47 - これまでのこと
「ここどこ?」
ルーダの第一声はそれだった。
召喚獣だと主張するペンギンの案内で到着したそこは、すごく部屋だった。いや、意味不明な表現であることはもちろん自覚している。だけどそれ以外に表現しようがなかった。
足の踏み場もなかったほどに散らかり放題だったあの部屋が、整理整頓された本棚だとかワックスでもかけたように埃ひとつ落ちていないピカピカの床だとか霧吹きされたばかりの瑞々しい鉢植えだとか、そんなすごく部屋に様変わりしていた。人の居住空間だと信じられるほどに。
別の場所なのではないかと疑うレベルである。ゆえに先ほどの発言だった。
「テンテたちが掃除したのだ。えっへん」
ナルの腕の中にいるペンギンが自慢げに胸を張る。
「ペンギンがやったの?」
「違うのだー! テンテはペンギンじゃないのだー!」
うっかり口を滑らせたら、短い手を伸ばしてぺしぺしと叩いてきた。初対面のときにもうっかりとやらかしてしまったことを、またしてもやらかしてしまった。痛くないから反省できなかったようだ。
言葉をしゃべること以外は一貫してペンギンであるところのテンテと名乗る召喚獣は、ナルの腕から抜け出すとぺんぺんと気の抜ける足音を立てて部屋の奥へと移動した。中央に配されたテーブルをよじ登り上に立つ。薄い空色のテーブルクロスの敷かれたテーブルの上、華美過ぎない花の活けられた花瓶の隣、動かなければ可愛らしいぬいぐるみにも見えた。
「静粛に~、なのだ」
「テンテうるさいっしょ」
何やら口上を並べようとしていたペンギンにナルが無慈悲な言葉を投げる。
じわじわと、ペンギンの目にみるみるうちに涙が溜まる。決壊はあっけないほど早く訪れた。
「ナルちぃひどいのだー! がんばったテンテをどうして甘やかしてくれないのだー!」
テーブルに突っ伏しおいおいと泣くペンギン。可愛いけれど若干鬱陶しい。
慣れているのか、ナルは取り合わなかった。
「世界に名を轟かせる魔導師ともなると、弟子も召喚獣も個性的なんだな」
「否定はできんしょ」
楽しそうにケラケラと笑いながら、ナルがテーブルの上からペンギンを転がす。若干ふくよかな体型のペンギンはコロコロと転がってテーブルの端から床に落ちた。ぺにょんという床に激突する音まで気が抜けまくっている。
魔導師を勘違いするのではないかと危惧して、こっそりとシックを盗み見る。彼の関心は既に別に移っていた。
「それよーり、師匠はどこ遊びに行ったっしょ?」
「知らないのだ」
テーブルから落とされたことに文句はないのか、何事もなかったように再度テーブルにペンギンがよじ登ってくる。
「ルーダ、これ読めるか?」
「ん? どれ?」
ナルとペンギンとの会話はまだ続いていたが、横合いからシックに声をかけられルーダはそちらに意識を向けた。
適当に部屋の中を見て回っていたシックが手にしていたものを見せてくる。どうやら本のようだった。壁に埋め込まれた本棚の中の一冊だろうか。
やたらと分厚い本の表紙には見慣れない文字が並んでいた。
「魔導文字、かなぁ?」
「魔導文字?」
「うん、魔導を現実世界に顕現させるために世界に書き込まれる魔力の設計図だよ。普通に過ごしてたら見ることはないと思うけど……って、こう言ってもわかんないよね。研究をライフワークにしてる高レベルの魔導師にだけ読める特殊な文字だと思えばいいかな」
言いながら先ほどまで敵対していた魔導師のことを思い出す。
他人の魔導構成を書き換える荒業。空中に魔導構成を円環として浮かせていたあの異様な光景。どちらも魔導文字に精通していなければできない所業だ。
三魔人のリーダー、虚像のジーモと言えば確かに魔導研究家としての側面も強く後世に伝わっている。過去にルーダも彼の残した文献の写しを読んだことがあるが、当時としては異端な理論を展開していたものだと感心したのを覚えていた。
あんな文献を書き残せる人物ならこの魔導文字もスラスラと読めるに違いない。
残念ながらルーダに読むことはできなかった。
シックは今の説明である程度理解できたのか、本を本棚へと戻した。
そういえば、ここでティッケも本に埋もれながら本を読んでいた。幼いながらも賢者の後継だ、ティッケにも魔導文字がスラスラ読めるのかもしれない。
