54 - 最低のシナリオ
いつかの朝と違って、今朝顔を見せたテンテは声をかけるのを思わずためらってしまうほど消沈していた。明るく元気でうるさい、が代名詞にできるほどだったのに。
それでも顔を見せた以上は話をしないわけにもいかない。気まずい感情の塊を飲み込んで、ルーダは恐る恐る声をかけた。
「大丈夫?」
一番に知りたかったのはナルの容体だったが、いきなりそこを尋ねられるほど不躾な性格はしていなかった。
悄然としたままテンテがうなずく。
明らかに大丈夫そうには見えなかったものの、相手がそう言い張るのならばそこを突っ込んではいけないような気がした。
気まずい感情がさらに重たくなって喉につっかえる。このまま逃げ出したくなるのを堪えて、
「……ナルの容体は?」
本題を口にする。
うなだれていたテンテの丸い体がびくりと痙攣するように震えた。
「か、体のほうは、も、もう、も、い、いのだ」
震えながらそれでも必死に言葉を紡ぐテンテの姿に、ツライのはテンテのほうなのにもかかわらず涙腺から溢れてくるものがあった。
泣くなと自分に言い聞かせても、鼻の頭をツンと刺激する感覚が涙腺への自制を阻害する。
そんな様子を見せてしまったからだろう、テンテもそれで耐え切れなくなってぼたぼたと涙を流し始めた。
「ごしゅ、ご主人っ、が、言ってたのだ。魔力が、りょ、……枯渇寸前、でっ。注いでも注いでも抜けてくばかっ、でっ……せか、せ、世界、が、ナルちぃの、そん、存在、否定し始めて、て」
限界はそこで訪れた。
声を上げて泣き始めたテンテを、どうしてやることもできずに見ていることしかできなかった。
気まずい沈黙の中、テンテの泣き声だけが響く。
「へぇー? あたい、そんなに重傷だったんけ」
開きっぱなしだったドアから入ってきたナルが不可解そうに言う。傷ひとつない体を誇示するに見せつけて、えぐえぐと泣いているテンテをキレイなフォームで蹴り飛ばした。
「今朝おやつ勝手に食べた腹いせけ?」
「ナルちぃは少しぐらい反省したほうがいいのだ!! テンテ楽しみにしてたのに!」
「あたいが作ったプリンをあたいが食べただけで文句言われる筋合いないっしょ」
「きぃーーー!!」
ひどい茶番を見せつけられた。
ポカーンとするルーダをよそに、ナルとテンテの口喧嘩はより一層激しさを増して行った。主にテンテがお手玉にされる方向で。
震える指先をナルに向ける。ぶるぶると震えているのは感情のせいだ。
「な、ナル?」
「なんしょ?」
呼びかけにはいたく気楽な声が返ってきた。
暴れるテンテを嬉々として亀甲縛りし始めたナルにふらふらと近づいていき、その腕に恐る恐る触る。昨日最後に見たときは吹き飛んでなくなっていたはずの右腕に。
返ってきたのは確かな感触。幻などではなく、義手でもなく、確かに生の腕だった。
一度は引っ込んでいた涙がまた溢れてくる。
「セクハラけ?」
からかうように言ってくるナルから顔を逸らして、ルーダはこくこくとうなずいた。何度も何度も。
「師匠が言ってたっしょ? 爆裂四散しない限りは治してくれるって。師匠はうそも冗談も言うけーど、できないことは絶対言わないっしょ」
頭を撫でてくれるナルの手の温かさを感じながら、足元で脛を狙って蹴ってくるテンテを逆に蹴り転がす。感動の場面に水をさす無粋なペンギンは冷遇されて泣けばいい。
「てことーで、朝飯作ったけ、キミもさっさと上行って食ってくるっしょ。いつまでも来ないかーら、テンテに絡まれるんしょ」
「ごめん」
「そんなけあたいのことがショックだったんしょ? バーカだーね。ヨーちゃんだけならまだしも、なーんであたいが見ず知らずのいけすかない帝国人を命がけで助けるっしょ」
また近づいてきたペンギンをナルが踏みつける。体を縛る縄を持ってぐるぐると振り回すナルに、ルーダはへにゃりとした笑みを向けた。
「良かった。本当に良かった」
心からそう思う。
ペンギンを振り回していた手を止めて、ナルは少しだけ照れ臭そうに小首を傾げた。
「感動の再会は済んだけ、さっさと支度して上行くっしょ」
目を回してぐったりしているテンテを引きずって、ナルはそのまま部屋を出ていった。
パタンと静かにドアが閉まる。
ルーダはずずっと鼻を吸って目元を拭った。
それが10分ほど前の出来事。
ナルは死にかけようがどうなろうが、性格は至って下衆だった。そこが変わることはなかったのである。
