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45_2 - 伝説が迷子

 無の境地に至るには厳しい精神修行が必要なのだと思っていた。

 案外簡単に達することができるのではないだろうか。

 たとえば目の前で知り合いが楽しげに殺人を犯す現場に居合わせた場合とか。

「あー、そりゃ無の境地じゃなくて単なる現実逃避だな」

「ですよねー」

 現実を突きつけられて力なく笑う。

 が、そこで違和感に気付く。諭す声は後ろから聞こえてきていた。

 ぎぎっとぎこちない動きで振り返る。

「いやはや、いきなり無茶するな、嬢ちゃん」

「余裕で回避しといて何言ってるっしょ」

 男性がいた。今しがた愉快な殺人が行われたはずの男性が。

 いつ取り出していつ火をつけたのか、のんきにタバコまでふかしている。

「それよりおっちゃん、いいもん持ってるけ、くれ」

「おいおい、全力投球の追いはぎか。やらんよ」

「減るもんじゃないっしょ。ナルちゃんに預けてみたらいいっしょ」

「いやいやいや、あげたら減るだろどう考えても。おじさんのを欲しがらなくても嬢ちゃんもいいもの持ってるじゃないか」

「これは師匠からの貰い物け、たいしたもんじゃないっしょ」

「はは、こりゃまた面白い冗談だ」

 置いてけぼりの会話を繰り広げる2人をそれぞれ見る。どちらもルーダを見ていなかった。

 肩を落とす。

 どちらにも注視されていないむなしさを噛み締めて、とりあえず疑問は自らで解決しようとルーダは背後を振り返った。


 盛り上がった土壁が折り重なって崩れている殺人未遂現場。

 小走りに近づいて行って検分する。

 触れた感触、土。指で強く押すと崩れる程度の強度。厚さは指三本分くらい。高さはルーダよりも頭一つ分上くらいだろうか。

 こんなものが自分に向かって倒れこんできたらルーダは悲鳴を上げて終了だ。まともな対処などできるはずがない。

 肩越しに振り返って男性を見る。もう次のタバコに火をつけている男性の服に土汚れは見られなかった。

(空間移動系の魔導かな?)

 推測を立ててみるも、あのときに感じた魔力はナルのものだけだった。そもそも男性が魔導師だとまだ決まったわけではない。あんなちゃらい恰好をしているし。

「ほーしーいーほーしーいー」

「少年、少年、この嬢ちゃんどうにかしてくれ」

 真面目に考察していたのに、駄々をこねる声と助けを求める声が背後から聞こえてきた。

 振り返る。両手を上げて男性を追いかけるナルと、そのナルから逃げ回る男性を交互に視界に入れる。

 ――平和だなぁ。

 慣れたものである、現実逃避。

「ほーしーいー」

「少年!」

 悲鳴が混じり始めていた。


 ため息ひとつ。

 全力で関わりたくない気持ちが9割ほどの力加減で無視することを勧めてくる。残り1割は聞こえなかったふりをしろという勢力だ。これはもう満場一致で無視でいいのではないだろうか。

 逃げ惑う男性と目が合った。

 またため息。

「ナル、やめたげなよ」

「けーど師匠が欲しがってるけ、優秀でかわいい弟子のナルちゃんとしてはゲットしとかなきゃっしょ」

「強盗だから、それ」

「知ってるっしょ」

「うん、そっか。わかっててやってるナルはスゴイね」

 潔いほどのナルの開き直りっぷりにルーダはひとつうなずくと、男性に向かって笑顔で首を振った。横に。

 男性の顔が引きつったけれど、今しがた出会ったばかりの見知らぬ男性のためにナルを説得するという労力を費やす気にはなれなかった。どう考えてもルーダがひとり損するだけだ。

 それでも男性の哀愁を漂わせた引きつり顔が哀れだと思う気持ちはある。

「何がそんなに欲しいの?」

 助けることはできないまでも、気を逸らすくらいはできるだろうと話題を振る。無難な話題を振ったつもりだったが案外ナルの気が引けたのか、男性を追いかけるのをやめて立ち止まってくれた。

「あの杖っしょ」

 ナルが手にした銀のステッキが男性が持つ杖を指し示す。男性は苦笑しながら後ろに隠した。

「あの地味な杖?」

 目立った装飾のない杖は何度見ても心惹かれる要素がない。あれの何がいいのだろうか。


 ナルを見ると、愕然と目を見開いていた。

「え、何その顔。見たことないんだけど」

 かつてないほどに驚愕した表情を見せるナルに思わず引いてしまった。

「破邪の杖のどこが地味っしょ? 破邪の杖け、破邪の杖。わかるけ? 破邪の杖っしょ」

「は、破邪の杖?」

 勢いに押されて後退りながらおうむ返す。再びナルの表情がショックの色に染まった。

 そんなに有名な代物だったのだろうか。聞いたことないのに。

「伝説の魔武器っしょ。伝説」

「魔導研究でもしてなきゃ知らんだろ。知名度は低いほうだと思うぞ、おじさんは。むしろ見ただけでそれと見抜いた嬢ちゃんに逆に驚いた」

「そら当然っしょ。あたいは師匠の自慢の弟子け」

 胸を張って誇らしげに鼻を鳴らすナルに、やはり苦笑を浮かべながらも男性が賞賛の拍手を送った。

 またひとり蚊帳の外に置かれた。

 説明をナルに求めたところでまた面倒くさがられそうだったので、男性に視線を送る。中途半端に鬱陶しい無精ひげを生やした顎を撫でていた男性が視線に気づいてこちらを見る。男性が苦笑した。

