59_2 - 逢いたい
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薄氷の上を渡るような危うさの中で、生と死の境界線上を歩き続けた。
探していた。ずっと長い間。
――誰を?
ルチルを。愛する妻を。世界でただひとり、勇者ではないただのフューレを見てくれた人。
だから探さなくては。だから見つけなくては。
ルチル、君はどこにいる――?
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経験値の差というのは一朝一夕で埋められるものではない。それはわかっていた。
それでも経験の差は初戦に比べたら多少なりとも縮まっているのもまた事実だった。いずれの場合も軽くいなされただけとは言え、フューレと刃を交えるのはこれで三度目。過去2回における経験はシックの中で蓄積されていた。
もっとも、それは逆もまたしかりなのも百も承知。そしてシックよりも経験豊富なフューレのほうが、経験を活かす術を心得ている。
(ああ、詰んだな)
他人事のように思いながら対峙するフューレを見据える。
構えた片手剣越しに見るフューレはそれまで出会ったフューレと違うところを見つけろと言われても難しい。ただ決定的に違う。それだけはわかる。
彼はもう勇者ではない。
彼はもう勇者にはなれない。
彼はもう勇者にしてはならない。
フューレの手元で光があふれて長剣を形作る。見慣れた光景ではあったが、そこに人間らしさは感じられなかった。
生気を失った瞳は何も映さず、長年に渡る生活で体に染みついた動きをトレースする。夢遊病者のようではあってもその動きは常人離れしていた。
一見無造作に行ったような振り回しが受け止めた剣ごとシックの体を吹き飛ばす。衝撃を逃がすために自身から跳んだ分もあるとは言え、凄まじい力と言わざるを得ない。
だからと言って諦めるつもりは毛頭なく。
着地と同時に駆けだす。下手なフェイントは入れない。
飛び込み斬りは受け止められることなく軽いステップで躱された。右脇を回るように背後に回り込んだフューレの長剣が背中を捉える。半ば転がるようにして身を屈め、逃げ遅れた髪が持って行かれる感覚に肝を冷やしながら左足を軸に右足を滑らせる。フューレは後方に軽く跳躍することでそれを避けた。
両足を踏ん張りバネのように跳ね上がる。
蹴り足の届かないギリギリの距離しか後退しなかったフューレにはすぐに近接できた。
逆袈裟斬りに振り上げた白い刀身の剣がフューレの持つ長剣とぶつかり不快な金属音をまき散らす。見る間にフューレの長剣が侵食されるようにその質量をなくした。
パレニー作の魔武器は本人の性格を反映してか実に性悪だ。
他人の使用中の魔力を喰らって成長するシックの武器を嫌って、フューレがすぐさま距離を取る。
直接の追い打ちはかけず、シックはその場でフューレに向けて剣を振り下ろした。
剣の喰った魔力が刃となって放たれる。わずかに驚いたようにフューレの表情が動いた。ような気がしたが気のせいかもしれない。
フューレが露払いに振るった長剣の一振りが魔力の刃を危うげなく相殺した。
「でたらめ性能だな」
思わず愚痴がこぼれる。
それでもフューレが強敵であることはわかっていたことだ。驚きはしない。
細く息を吐いて構え直す。
疾風乱舞なしにも関わらず対応できた。これはシックの実力が上がったことを意味しているわけではない。要因は恐らくフューレ側。
彼が弱くなったわけではない。天の采配に文句のひとつでも言いたくなるほど彼は強い。
ではなぜ対応できたのか。
答えは単純だ。フューレが明確な殺気を放っているからだ。
これまでの戦闘では敵意すら向けられなかったことを考えると、大きな違いと言えた。
殺気にしろ敵意にしろ、それを向けられるのとないのとでは戦いやすさに差が出る。相手が玄人であればあるほどその差は顕著だった。
フューレがこれまでの状態であったならば今のような事態にはなっていなかっただろう。
実力の差を埋めることはできないものの、敵意すら発しなかった今までのフューレに比べれば格段に相手しやすかった。
(どういうつもりだ?)