「ナル!!」
「ナルちぃ!!」
ルーダとペンギンの声が唱和する。
「なーんけ? 食事は静かにするっしょ」
とぼけた態度で言うナルに、憤怒の感情のままに詰め寄ろうとして、それが叶わないことに気づいてぎりぎりと歯ぎしりした。
そんなルーダの様子をにらにらしながらナルが見下ろしている。
ルーダの目の前にはパスタの皿があった。見た目は普通のパスタながら、一口でも口にすると全身に強烈な痺れを与える極めて悪質な毒入りパスタが。
器用なことに、全身は痺れているのに口だけは軽快に動かせるので、先ほどの名前唱和に繋がったわけである。ちなみにペンギンのパスタには辛子が練りこまれていたらしい。テーブルの下で今は悶絶している。
「あたいに細工をする時間を与えるキミたちが悪いんしょ。さっさと起きてくれば他のみーんなと同じものが食えたけ」
悪びれもせず、むしろ挑発的に開き直られた。反論しようにも、起きてくるのが遅かったのは事実なので言い返すことができない。
先に食事を終えていたシックたちはルーダたちのやりとりを無視して談笑していた。助けてくれる気配はない。
シュキハだけは後ろめたさがあるのか、チラチラと視線を寄越してきていたが、侍の人がノリノリで武勇伝を語りだすと途端に興味をなくされた。ブラコンは滅んでしまえ、と胸中だけで呪っておいた。
「ファー」
階下から蠢くようにしてやってきた布の塊、もとい、パレニーが何やら不思議な発声をする。
ナルがちらりと視線を寄越したが、特に反応を示すことなく視線を外した。
そういえば割とどうでもいいことだが、パレニーは外出するとき以外は布の塊スタイルだ。外出するときは一応TPOを気にした服装にしているらしい。激しくずれているけれど。
「ナル」
「なんしょ?」
なぜかは知らないがパレニーが苦笑したようだった。
ああそういえば、と思い出す。ナルのフルネームはファー・ナルディンシーニであるのだけれど、なぜかファーやフルネームで呼ばれることを嫌っていた。以前にパレニーが呼んだときは文句を言っていたし、帝国の偉い人にフルネームで呼ばれたときに飛びかかっていた。
ルーダからしたらどうでもいいことなのだが、師の呼びかけを無視する程度には嫌がっているらしい。
「君の記憶の解析が終わったからわざわざ教えにきてあげたよ。老骨に鞭打って」
「あたいは手が離せなかったんしょ。師匠もたまには自分の足で歩いたほうがいいけ」
「少年君をからかって遊んでいるだけに見えたけど?」
「まさしくその通りっしょ」
徐々に体の痺れが抜けていくのを感じながら師弟の茶番を聞くとはなしに聞く。今回はナルに軍配が上がりそうな空気だった。
自由に動かせる目玉を動かして他の者の様子を伺う。咲かせていた談笑を中断させて、突然目の前で繰り広げられる茶番劇を観覧していた。
「それよりパルル、昨日ナル姉ちゃんはなんであんなにボロボロで帰ってきたの?」
空気を読まずに――いやもしかしたらあえてなのかもしれない――問うたのはティッケだった。
「ナルが弱いからだよ」
それに返すパレニーの言葉は棘付き鉄球のごとき容赦のない破壊力を持っていた。あんな風にさらりと言われてしまうと、ルーダなら軽く鬱になる自信があった。
当のナルはと言えば、なぜか妙に上機嫌そうににんまりとしていた。
「冗談はさておき、邪視の魔女殿にさっそく遠視してもらって抽出した帝都の映像がこれ」
言いながら取り出されたのは封映球だった。これは映像を保存しておくことができる、セレブな人たちに人気の商品だ。もちろん一般人が気軽に買える品ではない。
なんにしろそんな高価な品であろうと、盗品すら普通に所持しているパレニーが持っているのは特段不思議なことではなかった。
その封映球をパレニーが再生する。
「ひっ」
思わず喉の奥で悲鳴が漏れた。
立体映像として映し出された帝都があまりにも衝撃的だったからだ。
「これは……――」
上空からの俯瞰映像として映し出された帝都は見るも無残な惨状をさらしていた。
どのような力が加えられたらこうなるのか、上から押しつぶされるようにして帝都の街並みが崩れていた。帝都自慢の大劇場も、権力の象徴であった王城も、等しく平らに均されたかのように。
力こそがすべて――多くの罪なき民を苦しめ、多くの罪なき民の命を奪った、欲にまみれた帝国のそれは滅びの姿だった。