「あー、これはな、破邪の杖と言って根源の解読者が生成した史上初の魔武器と言われている逸品だ。これを手にした者は魔導師でなかったとしても瀕死の重傷を負った人間も瞬時に治癒させることができる」

「え、すご。なにそれ欲しい」

「やらんちゅうに」

 さらっとされた説明に目を丸くした。

 根源の解読者と言えば魔導師で知らぬ者がいないほど有名な人物である。世にあふれる魔導理論の根幹を成立させた魔導理論の祖とも呼ばれる伝説の魔導師だ。名前も性別も、その通り名以外の一切が歴史に残っていない魔導師が生成した魔武器、それがどれだけ途方もなく貴重な代物か、さすがにルーダにも理解できた。

 あのパレニー・ラキッシュが欲しがるのも無理はない。


「おじさんとしては嬢ちゃんの持ってるそれが欲しいんだがね」

「イヤっしょ」

 顎で示されたステッキをナルは素早く腕輪に戻した。見せるのも拒絶するかのように袖の下に隠してしまう。

 後ろ頭をかいて男性はもはや何度目になるのかわからない苦笑をこぼした。

「西の小国の国庫に保管されてたはずのリングオブフェイトをどうして嬢ちゃんが持ってるのかねぇ」

「へ?」

 何やら聞き捨てならないことを聞いた。

「師匠が借りてきたんしょ。黙って。無期限で」

「はあ!?」

 またもや聞き捨てならないことを聞いた。

「こっちに戻ってきた記念に失敬しようと思って忍び込んだらよく似た偽物があったんだが、あれは嬢ちゃんの師が置いてったのか?」

「よく偽物ってわかったっしょ。あれ、あたいでもパッと見じゃ本物との区別がつかないのーに」

「はは、おじさんも研究職だもんでね。それに持てば誰でもわかるだろ、あれは」

「持った瞬間、『ざまぁ』って音声が再生されたけ?」

「いやいや、ファンファーレが高らかに鳴り響いたぞ」

「ああ、そっちのパターンけ」

 もはや驚きの声を上げる気力すら持てなかった。

 なにこの会話。どこからツッコミを入れたらいいのさ。

 とりあえず彼らが曇りなき犯罪者だということはよくわかった。今後の付き合いを考える必要がある。人里に下りたらこっそりと通報しに行こうと心に誓った。ナルもパレニー・ラキッシュもついでに男性も一度痛い目に遭えばいい。

 善良な一市民として健全なことを考えていたら、ナルにステッキで軽く小突かれた。


「リングオブフェイトって初代賢者様が生成した一番有名な魔武器だよね。なんでそんなもの気楽に持ち歩いてるの?」

「師匠がくれたけ」

 窃盗品だという負い目を感じさせない揺るぎない返答だった。

 わかっていたことだけれど、ナルには反省とか後悔とかそういった後ろ向きな感情は初めから搭載されていないらしい。いっそ堂々としすぎていて清々しい。ここまで開き直れると人生楽しいだろうなと思う。

「道具は使ってなんぼっしょ。後生大事に飾ってても意味がないけ」

「ほう、若いのにいいこと言うじゃないか」

「若いからいいこと言うんしょ。だかーら、それチョーダイ」

 黙って距離を取っていれば良かったのに、不用意に口を挟んだ男性へナルのターゲットはまた移ってしまった。

 己の悪手にすぐに気付いた男性が顔を引きつらせてルーダを見たが、黙って両手を合わせて合掌しておいた。これ以上は知ったことか。

「ほーしーいー、ほーしーいー」

「やらんと言ってるだろ。おじさんを困らせんでくれ」

「やーだー。ほーしーいー」

 空を見上げて思う。

 平和だなぁ。


 などと現実逃避をするのもいい加減飽きてきた。ナルとの無限追いかけっこを強制された男性を目で追いながら、

「ところでおじさん、誰?」

 今さらすぎる問いを発する。

 半ば以上ナルのせいでついつい忘れてしまいそうになっていたが、こんな谷底に伝説級の魔武器を携えた魔導師(推定)がひとりでいるのはどう考えてもおかしい。パレニー・ラキッシュに会いに来たみたいなことを言っていたけどアポなしみたいだし。