放たれた光球を避け、あるいは剣に喰わせ、あるいは避けきれずに掠りながら、疑問を抱いた。
見せた隙を見逃さず光球を超え猛攻を仕掛けてきたフューレをいなす。一撃一撃が的確に急所を狙ってくるため一瞬も気は抜けなかった。
剣を打ち合うたびにシックの白刃の片手剣がフューレの光の長剣から魔力を喰らう。長剣から魔力が喰われるたびにフューレは魔力を補って元の長剣を維持した。イタチごっこだ。
そしてそのイタチごっこは圧倒的にシックに分が悪い。フューレの魔力が尽きるまでシックの集中力がもつはずがない。集中力が切れれば待っているのは確実な死だ。今のフューレに命乞いなど意味がないだろうし、そもそも命乞いをする時間すら与えられないだろう。
その前にどうにかして打ち倒す必要があった。もちろんそれが容易なことでないことは百も承知。
(やりようはあるけどな)
数回目の打ち合いの際、両足を踏ん張り下段から振り上げる。瞬間的に発動させた疾風乱舞の効果も相乗効果を生み、フューレの長剣が半ばから折れ飛んだ。
返す剣で右肩から左脇腹にかけて袈裟斬りを繰り出す。
エメラルドの光沢を鈍く放つフューレの胴鎧に斜めに線が走った。
それを確認するまでもなく地を蹴る。前方に出現した光の洪水がシックの体を後方に押し流した。
(っく、重――)
ぶすぶすと衣服と肉が焦げる臭気が鼻を刺激する。
光魔導の核は剣で受け止めたものの、力が強すぎて完全に喰いきれなかった。押し切られればさすがに五体満足ではいられない。
歯を食いしばって疾風乱舞をフルで発動させた。
力任せに剣で光の軌道を変える。エリスがいる場所へは弾かないようにするだけの余裕はまだあったのが救いだった。
「はぁ……はぁ……」
全身がじくじくとした痛みを訴えてくる。確認するのが怖いのでしないが、恐らく全身火傷でひどい状態だろう。焼け焦げた衣服が焦げた肌に張り付いているのは感覚でわかった。
ピンチになることも許さないと言われたのに、などとくだらないことを考えて現実逃避。
「肉も切らせずに骨を断つ、と言ったところかな」
左手を上げてルーダを制する。治療しようとしてくれようとしたのか、白いマナチップを構えたままルーダが驚いたように目を見開いた。
合理的ではない上にただのわがままに過ぎないが、フューレとの決着は外部からの干渉を一切排除して行いたかった。
くすりとフューレが笑う。
「ご冗談を。その魔武器は持ち主の性格に似たんですか?」
目には相変わらず生気が宿っていなかったが、その声音にはまだ凪が存在していた。
肩をすくめる。それだけで全身に激痛が走った。
「心外だな。もしこれが君の鎧につけた傷以上のことを君にしていたんだとしたら、それは俺のせいじゃない。作り手のせいだ」
己の名誉のためにそこだけは譲れない。
剣の柄を通して喰った魔力の総量を確認する。
(冗談だろ)
限界を迎えるギリギリだった。
先ほどの魔導にどれだけの魔力が込められていたのか、そしてそれがどれだけの威力があったのか。想像するだけで背筋が凍りつく想いだった。
だが同時に準備が完了したことも意味する。予想よりもそれが早かっただけ。
体が訴える痛みを意識の外に追いやって柄を握りこむ。光沢のない白刃の表面にシックの魔力が薄く塗布された。
「行くぞ、フューレ」
疾風乱舞発動。
目に映るすべての光景が動きを止めた。
――否。
それはただの錯覚だ。
研ぎ澄まされた神経が空気の流れのひとつひとつを正確に捉える。肌の下で心臓が脈打つ音、指先が触れる剣の柄の感触、気管を滑る空気の味、燻る表皮が醸し出すにおい、そのすべてを。五感のすべてが限界の向こう側へと到達した感覚の中で。
体感時間にして数十秒、実際にはカンマ数秒。
20メートル以上は離れていた距離は瞬きの間にゼロへと縮んでいた。
引き絞った剣を払い上げ胴を薙ぐ。展開された光の壁――長剣での受けが間に合わないと判断したのだろう――を打ち砕き、右脇腹の胴鎧に剣が吸い込まれていく。剣が喰った魔力を芯として剣自身に施した疾風乱舞が、表面に傷をつけることしかできなかった剣を胴深くに潜り込ませていく。
振り切る。その前に。
眼前で閃光が破裂した。
「ぁがっ!」
脳天を突き抜ける衝撃に意識が飛びそうになりながらも剣は振り切った。
揺れた脳が酩酊感に酔いしれる。
ちかちかする頭を押さえてよろめくように数歩後退すれば、正面で今まさに長剣を振り下ろそうとしているフューレと目が合った。
とっさに剣を頭上に構える。
が、刃と刃が触れようかというその瞬間、フューレの剣はその刀身を消していた。刃のない振り下ろしだけのフューレの両手が下りきる。刃が生えたのはフューレの両手が腰の高さまで下がったとき。
「――っ」
ゾグッ、と。
腹を貫かれた感覚が体を支配していた痛覚のすべてを上回った。
「か、はっ……」
込み上げてきたモノが口からあふれでる。鉄の味のする生暖かい液体だった。
すべての感覚が腹に集中する。腹を貫通する異物の周りでどくどくと脈打つ音すら聞き取れそうだった。
それだけではない。
光の魔導で作られた長剣は腹の中で溶けて体内を少しずつ侵し始める。神経細胞のひとつひとつが脳に激痛を訴えた。その痛感は筆舌に尽くしがたい。悲鳴すらも上げられないほどだった。
血管を巡る血が沸騰するような感覚。
「――――!」
遠くで、声が、した。
明滅する意識の中でも聞き逃すはずがない、声。
動かした左手がフューレの手首をつかむ。
喉の奥でごぼごぼと息が沸き立った。
「ぃ…――地獄、を、……見に、行こう、か」
右手の中の剣がぐるぐると喉を鳴らす獣のように唸った。フューレが目を瞠る。だがもう遅い。
剣が喰い尽くした魔力が白刃に亀裂を入れ弾け飛んだ――暴発だ。
爆発音は耳の奥の奥の奥で聞こえたような気がした。
視界が白に染まる。
シックは刈り取られる意識の中で腕を伸ばした。
何をつかみたかったわけではない。あえて言うならば刈り取られそうな意識をだろうか。
――四肢は無事か?
