61_1 - 仙女ハスノミヤ
昏倒したルーダの治療は駆けつけた魔導師師弟によって行われた。
ルーダが着用しているブレスレットから飛び出てきたときには心臓が飛び出るかと思ったが、おかげでルーダの治療も手遅れになる前に迅速に行うことができた。
もこもこの巨大な毛玉状態の魔導師が言うには、洒落にならないほど危険な状態だったらしい。なんでも制御から外れた自身の魔力によって内部被ばくを負っていたのだとか。臓器という臓器がずたずたになっていたと聞かされたときには、エリスが絶句していた。
そこまでしなければ勝てない相手だったのだろう。
意識を取り戻したルーダはとりあえずエリスにぺしぺしと叩かれていた。シックにも蹴られていた。ついでに魔導師の弟子のほうからはチョークスリーパーを受けていた。彼女の場合は単にその場のノリっぽいが。
激戦を制した戦士に対していささか理不尽にも思える。
もっとも――
「実際に使用してみての評価を主観を交えず客観のみで提出してほしい。最低ラインの10枚はわざわざ言うまでもないけど、上限はないから安心して好きなだけ書いてね」
魔導師の師匠のほうの怒涛の要求に涙目になっているのが一番きついだろうと思う。
「仲が良いのじゃな」
シュキハの隣でニコニコしながら、ハスノミヤ。彼女のフィルターを通すとこのカオスな光景が微笑ましいものになるらしい。
さすがである。
なんと返していいものか迷い、結局シュキハはあいまいにうなずいておくだけに留めた。
これで3人。オルフェを除く死に返りは、シュキハらが知りうる限りでは残り1人になる。
残り、と口の中でつぶやいて視線を転じる。決してほのぼのしているわけではない光景をニコニコと見ているハスノミヤへと。
「…………おばあ様」
無意識のうちに声を潜めるようにして呼びかける。声も自然と固くなっていた。
シュキハが何を話題に出そうとしているのか、それだけでハスノミヤは悟ったらしい。
「エドゥのことじゃな」
うなずきを返す。
「おばあ様にはつらい思いをさせてしまうやもしれませんが、彼の者に血を連ねるひとりとして、拙者が彼の相手をいたします」
本来ならばこれは正当な後継者であるトウナの役目なのだが、その彼はハスノミヤ自身が置いてきてしまっている。あちらでルーダを取り囲んでいる魔導師の師弟に頼めばトウナを連れてくることは可能だろうが、それをハスノミヤが望んでいないことは彼を置いてきている時点で明白だった。
ならば、代わってその役目をこなすのはシュキハの義務だ。
それは既にシュキハの中では崩れようもない前提となっていた。
「……避けられぬのじゃな」
「それが彼を救う唯一であると拙者は思います」
伏せていた瞼を開けて、うなだれるようにしてハスノミヤは小さくうなずきを返してくれた。
頭ではわかっていても感情がそれを拒絶するのだろう。シュキハには連れ添いもいなければ想い人もいないのでハスノミヤの気持ちの半分も理解することは無理なのかもしれない。
それでも伝わってくるものはある。
大切な家族という意味では――本人には絶対に言わないが――トウナがそうだ。彼がエドゥと同じ立場になってしまったのをただ見ていることしかできなかったら、きっとシュキハも耐えられないだろう。しかもそれを既に一度味わっていたとしたら。
筆舌に尽くしがたい。
遠くにいて結果を知ることも、近くにいて結果を見守ることも、恐らく同等にだけど違う種類の痛みを伴うのだろう。
「失礼を承知で確認するんだけど」
ふと、魔導師がこちらを振り返って――巨大毛玉がそんな動きをしたから恐らく――声をかけてくる。
正直ルーダには絡んでもこちらに絡んでくるとは思っていなかったので、シュキハはとっさに返事をすることができなかった。代わりに促したのはハスノミヤだ。
「邪視の魔女殿」
元より魔導師が声をかけたのはシュキハではなくハスノミヤだったらしい。
「君はここに死ににきたんだよね?」
意味がわからなかった。
え、と形にならない発声が口からこぼれ出る。
そんなシュキハをハスノミヤはちらといちべつし、しかし何も言わないまますぐに目を逸らした。
