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46_1 - 支配者の空間

 繰り出されたトウナの最速の抜刀術はむなしく空を切り裂いた。

 宙を滑るようにして飛ぶオロの暗殺用苦無は縫いとめられたように中空で停止していた。

「あは、早い早ぁい」

「そう? 勇者に比べたら全然 fast じゃないよ」

「勇者クンは別格だよぉ」

 天井近くをふよふよと幽鬼のように漂いながら、きゃらきゃらとオルフェが笑う。ニッチ少年が肩をすくめると空中で停止していた苦無がぱらぱらと床に落ちた。

 原理はよくわからないが、恐らくは両方とも魔導だろう。

 ふわりとオルフェが舞い降りる。風をはらんだ羽衣が別の生き物のようにひらひらと舞った。

「桜華一刀流、鳳仙花!」

 間髪入れずトウナが技を繰り出す。

「うぇ!? ず、だっ!」

 と思ったらこけた。たたらを踏んで耐えようとしたのがさらに悪かったようで、突き出した刀に引きずられるようにして顔面から見事に倒れた。

「あは、だっさぁ~い」

「笑っちゃ悪いよオルフェ」

「えぇ~、ニックンも笑ってるくせに~」


 勢いよくトウナが起き上がった。顔を赤くして。

 オルフェとニッチ少年を交互に見て、それから刀の切っ先をオルフェに向ける。

「おめぇ何しやがった!」

 ぱちくりとオルフェが瞬く。

 ゆっくりと首を横に傾けていき、倒れきる前に戻してぺちりと両手を叩いた。

「いたずら?」

 実に楽しそうに言ってのけた。

 トウナが刀を振り回す。手品のようにパッと掻き消えたオルフェがトウナの背後に姿を現した。

 するすると巻きつくようにしてトウナの腰に手を回す。まさぐるような手つきにトウナの全身に鳥肌が立ったのが、この位置からでもよくわかった。

「うどぁああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ!」

 奇声を発しながらトウナが身をよじると、先ほどと同じように姿を掻き消して別の場所に現れた。

「やぁん、かわいぃ~」

「何がだ!?」

「知りたいのぉ?」

「ひっ!」

 トウナの体が跳ねた。

 またトウナの背後を取ったオルフェがその首に腕を回して抱きついていた。豊満な胸がトウナの背中に押し当てられて柔らかく形を変える。

 瞬間湯沸かし器、とでも命名したくなるほどトウナの顔は首まで見事に真っ赤になっていた。


「……ねぇオルフェ、鬼ごっこの途中なんだけど」

「あ」

 小さな指摘の声にオルフェが間の抜けた声を上げた。

 慌てたようにニッチ少年の横に姿を現したオルフェが、ごまかすようにパタパタと両手を振った。

「やんやん、今のなし。ごめんねごめんね」

「ボクじゃなくて鬼側に言ってよ」

 胸の前で手を組んだオルフェが縋るような視線を送ってくる。ひくっと口元を引きつらせてシュキハは半歩後退った。

 被害がトウナに集中していたのでつい静観してしまっていたが、先ほどこれでもかとばかりに胸を揉みしだかれたことは忘れていない。男も女も関係ないという彼女の発言が真実ならば、自分が女だからと油断するわけにはいかなかった。

