57 - 愛しい愛しい
「あはははははははは!」
乾いた音が引いた空間に笑い声が反響する。
一瞬、許容量を超えた事態についていけなくなったシュキハが狂ったのかと思ったが、それにしてはその笑い声は愉しそうだった。
「ねぇねぇ、オルフェも混ぜてぇ?」
声は上から降ってきた。
ふり仰げば、月をバックに中空に浮かぶひとりの女性の姿。冴えた月明かりを受けて鮮やかな橙色の髪が炎のように揺らめいた。
いち早く動いたのはシュキハだった。
投擲された槍が夜空の向こう側へと消えていく。
「やぁん、野蛮なことしないで?」
どん、と何かが破裂する音。
女性の姿が消えた空から顔を下げれば、シュキハがいた場所に女性の姿が移動していた。槍を投擲したシュキハはその前に倒れていた。意識はあるようだが、口の端から血がにじんでいる。
「昨日はリーダーたちとたっぷり遊べた? オルフェ忙しくて行けなかったけどぉ、ニックンがすっごく怒ってたよ?」
小首を傾げて尋ねてくる女性に応える声はない。
不思議そうに女性が目をぱちくりさせた。
「……――光のオルフェ?」
「あは、ぴんぽーん。オルフェが光のオルフェでーす」
ぱちぱちとおざなりの拍手をして、嬉しそうにオルフェが笑う。無邪気なその様子と、その足元に転がされたシュキハの様子とがあまりにもミスマッチすぎて、得も言われぬ恐怖心が胸中で鎌首をもたげた。
即座に脳内で叫ぶ。身に着けたブレスレットを通じてつながっているパレニーとナルに。
「む・だ・だ・よ?」
走ったのはノイズだった。
思わずこめかみに手を当てて顔をしかめる。
満足そうに女性、オルフェがにっこりと笑った。
「ここはもうオルフェの空間にしちゃいましたぁ。あは。だぁれも逃げられないよ? だぁれも入ってこれないよ?」
冷や汗が流れるのを感じた。
いつの間に。少しも魔力を感じなかったのに。
否――
違う。あまりにも魔力が桁違いに大きすぎて気付けなかった。
ただでさえ体に合わない魔力で満たされた空間にいることによる弊害。いや、特筆すべきはその魔力に満たされていることも苦にせず力を行使できるオルフェの異常性か。
頭を振って懐から白のマナチップを取り出す。邪魔はされないとなぜか確信していた。
倒れたシュキハに駆け寄りマナチップを発動させる。背中に衝撃を受けたのだろう、軽度とは言い難いクレーターのような火傷を負っていた背中がルーダの魔力に応えてゆっくりと癒え始めた。
「あなたがオルフェの華?」
足元で起きている出来事など眼中にないとばかり、オルフェが声をかけたのはエリスだった。
傍にシックがいるからと言って少しも安心できないけれど、今はシュキハを癒して戦力を回復させることのほうが先決だ。冷静な魔導師としての頭がそう告げていた。
「はぁ? 私が花のように可憐でかわいいのは当然だけど、あんたのものになった覚えはないわよ?」
「あは」
なぜかオルフェが嬉しそうに跳ねた。
「南に行く雲竜ちゃんの後をつけて正解だった。あなたに逢えてオルフェとっても嬉しい」
つけられていたのか。
今は抑える気もなく野放図に駄々漏れ状態のこの濃厚な魔力を微塵も感じさせずに隠してついてきていたのだとしたら、恐ろしいという段階をはるかに飛び越えていた。化け物レベルの巨大な魔力を完全に御しきれるということはイコール、それだけの魔力を完璧に使いこなすことができるということを意味する。
生来制御の力が甘いというパレニーがオルフェには勝てないと言い切った理由もこれに由来するのだろう。
伝説上の武器であろうと使いこなすことができなければ宝の持ち腐れ。使いこなすことができるのならば伝説に名を残す偉人も夢ではない。
つまりはそういうことだ。
「私は別に嬉しくない。ていうか誰よ、あんた」
内心で危機感を募らせるルーダとは逆に、エリスはどこまでも平常運転すぎた。恐れるでもなし、怖がるでもなし、かといって警戒しすぎるわけでもなし。
ここはさすがと言うべきなのだろか。
ぷくっとオルフェの頬が膨らんだ。エリスの反応が不満だったらしい。
しかしすぐに膨らんでいた頬は萎み、何かに納得したようにぱちんと手を打った。
「そっかぁ、あなたにはこう言ったほうが良かったね。オルフェはあなたのママのお友達だよ?」
「ママの?」
「そう」
傷が完全に癒えたと同時に立ち上がろうとしたシュキハを制してゆっくりとオルフェから距離を取る。最優先事項はエリスの安全だった。
眼中にないことをこれ幸いと、先ほどシュキハが投げ飛ばした槍を回収に行く。
「オルフェとシアちゃんはね、小っちゃい頃からずっと一緒にいたの。ずっとずーっと」
槍は運良くすぐに見つかった。
回収して戻る。
「シアちゃんがいらないって言ったらオルフェが壊してあげた。シアちゃんが嫌いって言ったらオルフェが存在を消してあげた。シアちゃんが好きって言ったらオルフェが集めてそれ以外は燃やしてあげた。シアちゃんのためにオルフェいっぱいいーっぱい尽くしてあげた」
ニコニコと嬉しそうに笑いながら言う内容は、その表情とは裏腹におぞましい内容だった。
「夜のお相手も喜んでしたよ? どこをどうすればシアちゃんが乱れるか、オルフェ全部知ってる」
胃が冷えていくのがわかる。