だけどなぜだろう。少しも嬉しくはない。長年搾取される側で、あんなにも恨んでいた帝国が無様な姿をさらしているというのに、全然ざまあみろという気持ちにはなれなかった。
「召喚獣たちを放って現地調査も行ったけど、ひどいものだったよ」
「生存者は?」
「テンテが見た限りでは生きている魂はいなかったのだ」
パレニーの横でぴょんぴょこ跳ねてペンギンが主張する。いちべつして、すぐに視界から外した。ペンギンの戯言はどうでもいい。
誰も注目してくれないことに憤慨したのか、ペンギンがぺんぺんと地団駄を踏んだ。
「言っていなかったけど、テンテは召喚元の世界では魂の管理の仕事をしていたんだよ。だから魂のことに関しては信用してもいいよ」
補足してくれるパレニーの言葉を聞いても半信半疑だった。
だってペンギンだし。
「魂の管理って……それやめてこんなとこいていいのかよ」
侍の人が挟んだ疑問に、ペンギンはなぜか誇らしげに胸を張った。
「管理はテンテひとりでやってたわけじゃないのだ。テンテがいなくなっても全然問題ないのだ」
「ライン作業で管理していたらしいよ。流れてくる魂の選別や転生先の決定とかは自動化されたシステムがやってくれるから、テンテはその流れを見守っていただけ」
「えっへん」
とりあえずドヤ顔をしているペンギンに腹が立った。
というか、だ。死んだら魂はラインの上を流れていくのか。大量のペンギンに見守られながら。
想像したら寒気がした。そんな死後、嫌すぎる。
ルーダはできるだけ長生きしようと決意した。
「さて、次に帝都をこんな状態に追い込んだ人物だけど」
逸れた話を戻すようにパレニーが話の軌道を修正する。
切り替えられた封映球の映像が今度は暮れかける空を映し出した。
「昨日姿を現さなかったオルフェの仕業かとも思ったけど、それはどうやら違うようだとわかった。これはナルの記憶から抽出した襲撃者と思われる人物の映像だ」
映像が拡大される。
ただ空を映し出したものと思われていた映像の中心に黒い点のような人影があることに気が付いた。
パレニーはその黒い点をさらに拡大させる。
「思っていた以上に黄昏は性格が悪いらしい。まさか彼まで死魂召喚していたなんてね」
誰かが息を呑んだのが聞こえてきた。
最大限まで拡大された黒い人影は、黒いコウモリのような皮膜の羽を持っていた。全身くまなく黒く、まるで絵に描いたような想像上の悪魔を連想させる。
そう、まるでこの姿は――
「かつての最強種であり、人間の女性と交わったがために滅びの運命に呑み込まれた魔の戦士」
「エドゥ……」
ヤマトの女性が椅子から立ち上がり、しかし一歩も歩かぬうちにバランスを崩してそのまま座り込んだ。
「ババァ!」
慌てた様子で侍の人が女性に駆け寄る。
映像はそれ以上切り替わることなく切られた。
「死魂召喚されたのがオルフェを除く三魔人と勇者だけだと思い込み、絶魔ルインという隠し玉を想定していなかったことは完全に私のミスだ。帝都の崩壊をもって、世界へ混乱をもたらすという黄昏の思惑は成功した」
「世界中大恐慌状態っしょ。特に帝国はひどいけ。怪我治ったらすーぐ帰ってったヨーちゃんひとりの力であれを収めることはまず不可能っしょ」
昨日ナルが瀕死の状態で連れてきた男性はあの時の帝国最高司令官だったのか。初めて知った。
「それに呼応して、一度は引いた魔が各地を襲い始めた。各国はその対応に追われている」
「この期に及んでも中立国だとか吹いてた魔導国レトポーフもそんなこと言ってられる状況じゃないと気付いたっしょ」
「ジスターデ国とカルクン神聖国、それにヤマトはそれほど心配はいらないけど、それ以外の国は結構やばいことになっているね。召喚獣を派遣しておいたけど、どこまで持ち堪えられるかはわからない」
状況は思っていた以上に深刻なようだった。
正直なところ実感はあまり湧かなかったものの、安全なこの場所でのんきに毒の盛られた料理を食べて痺れている場合ではないということだけはわかった。
「それで? 俺たちは何をすればいい?」
「魔の島へ行ってもらう」
「ん? 魔の島? なぜ?」
「そこに君たちの姫がいるからだよ」
勢いよくシックが立ち上がった。
「本当か?」
「ウソをつくメリットがないから本当じゃないかな」