「どういうこと?」
思考を混乱の渦に落としたシュキハの代わりを務めるようにエリスが問う。
「愛する者と共に朽ちたい、今度こそ――らしいっしょ」
口を開かないハスノミヤの代わりに魔導師の弟子のほうが言う。肩をすくめて気軽に言ってくれる内容は、決して気安い内容ではなかった。
だからだ。だからトウナを置いてきた。止められたくないから。シュキハでは止められないと知っているから。
ハスノミヤを見る。うつむいて、こちらを見てくれない。
「死ぬ覚悟を決めているのならそれを隠さずに言えばいいのに、何にためらいを感じて言葉を濁しているのか私には理解しかねる。本当にただ無駄に1000年生きてきたんだね」
辛辣な言葉を吐く魔導師を反射的に睨みつける。それで怯む相手ではないとわかっていても。
「空気君はもう少し脳みそを働かせたほうがいいよ」
怯むどころか挑発された。
うぐと言葉を詰まらせるシュキハをいちべつして――視線を感じたから恐らく――、魔導師は興味を失ったとばかりにルーダに向き直ってしまった。
「パレニー、ひとついいか?」
「うん?」
「彼女が死ぬ気でいることをトウナは知っているのか?」
はっとシックを見る。
そうだ、トウナだ。彼がハスノミヤの行動を許すはずがない。
「知っていると思う?」
「いいや」
当然といったやり取りに、一度は膨れ上がった期待感が熱を失っていくのを感じた。
「まぁ言えないだろうな。自分を護ろうとしている人間に、これから自殺しに行ってくる、なんて」
「シック」
咎めるように、エリス。シックは肩をすくめた。
「ハスノミヤ様」
優しげな声にうつむいていたハスノミヤが顔を上げる。
「千の時を生きたあなたが選んだ道を止めようとは思いません。生きることが既に苦痛になっているのだとしたら、引き留めるほうが残酷なことでしょうから」
何も言い返せないでいるハスノミヤに、あくまでも優しくエリスは笑いかけた。少しだけ苦虫を噛み潰すように。
「でも、黙っていなくなるのはやめてあげて欲しいかな。残される側の気持ち、ハスノミヤ様もわかりますよね?」
ゆっくりと、だけどハスノミヤは首を横に振った。
胸元に寄せた手を握りしめて、ひどくつらそうな表情で。
何が彼女をそこまで頑なにさせているのかわからなかった。
トウナと今生の別れを果たすことが嫌なのか、必死に引き留めようとするであろうトウナを見るのが嫌なのか。
大きく、魔導師がため息を漏らしたのが聞こえてきた。
「面倒な女っしょ」
魔導師の弟子が歯に衣を着せることなく切り捨てる。魔導師も同意するように笑った。
「しょうがない。私から話そうか」
「なにを?」
「魔女殿がここへ死にに来た本当の理由」
全員――ハスノミヤと魔導師の弟子を除いた――の頭上に疑問符が浮かんだ。
話の流れがおかしい。それは先ほど暴露という形で明かされたはずではないか。あれでさらに何かを隠していたのだとしたら、毛玉魔導師は相当の腹黒である。
「少年君、死に返りたちの目的がなんだったか覚えているかい?」
「ぅえ!? え、えーと……」
まさか振られると思っていなかったのか、素っ頓狂な声を上げてからルーダは慌てて虚空を見上げた。
「ティッケの殺害と、破壊工作? 後は……あ、仙女様の誘拐、だっけか」
「そう。賢者はかつて黄昏を封印した憎き血族だし、同じ手は食わないだろうけど生かしておいていい存在じゃないから害そうとするのは当然の行動だね。破壊工作も、元よりそれが目的で生まれたような種族だから当然」
そこで一度言葉を切る。もったいぶるようにして魔導師の矛先はルーダからエリスに向いた。
「さてエリス君、ここで問題。黄昏はどうして魔女殿を誘拐しようとしたのかな? 殺害ではなく、わざわざ誘拐を選択した理由は?」
「それは……直接手を下したかったから?」
答えは軽い笑い声だった。
どうやら不正解らしい。
「そんな安い理由だったら小者認定できるんだけどね」
「じゃあ――」
「君の代用だよ、エリス君」
きょとんとエリスが瞬いた。
「どういうことだ?」
