46_3 - 勇者は懼(おそ)れず
風より疾く駆け抜ける。
シックの所属する疾風騎士団の目指し掲げる理想だ。
スピードに関しては並み程度のシックにはどうしたところで実現できそうもないと思っていたその理想は、今、ここにある。
完全なる疾風乱舞で知覚する世界は、今まで普通に生活する中で知覚してきた世界とは一線を画していた。
追いかける風を置き去りに、カンマ1秒先の未来へと足を踏み入れる。
加速する視界の中心にいるのは倒すべき相手。
ヨーヒと切り結ぶフューレの右側面へと飛び込み切りを仕掛ける。
常人ならば反応できないはずだった。
別の生き物のように巧みに操られるヨーヒの双刀を横薙ぎの一振りで弾いたその流れを殺さず、振りぬかれた長剣が振り下ろしたシックの片手剣を受け止める。流れるその動作はまるであらかじめそうなることが決まっていたかのようだった。
焦りはしない。
強いのはわかっているのだ。死角から急襲したところで、今と同じ結果になることはある程度予想できる。
それだけフューレの動きは精錬されていた。強者の貫録と言われればそれで納得してしまいそうだ。
鍔迫り合いに時間はかけない。
疾風乱舞で強化されていたとしても片手剣では長剣を押し切ることは難しい。ましてやフューレの持つ長剣は光の魔導から作り出した代物。銘のない汎用的なシックの剣で対抗するのは無謀というもの。
ヨーヒが体勢を整え直すのをいちべつし、フューレの鼻先に左手でフックを放つ。けん制のために放った拳だったが、フューレは大きく後退することでシックらと距離を取った。
追撃をかけるべく左足を前に踏み出す。地を蹴る――前に、フューレが長剣を肩の高さに水平に構えた。
輝く刀身が形を変える。爆ぜた。
「ちっ」
舌打ちが漏れる。
長剣の刀身を形作っていた光がボール大の光球となって飛散した。
疾風乱舞の強化ポイントを動体視力と脚力に集中して振り直す。部分的な疾風乱舞は、ヤマトで(強制的に)行ったオロのスパルタ修行のおかげで身についた技術だった。オロに感謝の気持ちが湧かないのは修行内容がえげつなかったからだろう。
飛来する光球を見据える。
途中で不規則な動きをしない限りは、光球の軌道を見切って避けることはそれほど難しいことではない。避けるだけならば。
「――っ!」
放った光球を追いこす形で踏み込んできたフューレの長剣を辛うじて受け止める――力負けして弾かれた。当然だ。避けに徹した体勢は迎撃体勢とは程遠く、かつ、疾風乱舞の強化は今、動体視力と脚力に集中して割り振っている。勢いの乗った長剣を受け止めきれるはずがなかった。
開いた体に長剣が振り下ろされる。避けきれない。
疾風乱舞の強化ポイントをずらすのも間に合わない。
奥歯を噛み締める。
光で形作られた刃が肩口に到達する。前。
フューレが身を捻る。横合いから伸びきった刀身がフューレの右肩に突き刺さる前に見えない壁に阻まれて甲高い音を立てた。
ヨーヒだ。
避けきれずに光球に被弾したのか、左腕が力なく垂れていたが、その状態なのにシックのフォローに入ってくれたようだ。
視線だけで感謝の意を送り、疾風乱舞の強化ポイントを再度振り分ける。
「反撃させてもらうよ」
開いた体を逆に利用し、片手剣を垂直に振り下ろす。
フューレもまた長剣を振り下ろしていた。
鋼の刃と光の刃とがぶつかり火花を散らす。鋼と鋼が起こす火花と違って光がちらちらと粉雪のように舞った。
すぐに引き、角度を変えて再度振り下ろす。それを数合。
戦場に金属の咆哮だけが鳴り響いた。
最後の一合。刃を挟んで睨み合う。紫電を封じ込めたような黄土の双眸には憎らしいほどに揺らぎがなかった。
「君の目的はなんだ?」
再度の問い。
狂人の色を浮かべていない瞳を見返して、答えを待つ。いっそ澄んでいるとも言えるフューレの濁りなき瞳に己の姿を映して。
「成すべき使命を果たすため」
踏み込んでくる。拮抗していた力が傾いた。
押し切られる、そう判断が下るや否や鍔迫り合いを脱して後方に跳躍する。
