60_1 - 異界のニッチ
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『やだよ』
『どうして?』
『どうしてボクなの?』
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敵と戦って勝った。
字面だけ見たならそれは誇れることのはずだった。しかも相手は格上。歴史に名を残すほどの偉人。
なのにどうだろう。この後味の悪さは。
哀しくて悔しくて堪らない。噛み締めた歯の間から今にも嗚咽が漏れそうだった。
「ルーダ、パレニーに依頼できる?」
「依頼?」
「ええ、シックだけじゃ彼の奥さんの頭部見つけてあげられないでしょ」
黒く塗りつぶされた血痕だけが残された地面を見つめながら、どこか浮ついた口調で、エリス。
気を失ったシックの頭を膝に乗せ、渡した白のマナチップを発動させている姿を見やりながら、やってみると返事をしてさっそく思考リンクを介してパレニーと連絡をとる。
シックの傷はひどいものはあらかた治した。後はエリスに任せておいても大丈夫だろう。
「安寧なる眠りを妨げ心の最も脆い部分を抉る悪魔の所業。これが黄昏のやり方なのか」
憎々しげにつぶやくシュキハのそれに返す者はいなかった。
「パレニー様、探してくれるって。ティッケとペンギンの力を借りれば、たぶん見つけられるって」
「そう」
短く応えてエリスは掲げていたマナチップを下ろした。どうやら治療は完了したらしい。
とは言え、ルーダが既に一番ひどかった腹の傷を完治させていたためエリスが治療すべき部分はそれほどなかったわけだけれど。女性だけあってルーダよりも気が利くのか、服に空いた穴や血のシミなどがきれいになっていた。すっかり戦闘前の状態である。今はただエリスの膝枕で寝ているだけに見える。
その様子をぼんやりと眺めながら、ルーダは憂鬱なため息を吐きだした。
「これから先もこんな戦いが続くのかな」
もやもやとした感情が胸の底で黒く渦巻く。吐き出せない感情の塊で喉が詰まりそうだった。
「そうであろう。これはそなたらの心を折るために黄昏が用意した遊戯なのじゃから」
ルーダのつぶやきに答えたのはヤマトの女性だった。
思わず言葉に詰まる。
遊戯。
壊れて狂ってそれでもなお苦しみ続けたフューレの生涯が、黄昏にとってはただの遊戯扱いでしかないのかと思うと反吐が出た。
「でも、立ち止まるわけにはいかないんだよね」
「当たり前でしょ。これ以上黄昏なんかに弄ばれないように、さっさと封印してあげなきゃ」
「……うん」
足元に落としていた視線を上げる。
視線の先にはまるで急かすようにぽつんとドアがあった。頑丈そうな鉄のドアだ。
なんとなくではあるけれど、そのドアの特徴からその先にいるのはニッチなのではないかと思った。フューレのときは真っ黒に塗りつぶされていたし、そこに心のありようが表れているような気がしてならなかった。
ニッチなのだとしたら、相手をできるのは恐らくルーダだけだ。
『そうだね。彼は磁力属性を操る。空気君や騎士君では相性が悪い』
(あ、やっぱり磁力なんだ。でもそれにしては力強すぎませんか?)
『確証はないけど、恐らく磁力属性を進化させて魔力もその対象にしている。他人の魔力も自然に存在する魔力も、彼にはどうとでも操れる』
(それ、勝てる要素ゼロじゃないですか)
『大丈夫大丈夫』
軽く言ってくるパレニーの言葉を信用する気にはなれなかった。
年下とは言ってもニッチは天才魔導師のひとりに名を挙げられるほどの実力を持つ魔導師だ。しかも最悪なことに死魂召喚では全盛期のときの状態で死に返っているらしいので、ますます絶望的である。戦略次第で逆転できる剣士同士の戦いとはわけが違うのだ、魔導師同士の戦いは。
技術では絶対的な魔力差を覆すことはできない。封印のマナチップが抵抗する気満々な相手を弱らせてからではないと効果を発揮しないのもそれが関係する。
冷静に戦力差を分析すればするほど勝ち目が見えなくなった。
『少年君、鞭と小瓶は持っているね? 使い方は?』
(あ、はい、一応ひととおりは)
『なら大丈夫。後は君の気力が尽きなければなんとかなるよ』
これはあれだろうか。励ましているつもりなのだろうか。
何か裏があるのではないかと疑ってしまうのは、これまでのパレニーの所業が悪かったせいだ。そこはパレニー本人にしっかりと反省してもらいたい。
死闘を繰り広げたばかりのシックをいちべつする。
覚悟はとうの昔に決めていたのだ。今さら怖気づいても遅い。
ルーダは諦めにも似た息を吐く。
(やれるところまでやってみます)
『うん』
顔を上げる。
物言わぬドアは来訪を待つようにそこにある。
もうしばらくは目覚めないだろうシックをもう一度だけいちべつし、ルーダはこっそりと一行から離れてドアに向かった。
