操られている魔がなぜハスノミヤを助けた?

 その答えを知る術は既に失われた。化け物の腕の下から広がる血液の量から言って、その下にいる2人が助かるとは思えない。恐らくは即死だろうと思えた。

 エリスが発動させた封印のマナチップが間に合っていたとしても、助かる見込みなど一ミリも見出すことができなかった。そもそもあれは死に返りたちを封印する用途で作られたものだ。よしんば封印に成功していたとしてもエドゥのみに有効なのであって、共につぶされたヤマトの仙女にはなんの効力も発揮しない。


 をおおおぉぉおぉぉぉおおおおおおぉをぉぉ!


 化け物が上げた雄叫びが空気をびりびりと震わせる。

 魔力が乗っていたわけでもないというのに足が竦んだ。

『逃げるっしょ!』

 脳内に直接響いてくる声がルーダの意識を引き戻す。

 はっと顔を上げたルーダの眼前には赤黒い丸太。

「ぎっ――――!」

 衝撃と同時に浮遊感がルーダを襲った。

 乱暴に放り投げられた人形のように、地面の上を何度かバウンドしてその動きが止まる。全身の骨という骨をへし折られたような激痛がルーダの体を駆け巡った。

 魔力は感じられない。純粋な暴力だ。

 懐からマナチップを出すことすら憚られる激痛の中、それでもなんとかマナチップ発動のキーワードを紡ぐ。発動された白のマナチップは瞬く間にルーダの体内から痛みを取り除いた。

 手を突いて起き上がる。

 どうやら化け物に殴打されたのはルーダだけだったらしい。シックはエリスを連れて化け物から距離を取っていた。


 改めて化け物を見る。距離を開けて見るとその異様さはさらに際立った。

 これまで出会った死に返りたちは共通して魔力が高かったけれど、その化け物からはそれほど高い魔力を感じることはできなかった。隠しているのだとしたら、それこそオルフェ並みの魔力の持ち主ということになる。考えただけでゾッとする。

 化け物の血走った目が獲物を求めて彷徨う。見つけたのはシュキハだった。

 突進の構えを取る化け物を見て、片腕を失ったままシュキハが槍を構える。見上げるほどの巨躯を持つ化け物の突進に対抗できるとは思えなかった。

(パレニー様――っ!)

 脳内で叫ぶと同時に脳髄に痛みが走った。

 以前にも感じたことのある類の痛みである。そう、ちょうどオルフェの空間に閉じ込められたときと同様に。

 パレニーたちに助けを求められない。

 その事実に心が萎えそうになる自分を叱咤しつつ、ルーダは腕を前方に突き出した。

「クロスライトニング!」

 迸る雷光が化け物に直撃する。避けようという行動すら化け物は取らなかった。

「うそ……」

 魔導の直撃を受けても化け物は止まらなかった。


 振るわれた拳がシュキハの体を後方へと吹き飛ばす。バーリハーが受け止めなかったらどこまでも吹き飛んでいきそうな威力だった。

 シックは動かない。下手にエリスの傍から動くわけにはいかないからだ。

「――っ」

 化け物の顔がこちらを向く。血走った眼球に睨み据えられると途端に動けなくなった。

 迫ってくる。化け物が迫ってくる。4本ある腕を振り上げて、ルーダを押しつぶそうと迫ってくる。

 なのに竦み上がった足は動いてくれない。

 ――動け。動け! 動け!!