「おじさんか? おじさんはジーモ。虚像のジーモなんて呼ばれてたかね。三魔人の、まぁあれだ、リーダーという名の貧乏くじを引いた哀れなおじさんだ」

「………………ん?」

 理解できなかった。

 男性を追い掛け回していたナルが足を止める。

「三魔人ってあれけ? 800年くらい前に活躍した謎の多い魔導師グループ」

「いやはや、おじさんたちも歴史に名が残ってたか」

「え? …………え?」

 追いかけられていないと今頃になって気付いたのか、ようやっと足を止めた男性ジーモがよっこいせと年寄りくさい声と共に適当な岩に腰を落ち着けた。

 こてんとナルが頭を左に傾ける。

「幽霊け?」

「それよりたちが悪いな。おじさんたちは死に返り(・・・・)だ」

 聞き返そうとしたルーダを遮ったのはナルだった。制止の合図のように顔の前に出されたステッキが腕輪へと変わる。


死魂(しこん)召喚なんて悪趣味なことしたんはどこの誰っしょ」

「それはおじさんの口からは言えないな。言わないんじゃないぞ? 言えないんだ」

「なーる」

 ひとり納得するナルに物言いたげな視線を送る。納得の独り占めは大変卑怯である。共有してほしい。

 ナルがちらとだけいちべつをくれた。が、すぐに逸らされた。

 説明してくれる気が皆無なナルに説明を求めるのはどだい無理な話だった、それだけの話である。落胆などしていない。するものか。

「おいおい、そんな目でおじさんを見るな。熱い視線は若い姉ちゃんからだけにしてもらいたいな」

 ただ見ただけなのに男性に文句を言われた。視線で説明は求めたけれど。求めたけれど。

「あたいはさっきから熱い視線を送ってるっしょ。杖に」

「あー……うん、いやいや、はは」

 苦笑はついに乾いた笑いに変わった。さすがはナル。

 詰め寄りそうな雰囲気を察してジーモの目がルーダに向けられた。

「少年、ホントはじっくりたっぷり時間をかけて死魂召喚について解説してやりたいとこなんだが、あいにくおじさんにもやらにゃならんことがあるんでね」

「やらなきゃいけないこと?」

「いやいやいや、これ言っちゃ少年たちと一戦交えなきゃならんからなぁ」

「言わなくてーも、あたいは一戦も二戦もする気満々っしょ」

 言いながらナルがステッキの先をジーモに向ける。大気に満ち始めたナルの魔力に、その本気度がうかがえた。

 ジーモがどこか面倒くさそうに嘆息する。吐き出した息にはタバコの煙が混じっていた。


 よいせとやはり爺くさい掛け声と共にジーモが立ち上がる。

「女の子と一戦交えるのはおじさんの主義に反するんだがなぁ。怪我しても後で訴えないでくれよ?」

「あたいは勝負事に後から文句言うほど恥知らずじゃないっしょ」

 右手にステッキ、左手に赤青黄それぞれの色のマナチップを持ってナルが構える。

 肩に担ぐようにして持っていた杖を下ろすだけで特に構えは取らず、ジーモの関心はむしろナルの左手の中のマナチップに注がれているようだった。

 魔力が広がる。互いに魔導を放つ前から勝負は既に始まっていた。

 這うようにあるいは染み入るように蔓延していくナルの魔力は、先天属性の影の特性を最大限に生かすように群生する。ピリピリと張り詰めた印象を与えない代わりに、突然背後に立っていたみたいなヒヤッとした印象を与えてくる。

 対するジーモの魔力はまるで雲のように悠然と漂いながらその勢力を広げていた。流れに逆らわず、それでもすべてを呑み込むように。こちらも周囲に緊張感や警戒心を抱かせない穏やかな、だけどいつの間にか包囲されていそうな印象を与えてくる。彼が何を得意とするかはわからないけれど、その手慣れた魔力の動きに彼が魔導師であることを疑う気持ちが完全に無と化していた。これで魔導師でなかったらルーダは以後魔導師だと名乗れなくなる。

「師匠以外では初めてっしょ。力ある魔導師に会うのーは」

「いやいやいや、おじさんなんて大したことないぞ。うちにはもっととんでもない化け物がいるんでね」

「光のオルフェに異界のニッチけ?」

「そうそう。あいつらはおっかないぞ?」

「それは楽しみっしょ」

 不敵に吊り上るナルの笑顔を見て、仕方がないものを見るような苦笑を浮かべてジーモが顎を撫でた。


 ひとり置いて行かれたのはルーダである。

 2人の会話の内容がわからなければ、2人が戦おうとしている理由もわからず、さらには当然のように2人の戦いへの介入は望まれていない。各々が伝説級の魔武器を構えて対峙している光景を見せられているだけ。

 おかしい。これは実におかしい。

(……あ、雨降りそう)

 魔力が膨れ上がるのを肌で感じながら、ぼんやりとルーダは思った。


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