が、フューレの追撃の手がそこで止まることはなかった。
光が視界を焼く。シックは反射的に目を閉じた。
「逢いたい人がいるんだ」
耳元を声がかすめる――瞬後、衝撃が腹を貫いた。
「ぐ――っ……」
光に焼かれた視界の中、確かなものは腹に感じる異物感だけ。
不思議なことに痛みはさほどなかった。腹を刺し貫かれた経験はないが、致命的なダメージを負うと人は痛みを感じないものなのだろうか。それとも光でできた魔導剣だからこそなのか。
「貴方には大切な人がいますか?」
この状況で問う男の神経を疑いつつも、その問いには答えねばなるまいという使命感が湧いてくる。
いや、使命感などという生ぬるい表現では足りない。
これは必然だ。避けて通ることなどありえない宿命だ。
口角が吊り上がるのを自制する気にもならなかった。
「魂が焦げるほど惚れた女がひとり」
迷わずに答える。言い淀むことなど自分自身が許さない。
たとえそうと答えたことで命を落としたとしても悔いなどありはしない。この想いだけは二度と手放すものか。
ぼやける視界、それでもまっすぐにフューレ――だと思う影――を見据えて告げる。少しでも否定もしくは否定につながるようなことを言われたら喉元に噛みついてやろうと思いながら。
「……――そうですか」
異物感が焼失した。
突然の感覚に反射的に腹に手を当てる。流血どころか服すら斬られていなかった。確かに腹に異物感を覚えたというのに。
目をこすり顔を上げる。
左手に長剣を携えたフューレは既にシックから離れた位置に立っていた。視線はシックにではなく、ヨーヒにでもなく、別のところへ向いていた。
「ジーモさん、何を遊んでいらっしゃるんですか?」
「いやいやいや、遊んでるつもりはないぞ、おじさんは」
「あたいは遊んでるっしょ」
「見りゃわかる」
第三者の声が聞こえてきたことにぎょっとした。
慌てて周囲に視線を這わせる。物言わぬ躯以外に動く物体はないものとばかり思っていたが、予想に反してシックらの他に数人の人間がその場にいた。
仲間がひとり、顔と名前を知っている程度の女がひとり、見知らぬ中年男性がひとり、なぜか中空をぶんぶん飛び回っている生意気そうな子供がひとり。いずれも各々好き勝手に魔導を使っていることから、全員が魔導師であろうことがわかる。
――いつの間に。
周囲へ気を配ることを怠っていたつもりはなかったが、周囲を気にかけられるほどフューレとの戦闘は余裕のあるものではなかったようだ。ヨーヒを見るとシック同様に驚いた風にフューレの視線の先を辿っていた。
フューレが話しかけたのは中年男性のほう。ルーダがよく絡まれている女魔導師と交戦中の男だった。
うねうねと屹立させた影に取り囲まれている中年魔導師の姿は、追い詰められた獲物のようにも見える。一心不乱に杖を振り回して全方位から攻めくる影を振り払っている様が滑稽に見えるからかもしれない。
魔導師同士の戦いは派手なものだと思っていたがそうでもないらしい。影が襲う、杖で払う、という二通りの動きに終始しているように見えるのは、シックが魔導師の戦い方というものを理解できていないからだろう。一見地味に見えても実はとんでもない駆け引きとかしているかもしれない。
「おっちゃん、そろそろギブしてもいいっしょ」
「おいおい、この程度でおじさんを追い詰められると思ったら大間違いだぞ、嬢ちゃん」
「そんなことより、おとなしく杖を寄こすっしょ」
「やらんちゅうに」
聞こえてくる会話内容のせいで緊張感に欠けるのは否めない。
仕方がなさそうに苦笑するフューレを横目に捉えつつ、視線をルーダのほうへと移す。
自由に空中を飛びまわる少年魔導師を撃ち落とそうと雷を放っているが、不規則に飛び回る少年魔導師の動きに翻弄されて攻めあぐねているのが見て取れる。気のせいか、放たれる雷が以前に見たときよりも威力を増しているような気がする。少年魔導師に当たっていないので意味はないが。
「手を貸しましょうか?」