――と。
ドアを開く音が耳朶を叩いた。
振り返る。
「あ! ご主人お帰りなさいなのだー!」
「ただいま、テンテ。お使いありがとう」
「えっへんなのだ」
ほのぼの主従トークを繰り広げるそれを眺めながら、ルーダはまだまだ自分は甘いのだと思い知った。
布の塊程度で驚いていた自分が情けない。ありとあらゆる種類の紙で巨大なクズ紙ボールに成り果てている物体に比べたら、布の塊なんて全然生ぬるい。動くたびに紙同士がこすれてカサカサと耳障りな音を発する物体は、飛び込んできたペンギンを取り込んで――もとい、抱き留めてもぞもぞとルーダらの前を通り過ぎていく。
近くを通り過ぎる際、吊るされた紙に魔導文字が並んでいたのが見えた。並んで大安売りとプリントされた明らかにチラシと思しき紙も見えたけれど。
相変わらずイカレテいるとしか思えない形態だとは思うものの、それもまた自身の魔力を封じるための苦肉の策なのだろう。
と、極めて前向きにかつ好意的に認識しておくことにした。そうしないと尊敬すべき魔導師を物体Xとしか見られなくなりそうだ。シックなんて顔を引きつらせて完全に引いているし。魔導師という人種を完全に誤解されそうで心配だ。
「ナル、任せても大丈夫だよね」
「ムリって言ったらどうするけ?」
「テンテに任せる」
「それはさすがに可哀想っしょ」
言う間にも物体Xもといパレニー・ラキッシュは階段を下りて行ってしまった。ペンギンも一緒に。
しーん、という擬音語が聞こえてきそうなほどの静けさが訪れた。
フォローを入れることもせずにナルが奥へと行く。気付かなかったが奥にはキッチンがあった。以前訪れたときは完全に埋もれていたので気付かなかったけれど、慣れた様子でまな板やら包丁やら取り出しているナルを見るに、ナルが使い慣れる程度には使用頻度があったらしい。
「あ、突っ立ってないで適当に寛いでくれていいっしょ?」
振り返らずに言ってくるナルに少しだけ驚いた。あのナルにも他人を気遣う能力が残っていたなんて。
軽い驚愕に動きを止めていたルーダを尻目に、シックはさっさと席についていた。そのついでで気付いたらしい。
「君たちは――」
目を開いてシックが視線を向ける先、辿ると自然と玄関ドアへと向いた。
「あ」
パレニーの奇抜すぎるファッションにばかり気を取られてまるで気付かなかった。
そこには困惑しきっておどおどとしている人物が2人ほどいた。
「さっきのアレに招待されたのか?」
「お、おう」
世界的に有名な魔導師をアレ呼ばわりはどうかと思う。口にはしなかったけれど。
シックの問いに答えたのはいつか襲われたことがあるヤマトの侍だった。
「黄昏について情報交換をしたいと言われて……」
続けてシュキハ。
そういえばエリスとシックをヤマトが拉致したとナルに聞いていたけれど、あれは結局どうなったのだろうか。エリスの姿も見えないし。
「情報交換に君たちだけで? できるのか?」
「人を脳筋みてぇに言うんじゃねぇよ」
「違うのか?」
「真顔で返すんじゃねぇよ! ぶっ殺すぞ!」
凄むヤマト人にシックが肩をすくめる。少しも怯む様子を見せないシックに、ヤマト人が犬歯をむき出しにして陰険に唸った。それを困ったようにシュキハが宥めている。
両者を交互に見比べて、ひとつうなずく。
ルーダはそそくさと奥のキッチンへと避難した。ヤマトの侍怖いし。
キッチンではナルが手際よく料理を作っていた。
元屋敷の使用人のルーダではあったけれど、厨房には掃除であったとしても立ち入ったことはない。故郷を離れてからずっとひとりだったので自炊はできるものの、ナルのように最短の動線で手を進めることはできないだろうと思う。
普段の言動があれなだけに、てきぱきと料理をしているナルの姿はなかなか信じがたいものがあった。
「ナル、何か手伝うことある?」
「ないっしょ」
即答だった。振り返りすらしない。
ここまであっさりときっぱり言い切られると悔しさもわかない不思議。
居座っても邪魔にしかならないだろうから、諦めてルーダは元来た道を戻ることにした。逃亡はあえなく失敗。
ひとりだけ災禍から逃れようとしてもうまくはいかないらしい。わかっていたことだけれど。
戻ってきてもいるのは当然シックとヤマトの侍とシュキハだけ。