――失血しすぎていないか?
――首はまだ胴体の上にあるか?
とめどない自問に応える声はない。痛覚すらまともに働くなった、五感すらもはや仕事を放棄しているこの状況で、自分がまだ生きていると信じられる要素はあまりにも少ない。
どうせ視界は白い。このままぬるま湯のような眠気に誘われて意識を手放したほうがいっそ楽になれる。
――フューレはどうなった?
――決着はつけられたか?
――彼を眠らせることができたか?
まだ意識を保つことを諦めるには早すぎる。やるべきことをやらずして安眠などできるはずもない。
証明しなければならないのだ。自分は護るべきものを最後まで護り抜くのだと。見せつけてやらなければならないのだ。自分は決して諦めないのだと。
「シック!」
目を開く。
白い床が見える。誰の血だろうか、汚れていた。
自分が横向きに倒れていることに気付く。
「あがっ!」
体を動かすと途端に激痛が駆け抜けた。
ごぼっと喉から血が零れ落ちる。転げまわりたいほどの痛みに、しかし体はままならない。
「シック!」
すぐ傍から声がした。
体が何か柔らかいものに包まれる感触。走るのは安堵ではなく激痛だ。シックは悲鳴にも似た呻き声を上げた。
「ルーダ早く!」
「やってるよ!」
荒い息の合間に怒鳴り合う声が聞こえてくる。近くからのはずなのに妙に遠くから。
シックは目を開いた。今にも落ちそうな瞼を上げて、大きく見開く。
「ル、チ、……ル――」
視界の中心で、起き上がったのはフューレだった。
エメラルドの光沢を放っていた鎧を真っ赤な血で染め上げ、端正に整えられた顔も頭部からの出血で赤く染め上げてもなお、最愛の人を求めて立ち上がる怨霊が。
腕を突っ張る。
腹に力を込めると開いた穴から血があふれ出るのがわかった。
誰かが体を押さえつけようとしている。だけどそれに抗いシックも立ち上がる。
フューレがまだ立ち上がるのだ。シックが寝ているわけにはいかない。
「カエ、セ」
剣の暴発に巻き込まれて失ったのか、フューレの左腕に本来あるべきものがなかった。一歩足を前に進めるごとに、腕が千切れとんだ部分から血がしたたり落ちる。その血は黒かった。
白い床が黒く塗りつぶされていく。彼の心がそうであったように。
「ルチル、カエセ」
焦点の定まっていない目で彼は探す。愛する妻を。
シックは大きく息を吐き出した。
震える唇が言葉を紡ごうとかすかに動く。だけど声にはならない。喉の奥で溜まった血がごぼごぼと言うだけ。
「――……ルチ、ル…」
次の一歩は踏ん張りきれずにフューレの体が崩れ落ちた。どしゃりと派手に音が響く。
彼の周りが染み渡るように黒く染まっていった。
「……アイタイ……あいたい……逢いたい……」
呪詛のように嗚咽が吐き出される。
黒く黒く染まる。
地に伏してもフューレは止まらなかった。床に立てた爪が力に屈して剥がれても、両目から血が流れ出しても。
求めて、求めて、ひたすら求めて。
「逢えるさ」
痙攣するようにフューレの動きが止まった。
床に黒い線を引くだけの行為を止め、血涙を流す双眸がシックを見る。
「俺が、君の意思を継ぐ。必ず君の元へ送り届けよう」
不思議と言葉はすらすらと零れ落ちた。
「だからフューレ。君はもう眠れ。眠ってくれ」
うつろな瞳がふらふらと彷徨う。何を求めているのか、誰を求めているのか。
口が動く。震えるように。
「あえ、る? ルチル、に?」
「ああ約束する。必ず君の元へ送り届ける」
かちりとピースがはまるように、フューレと目が合った。
「そう、か。また、逢えるんだね」
虚無の中を闇雲にもがいていた彼の顔からふぅっと険が消えた。感情のない微笑みが浮かんでいた顔に、泣きそうな微笑が浮かぶ。
「良かった……」
フィラメントが切れるようにフューレの瞳から光が失われていく。
穏やかな、死、だった。
フューレの体を仄かな光が包み込む。まるで蛍火に抱かれるかのようだった。
叶うことならば彼に安らかな眠りが訪れることを願う。
膝から力が抜ける。笑う膝にこれ以上の労働を強いることはできなかった。
崩れる体を誰かの腕が抱き留める。
「無茶なことするんだから」
笑おうとしたが、それが実現したかどうかはわからない。
「せっかくのドレスが汚れるぞ」
「いいのよ、服なんていくらでも替えが効くんだから」
言い返そうとした言葉は声帯を震わせることなく、シックの意識は眠りの淵に沈んでいった。