笑顔の女性の言葉の端から感じる感情が、堪らなく怖気がした。
「愛していたの。愛しくて愛しくて堪らなかった」
恍惚の表情を浮かべて言うオルフェは、しかしその言葉とは違う感情をその瞳に映していた。
「知ってる? オルフェの生まれた村ではね、愛しい愛してるって言葉はね、こういう意味を持つの。憎い壊したいって。オルフェ、村から出て初めて知ったの」
両手を広げていたオルフェが自身の体を抱く。
「何よりも誰よりもシアちゃんが愛しかった。だから、だからね、シアちゃんを生きたまま焼いてあげたとき、とっても嬉しかった。とってもとっても、嬉しかったの」
吐き気がする。
人はここまで狂気を孕んだまま生きていられるものなのだろうか。
オルフェは変わらずにっこりと笑った。
「シアちゃんはとても欲深い人。民を騙し、国を騙し、私欲のためにあなたを作り、私欲のためにオルフェを作った」
「作った? あんたを? ママが?」
「そう、作られたの。オルフェもあなたと同じ、人じゃないよ。オルフェね、母胎に選ばれた女のお腹を焼いて産まれてきたの。太陽の華であるあなたを育てるために。ただ、それだけ、のために」
オルフェが一歩足を前に踏み出す。
エリスの前にいたシックが剣を抜いた。
「でもシアちゃんはバカだった。オルフェの村の女を選んだ。太陽神様をずっとずっと愛しいと憎みながら生きてきた村の女を選んだ」
正しく狂気とは、この女が持つもののことを言う。
蕩けるような笑みを浮かべているのに、隠しきれない歪みが彼女にはある。
ふわりとオルフェが舞った。
月明かりの下、奏でられる楽もなく、誰に捧げるわけでもない舞。
だけどそれはとても美しかった。美しいと感じられた。
とても儚げで、とても繊細で、とても神秘的で。
しゃん、しゃん、と涼やかな音だけがその舞に用意された唯一の調べ。
「一族の怨念を捧げ奉ります」
舞の終わりはその言葉で締めくくられた。
「オルフェが焼き払った村の長老様は、最後にオルフェにそう言って朽ちた。太陽神様に愛されて産まれてきたオルフェを、愛しながら育ててくれた村の皆のそれは総意だった」
オルフェが笑った。
とてもとても綺麗に。
「オルフェが愛してあげる。大切に大切に慈しんであげる」
突き出した手の先から雷が迸る。最大出力で放った雷撃はオルフェに到達する前に方向を変えて上方に消えて行った。
シュキハが槍を突きだし、シックが剣を振り下ろす。両者の刃はオルフェの体を傷つけることなくすり抜けた。
くすくすとオルフェが笑う。
「無駄だよ? ここはもうオルフェの空間なんだからぁ。オルフェを傷つけることなんて誰にもできないよ?」
構わず第二波を放つ。地面を這い足元から立ち上ろうとした雷撃は、逆向きの魔力に相殺されて弾けた。
「あれあれぇ? オルフェの声聞こえなかったぁ?」
さらにもう一発。景気づけに頭上から稲妻を落とす。
悉く無駄に終わるだけだったが、オルフェを憮然とさせることには成功した。
「ねぇ、無駄だよ? なんで無駄なことを何度もするの?」
「嫌がらせ」
さらっと言い返したら、オルフェの頬がぷくぅっと膨らんだ。なんとも迫力に欠ける怒り方だ。
ただし、ゆらゆらと揺れる魔力がその迫力のなさを補って余りある凶悪さで蠢いていた。旅に出る前のルーダならその魔力を前にしただけで泡を吹いて昏倒していただろう。規格外魔導師に出会いすぎて鍛えられた精神力がなんだかちょっと誇らしい。
オルフェの体がこちらを向く。今まで眼中になかったことを考えると、オルフェはまんまと挑発に乗ったことになる。エリスから意識を逸らすことができただけでも、エリスに雇われた傭兵として上等だった。
問題を挙げるとすれば、挑発した後のことを何も考えていなかったことだ。
「オルフェ、弱い者いじめは好きじゃないんだぁ。楽しくないから」
横目で確認する。シックがエリスの手を引いて距離を取ろうとしているのを。それほど長く時間稼ぎはできないけれど、エリスをこの場から多少なりとも遠ざけることはできるはずだ。
自己犠牲の精神なんて持ち合わせていなかったはずなのに。
少しだけ笑えた。その笑みをどう捉えたのか、オルフェもにこりと笑い返してきた。
「でもでもぉ、オルフェお仕置きするのは好きなんだぁ。ちょぉっと痛くしたときに上げる悲鳴が好きなの」
無邪気な笑顔に似合わない嗜虐的発言に頬が引きつった。
選択を間違ったかもしれないと思ったところでもはや遅いのは知っている。
覚悟を決めて息を吸う。
嬉しそうにオルフェが笑った。
「あのねあのね、オルフェ最近ちょっと面白い遊びを発見したんだ。きっとあなたも気にい――る?」
発言の途中で動きが止まった。
こちらへと踏み出しかけていた足を止めて、後ろを振り返る。つられてルーダもそちらを見た。
「ちょっと面貸しなさいよ」
オルフェの手首をつかみながら不機嫌そうに言ったのはエリスだった。
「え? あ、え、あれ? なんで? なんでぇ?」
初めて見たオルフェの混乱した姿。
激しく動揺しているところはルーダから見ても隙だらけだった。今なら普通に魔導を直撃させられそうだ。
が、ルーダはすぐにその行動に出ることはできなかった。
(あれ? なんで?)