誰にも何も告げずにドアを開ける。
観戦者はいなくてもいい。どの道戦うのはルーダひとりなのだから。
『少年、帰ったらあの子に告白するんだ、とか言わなくてもいいけ?』
(それ死亡フラグじゃん)
茶々を入れてくるナルに冷めたツッコミを送って後ろ手にドアを閉める。
ドアを開けた先はどこかの部屋だった。あちこちにゴミが散乱した小さな部屋だ。明かりもなく薄暗かった。
恐らくは今から見せられる。ニッチの抱えるトラウマを。
考えただけで既に気持ちは沈んでくるものの、異界のニッチは世界的にも有名な三大悲劇の魔導師のひとりに数え上げられる人物だ。彼が抱えているであろう闇の想像はいくらでもついた。
最も可能性があるのはニッチが親から捨てられる場面であろうか。血のつながった実の母親に怪物と罵られたことは幼い心には相当堪えたことだろう。
次に可能性があるとしたら流行り病に倒れて徐々に魔導を扱えなくなっていく場面。息を吸うように自在に扱え、さらに親に捨てられる原因にまでなったそれが次第に失われていく様は、恐怖以外の何物でもなかっただろう。
どちらが来ても予め覚悟を決めていたら耐えられそうな気はする。
そんな感じで覚悟を決めている最中、佇んでいた部屋に変化が起きた。
部屋の外からダンダンッと大きく鳴らされた足音が近づいてくる。それほど待たずして部屋のドアが乱暴に開けられた。
入ってきたのはニッチだった。生意気そうな顔を怒りに染めて、部屋に入ってくるなりベッドに潜り込む。それに遅れること数秒後、ひょいと部屋を覗き込んできたのはこれまたルーダが知っている人物だった。
「ニックン~? どうして怒ってるのぉ~?」
オルフェだった。
相変わらずの甘ったるそうなどこか舌っ足らず感漂う口調で、ふよふよと浮かびながら部屋の入り口からベッドに潜り込んでいるニッチに声をかけていた。
若干、いや、かなり想定から離れたシーンである。
「ニックン~」
甘えるようにオルフェ。ニッチはベッドに潜り込んだままそれに答えない。
まさかあの短時間で寝るとは思えないので起きているだろうと思う。
返事がないことを勝手にどう判断したのか、不思議そうに首を傾げていたオルフェが入口から室内へと侵入してくる。気配でそれを察したのだろう、勢いよくニッチが跳ね起きた。
「オルフェなんか大っ嫌いだ! 顔も視たくないっ!!」
ぴきっとオルフェの表情が凍りついた。いや、凍りつくを通り越してひび割れていた。
「出てけっ! Getout!」
追い打ちをかけるようにニッチが言う。
オルフェの大きな目にじわじわと涙が浮かんだ。
「なんでそんなひどいこと言うのぉ? オルフェなんかした? ねぇなになに? オルフェが悪いの? やだやだ、嫌いにならないで?」
「嫌い嫌い大嫌い!」
枕が宙を飛ぶ。入り口付近で滞空していたオルフェの顔にぽふんと当たって落ちた。
あ、と小さくニッチが漏らしたのをルーダは聞いた。
宙に浮いていたオルフェの足が床に着く。
途端、涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「なんでぇ?」
一瞬だけ気まずそうに顔を歪ませたニッチだったが、泣くオルフェから逃げるためなのか再びベッドの中に潜り込んでしまった。そのニッチの行動で導火線に火がついたようにオルフェが声を上げて泣きだし、部屋から走り去っていった。
「……なにこれ」
思わず呻くようにつぶやく。
『ケンカしたんじゃないかな。仲が良さそうだったけど、やっぱりケンカするんだね』
「いやいやいやいやいや。これ、トラウマですか?」
『さあ?』
どちらかと言えばオルフェにダメージがありそうな記憶だ。理由も告げずに一方的な嫌い宣言なのだから。
いまいち意図の読めない記憶の上映に、ルーダは困惑気味に首を傾げた。
「おいおい、勘弁してくれよ」
絶賛混乱中のルーダの耳に新たな登場人物の声が届く。
視線を部屋の入口へと転じると、だらしなく前をはだけて無駄にフェロモンを垂れ流しているジーモがいた。仄かに嗅覚を刺激するのはアルコールのにおいだ。
「八つ当たりしたくなる気持ちはわかるが、あれを刺激してくれるな。下の食堂がえらいことになっとるぞ」
「知らない」
にべもなく言うニッチに、ジーモは得意の苦笑を浮かべて見せる。
よく見るとジーモの顔は少しだけ若かった。20代と主張するには少し厳しいかなといった具合に。
「オルフェに嫌われたい」
ぽつりとニッチ。
「そいつは無理だな。あれはお前さんのことが大好きだ」
落ちていた枕を拾いながらジーモ。
「だって……ボクの病気、治らないんでしょ?」
枕の埃を払っていたジーモの動きが止まった。
「……魔力分解症」
「調べたのか」
観念したようにジーモが息を吐く。もう一度枕の埃を手で払うと、ニッチの潜り込んでいるベッドに置いた。
