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55 - ひとり舞台

 眼下に雲海を臨む竜の背の上。

 トウナにしか操作することができないと思われていた古代守護竜だったが、貸してやるとトウナに譲渡されたら普通にシュキハにも操作することができた。

 これは譲渡による一時的なものなのか、分家筋とは言え英雄スオウの血に連なる者としてシュキハが認められたのか。真意は竜本人に聞かない限りはわからないだろう。

 なんにしろ今はそんなことどうでもいい。

 空を駆る生き物として雲竜は非常に優秀だ。速度もさることながら、その背に乗っている人間に対する備えが段違いだった。

 ドーム状の薄い膜に覆われることで、かかるはずの風圧や気温の変化をゼロにすることができるのだ。しかも高度を上げれば上げるほど薄くなるはずの酸素の確保まで完璧という至れり尽くせり。快適な空の旅を楽しむことができるのである。

 もっとも、今このときに空の旅を楽しんでいる人間はひとりもいないわけだが。


「エグイ話は、エグイ話はやめてよぉ、うぅ……」

 頭を抱えてゴロゴロ転がっているルーダ。こちらはどうやら例のブレスレットでつながった思考リンクのせいで、絶えずあの師弟から話しかけられて休めるときがないらしい。

 たまに発狂しているが、彼の精神状態は大丈夫なのだろうか。心配である。

 もうひとり、シックは竜に乗り込んでからずっと寝ていた。話しかける用もないのであえて起こそうとは思わないが、少しくらい話し相手になってくれてもいいのにとは思う。

 つまりはあれだ。雲竜を操るシュキハだけが起きているという状況になっていた。

 雲竜を操れるのはシュキハだけなのでそれも致し方ないとは言え、あんまりだ。


 ため息をついて、傍らに置いた槍を手に取る。

 既に十二分に手入れが行き届いた槍を、手持無沙汰をごまかすためにもう一度手入れすることにした。

 が、ふと目が違うところで止まる。シックの新しい剣。パレニーから無理やり押し付けられていた白い刀身の剣だ。今は剣帯から外され傍らに置いてあった。

 ――見たい。

 みりみりと膨れ上がる好奇心。気持ちのままにそろそろと手を伸ばしていた。

「……何をしている?」

 手首をつかまれた。寝ていたはずのシックに。

「おのれ図ったな」

「なんの話だ」

 冷たい半眼に見返されてシュキハは目を逸らした。勝手に人の剣に触れようとしたことが悪いことであると自覚は一応あった。ただ欲には勝てなかっただけだ。

 大きくあくびを漏らしてシックが体を起こす。いつもは整えられている髪が寝起きのせいかもさっと乱れていた。気だるげな動作で周囲を見回す姿には寝起き特有の緩慢さがある。常では見られない油断した姿だった。

 頭を抱えて唸るルーダを見て一瞬だけ動きを止めたシックだったが、数秒も立たぬうちに無視することに決めたらしい。可哀想に。


「今どのあたりを飛んでいる?」

「間もなくパレニー殿の言っていた島を覆う結界付近だ」

 身を乗り出して前方を見据えるシックに、雲竜から与えられる情報を脳内で整理して伝える。

 シックは納得したようにうなずいて、転がっているルーダを足先で揺らした。

「……だそうだぞ、ルーダ」

 悪夢でも見ていたほうがまだマシなのではないかと思えるほどに憔悴しきったルーダがのそのそと起き上がってくる。ろくに寝られなかったのだろう、半泣きだった。あの師弟はルーダに対してどうしてここまでドSなのだろうか。

 ぼそぼそと口の中で何事かつぶやいている姿は、色気のある男の寝起き然としたシックとは比べ物にならないほど陰惨としていた。正直、怖い。

「かいじょ、できた、て」

 ぽてんとルーダが前向きに倒れこんだ。

 助け起こすとか介抱するとか、そういうことも思いつかないほどに見事な倒れこみだった。

 とりあえず手を合わせておく。


「あれか」

 シックの声に顔を前方に向ける。

 今までは確かになかったはずの島影が遠くに見ることができた。

 暗い空の下、ゆらゆらと揺れるようにして魔力に包まれた島。誰に説明されずともそこが魔のために世界から切り離された魔の空間であると認識できた。

 夜が支配する島、とパレニーが言っていた意味がわかった。

 その島には太陽の光が届かない。張り付くように空に浮かぶ月だけが光のすべて。

 振り返れば、結界があったと思われる場所から線が引かれるようにして宵と暁が別れていた。

「うぅ……体が重い……」

 うなされるようにしてルーダが唸る。気絶したのかと思っていたが、どうやらまだ意識はあったようだ。

「うあ、最悪だ」

「なにがだ」

 反射的にシックがツッコミを入れる。顔を歪めていたルーダがまたのろのろと起き上がった。

「えと、今パレニー様が教えてくれたんだけど、ブラスノルカ島は魔にとっての良質な魔力で満ちてるって」

 首を傾げる。

 だからなんだ。

 今の説明で理解されなかったことが信じられなかったのか、わずかに目を見開いてからルーダは軽く咳払いをした。

「人が扱う魔力と魔が扱う魔力は質が違うんだよ。えと……あ、魔導師が使う魔力とシックの使うえーっと闘力?は違うでしょ? どう違うのか説明しろって言われてもうまく説明できないけど、大きく違うんだ。――あ、ちょ、うるさっ、あ、いえ、うるさいです。いやいいから! 説明いらないから!」