「魔女殿は魔との子を身籠った。賢者の力添えはあったけど、魔の生命の輝きを体内に宿して1000年の時を生き永らえた。騎士君、果たして今の魔女殿は人間と言えるかな?」
まるでからかうような問いに、さすがのシックも言葉を濁した。
言われてみれば確かにそうだろうと思う。それぞれ事情は違うとは言え、トウナもシュキハも早くに母を亡くしていたためハスノミヤを実の母のように慕ってきたが、一番古い記憶の中の彼女も今の彼女とたいして変わらない。見た目も、そして恐らく中身も。
自分たちが生まれる遥か昔から変わらぬ姿で生き続け、自分たちが死して朽ちた後も変わらぬ姿で生き続けるのだとなんの疑問も抱かずに信じていた。
「私自身、加齢を封印して長生きしているからわかることなんだけどね。人は本来の寿命を超えて生き続けると少しずつ変質してくる。人間という枠組みを超えたモノに進化するんだ」
「進化って……何に?」
「それがなんなのかはまだわからない。研究の途上だよ。ただ魔女殿の場合は魔と交わったことが契機だから半魔に近い存在に進化しているんじゃないかな」
そこまで聞いて、怪訝も露わにエリスの眉間にしわが寄った。
「それが私の代わりになることとどうつながるの?」
「まず寿命が限りなくないに等しい。魔力保有量は魔すら超えているし、神の眼とも言い変えられる邪視の能力も保有している。体力はないけど」
「そうね」
「これだけの条件が揃えば、黄昏を降ろす器としては合格。黄昏が狙っていることからもこれは確実だろう。君の心臓として動いている鍵を移せば君の身代わりに仕立てることが可能なんだよ」
条件反射なのか、エリスの手が胸元に触れる。
「代わりに心臓として機能するものを入れる必要はあるけど、現状では魔女殿を身代わりにするくらいしか君が助かる可能性はない」
「……ハスノミヤ様を犠牲にするってこと?」
「犠牲と言えば犠牲だけど、手の込んだ自殺と言ったほうが正しいかな」
エリスの視線がハスノミヤに向いた。
倣うようにシュキハもハスノミヤに視線を転じると、ずっとうつむいたままだったハスノミヤが顔を上げていた。エリスの視線を受けて、はっきりとうなずきを返す。
「そのためにわらわは千の時をこの身に刻んできたのじゃと思う。今使わねばまた後悔の中で無駄に時を重ねることになろう」
痙攣するように開いたエリスの口は、言葉を紡ぐことなく閉ざされた。
どんな言葉を並べたとしてもハスノミヤの決意を崩すことはできないのだと理解したのだろう。たとえハスノミヤの決意が、トウナや他の残されていく者たちにとって残酷なものになるとしても。
腹をくくってしまった女の考え方を変えることはひどく難しい。
魔導師の師弟はどうやらハスノミヤの決意について反対する気もなければ興味もなさそうなので除くとして、シックもルーダも苦々しく顔を歪めて説得の言葉を模索しているようだった。見つけられるはずもないのに。
「じゃあ私たちは戻ろうか」
「はいはいっしょ」
重くなった空気を気にした様子も見せずに、魔導師たちは重い空気だけを置き去りに帰っていった。
はぁ、とエリスが大きく息を吐く。
「ハスノミヤ様、これ以上何かを言うつもりはないですけど、せめてシュキハにくらいは言葉を残してあげてくださいね」
それがエリスの妥協点だったらしい。
うなずくハスノミヤの眼がシュキハに向いた。自然と背筋を伸ばしたシュキハに、初めてハスノミヤは申し訳なさそうに眉尻を下げてみせた。
「どんな道を選ぼうと、拙者はハスノミヤ様を最後までお守りいたします。トウナに恨まれたくありませんから」
「……許して給う」
「許すも何もありません。これが拙者の役目です」
きゅっと握った手を開いて、恐る恐るハスノミヤの手に触れる。
わずかに驚いたように目を開いたハスノミヤではあったが、シュキハの意図を読み取るとそっと握り返してくれた。
「さ、行くわよシュキハ」
「承知」
つないだ手をするりと抜いて、悠然と構えるドアへと体を向ける。いや、ドアというよりもそれはヤマトで一般的な障子戸だった。
散る桜の花弁が描かれた雅さはまるでハスノミヤを表しているようにすら見える。