「にゃーん、ナルちゃんとおっちゃんの心温まるハートフルボッコ劇場に勇者はお呼びじゃないっしょ」
「フルボッコのどこに心温まる要素があるんだ」
「次第に癖になるけ」
「洗脳かおい」
目を細めて笑うフューレ。
片手剣を持つ右手に軽く力を込める。ちら、と一瞬だけ視線を向けられてけん制された。油断はないらしい。
「ジーモさん、そろそろ頃合いかと」
「んあ? あー、いやはや、もうそんな時間か」
「オルフェさんは?」
「さあな。まだヤマトで悪さしてるんじゃないか? おーい、ニッチ。戻ってこい」
「やーーだーー」
「ええい、わがままを言っとる場合か」
「オジサンの言うことなんて聞かないもんねー。あっかんべー」
「ニッチさん、あまりジーモさんを困らせてはいけませんよ」
「べー。勇者のいい子ちゃんっこー」
「こーらニッチ! 年上に対する態度がなっとらんぞ!」
「オジサンのはーげ」
「禿げとらんわ! こらニッチ! 降りてこい!」
――なんだこれ。
思わず口を突いて出そうになったつぶやきを呑み込む。
刃は交えてないとはいえシックとヨーヒに隙を見せないフューレや、女魔導師の操る影を延々と払いのけ続けている中年魔導師、半ば以上やけくそ気味に雷を乱打しまくるルーダの攻撃をすいすいと避け続けている少年魔導師。3人による茶番を見せつけられているようでなんとも面白くない。
さりとて、状況を変えるにはフューレの警戒の網を潜り抜けて出し抜く必要がある。
無茶な話である。
異物感はきれいに消滅したが違和感の残る腹に手を当て、フューレの左手にある光でできた長剣にいちべつを向ける。正直何をされたのか見当もつかなかったが、不可思議な出来事の裏にはたいてい魔導がかかわっているものだ。十中八九、その長剣がもたらしたトリックだと確信していた。
しかもフューレの仲間と思しき魔導師が2人もいる。実力のほどは知れずとも、ルーダはともかく女魔導師と互角にやり合える実力を持つ魔導師であることはわかる。しかもフューレとの会話をしながら。
畳み掛けるように増える厄介事に頭を抱えたくなる。
フューレの目的は未だ判然としない。恐らくは黄昏がかかわっているのだろうと推測しても確信が持てないでいた。
「おっちゃんら、もう帰るんけ?」
「ああ、もう日が暮れるからな」
「そうけ。お子ちゃまもいるし、そらしょうがないことっしょ」
「child じゃない!」
中年魔導師を取り囲んでいた影が収縮して元の無害な影へと戻る。一心に杖を振り回していた中年魔導師も杖を下げて大きく息を吐いた。
よくわからないがその2人の戦いは終わるらしい。
渋々といった様子で降りてくる少年魔導師もルーダの相手はもう終わりにしたようだ。膝に手を突いてうなだれているルーダの表情は見えない。シックの予想が当たっていれば疲労困憊に違いない。魔導の使い過ぎが原因、というわけではなさそうなところがルーダの哀れさを如実に表している。
一日や二日離れたぐらいでその不幸属性が廃れることはなかったようだ。むしろ磨きがかかったと言ってもいい。
「まーた会いに来るっしょ?」
「嬢ちゃんにはもう会いたくないんだがな、おじさんは」
「そら残念。なら杖を置いてくっしょ」
「ええい、しつこい」
敵勢力にもひとり不幸属性の人間がいるらしい。女魔導師に気に入られているところを見ると。
女魔導師が銀のステッキをバトンのようにくるくると回す。
それを準戦闘行為とみなしたのか、フューレが長剣を脇構えに地を蹴った。一拍遅れてシックもまた地を蹴る。
飛び出したフューレの側面から切りかかる。と、その間に少年魔導師が滑り込んできた。
「――っ!」
とっさに剣の軌道を変えることはできない。いや、フューレの仲間ならば切りかかったところでなんの間違いでもないのだが、相手が幼い子どもだとためらいが生まれてしまうのは致し方ないとも言えた。
少年魔導師が右手を掲げる。
振り下ろされた刃は、掲げた少年の手のひらの前でびたりと動きを止めた。
