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44_3 - ふぬけ

 投げ出された体が木製の椅子を蹴散らして地面の上を転がる。派手な音が広くもない天幕内に響き渡った。

「しししししししシックさん!」

 遅れて情けない声が耳朶を叩く。応える余裕はなかった。

 足音が近づいてくる。

 辛うじて顔を上げたシックの襟元をつかみ、足音の主は再度シックの体を宙へと投げ出した。今度は反対側へ。

 受け身すら取れずに体は無様に地面に叩き付けられて動きを止めた。

 肺から息が漏れる。最初に殴られた弾みで切れた口端から口内に血の味が広がった。

「立て」

 冷たい、底冷えするほど冷厳な声が降ってくる。

 有無も言わさぬ命令口調に普段ならば反発のひとつでも覚えただろう。今はその気が起こらない。

「立てと言っている」

 起き上がれないでいるシックの髪をつかんで引き起こし、声の主はそのままシックの頭を壁に叩き付けた。

 後頭部から伝わる衝撃で多少の加減があったことがわかる。加減があったとしても相当な強さだったことは確かだが。

 ちかちかと奥で瞬く目の焦点を合わせる。シックの髪をつかんでいる相手は驚くほど近くにいた。蒼の双眼に感情を込めず、なのに喉がひりつくほどの威圧を込めて、抵抗しないシックを見下ろしている。いや、見下している。

 射抜かれて目を逸らすこともできない。


「――――……立て」

 繰り返される。

 それは物理的にではない。理解できても、実行できない。

 拳が飛んできた。殴られたのだと一拍遅れて気付いた。

 衝撃が脳を揺らす。髪をつかまれている上に壁に阻まれ後ろに逃げられない分、与えられた力の大半がダメージとして突き抜けた。

「だだだダメですそれ以上は! シックさんが死んじゃいます!」

「この程度では死なない」

 くらくらする意識の中で誰かが言い争っている声が聞こえてくる。髪をつかんでいた手の感触が遠のいた。支えを失った体が壁をずるずると滑って落ちる。

 口の中に新たな血の味が広がっていた。今度は口の中を切ったらしい。どこか他人事のようにそれを確認した。

「そんなことをさせるためにヨーヒ様のところへ運んできたわけじゃありません!」

「私が事の顛末を聞いてこの行動をとると予測できなかったお前の不手際だ」

「そうですけど! エリスさんのためだと思って我慢してください!」

「エリスのためだと思うからこうしている」

「暴力反対! 反対反対反対!」

「うるさい」

 うんざりとしたため息が聞こえてきた後、足音が遠ざかっていく。

「大丈夫?」

 誰かが腕に触れた。先ほどまでと違って強くはなく、腫れ物に触れるような弱さで。

 心配そうに覗きこんでくる顔を見返して、言葉もなくシックは視線を外した。

 そっと息を吐く。しこたま打たれた体がそれだけの行為でも痛みを訴えてきた。

 顔をしかめたシックを見てまたわたわたするラドをいちべつして、すぐに視線を逸らす。彼が間に入ってこなければ気を失った後でも執拗に痛めつけられただろうと思うとぞっとしない。2,3日はまともに剣を振るうことすらできなくなっていたに違いない。

 倒れた椅子を几帳面に並べて直している男の背中を見ながらまた息を吐く。


 エリスと共に魔の王が消えた後、処理しきれなくなった感情に突き動かされるまま飛び出したのを覚えている。どこをどう駆けたのか覚えていないが、気が付いたらラドが開いた空間の切れ目に飛び込んでヤマトから大陸へと戻ってきていた。

 どうやらラドはエリスの様子をヤマトに着いてからずっと覗いていたらしい。思念の糸とやらでつながっていたエリスがいきなり大陸から離れてヤマトへ向かってしまったことでまた誘拐されたのだと思って慌てたそうだ。いつもはエリスが嫌がるから覗き見なんてしないのだが、今回ばかりは心配が極まっての行動なのだと。

 それでつながった先がリブエンド荒野の人間側の陣営なのがよくわからないが、ラドが知る中で最も頼りになる人物がそこにしかいなかったのだから致し方ないとも言える。シックにとっては冗談抜きで地獄だった。ここには上司である疾風騎士団の団長もいるのだ、こんな腑抜けた姿を見られたらスペシャル特訓コースにぶち込まれそうだ。

「エリスの居場所はわかったのか?」

 並べた椅子のひとつに腰を落ち着けて男、先ほどまでシックを痛めつけていたヨーヒがラドに問う。元より下がり気味の眉をさらに下げて、ラドは首を横に振った。

「思念の糸も切れてしまったので。ただ漠然と南のほうじゃないかなと感じるくらいです」

「勘か?」

「はい」

「……お前の鼻はよく効く。探索範囲を南に定めろ。必ず探し出せ」

「はい!」

 いつもは緩さしか感じられないラドも、エリスの兄代わりであるヨーヒには従の姿勢を取れるらしい。いや、内容がエリスに関することだから不満もなく従っているのかもしれない。


(エリス……)