ルーダもまた困惑していたからだ。
魔導も届かず、刃すらすり抜けるオルフェを、いともたやすくエリスが捕まえているという状況が。
疑問を口にする暇もない。
乾いた音が響き渡る。
オルフェの体はとさりと崩れ落ちた。
「バカじゃないの?」
いつだって等しく冷たいエリスの声がオルフェに落とされる。
シックに続いてかました張り手で手が痺れたのか、プラプラと振りながらエリスがため息を吐く。
「私別にあんたの生まれにも育ちにも興味ないけどさ、あんた、なんで生きてるの? 生きてて楽しい?」
容赦を知らない言葉の棘をザクザクと突き刺す。
オルフェは微動だにしなかった。
「ねぇ、私名前は華じゃないの。エリスって言うの。今度また華って呼んだら逆の頬引っ叩くからね」
ふるふるとオルフェが震えだした。
場に呑まれていたシックが慌ててエリスの腕を引いて下がらせる。
あふれ出し始めたオルフェの魔力が尋常ではなかった。
オルフェが顔を上げる。張られた頬を押さえて、潤んだ瞳でまっすぐにエリスを見つめる。
そして一言。
「好き」
間違いなく場の空気は凍りついた。
自身の体をかき抱いて悶えるオルフェの目は、先ほどとは違う狂おしい感情に占拠されていた。
「こんなに激しくされたのは・じ・め・て。やぁん、オルフェおかしくなっちゃったぁ」
おかしいのは最初からです、などとは口が裂けても言えなかったけれど。
「あ、好きっていうのはね、オルフェの村でも好きって意味だよ? 好き好き大好き」
「ひぃ!」
初めてエリスが悲鳴を上げた。
わかる。目が本気だもん。
「抱いて!」
「無理!!」
エリスの声は悲鳴になっていた。
「なんでぇ?」
「あんたさっきまで私のこと殺す気満々だったでしょ! 何よその変わり身の早さは!」
「愛はいつだって突然だよ?」
「その愛は――」
「大好き!」
「無理だから!!」
さっきまでの空気はどこに行った。
シリアス展開終了するのいくらなんでも早すぎると思う。いや、怖かったから今のほうがいいのだけれど、それにしてもなんだこの空気。
瞳の中にハートを乱舞させてオルフェがにじり寄っていく。
手持無沙汰に抜身の剣を持っていたシックがその剣先をオルフェに向けた。
「困るな。エリスは今俺が口説いているんだ」
「全部終わってからって言ったでしょ!?」
「悠長に構えている場合ではないと俺の危機意識が告げている」
「危険が危ないのは私にもわかるけど、ちょっと待ってよ」
「やぁん、ライバル?」
「無理だから! ホント無理だから!」
二枚目の白のマナチップを取り出して、シュキハの焼け焦げた衣服の修復を試みてみる。半信半疑だったけれど、意外にも服は少しずつ直っていってくれた。白のマナチップ、結構万能である。
「オルフェを傷物にしたのに、リっちゃんひどい」
「傷物って何よ。ちょっと強くビンタしただけじゃない」
「ヴァージンだったの」
「その言い方やめて」
「頬を張られた程度で俺に対抗しようなんてお笑いだな」
「ちょっと。なに張り合おうとしてるのよ」
「俺は今さっき唇を奪った」
「ちょっと!」
「あ、じゃあオルフェも」
「来るなぁ!!」
餞別にナルから渡されていたクッキーをシュキハにお裾分けする。
口に含んだクッキーはしっとりしていておいしかった。
「モテる女の人って大変だね」
「うむ」
クッキーおいしい。
ルーダとシュキハの現実逃避は今しばらく続きそうだった。
「無理だからぁーー!」
いまいちルーダがツッコミになりきれないのは、既にエリスというツッコミがチームにいるからだと気付いた。
モテる女って大変だね(棒