テーブルにはヤマトの2人も座ってシックと談笑していた。いや、侍の人は割とうるさく騒いでいる。というか、シックの言葉に噛みついているのだろうか。シックの軽口なんて聞き流せておけばいいのに。
「ああなるほど、つまり俺の心配をしてくれたわけか。ありがとう」
「自惚れんな! 誰がおめぇなんかの心配なんてするか!」
「隠さなくてもいい。ありがとう」
「だ! か! ら! 違ぇって言ってんだろうが!!」
侍の人の近くは怖いのでシックの隣の席に座る。
会話の内容はわからないながらも、にやにやしたシックと血管を浮き上がらせている侍の人を見ればなんとなく状況は把握できた。襲われた記憶しかないので怖いイメージしか持っていなかったけれど、侍の人はそんなに怖い人じゃないのかもしれない。
シュキハは侍の人の隣で頭を抱えていた。
この状況で発言をするのはなかなかに勇気がいる。それでもルーダには確認しなければならないことがあった。
「ねぇシック」
「ん?」
「エリスは?」
表情が硬くなるのをルーダは見逃さなかった。シックは努めて表情を揺らさないようにしていたようだけれど、人の表情をうかがうのはルーダの日常のひとつだ。見逃すつもりもない。
シックは目を逸らさなかった。
「今は一緒にいない」
「どこにいるの? ひとりなの?」
「バーリハーと共にいる。どこにいるかはわからないが、危険はない。……はずだ」
目を見開く。
思ってもみない魔の王の名だった。
――否。
そんな状況であるにも関わらず、のんきに侍の人をからかっていられるシックが信じられなかった。どんな状況であれ、エリスの傍からは離れないと思っていたのに。
「居場所がわかったらすぐにでも迎えに行く」
「エリスは無事なの? そもそもなんでそんなことに?」
問いを重ねる。シックはまつ毛を伏せた。
「そう、だな。君に話さなければならないことがたくさんある。少しずつ、聞いてくれ」
シックはそう切り出して語り始めた。
別れてからの出来事を。
つまるところ、ルーダの行動の結果も遠く離れたエリスに影響を与えていたということらしい。
ティッケを守れずに瀕死の重傷を負わせてしまったことが、エリスの中の封印を解除させてしまい黄昏の半覚醒を招いてしまった、と。エリスが実は普通の人間ではなかったという事実よりも、ルーダにはそちらのほうがよっぽどショックだった。
底抜けに明るく前向きなナルのおかげで抑えられていた罪悪感が、めりめりと音を立てて膨れ上がる。
「君が落ち込むことじゃない。最終的に手を離してしまったのは俺だ」
「でも、ティッケを守れなかったのはおれだし……」
「それでも、だ」
伸ばされた手がルーダの頭を撫でる。エリスにされるよりも乱暴に感じるのはシックが男だからか。
顔を上げると、淡い微笑をこぼされた。
それはたまに見せられる無駄に色気のある笑みとも、誰かをいじるときに見せるにやにやといやらしい笑みとも違う。今までに見たことのない雰囲気をまとった笑みだった。
「……シック、なんか変わった?」
頭の上から手が遠ざかる。微笑が、さらに淡くなった。
「覚悟を決めた」
瞬く。
察せられないルーダの頭をもう一度撫でて、それ以上は何も言わずに打ち切られた。
会話が切れたタイミングを計ったようにナルがやってきた。手には大皿。
「おまたせっしょ。ナルちゃんスペシャルけ、たんと食うといいっしょ」
テーブルに大皿が乗せられる。肉料理を中心に各種取り揃えられてバラエティー豊かだった。
半ば条件反射のように腹が鳴いた。慌ててお腹を押さえる。侍の人――トウナというらしい――もお腹を押さえているので、ルーダと同じく腹を鳴らしたのかもしれない。
目の前に取り皿が配られる。
「師匠からの話は明日になるけ、これ食ったらゆっくり休むといいっしょ」
「ナルは食べないの?」
「あたいは風呂と寝床の準備するけ」
「え、あ、て、手伝おうか?」
腰を浮かしたルーダの額をナルが軽く小突く。
「余計な気を回さず、キミはおとなしく飯食ってるっしょ」
すとんと腰が椅子に落ちる。
それはナルなりの気遣いだったのかもしれない。階段を下りていくナルを見送って、そう思った。
予告通り更新再開。
と言いつつも最近忙しくてストックが全然ないっす;_;