 無言で、だけど全力で。首を横に振る。

 口に手を当ててわかりやすくオルフェがショックを受けた反応を示した。

「But オルフェが触っただけで鬼から触られてないから No problem」

 電球に明かりが灯るように、ぱぁっとオルフェの顔が明るくなった。

 ニッチ少年の頭を抱いて、きゃっきゃと喜びを表現している姿は素直に可愛らしいと思う。ニッチ少年が苦しそうにバタバタしているが。

「ずっりぃぞ!」

 やっとのことで立ち直ったトウナが抗議の声を上げる。

「そうだ! そんな決まりは聞いてない!」

 すかさずシュキハも援護に回った。

 鬼でない側からの接触が許可されてしまえば、この後も確実にセクハラを受ける。主にトウナとシュキハが。

 それに恐らくオルフェは空間に関する属性を操る魔導師。制限もなく消えたり現れたりできる魔導師相手にセクハラを防ぎきるのは困難を極める。

「ならばこれから適用すればいい」

 オルフェの反論の隙間に差し込むようにしてオロが口を挟んだ。

 ナイスとばかりにトウナと2人で親指を立てて賛辞を贈る。なぜかため息をつかれた。


 ぷくぅっとオルフェの頬が膨らんだ。不満らしい。

「おさわりしちゃダメなのぉ?」

「禁止!」

「痴女退散!」

 息の合った大合唱にオルフェが残念そうに肩を落とした。

 そんなにセクハラをしたかったのだろうか。恐ろしい女である。

 顔を覆って泣き真似まで始めたオルフェに白い視線を送る。指の隙間からこちらの様子をうかがうオルフェの口元に小さな笑みが浮かんだ。

「ちらっ」

「ぐわぁーーーー!!」

「と、トウナ!」

 ただでさえ際どいデザインのスカートを自らめくったオルフェの行動にトウナが発狂した。両目を覆ってうずくまってしまったトウナの背を撫でながら、企みが成功してきゃらきゃらと笑っているオルフェを睨みつける。

 なんという恐ろしいことを平然とやってのけるのか。

「おおおおおおおなごともあろうももももものが!」

「えぇ~? 履いてないよぉ?」

「ぎゃーす!」

「おお落ち着けトウナ!」

 とどめを刺す一言についにトウナが撃沈した。

「だからあれほどしつこくさっさと筆おろしをしろと」

「そういう問題ではない!」

 ぼそっとぼやいたオロの発言に、トウナの代わりに毅然と反論しておいた。これ以上トウナを追い詰めないでもらいたい。


「あは、純情ぉ~」

「おのれトウナの仇!」

 悶絶してぴくぴくし始めたトウナをアザトに任せ、二槍を構えて無邪気に笑っているオルフェに迫る。普段ならば女人相手に槍を振るうことに抵抗を覚えるのだが、既にトウナという犠牲者が出てしまった状況のためか少しの抵抗感もなかった。

 彼女の性格を表すかのような明るい橙色の髪が踊る。踊り子のような外見に違わない身軽な動作で、ひょいひょいとシュキハの攻撃をかわすオルフェはニコニコと実に楽しそう。

 武士としてのプライドが根元から叩き折られそうなほどに鮮やか回避術。トウナのときとは違って消えたりしないあたり、シュキハのことを舐めているとしか思えなかった。

「やぁん、一枚一枚剥ぎとりたぁい」

 怖気が走った。

 半ば脊椎反射のような素早さでオルフェから離れる。ぺろりと舌を出すオルフェの視線が艶めかしくて、己の体を隠すようにかき抱いてしまった。

 あれは猛禽類の目だ。捕まったら食われる。

「怯えちゃってかぁわいぃ~」

 両頬に手を添え、恍惚とした表情を浮かべるオルフェ。

 シュキハは思わず助けを求めるようにオロを見た。彼女に対抗できるのはもはや彼をおいて他にいないと思った。同じ淫乱属性だし。

 視線に気づいたオロが眉根を寄せて不機嫌そうな表情を浮かべる。面倒事を任せられたことを察したらしい。


 オロが深くため息を吐く。くねくねと身をよじっていたオルフェが気付くほどの大きさで。

 きょとんとオルフェが振り返る。

「貴様は俺がイかせてやる」

 吹き出した。悶絶していたトウナも。

「ガキの前で何言ってやがる!」

「変態! 淫乱! 巣に帰れ!」

「なんなんだ、貴様らは」

 なぜか非難するような視線にさらされた。

 慌ててニッチ少年を見る。どうやら会話が理解できなかったらしい、怪訝そうにオロとこちらの間で視線をさまよわせていた。

 によによと妖しい笑みを浮かべたオルフェが近づいていくのに気づき、とっさにシュキハはスライディングをかました。やぁんなどと言いながらオルフェの体が天井近くへと浮遊していく。