持って回したような言い方で、パレニー。わずかに顔をしかめたシックだったけれども、文句を口にすることはなかった。
「本当は昨日頑張ったご褒美にと思っていたけど、状況が変わったからね。お姫様は早めにこちらで保護しておいたほうが良さそうだと判断した」
パレニーの足元にいたペンギンがテーブルを這い登ってそこに何かを置く。
三連ブレスレットだった。シンプルだけど地味すぎない、淡いパープルを基調とした落ち着いたデザインのものだ。
「魔の王バーリハーは外の世界をあまり知らない。だから身を隠す場所もそこ以外知らなかった。けど選択としてはこの上なく正しかったと言わざるを得ない。あの島はただの人間では決して辿り着くことができない夜が支配する島だ」
「夜が支配する島? どういうことだ?」
「その目で見てみればわかるよ。島を覆う結界はそのブレスレットがあれば無効化することができる」
一度はテーブルの上に置いたブレスレットを手に取り、ペンギンが迷うことなくルーダに差し出してくる。
得体の知れないものに触りたくないとの気持ちが湧くが、突っ張ねたところで誰かが持たなくてはならないのだからと諦め、おとなしく受け取っておいた。
失念していていたと言わざるを得ない。パレニー・ラキッシュという魔導師はナルの師匠なのだと言うことを。
受け取ったブレスレットが手の中に納まった途端、それは絡みつくようにして勝手に腕に巻きついた。
「うえぇっ!?」
シンプルながらもセンスの良いデザインだったブレスレットが極彩色に塗り替わり、三連として構成されていたはずの上下が中央のブレスレットと融合して極彩色の翼と化した。
「ちなみにそれには私とナルとの思考リンク機能が付加されているから、遠く離れていてもいつでもどこでも会話することができるよ。プライバシーを侵害しまくれるねやったね」
「侵害されるのは少年だけだけーど」
「えええええ!?」
さらりと最低なことを言う師弟にぶつける抗議の声は言葉にならなかった。
いい笑顔で親指を立てるナルに詰め寄ろうとして、途中でペンギンに引っかかって盛大にこける。その背中になぜか布の塊が乗ってきた。
「にぎゃ!」
「君たち3人の予定はこれで決定。移動手段がなければ召喚獣を出してあげるから遠慮なく言うといい」
下でルーダが悲鳴を上げているのに気付いていながら、背中の上でパレニーは話を続ける。
抵抗することへの無意味さに絶望して、ルーダはぐったりとうなだれた。
「邪視の魔女殿、君もいつまでもショックを受けている場合ではないよ。やってもらうことはたくさんあるんだから」
「ざけんなっ! ババァの気持ちを少しは――」
「コード:1-C-0080」
「――――! ――!? ――――!!」
侍の人の怒声が不自然に消えたことを訝しんで倒れたまま顔を上げる。
テーブルが邪魔でよく見えなかったけれど、侍の人が喉を押さえてぱくぱくと口を動かしているのが見えた。声を封印したのだろうか。簡単にやってのけているけど、普通に考えたら無茶苦茶だ。
「私は魔導師として思考し、君たちに最適解を与えるために研究の時間を割いている。私個人としては世界が壊れようがどうなろうが構わないんだ」
穏やかな中性的な声に威圧感はない。
それなのに有無を言わせない強さだけは感じられた。
「それでも世界に対する被害が最小になるように最大限の力を尽くすつもりでいる。異を唱えるのならば私が納得できるだけの材料を提示してほしい。いいかい? 感情論で私の決定に逆らうな」
テーブルの足にペンギンが隠れていた。うかがうようにパレニーを見上げているから、恐らく今のパレニーを怖がっているのだろう。
見た目は布の塊なのに、確かにこの場を支配しているのはその布の塊だった。
「……ナル、彼らが落ち着いたら呼びに来て。3人の見送りは任せた」
「わかったっしょ」
背中から重みが遠ざかった。
ずるずると布を引きずる音が階下へと消えていく。
ナルの師匠らしく悪辣な悪戯好きで、だけど性格は至って穏やかだと思っていた。そんな彼でもやはり機嫌を損ねるときは損ねるものらしい。魔導師は論理的に思考する者が大半だし、感情で状況を判断する侍の人の態度が今回は相当お気に召さなかったのか。
なんにしろ彼の機嫌を直す努力を強いられるのはルーダではない。ここに残る者たちだ。
貧乏くじをひかなかったことに安心して、ルーダは息を吐き出した。




