閑話3
時を遡ること数時間前。
ルーダら一行と別れて単独行動をしていたナルの姿は、ジスターデ国は首都ゼロの街にあった。
中央議会と隣接される形で設営されている騎士団宿舎。慌ただしく駆け回る治療術師たちを横目に、比較的軽傷で済んでいる騎士連中に白のマナチップを配っていた。
「いいけ? 使い方は簡単っしょ。怪我人に向けて、いいわかんゃちるな、と唱えるんしょ」
「えっ? し、しかし以前いただいたときはそのような――」
「仕様変更っしょ」
「そ、そうですか。わかりました。……失礼ですがもう一度お願いできますか?」
「いさんてんゃちるな」
「変わってますよ!?」
「仕様変更っしょ」
「この短時間で!?」
などとあくどいやりとりをしつつも、先の大戦で負傷した騎士たちのために白のマナチップを配る手は止めない。一度に複数枚のマナチップを渡された騎士たちは、治療術師に混じって右へ左へと大忙しである。
師匠特製の治療術師の素質がない者でもキーワードひとつで誰でも同じ効果を得られるマナチップは、戦時よりもこういった場面において何よりも重宝された。
もっとも、他の攻撃的なマナチップの存在は隠しているし、状況が落ち着けば使用済みのマナチップも合わせて根こそぎ回収するつもりだ。そのあたりをなあなあにするほど、ナルも適当な性格ではなかった。師匠のプロテクトがかけられているとは言え、下手に解析されて中途半端なパチモンが量産されたら、穢れるのは師匠の名だ。そこはさすがに容認できない。
なんだかんだ言ってもナルは師匠のことを尊敬していた。
「さってと、次はヨーちゃんとこ行くけ」
気は乗らないが、と胸中だけで付け加えて立ち上がる。
帝国軍の最高司令官であるヨーヒはともかくとして、帝国の軍人はどいつもこいつもいけすかない。軍人が誰よりも偉いという国柄のせいとは理解できていても、大した実力もないくせに威張り散らしている軍人たちを見るたびに、ナルはうへぁという気持ちになるのを止められなかった。
それでも売れる恩は売っておいて損はない。感情よりも損得を取るのはひとえに、ナル自身の性格だけではなく師匠のためでもあった。
その通り名からもわかる通り、師匠である怠惰の魔導師は人間関係が破綻している。本当に極一部の人間としか交流を持っていない。理由は単純。面倒くさいからだ。人嫌いであることも影響しているだろう。
対して、ナルは大変に交流の幅が広く基本的に誰とでも付き合うことができる。これは単にナルがそういう性格だからという理由以外に、師匠と外部との橋渡し的な役割を進んで買ってでているからだ。
放っておけば外部と没交渉になって、必要なときに適切なコネを使えないのは問題だ。師匠の才能が歴史の影に埋れてしまうのは耐え難いことだった。
だからこそのナルであり、だからこそ地道に築き上げた人脈なのだ。
師匠からすれば余計なお世話なのだろうが、師匠の世話を焼くのはもはや趣味の域に達している。今さらやめられない。
両腕を突き上げ体を伸ばし、ほへぇと気の抜けたため息を思いっきり吐き出しながら自身の影に沈む。完全に沈んでから誰にもあいさつをせずに出てきてしまったことに気がついたが、戻るのも手間なのでそのまま帝国に移動することにした。
ジスターデの騎士団であそこまでわちゃわちゃしていたのだから、恐らく帝国でも似たような状況だろうと予想。被害としてはジスターデのほうが甚大だったらしい――なんたって飛翔騎士団の団長が戦死してしまったのだから――ので、多少はマシなのかもしれない。
そんなことを考えながらナルは影から抜け出した。不法侵入を咎められないようにわざわざヨーヒの影から。
それがナルの第一の失敗だった。
「呼ばれて這い出てぽろろっ――」
言葉はそこで詰まった。
利用させてもらった影の主が、地面に無造作に転がっていた。室内のはずなのに室内ではなくなった場所に。
瓦礫が散乱するそこにぶちまけられているものは、傾き始めた陽光の下でも鮮明に見てとれた。
血液。本来ならば人の体内を巡っているはずの。
リブエンド荒野ではもっと凄惨な光景を見ていたというのに、込み上げてくるものがあった。
「ヨーちゃん!」
覚悟していなかった惨状に停止しかけていた思考を無理やり起動させ、倒れ伏すヨーヒのそばにしゃがみ込む。
首の太い血管に指を当てれば、微かにだが弱い拍動を感じられた。
そのことに安堵するものの、放っておけば遠からずその脈拍も緩やかに止まってしまうのは明らかだ。ナルは即座に懐から白のマナチップを取り出し、ヨーヒに向けて発動させた。
流れてしまった血液を補う術はないが、傷さえ塞げば延命の希望は残される。
そしてこれがナルの第二の失敗だった。
このときすぐにでも師に連絡を取っていれば。
このときせめて影の中に沈んでいれば。
この日、世界屈指の武力国家、帝国が滅亡した。
世界に黄昏の刻が訪れる、それは始まりの合図だった。




