58 - ゴングは高らかに
結局オルフェは泣きながら帰って行った。
「オルフェ諦めないから!」
そんな捨て台詞を残して。
ぐったりとしているエリスにシュキハと並んで手を合わせる。
げんこつされた。
「一番の脅威が脅威ではなくなったことを逆に喜ぶべきじゃないか?」
「無理。無理」
大事なことだからだろうか。二度言った。
「でもあのオルフェって人、少し可哀想だったかな」
「生い立ち?」
つぶやきはエリスにまで届いたらしい。問い返されてうなずきを返す。
はっと鼻で笑われた。
「あれが真実だって証拠がどこにあるのよ。口からのでまかせかもしれないでしょ」
「母親を悪く言われてそう簡単に信じられるはずもないしな」
それは同意のつもりの言葉だったのだろう。
ただエリスにとっては皮肉に聞こえたらしい。
くっと眉根を寄せてシックを睨みつける。発言を悪く取られたと気付いただろうに、シックは肩をすくめただけでわざわざ訂正はしなかった。
もしかしたら皮肉のつもりも少なからずあったのかもしれない。
惚れているだのなんだと言っていても、第三者として客観的な意見を口に出すことに躊躇はないのだろう。
「……確かにママは自己偏愛な気は合ったけど、私に注いでくれた愛情は嘘じゃなかったと思う」
「家族だからこそのフィルターを外した上でなおそう思うのか?」
押し黙るエリスにさすがにシックも追撃はしなかった。
握りしめた拳が血の気を失って白くなっているのが見える。唇を噛み締めている姿は、いろいろと葛藤しているようだった。
「…………そんな顔をするな。君の母親がオルフェの言う通りの女だとは俺も思っていない」
嘆息と共に、シック。エリスはただ首を横に振った。
「わかってる。私もあんたの立場だったら同じこと言ってる、と思う。たぶん、もっと辛辣に」
エリスが椅子の上で膝を抱えて顔を隠す。
「でも本当のことを確かめる術なんてもうないじゃない。ママはもう亡くなってるんだもの」
「そう、だな」
「私はママを信じたい」
伸びたシックの手が、エリスの頭に触れる前に止まった。顔を伏せたエリスが今どんな表情をしているのかはわからないけれど、下手な同情や慰めは彼女には拒絶されるような気がした。
が。
一度は止まったシックの手がエリスの頭に触れた。何も言わず、ただ一回だけ、軽く。
拒絶はなかった。
「……よし」
しばしの沈黙の後、伏せていた顔を上げてエリスが言った。
「シック、ルーダ、シュキハ」
その場にいる全員がエリスを見た。
注目が集まったのを確認して、エリスの口元に笑みが浮かぶ。
「今すぐ黄昏をぶっ潰しに行くわよ」
「リョーカイ」
「承知」
「うん」
異を唱える者は誰もいなかった。
「変態痴女にママの悪口言われるのも、変態痴女に言い寄られるのも、全部黄昏が原因じゃない。それをぶっ潰せばママの疑いも晴れるし、変態痴女も退治できるし一石二鳥だものね」
思わず肩がこける。
自分の命の問題とか、世界を巻き込むあれやこれとか、なんかそういうところをすっ飛ばした超私的な動機に、ルーダの口からは乾いた笑いしか漏れてこなかった。
ついでに言えば、黄昏を倒したところでエリスの母親の疑いは晴れないし、オルフェの気も変わらないだろうと思う。特に後者。
エリスが胸に手を当てる。
「待ってなさい。今からあんたの本体に会いに行ってあげるわ」
先ほどの発言がなければ決まっていたかもしれない決意表明。
どうしてだろうか。今は生温かい視線しか送れそうにない。
『それを止める気はないけど猪突猛進は感心しないな』
「うわっ!」
頭の中で突然声が響いて思わずのけぞる。
思わず腕を伸ばしてブレスレットを最大限離してしまったルーダの行動を責められる者はいまい。
(ちょっとパレニー様、いきなり話しかけてこないでくださいよ。びっくりするじゃないですか)
「予告したらいいの?」
(え? え、えーと……予告もいきなり声かけてくるんですよね?)
「そうだね」
(じゃあ意味ないじゃないですか)
「はは」
(なんの解決にもなってな――ん?)