 幼気な少年に卑猥な話を聞かせずに済んだことにシュキハはホッと胸を撫で下ろした。

「なに?」

 ひとりだけ事態の把握ができていないニッチ少年が拗ねたように口を尖らせている姿が可愛らしかった。

 こんな純粋な少年をオルフェやオロのように穢れさせてはいけない。使命感にも似た決意が湧いた。

 なぜかニッチ少年には引かれた。


「Too bad! さっきからオルフェばっか遊んでズルい!」

 構ってもらえない状況に焦れたのか、隙あらばトウナに視覚的セクハラを企てているオルフェに不満を訴え始めた。

「えぇ~?」

「もういい! ボク、オジサンのとこ行く! オルフェはここで遊んでればいいじゃん!」

「あ、やぁん、待って待って」

 頬を膨らませて部屋の出口へと向かうニッチ少年に、慌てて追いすがるオルフェ。屏風の前で言い合っている2人を見て、トウナと目配せし合う。

 シュキハは槍を、トウナは刀を構え、互いに距離を置く。

 オロとアザトがハスノミヤの元まで下がったのを確認。

「桜華一刀流奥義」

「桜華二槍流奥義」

 抱きしめることで強硬手段に出ていたオルフェがピクリと反応を示す。だが遅い。

「「胡蝶霧桜!」」

 同時に技名を口に。

 足はステップを、腕は空隙に刃の軌跡を描くために忙しなく動く。全身の筋肉が悲鳴を上げてもなお酷使し、筋が弾け飛ぶほどに激しく空間を斬撃で埋める。

 それは敵味方の別なく、攻撃範囲内にいる存在を無差別に切り裂く桜華一刀流、桜華二槍流両方の奥義。

 あたかも夜霧の中、胡蝶が乱れ飛ぶ桜の下で花弁が舞い踊るかのように。咲き乱れる斬撃の花が床を壁を天井を、空間すらも縦横無尽に切り裂く。通り過ぎた後には無残に蹂躙された空間だけが残る。


 無心に槍を振るった先に待っているのは緩やかな疲労だった。

 風が肌を滑る。

「あは、すごいすごぉい」

 ぺちぺちとおざなりな拍手が垂れ流される。

 顔を上げると、まったくその場から動いていないオルフェと目が合った。

「でもでもぉ、オルフェには届かないかなぁ」

 唇に指を当て、小首を傾げるオルフェに怪我らしい怪我どころか髪の一筋にすら乱れはない。

 トウナと同時に奥義を繰り出したというのに、顔色ひとつ変えさせることもできなかったことに愕然とした。三魔人と呼ばれる魔導師はこれほどまでに圧倒的な力を持っているのか、と。

「リーダーやニックンだったら無傷じゃ済まなかったけどぉ、オルフェすごぉく強いから残念でしたぁ」

「化け物か」

 唾棄するようにトウナが吐き捨てる。

 ニコニコと楽しそうにしていたオルフェが動きを止めた。笑みの形に弧を描いていた目をゆっくりと開き、その口が裂けるほどに吊り上がる。

 それは歪みだった。

 愛嬌のある顔に浮かんだ歪な笑み。

 無邪気な邪悪さ、美しい醜悪さ――相反するはずのそれらが相容れることなく共存したその表情に、シュキハもトウナも無意識のうちに後退っていた。

 本能が告げる。目の前のこの生き物は――


「えーん、オルフェ傷ついたぁ」

 パッと両手で顔を覆ってしくしくと泣き真似を始めるオルフェ。歪な顔はそこになかった。

 淡雪のように掻き消された不気味な威圧感が尾を引いて内臓を冷やす。手にかいた汗で握りしめていた槍が滑り落ちそうだった。

「あ!」

 誰も次の反応ができないままでいる中、急にオルフェが顔を上げた。

 反射的に構える一向に構わずきょろきょろと視線をさまよわせたかと思えば、口元に手を当てふるふると震え始めた。大きな目にじわりと水分を溜めて、ぷくぅっと頬を膨らませる。