 黄昏に体を支配されていた彼女の、その言葉を思い出す。

「ラド」

「はい?」

「それはもう使えない。元の場所に捨ててこい」

「え、あ、で、でも」

「捨ててこい」

 その会話の意味するところは説明を受けなくても理解できた。

 確かに今のシックは使えない。打ちのめされて立ち上がれずにいる。

 顔を上げられずにうなだれるままのシックを見下ろすヨーヒの視線はどこまでも鋭利だった。表情に乗っている感情は怒りと蔑み。帝国領のホロワ山脈で対峙したときのそれとはまったく違う。

 もっとも、いずれも"兄"の顔であることに変わりはない。

 あの時シックは彼に対して劣等感を抱いた。嫉妬を覚えた。

 筋の通らない理不尽な要求を子供じみた態度でぶつけられるのは、エリスが彼を完全に信頼していたからだ。

 今はどうだろう。今でもヨーヒのことを羨ましいと感じているだろうか。エリスが人間ではないと知ったうえで"兄"たらんとした態度を崩さないヨーヒを。

「……それはなんだ?」

「どれですか?」

「お前ではない」

 視線の圧が緩くなったのを訝しんで顔を上げる。ヨーヒの目線はシックの顔から下へと移動していた。下、シックの手に。


 拳。固く握りこまれた拳がある。

 意識して固めていたわけではない拳を見て、シックははっと息を呑んだ。

 白くなるほどに強く固められた拳は意思を込めてもなかなかその力を緩めない。まるでその右拳だけが別の生き物のように、シックの意思を悉く拒絶する。

 全身を蝕む虚脱感と鈍痛よりも、石のように固まった拳が訴えてくる猛りのほうがシックの神経を刺激した。

 くっと顔が歪む。鼻の頭を突き抜けていく痛みに、左手で顔を覆うことで耐えた。

「心が折れたのではないのか?」

 自然、首が横に振られた。それが意識してかぶりを振ったのか、体の震えがそうしたのか、シック自身わからない。

 口を開けばまた感情があふれて止まらなくなりそうだった。

「ラド、お前はもう行け」

「え、で、でも、僕がいなくなったらまた暴力振るうんじゃないですか?」

「そいつ次第だな」

「じゃあ行けません!」

「ラド、お前が優先すべきことはなんだ?」

「それはもちろんエリスさんですけど………………絶対に暴力振るわないでくださいよ! エリスさんに言いつけますからね!」

 騒々しく声を荒げた後、騒々しい足音を残して、騒々しかったラドの気配が遠ざかっていく。

 静寂の訪れた室内で、喉の奥から声が漏れることを耐えることがシックに今できるすべてだった。


 時間にして数分程度。

 感情の波が引いてからも状態を維持したまま。

 (にかわ)で固められたように動かなかった拳が開くことができるようになって、ようやくシックは顔を上げた。

「……――立てるようになったか?」

「もう少し、かな」

 立てた片膝の上に顎を乗せる。

 零度以下に達していたヨーヒの視線もその温度を上げていた。

「今後どうするつもりだ?」

「変わらないさ。エリスを護ると誓いを立てたことを貫き通す」

「その想いが誘導されたものでもか?」

 ふっと鼻から息が漏れる。軍属らしい実に乱暴な荒治療をしてくれた人物は、どうやら思っていた以上に性格も悪いらしい。そういえばあの粗暴なトウナもヨーヒのことを一目置いていたようだから、見目麗しい姿やエリスに対する態度だけで判断を下してはいけないということか。

 右手に視線を落とす。先ほどまできつく握られていた見慣れた手に何か面白い答えが書かれていることは当然ながらなかった。

 握る。今度は軽く。

「俺は本気で誰かに惚れたことがなくてね。これまで何度も疑ったんだ。同情なんじゃないかと、一時的な錯覚なんじゃないかと。以前ルーダに惚れているのかと問われたときにはっきりと答えることができなかった」

 独白のようなシックの気持ちの吐露にヨーヒは口を挟まなかった。相槌すら。

 ありがたいことだ。余計な雑音は必要ない。

「今回その想いを全否定されて、それでも欲しいと思った。魔の王に、ラドに、君に、俺は嫉妬した。彼女が誰であっても関係ないという態度を貫ける君たちに。俺にはそれができなかった」

 再び固くなる右拳を、力の限り振り下ろした。


「ふざけるな!」


 振り下ろした拳が地面を叩く。むき出しの地面はその程度の力に屈するでもなく、むしろシックの拳に痛みを与えただけだった。

 通り過ぎた一過性の感情を呼吸を繰り返すことで落ち着ける。

 シックは目にかかる前髪を指先で払い、背中の壁を頼りにゆっくりと立ち上がった。

「俺はエリスを護ると誓った。羽を広げ自らの力で大空を羽ばたき自由を歌う彼女のすべてをだ。理由もなく護りたいと思ったわけじゃない。エリスがエリスだから」

 拳を振り下ろす。

 今度は遠ざかった地面ではなく、背後の壁を激しく叩いた。薄い板材で設えられた壁が抗議するように軋んだ悲鳴を上げた。

「この想いがまやかしであるものか!」

 沸き起こる憤りはしかし、長くは継続しなかった。

 ジンジンと痛みを訴えてくる右の拳を壁に押し付け、大きく息を吐いて顔を上げる。一言も口を挟まず、ただシックの言葉に耳を傾けていてくれたヨーヒの蒼眼と視線がかち合った。