慣性の力を無視した唐突な急制動。が、運動エネルギーをゼロにされたのは片手剣のみ。当然ながら勢いのついた体は急には止まれない。
勝ち誇ったような笑みを浮かべていた少年魔導師もそれに気づいたらしい。笑みを引きつらせて上昇しようとするも、間に合うはずがなかった。あえなくシックの体は少年魔導師の体と衝突事故を起こして共々に地面に倒れこんだ。
「おいおい、何やってんだ」
呆れた声が遠くから聞こえてくる。
思わぬ失態に慌てて体を起こすと、即座に少年魔導師が体の下から這い出して飛んで行った。
とんだ恥をかかされたものだ。折り重なるようにして転がる亡骸たちに突っ込まなかっただけでも良しとするしかないのか。機会があったらあの少年魔導師を徹底的に教育してやりたい。泣くまで。
――と。
そんなことを考えている場合ではない。
顔を上げて女魔導師の姿を探す。
左脇構えからの切り上げをステッキで受け止めた状態で拮抗していた。女魔導師に腕力があるとも思えないので、うねうね動く影に助勢されているのかもしれない。押し切られるのは時間の問題だろうが。
シックが立ち上がるよりも先、フューレが飛び退く。フューレが立っていた場所を雷が舐めた。
(ナイスアシスト)
声に出さずにルーダに賛辞を贈る。
疾風乱舞を発動してシックは再び駆け出した。
「えーい、うっとうしいっしょ!」
足場が消えた。
「いっ――!?」
とぷりと体が水の中のようなところへ落ちた。
「――とととっ」
バランスを崩した体を、それでも転倒する無様をさらす前に立て直す。
視界に黒一色に染め上げられている状況に、シックはただただ困惑を浮かべた。
周囲を見渡す。
片膝を突いたヨーヒ、疲れたように肩を落としているルーダ、憤懣やるかたなしとばかりに肩を怒らせている女魔導師。見渡した限りで見つけられたのはその3人の姿だけだった。フューレや魔導師たちの姿はない。
「ナル、影に落とすときは何か言ってよ」
「なーんであたいがそこまでする必要あるけ?」
「ビックリするから」
「知ったこっちゃなーし」
状況を呑み込めていないシックをよそに、慣れたように座り込んで不平を訴えるルーダとそれに応える女魔導師とを交互に眺める。説明を求めるならばどちらにするべきか、しばし迷う。
「ルーダ、状況の説明をできるか?」
結局シックはルーダに説明を求めることにした。
数多くの女を見てきたシックの勘が言う。あの女魔導師は普通という枠組みから外れていると。
「あ、そっか。シックは初めてだったね」
「その前に治療してやったほうがいいと思うんよ、あたいは」
「あう。じゃ、じゃあ――」
「あたいがヨーちゃんの治療するから少年はそっちお願いっしょ」
「ヨーちゃんて」
弱いツッコミは女魔導師の耳には届かなかったらしい。すたすたと歩き去っていく女魔導師の背中に向かってルーダが深々とため息を落とした。
遠くでヨーヒが顔をしかめているのは見なかったふりをしておく。実に楽しそうにうひょうひょ笑いながら近づいていく女魔導師を下手に刺激して被害が飛び火したら堪ったものではない。
駆け寄ってきたルーダが懐から白いカードを取り出した。いつかホロワ山脈で見たものと同じだ。あの女魔導師からもらったのか――無償だとは思えないので何かしらの対価は払ったのだろうと予想――使用するのに淀みはない。掲げられたカードから及ぼされる治癒の効果が、脇腹に喰らった決して浅くはない傷を見る間に塞いでいくのを感じた。
「それで?」
「え?」
「説明。してくれないのか?」
ただ黙って治療されているのも時間の無駄なので話を促す。
あの短い時間でそのことを頭の外に放り出してしまったのか、呆けた顔をするルーダに久方ぶりに艶のある薄笑みを向けてみる。面白いようにわたわたと慌てて視線を逸らされた。
「え、えっと……ここはナルが作り出した影の異空間、らしいよ。詳しくは知らないけど」
「異空間? 彼女は空間属性を操れるか?」
「影を媒介にしてだけどね」
「へぇ」
軽く説明を受けて、なんとなく現在置かれている状況を把握する。つまりはあの場から女魔導師ナルの管理する異空間とやらに避難させられたらしい。