 歪だと確信を持った表情は、今は実に愛らしい拗ね顔へと転身していた。

「ニックンに逃げられちゃったぁ! もうもう! 2人がオルフェの邪魔するからぁ!」

 言われて気が付いた。オルフェが確保していたはずのニッチ少年がその腕の中にいないことに。トウナと共に技を発動したときにでも逃げ出したのだろうか。

 悔しそうにぷりぷりと怒っているオルフェに、トウナと揃って困惑した視線を投げかけた。

 子供みたいな態度を見せたかと思えば、こちらを手玉に取る力を見せつけたり、突然歪んだ表情を見せたり。どれが彼女の本質なのか。


 トウナと目線を交わし――2人でオロを振り返る。迷ったらオロに丸投げ、それがトウナの基本方針であり、シュキハもそれは同様だった。

 またしてもオロが不機嫌そうに顔をしかめる。それでも見つめ続けたら、親指で部屋の隅を示された。

 そちらを見る。

「ん~?」

 オルフェの気も引いてしまったらしい。

「あ」

 間の抜けた声が聞こえた。

 視線を戻す。

 オルフェが右の手首を見下ろして呆けた顔をしていた。目を凝らすと、そこに糸のようなものが巻きついているのが見えた。

「やぁん、なにこれぇ」

 糸の先を辿ればオロに行き着いた。

「思念の糸だ。具現化している」

「具現化ぁ? ……あ、リーダーが前に研究してたやつ? 研究に没頭しすぎてオルフェたちの相手してくれなかったからニックンと一緒に研究資料全部キャンプファイヤーしたら一週間部屋から出てこなかったなぁ」

「ひでぇな」

「悪魔の所業」

「やぁん、なんでオルフェ責められてるのぉ?」

 誰かは知らないが、時間をかけて研究していた内容を一瞬で炭にされてさぞ無念だったろう。

 心外とばかりに頬を膨らませるオルフェに、無感情にオロが追い打ちをかけた。

「捕まえた。貴様の負けだ」


 場に静寂が訪れる。

 頭上に疑問符を浮かべるシュキハらをオロが睨むようにいちべつした。目が語る。脳筋どもめ、と。

「あ! やぁん、オルフェ捕まっちゃった」

 理解に頭が働かない2人よりも先にオルフェは合点が行ったらしい。悔しそうに唇をすぼめていた。

「約定通り、ハスノミヤ様には指一本触れるな」

「えぇ~……むぅ、はぁ~い」

 不服感たっぷりにだが素直にオルフェが承服する。

 そこでやっとシュキハにも理解できた。いや、思い出した。彼女がハスノミヤを誘拐しに来た人間で、鬼ごっこに勝ったら諦めるというルールの下で勝負をしていたことを。

 非常識なオルフェの強さと、先ほどの化け物じみた笑みのインパクトが大きすぎてすっかり忘れていた。

 ということは、部屋の隅を指し示したのはオルフェの意識をそちらに逸らすためのフェイクだったわけか。さすがオロ、汚い。もとい、策士である。

「あーあ、ニックンもリーダーのとこ行っちゃうし、鬼ごっこにも負けちゃうし、オルフェつまんなぁい」

「ならば帰れ」

 いついかなるときでも冷酷さを忘れないで、オロ。

 直球な言葉には頬を膨らませていたオルフェも虚を突かれたようにきょとんとした。ただショックを受けた様子でないところがオルフェらしいとも言える。

「…………あ、そっかぁ。ニックンいないんだったらちょうどいいかも」

 逡巡するような間を開けてから何かに気づいたようにオルフェが表情を明るくさせる。

 何かを探すようにきょろきょろと視線を這わせ、


「ねぇ、オルフェの華はどこに行ったのぉ?」


 糖度の高い甘ったるい声で問いを口にした。


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