その先に待ち受けているであろう人物をいやおうなく連想させた。
覚悟を決めるように深呼吸をする。障子戸へと歩み寄っていけば、道を譲るようにしてエリスが横にずれた。
目礼だけでエリスに感謝の念を送ると、シュキハは一息にその障子戸を横に引いた。
抵抗もなくスッと開いた障子戸の先へと足を踏み入れる。
その男はそこにいた。
何をするでもなく――いや、彼は待っているのだ。この場に狩るべき鴨がネギを背負ってやってくるのを。
光を反射しない漆黒の皮膜の羽を広げ、傍らには成人男性すら隠すことができそうなほどの大剣を地面に刺し。黒、というよりもただ色を持たないブラックホールのような黒色の刀身は、血を渇望するように禍々しく魔力の波動を脈動しながら放つ。
幼い頃から語り聞かされていた絶魔ルインがそこにいた。圧倒的な存在感を持って。
「エドゥ……」
乾いたつぶやきが聞こえてくる。
焦がれるような切なさを伴って、それはまるで嗚咽を堪えているようでもあった。
つぶやきとは言えこの痛いほどの静寂の中、まして魔である彼に聞こえていないはずがないのに、彼は正面を向いたまま眼球のひとつも動かさなかった。光を宿さない暗い双眼を前方に固定している。
これまで出会ったどの死に返りたちとも違う。意思を持たない人形のようだった。
それなのにどこか懐かしさを覚えるのは、この身の内に流れる血のせいだろうか。会ったことも見たことすらもない魔のその様子に、涙すらあふれそうだった。
背負った二槍を両手に構える。
それが、彼の起動条件だったのだろうか。
地面に突き刺した大剣をおもむろに引き抜き、皮膜の羽を広げて彼は飛び上がった。
「伏せよ!」
「伏せて!」
ハスノミヤとルーダの声が唱和した。
とっさに身を屈めるシュキハの前に手を突き出し、ハスノミヤとルーダはほぼ同時に魔導障壁を展開させた。分厚いすりガラスほどに濃縮された魔導障壁に何かがぶつかり不協和音を響かせる。地獄に落とされた罪人の終わりなき断末魔のようにも聞こえた。
びきっと魔力障壁にヒビが入る。
顔を歪ませたルーダが、両手を突き出し魔力障壁にさらに魔力を注ぎ込んだ。
が、それは無駄な抵抗に終わった。
魔力障壁は最後の足掻きとばかりに甲高い悲鳴を上げて、シュキハの目の前で粉々に砕け散った。
壁を超えた衝撃がシュキハに、皆に襲いかかる。
「こなくそ!」
ひと吠え。
振り下ろした二槍が衝撃波を構成する魔力の核を打ち砕いた。
衝撃の残滓が強風となって吹き抜ける。大方を相殺されていたからこそできた力技である。
上空を振り仰げば、大剣を片手に構えた彼の姿があった。溢れ出す魔力の濃厚さが魔導師ではないシュキハにも理解できた。
ぞくりと肌が粟立つ。
もしかしなくても、先ほどの衝撃波は戦闘態勢に移行するために魔力を解放した際に生じたただの余波だったのだろうか。だとしたら舐めていたと言わざるを得ない。
魔の中でも最強の戦士と謳われた男。黄昏の傀儡として暴を振るう破壊人形。
トウナでも勝てるかどうか。
――いや。
槍を濁る手にぐっと力を込める。
勝てるか勝てないかは問題ではない。シックもルーダも、格上を相手に最後まで諦めることなく戦い抜いた。ならばシュキハも同じことをするだけだ。
見下ろしてくる男の光を宿さない双眸を見返す。
が、不意に彼の視線はシュキハから外されその背後へと向かった。
フェイントではない。直感が告げる。
戦闘中にその行動が愚かだと知りながら、彼の視線を追って背後を振り返る。
「あ」
それは恐らくエリスの声。
途端に急速に嫌な予感が脳内を染め上げた。
「貴様で最後だ、エドゥ」
彼の視線を受けてそいつは言う。
「我が仕事の締めくくりに貴様を眠らせてやろう」
紅い刀身の乱れ刃を手にそいつは進む。
魔の王、バーリハーだった。
思わず道を譲ってしまったシュキハの横を通り王は男と対峙する。
魔と魔。王と戦士。親友と親友。
取り残されたのは意気揚々と昂ぶっていたシュキハの感情だ。
「拙者の見せ場盗られた!」
悲愴感たっぷりの叫びは、魔同士の激突音に紛れて誰の耳にも届くことはなかった。
安定の空気