見渡す限り黒に塗りつぶされた空間というのも落ち着かないが、無数の亡骸が転がる戦場よりかは幾らかマシだ。なにより敵がいないのがいい。
危険がないと判断して、疾風乱舞を解除して剣帯に剣を収める。ルーダの治癒を受けながらシックはぐるりと肩を回した。
「君が戦っていた魔導師は何者だ?」
やはりただ黙って治療されているだけでは手持無沙汰なので問いを投げる。
ルーダは困ったようにあいまいに小首を傾げた。
「800年前の亡霊?」
「ん?」
理解ができなかった。
怪訝そうにルーダの顔を見返す。冗談を言っている風には見えなかった。
「少年にイケメン、はい注目ー」
互いに二の句を継げずにいる間に女魔導師が手を鳴らした。
「ひっじょーに残念ながらヨーちゃんはここでお別れするみたいっしょ」
「けったいな呼び方をするな、ナルディンシーニ」
「しゃー!」
「隊に合流するのか?」
離れた場所で繰り広げられるコントを――というか女魔導師を――無視して、ヨーヒに問いかける。
女魔導師に傷を癒されたヨーヒは腕の調子を確かめつつも小さくうなずきを返してきた。
「奴らがまだ残っていないか?」
「あたいらが引っ込んですぐに帰ったみたいっしょ。日が暮れるかーら」
「わかるのか?」
「3人とも魔力がバカ高いけ、そらわかるっしょ」
ふむ、と腕を組む。
ルーダにいちべつを向けると、ふるふると首を横に振られた。彼にはわからないらしい。
「てことでヨーちゃんばーい」
そんな軽い別れの言葉と共に、せり上がった足元がヨーヒの体を垂直に上へと押し上げる。呆然と頭上を見上げ、ヨーヒの姿が掻き消えたのを確認した。
どうやら外に放り出したらしい。
彼とはまだ話したいことがあったのに、女魔導師はそのあたりの配慮をする気がないのはその行動から明白。いつもいつも彼女と出会うたびにルーダが疲れた顔をする理由がわかったような気がする。
「……こっちはどうするの?」
わずかな沈黙を挟んでからルーダが口を開いた。見なかったことにするつもりのようだ。賢い選択かもしれない。
「それなんしょ。師匠と連絡つかんけ、ファーニ・エモで宿でもとるけ?」
「またあそこ?」
「今度は相部屋にしないけ、さびしくて泣くんじゃないっしょ」
「泣かないよ!」
非生産的なことで盛り上がる2人をよそにシックは周囲を再度見渡した。ヨーヒを送り出して3人となったそこに別の何かは存在しない。左右前後どこまでも闇よりも薄い影が広がっているだけ。
ぎゃーぎゃー騒いでいるルーダの口を横から塞ぐ。なぜか女魔導師が前からルーダの鼻をつまんだ。別に息を止めさせようとしたわけではないのだが、そんなツッコミを入れたら面倒くさくなりそうな空気を感じた。この女魔導師はシックが今まで出会った中でも最高に面倒くさい部類の人種に違いない。関わったら負け的な意味で。
静寂の中。
かすかに聞こえてくる音があった。
コミカルに、ペンペンペン、と。
視線だけで女魔導師に問う。少しだけ考える間を開けて、女魔導師が手を打った。
飛び退く。
「ナルちぃ!」
「ぐえっ!?」
背後から近づいてきていた黒い塊がルーダの背中に突撃した。
少し飛び退くが遅れていたらあそこで悶えているのはルーダではなくシックだったろう。とっさの自分の判断力をシックは自賛した。
「おー、テンテじゃないけ。師匠からの派遣け?」
「そうなのだ! テンテ、ナルちぃを迎えに来たのだ! ご主人のお使いなのだ!」
短い手をピルピルと振って黒い物体が嬉しそうに女魔導師に飛びつく。勢いがないので女魔導師も普通に抱き留めた。
割を食ったのはルーダだけだったが、おおむねいつもの展開である。
「あー……それはなんだ?」
どう尋ねたらいいものか迷いながら問いを絞り出す。
女魔導師と黒い物体がこちらを振り返り、
「師匠の押しかけ召喚獣」
「テンテなのだ」
女魔導師の腕の中で真ん丸ふくよかなペンギンが片手を上げて元気にあいさつしてきた。