 急かしても体は言うことを聞いてくれなかった。

 頭上が陰る。

 見上げれば振り上げた4本の拳が見えた。

 ――つぶされる。

 苦も無く一秒先の未来を予見する。

 目を閉じる(いとま)もなかった。


「ダメ! ルーダ!!」


 横殴りの力がルーダの体を吹き飛ばした。

「ぼさっとしてるなっしょ!」

 ナルだった。ナルが棒立ちになっていたルーダに飛びかかってあの場から引き離してくれたのだ。

「全員を連れて退避。ここは私が請け負うよ」

「師匠長く戦えないっしょ?」

「時間稼ぎくらいはできるよ」

 引きずるようにして立たされる。

 見れば、パレニーの姿もあった。相変わらずの姿だったけれど。

「少年、他のと合流するっしょ」

「え、あ、う、うん」

 未だに足が竦んでいる。ぎくしゃくと動く足でも、化け物から距離を取るにつれ自由に動くようになってきた。


「ルーダ!」

 合流した途端、エリスが駆け寄ってきた。

 手を握られ、顔を覗き込まれ、腕を引っ張られ、背中を見られ。どこにも怪我がないことを確認してようやく安堵したのか、脱力するようにしてエリスが座り込んだ。

 どうやら相当心配をかけてしまったらしい。先頃瀕死の状態に陥ったばかりだったからだろうか。

 シックには軽く小突かれた。わかりにくいけれど、シックも心配してくれたのだろう。

 そこでハッと思い出す。

「シュキハ!」

 握られたままだったエリスの手を振り払ってシュキハへと駆け寄る。切断された片腕を手持無沙汰に検分していたシュキハから片腕をもぎ取り切断面にあてがった。

 時間が経ってしまっているけれど、大丈夫だろうか。

 不安を感じながらも白のマナチップを発動させる。

「それは逃げながらするっしょ」

 治療開始と共にナルに腕を引っ張られた。思わずマナチップの効果が途切れそうになった。


「どこに逃げるつもりだ?」

「後戻りはできないけ、先に進むしかないっしょ」

 腕を引っ張られるままに走る先にドアが見えた。花柄のドアだ。少女趣味全開な絵柄のはずなのに、どこか薄気味悪さを感じさせる。そんなドアだ。

「ナルたちってどうやってここに来たの? 通信できなかったのに」

 シュキハの腕の接合治療を行いながら、ふと思い出して尋ねる。

 ちらりといちべつをくれて、ナルはひょいと肩をすくめた。

「さっき君の治療のために出てきた場所あったっしょ? あそこの座標を師匠が記録しといたけ、通信が切れてすぐにそこに向かったんしょ」

 さすがである。最悪の場合を想定した行動を取れるパレニーに改めて感心する。

 振り返れば大きな本を広げて化け物と対峙しているのが遠くに見えた。バーリハーも参戦している。エリスの傍から離れないと思ったのに、傍にいるより化け物を仕留めたほうがいいと判断したのだろうか。


 ぶるっと全身に悪寒が走る。

 化け物の姿が視界に映るだけでどうしようもない恐怖心に襲われた。

 今までだって恐怖心に襲われたことは何度もある。足が竦んだことだって珍しいことではない。

 帝国の大佐――名前は忘れてしまったけれど――と監獄内で対峙したときも、逃げ場のない洞窟で恐竜に追われたときも、足が竦んで動けないなんて事態には陥らなかった。怖いと思っていても、逃げ出したいと思っていても、足はちゃんと動いたし魔導だって放つことができた。

 それなのにどうしてだろう。あの化け物は駄目だった。

 本能に訴えてくる原始的な感情が、他のあらゆる身体機能を停止させているかのような感覚。バクバクと騒がしい鼓動はそれだけルーダが感じた恐怖心の大きさを表していた。

「なんなのよ、あれ」

「わからんしょ。わかってるのはあたいらの敵で、黄昏にとっても味方ってわけじゃないっぽいってことけ」

「どういうことだ?」

「ためらいもなく仙女を殺したけ。黄昏最大のはずの駒ごと」

 思い出す。目の前でつぶされた2人のことを。

 化け物の狙いは確かに初めから仙女にあったように思える。恐らくではあるけれど、つかみ上げられたときには握りつぶされていたのではないだろうか。そんな気がした。

「エドゥはなんでハスノミヤ様を――」

「愛しい人を守りたい一心、じゃないけ?」

「支配が解けてたってこと?」

「あたいに聞かれてもわからんしょ。結果だけ見れーば、そうかもしれんしょってだーけ」

 どこかぞんざいな言い方ではあったけれど、真実を確かめる術は既にない。仙女は殺され、彼女を助けようとしたエドゥも殺された。それが事実だ。

 消化不良のもやもや感はあるけれど、今はそれだけを受け止めるしかない。


「パレニーは大丈夫なのか?」

「やばくなったら引くと思うっしょ。あの人は他人のために命は捨てない主義け」

 それは他の人間もそうだろうと思う。シックみたいな騎士ならば他人のために命を張ることもあるだろうけれど、ただの一般人はなんだかんだ言ったところで自分の命が一番大事なものだ。人の親ならばもう少し事情が違うだろうけれど。

「師匠は制御力の関係で短期勝負には向いてるけーど、長期になると圧倒的に不利になるけ」

「あ、だから今まで一緒に戦ってくれなかったんだ」

 疑問に思っていたけど直接聞けなかった謎がまたひとつ解けた。残念ながらあまり嬉しい情報ではなかったけれど。

 パレニーは化け物を仕留めることができるだろうか。ナルの口ぶりから考えると精々足止めが限界だろうと予想しているのがわかる。

 彼ほどの実力を持った魔導師が敵わないのならば、いったい誰が相手にできるというのだろう。

 もしルーダが相手をしなければならない状況になったら、死を覚悟しなければならないだろう。どうしても勝てる自分を想像できなかった。


 また背後から化け物の雄叫びが響いてくる。

「ドアぶち抜くけ、飛び込むっしょ」

 雄叫びに急かされるようにして、ナルが影の魔導で花柄のドアをぶち抜いた。

 腕をひかれるかままに穴の空いたドアを超える。

「ぁ……」

 黄昏の悪意を、ルーダたちはまだ甘く見ていたのかもしれない。

 ドアを超えた先にあるべき地面はなかった。


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