ふと顔を上げる。
なぜか全員に注目されていた。予想外の状況に目を丸くするルーダであったが、いきなり声を上げたのが原因だろうと思い至って慌てて両手を胸の高さまで上げる。
だけどそこでまた違和感。
エリスたちの視線はルーダを超えてさらにその後ろを見ているようだった。
きょとんと目を瞬かせて背後を振り返る。
色素の抜けた白い髪を足元まで伸ばした細身の人物がそこにいた。顔の中心にざっくりとした傷痕がある。
その辺にあったものをただ着てきたと言わんばかりの無造作に着崩した服はサイズが合っていないのかよれよれだ。裸足なのは、靴を履いてくるのを忘れたのだろうか。左の足首に光るアンクレットだけが妙にセンスがいい。
顔に大きな傷があるせいもあるだろうけれど、男性とも女性とも判別のしにくい中性的な顔立ちだった。柔和そうに笑んでいる顔から判断するに、シックよりも幾分か年上だろうと思えた。
「ああ、いいね、ここは。魔力を制御する必要がなくて」
ルーダの目は自然と半分ずり下がった。
垂れ流しにされている魔力が、それが誰かを知らせてくれる。
「ここに家建てようかな。土地代とか要求されたらどうしよう。勝手に住んだら怒られるかな」
やけにのんびりとした調子ではあったけれど、その性別を判然とさせない中性的な声音には聞き覚えがあった。
「……パレニー様?」
呼んでみる。
「うん?」
返事があった。
パレニーだった。布の塊でも短冊のお化けでもなまはげでもなく、普通に普通な恰好をしたパレニーだった。
制御から外れて好き勝手にそこらにあるもの――主に石や岩だ――を手当たり次第に封印してガラス玉にしている魔力を抑えようともせず、心の赴くままに理想のマイホームを夢見ているただのパレニーだった。というか家いらないのではないだろうか。異空間に庵を持っているのだから。
「え、これがパレニー・ラキッシュ?」
「そうだよ、これがパレニー・ラキッシュだよ」
驚くエリスに、返すパレニー。
ふふ、とパレニーが笑った。
「初めまして。君のことは勝手に調べ尽くしてよく知っているよ」
「え、ストーカー?」
「ただの研究家だよ。君には特に興味がないけど必要だったから調べた。身長体重スリーサイズに至るまですべて」
「その情報買った」
口を挟んだシックがエリスに蹴られた。
「冗談だけど」
なぜかシックに小突かれた。
八つ当たりはやめてもらいたい。
「女王様に会ったらどうせ勝手に行動するだろうと思っていたけど、案の定だね君たち」
「それ私のこと?」
パレニーが笑う。顔に大きな傷があるのに爽やかに見えるのはどうしてだろう。
送り出すときは姫だと言っていたのに、今は女王様とか言っているし。確かに姫よりも女王様タイプだけど、エリスは。
「そうだろうと思ったから舞台は整えておいた。今度はジスターデを襲おうとしていた彼らにナルと侍君で宣言に行ってもらったよ。首洗って待ってろって」
容易に想像できる。嬉々としてそう言っているナルの姿が。
「だからはいこれ」
言って放り投げられたのは一枚のメッセージカードだった。
キャッチしたのはシック。覗き込めば、招待状との一文が見て取れた。
「君の目的地は始祖の地だね、エリス君」
「ええ」
「正規ルートは黄昏によって封鎖された。今はそのパスを使って行く以外に道はない」
「……罠と待ち伏せ?」
にこりとパレニーが笑う。
それは肯定を意味していた。
「黄昏も焦りだしている。君の体を完全に支配するために、君の全てを奪い尽くす必要があると悟ったようだ」
それだけで意味を理解したのか、エリスの顔が強張った。
「家族。父親とその再婚相手、それと帝国の軍人君は既にこちらで保護した。が、君に付き従っていた庭師は行方知らずになっている」
「……ラド?」
沈黙は肯定。
エリスが息を呑んだ。
「友人。さすがに全員を保護するのは手間がかかるから拉致して異空間に放り込んでおいた」
「外道」
思わず口を挟んだら爽やかに笑われた。
「恋人。はいないけど一応歴代彼氏たちは召喚獣の腹の中に納まっておいてもらうことにした」
「外道」
二度目のつぶやきは黙殺された。
「仲間。つまりは君たちだ。君たちは用意されたその道の途上で順に始末していく算段だろう」
ごくりと喉を鳴らす。
エリスはうつむかなかった。パレニーを、前を、まっすぐに見据えていた。
「受けて立つわ」
その答えにパレニーは満足そうにうなずいた。
「戦うのは君じゃなくて君の護衛たちだけどね」
しっかり水を差すことをやめないところがパレニーらしい。
うぐっとエリスが呻いた。
「問題はないさ。俺も一刻も早く終わらせたいからな」
「拙者とて気持ちは同じ。卑しき黄昏の野望はこの手で絶ってくれる」
「……あ。お、おれも頑張る」
乗り遅れて慌てて握り拳を作る。
声を上げてパレニーが笑った。
「ならこれを君に託すよ」
エリスに差し出されたのは格子柄のマナチップが4枚。
「黄昏に運命を翻弄された死に返りたちを、君が責任持って眠らせてあげるんだ。それは黄昏に最も翻弄された君の役割だ」
「眠らせるって……これで?」