もぞもぞとニッチが顔だけを覗かせる。
「お母さんの言うとおりになったね」
ジーモの顔が強張った。
「ボクは怪物だから今に天から罰が下るって、お母さんそう言ってたもんね。あはは、It's funny」
「バカ言え。お前さんのどこが怪物なもんか」
自嘲気味に笑うニッチを見下ろすジーモの顔は歪んでいた。
それを見ていたくなかったのだろう、ニッチが再び潜り込んで顔を隠す。
「オルフェには後で説明するよ。もう旅も続けられないし」
「ニッチ……」
「オジサン、ボクを引き取ってくれてありがとう。オルフェに会わせてくれてありがとう」
声を詰まらせるジーモに向かって、再び顔だけ覗かせたニッチがニパッと笑った。
映像はそこで途切れた。
口内に苦みが広がっていくのがわかる。ただやるせなさだけが募った。
「魔力分解症って――」
『魔導師が稀に患う不治の病だね。魔力の絶対量が多い魔導師ほど疾患する確率が高い』
「確か発症してから長くてもひと月しか生きられないっていうあれですよね? でもニッチは流行り病で亡くなったはずじゃ」
『どこかで情報が誤って広まったか、もしくは誰かが情報を隠ぺいしたかだね』
情報隠ぺいと聞いて頭に浮かぶのはジーモの顔だった。
虚像のジーモという通り名が示す通り、彼は情報操作を行うことが得意だったと言われている。もしニッチの本当の病名が秘されて伝えられたのだとしたら、彼が手を回したのだろう。目的はよくわからないけれど。
『魔力分解症は君が思っている以上に残酷な病だよ。それまで人並み以上に扱えていた魔力がある日を境にまったく使えなくなる恐怖は想像以上に精神に来る。患ったと知った瞬間に命を絶つ魔導師もいるくらいだ』
「それと隠ぺいとどう関係があるんですか?」
『不名誉なことなんだよ。特にニッチは高すぎる魔力が原因で実の親に怪物と罵られ捨てられている。そんな親だからね、怪物が報いを受けたと指を差して嗤うことも考えられた』
胸糞悪い話である。
凝る感情をため息にして吐き出して、ルーダは消えた映像の中でニッチが潜り込んでいたベッドがあった場所を睨みつけた。
知識だけはある。魔力分解症。
それは恐ろしい奇病に分類されている。原因は一切不明。治療法も今のところ見つかっていない。
通常ならば体外から取り込まれた魔力は許容量を満たす量だけ体内に留めおかれ、血液と同じく体内を巡ってその人に馴染む。魔導はその体内の魔力を使用することで発動される。魔力は体内に留まっている時間が長ければ長いほど魔導として発現するときに威力を発揮した。
魔力分解症はこの魔力を体内に留めておくという機能が正常に働かないばかりか、完全に逆の効果をもたらす症状のことを言う。
体内の魔力を分解してしまうのだ。
血液と同じく魔力は生命維持において必要不可欠。取り込むよりも分解される速度が速い上、時間の経過と共に分解速度も増していくため、人為的に外部から魔力を供給しても遅かれ早かれ魔力が尽きてしまう。
当然、魔導を使うことはできなくなる。無理に使えばその分だけ寿命が縮む。
痛くもないし苦しくもないけれど、魔導師としては完全に死んだことになる。力ある魔導師であればあるほど、魔導が扱えないという状態に絶望して自ら命を絶つのだそうだ。
想像してみる。魔導が使えなくなった自分を。
魔導師として生計を立てていたわけではないルーダだったが、それでも自身から魔導の力が失われたらショックで寝込むだろうと思った。ルーダでもそうなのだから魔導しかなかったニッチには相当堪えたことだろう。
息を吐く。吸う。吐く。
左の手首に巻きつけていた鞭を解き、懐からマナチップを取り出して顔を上げる。
急速に接近してくる魔力はルーダの前で急停止した。
「Wao! ちょっと出遅れちゃったかな。Sorry、オルフェに絡まれてたんだ」
ニッチだった。
鞭とマナチップを構えるルーダを見て、ニッチが満足したようににんまりと笑う。
「ふーん、 you がボクと遊んでくれるんだね」
嬉しそうに相好を崩すニッチになんと言ったらわからなかったけれど、否定しても面倒そうだということだけは瞬時に悟った。
「そうだよ、一緒に遊ぼうか」
「Yeah!」
ニパッと明るく笑うニッチと先ほどの記憶の映像の中で笑っていたニッチの顔が重なる。
込み上げてくる感情をぐっと飲み込んで、ルーダは鞭を一振りして高く音を立てた。
「ルールはひとつ。先に参ったをしたほうが負けだよ」
「OK! ま、ボクが負ける可能性は zero に等しいけどね」
「驕りは負けを誘うよ」
「アハハ! It's cool!」
ニッチの体が高度を上げる。
見上げるほどになったところで、口元をニィッと歪ませてニッチの魔力が膨れ上がった。
マナチップを構える。
色は、黒。
「発動!」
体内を駆け巡る魔力が熱を帯びた。