 後半は思考リンク先のパレニーに対する叫びだった。

 つくづく可哀想な人だ、ルーダ。

「つまり島では君が役立たずということか?」

「ん、んー……これを通してパレニー様が魔力を供給してくれるからまったくの役立たずじゃないと思うけど、この魔力に慣れるまで体が重くて足手まといになるかも」

 ふむ、とシックがうなずいた。

 生まれてこの方魔力に頼らない槍術一筋で生きてきたシュキハでも体に微妙な違和感を覚えるのだから、魔力に10割頼りっきりの魔導師であるルーダには確かにきついかもしれない。

 できることならば争うことなく事を終わらせたいものだ。


 雲竜の速度をもって見る間に近づく島を細めた目で見据える。

 時が止まったように固まったさざ波が押し寄せる砂浜を飛び越え、物理法則を無視して燃え盛る炎が生えた林を飛び越え、無数の穴がぼこぼこと開いた丘を飛び越え。

 輝く月の真下に位置する付近に近づいたところで、嫌がるようにして突然雲竜が高度を下げた。

 慌てて雲竜に理由を問いただす前に、着地した雲竜が竜玉――古代守護竜を封じた勾玉(まがたま)だ――に戻ってしまった。

 突然のことすぎて着地に失敗して顔面ダイブしたルーダを除いて、シュキハもシックも危なげなく難なく着地できていたのでまぁいいやと竜玉を懐にしまう。雲竜が嫌がる場所ないし存在がこの先にあるのだと、それだけは確かだった。

 シックと目配せし合う。

 二槍を背負い直し、先に進む。


 欠けのない月に見下ろされ歩を進めた先、魔力で生み出された黒い炎を周囲に囲わせた玉座がひとつ。

 座して来訪者であるシュキハらを見下ろすのは碧の双眸。焼け焦げ朽ちるのを待つだけの状態をさらしている玉座なのに、その人が座しているとどんな華やかに飾られた玉座よりも荘厳に感じられた。

 自然と足は止まり、息を呑んで見上げる。

 紺のカクテルドレスに身を包み、惜しげもなくさらされた足を組み、つまらなそうに頬杖をついてこちらを見下ろすひとりの女性。アップにしてまとめられた陽に焼けた明るい金髪は、太陽の輝きを連想させた。

 誰もが口を開く前に女性が立ち上がる。

 傍に控えていた男性が動こうとするのを制して、女性はこちらを指さして一言。

「遅い!」

 怒気を含んだ声は不機嫌そのものだった。

「私に雇われた傭兵のくせに迎えに来るの遅すぎでしょ! このまま来ないんじゃないかってすごい心配したじゃない!」

 語気も荒々しく怒鳴る女性の様子に、シュキハの声帯を震わせたのは意味を持たない呆けたような笑い声だった。

 ――ああ、そうだ。彼女は、そうだ。

 腰に手を当て柳眉を吊り上げる女性、エリス。

 長い時間離れていたわけではないのに、あふれ返る感情が涙腺を刺激した。

「大体ね、バーリハーのバカが行く場所なんてここ以外ないでしょうが。1000年以上の引きこもりなのよ。少し考えたらわかるでしょ。数年前に私だってひとりで来れた場所なんだから、ヨーヒ兄様にゼロウィングのひとつでも借りてさっさと来なさいよ」

 つらつらと文句を連ねるエリスの相変わらずの発言に腹立たしさなんて感じるはずがない。

 沸き起こってくるのは確信だけ。

 この人が自分のただ一人の主人だ。


「しかもこのバカ、着替えとか言って用意する服全部ドレスなのよ? なんで私のサイズ知ってるのよ、怖いわよ。ストーカーなのこいつ」

 傍に控えた男性はよく見ると魔の王だった。

 思いっきり執事的な立ち位置にいたから気付くのが遅れた。

「でも叱るとシュンとするから強く叱れないし。捨て猫みたいな目で見られたら怒る気も失せるわよ。作戦なの? 作戦なのね、この卑怯者。ちょ……ちょっと! これくらいで落ち込まないでよ!」

 少しも表情が変わったようには見えないのだが、エリスには魔の王の些細な変化もわかるらしい。

 慌てたように頭を撫でてあげる様子には慣れがうかがえる。頭を撫でられるときに魔の王も腰を屈めるし、恐らくここ数日何度も繰り返されたことなのだろう。

 というか頭を撫でられる魔の王とか、なにこの光景。

 魔の王としての威厳はどこに捨ててきたのだろう。

「この数日私がどれだけ苦労したかわかる?!」

 存分に撫でて満足したのか、怒りの矛先は再びシュキハらに向かった。

 再会できたのは嬉しいが、彼女に怒られて喜ぶ趣味はない。慌てて口を開こうとして――シックが前に出た。


 迷いない足取りでまっすぐと。

 エリスが待つ玉座に続く短い(きざはし)を一歩一歩。

 延々と怒鳴り倒していたエリスもその様子に口を噤んだ。

 シックが最後の一段を踏みしめる。エリスとの距離は、二歩分。

 一歩、距離を詰める。

 顎を引いて、エリスが背筋を伸ばした。凛とした綺麗な立ち姿だ。

 残り一歩分の距離を開けて、エリスとシックが見つめ合う。どちらも口を開かなかった。

 当事者でもないのに無駄に胸がドキドキとした。


 数秒、十数秒、数十秒――どれだけの時間を過ごしたのだろう。

 シックが動く。


 その場に、片膝をついて(ひざまず)いた。


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