「そう。素直に封印されてくれるならそれでいいけど、そうでない場合は彼らと戦って抵抗する力を削ぐ必要がある。魂を封印すれば彼らも二度と死に返ることもない」
受け取ったマナチップを胸に抱く。
無言で、エリスはうなずきを返した。
「ナルと侍君は万が一に備えて待機させておく。魔の王様は……うん、まぁきっと勝手に君のところに行くと思うけど」
「でしょうね」
「危なくなったら私も助けに入るよ。気が向いたら」
「向いたら、ね。わかった。ありがとう」
差し出された手を握り合って、エリスとパレニーの会話は終わった。
ぱちんと指が鳴らされる。
パレニーの横に一枚の扉が出現した。黄昏色をした、扉。
「招待状はこの先で使うといい。案内人が待っている」
ノブに手をかける。
一息に開け放たれた扉の先に、エリスは踏み入れた。
「パレニー様」
「うん?」
一行の最後に扉を通り抜けようとしていたルーダはパレニーに声をかける。どうしても聞かなければならないことがあった。
「何歳ですか?」
それだけがどうしても判明していない最後の謎だった。
くすりとパレニーは笑う。
「78」
「え゛?」
「肉体の成長速度を封印できると思う?」
背中を押されて扉の向こう側へと。
振り返った先に既に扉はなかった。
最後まで謎の人だった、パレニー・ラキッシュ。
いや、もう二度と会えないわけではないけれど。
頭をかいて息を吐く。
前を向けば、エリスたちは待ってくれていなかった。だいぶ進んでいってしまっている。
慌ててルーダは一行を追った。
「あ」
誰がそれを予想した。
エリスの顔が引きつる。シックの顔も苦々しそうだ。満面だったのはその人だけだった。
「リっちゃ~ん」
「なんであんたがここにいるのよ!」
オルフェだった。ついさっき別れたはずの。
「愛の力?」
「いらん! 近づくな! 触るな!」
喚くエリスに構わず、くねくねと嬉しそうに体を揺らしてキラキラした瞳でエリスを見つめるオルフェ。表情が既にうっとりとしていた。
反射的にシックの腕を後ろからつかむ。剣帯に手を置いていたシックが無言で睨んできた。
敵対もしていないのにわざわざこちらから攻撃して敵対させてどうする。自重してくれ。
「あのねあのね、オルフェ考えたの。リっちゃんの愛をゲットするために必要なこと」
「聞きたくない」
「オルフェ実はね、リっちゃんの下僕の人を誘拐してたの」
「は?」
「その人を返したらいいんじゃないかなって思ってぇ」
「ちょ、そ、それってラドのこと?」
「んー? 名前は知らないけどぉ、空間べろんとめくれちゃう子」
「それよ! 誘拐とかあんたケンカ売ってるの。殴られたくなきゃ今すぐ返しなさい」
「あのねあのね」
「早く。今すぐ。ハリーアップ」
「ヴェザちゃんにさらわれちゃった。てへ」
ゴン、と鈍い音がした。
エリスがオルフェに頭突きした音だった。
「あーんーたーはー!」
慌ててエリスを後ろから羽交い絞めにする。
額を押さえて泣き出したオルフェを容赦なく足蹴にするエリスを、なんとかオルフェから引き離すことに成功した。
「なんで怒るのぉ?」
「そこでなぜと聞ける君の神経のほうが理解できないが」
本気で理解できていないのか、涙目でシックを睨んでぷくぅっと頬を膨らませた。彼女の狂気の部分を知っているのに、涙目で頬を膨らませている姿は普通にかわいかった。
「せっかく教えてあげたのにぃ! リっちゃんなんてもう知らないんだからぁ! ばかぁ! うえーん! 大好きー!!」
恥ずかしげもなく泣き叫びながらオルフェはそのまま姿を消した。文字通りその場でふっと消えた。
何しに現れたのだろう、彼女。
エリスが頭を抱えてしゃがみこんだ。いや、わかる。精神力ごっそり持って行かれたのだろう。決戦を前にあれは強敵すぎる。嫌がらせとしてはこの上なく効果的だった。
魔導師には変人しかいないのだろうか。自分を除いて。
「はい仕切り直し!」
パンパンとエリスが手を叩く。
出鼻を挫かれた気分ではあったけれど、気持ちを引き締め直した。
下草の生えた森のけもの道を進む。
いくらもしないうちに開けた場所に辿り着いた。
「え、あんたが案内人なの?」
待っていたのは女性だった。ヤマトのあの千里眼系の力を持つ女性。
「そうじゃ」
薄く目を開けて、女性はうなずく。
隣でシュキハが激しく動揺していた。きょろきょろと周りを見ているのは侍の人がどこかにいないか探しているのだろうか。
「トウナは撒いてきてしもうた」
「えっ?」
「今一度、今一度だけで良いのじゃ。エドゥに会いたかった」
悔恨のにじんだ瞳を閉じて、懺悔するように女性は言う。
「わらわの最後のわがままを許して給う」
愁眉を寄せて懇願する女性に押されて、シュキハは金魚みたいに口をぱくぱくさせた。助けを求めるようにエリスを見るも、無情にも肩をすくめられただけで終わった。
諦めたようにシュキハがうなだれる。
力なく了承を返せば、とても嬉しそうに女性は笑った。
「それで? 道ってどこにあるの?」
「ここじゃ。ここで招待状を掲げれば良い」
「ふぅん?」
シックを見る。
手の中で弄んでいたメッセージカードをシックが掲げれば、空間がぐにゃりと歪んだ。
次話から最終章開始です。