 息を吸う。止める。吐く。また吸う。

「ヨーヒ、君の妹はもらっていくぞ」

 目を逸らさず、目を逸らさせず、一言一句聞き逃させないようにはっきりと言い切る。

 それは宣誓。エリスを護ると勝手に誓いを立てたときと同様、ヨーヒに対して勝手に誓いを立てる。

 これは決定事項。反対することも許さない。

「……あれが望むのならば好きにすればいい」

 静かに目を閉じ、ヨーヒは言う。

「だが無理やり奪おうとしたら、社会的に君を葬り去ることも辞さない」

 さらりと恐ろしいことを付け加えられた。

 苦笑してシックは肩をすくめた。

「もちろん、無理に奪うなんてことはしない。むしろ彼女には恥ずかしいセリフを言わせられるほど惚れさせるつもりなんでね」

 ヨーヒが片目を開ける。発言が冗談でもなく本気だと見て取ると、少しだけ顔をしかめて嘆息された。

「君はエリスの好みのタイプとは真逆の存在だから望み薄だと思うが、努力することは自由だ。精々無駄な時間を過ごすといい」

「棘しかない励ましをありがとう」

「いつか君をゼロウィングから吊るして世界一周する日が来ないことを願っている」

「気のせいかな。期待しているように聞こえるのは」

「額面通りに言葉を受け取れないのは心が濁りきっている証拠だ」

 涼しい顔をしてなかなかの毒を吐いてくれる。これが素の性格なのか、未だにお怒りモードが継続しているのか、判断に迷うところである。後者だとすると甘んじて受けざるを得ないだろう。

 が、オロの容赦ない口撃に半日ほどさらされたシックにとっては、残念ながらヨーヒの放つ棘を持つ毒はさほど精神を抉らない。ヨーヒのそれはエリスを思うが故の内容だからこそ自戒にもつながるが、オロのそれは無防備な精神を削り落とすこと自体に目的を持っているのでアイスピックでガリガリとやられているようなものなのだ。威力が違う。

 とはいえ、長時間ヨーヒの嫌味を聞いているのもつまらない。


「それよりここの状況はどうなんだ? 魔の王が指揮を放棄した影響は出ているのか?」

 露骨に話題を変えることにした。

「状況に変わりはない。元々名目だけで王自ら指揮を執っていたわけではないからな」

 変わった話題を特に気にした様子もなくヨーヒも乗ってくれた。話題を変えても変えた話題で精神を抉ってくるオロとは大違いである。彼は世の平和のためにどこか大きな蔵か何かに封印されたほうがいいのではないだろうかと本気で考えたほどだ。一番の被害者であるトウナも賛同してくれるだろうと思う。

 いや、人畜有害な男のことは記憶から抹消しておくとして。

 魔の王であるバーリハーの意思に関係なく戦争状態が継続しているということはやはり、魔の実質的な王は黄昏であってバーリハーは表向きに飾られただけの王でしかなかったということで間違いがないのだろう。虚飾の王でしかないとしたら、彼もまた哀れな存在だ。自由を愛するエリスに傾倒する気持ちもわからなくない。

 だからと言ってエリスを譲る気は毛頭ないが。

「ラドが戻ってくるまで俺も参加してもいいか?」

「私に言われても困る。君はジスターデ国所属の騎士なのだろう?」

「……調べたのか?」

「素性の知れない男がエリスの傍近くにいるのを許すとでも?」

 疑問を疑問で返したら疑問を返された。顔に苦みを浮かべて前髪をかき上げる。

 疾風騎士団所属の騎士という立場上、シックがこの場にいるのは非常にまずいのだ。兄の訃報を理由に長期休暇を申請している身だからどこにいようが問題はないと言えば問題ないが、主戦場であるこの場にいることは明確な命令違反と言える。シックを知っている騎士に見つかったら間違いなく罰せられるだろうと想像がつく。

 ちらとヨーヒを見る。涼しい顔をして顔を逸らされた。助ける気はないらしい。

 うまい具合に網抜けできないかと考え込み、難産で絞り出したそれを口にする前にシックは近づいてくる足音に気が付いた。


 ラドが戻ってきたのかとも思ったが、あそこまで素人丸出しの気配ではない。

 ヨーヒをいちべつして、それから入口に目を向ける。慌てているのか荒々しい足音は入口で止まることなく室内に突入してきた。

「報告しますっ!」

 入ってきたのは軍人だった。

「中央に何者かが奇襲をかけました! 人魔両陣営の将を斬り捨てなおも進軍中!」

 目を見開く。寝耳に水どころの話ではなかった。

「被害は?」

「第二空軍および第三陸軍、ジスターデ国飛翔騎士団壊滅! 飛翔騎士団団長の死亡を確認!」

「――っ!」

 思わず息を呑んだ。帝国の軍はともかくとして、シックの兄が所属していた飛翔騎士団の団長が討死したなどと。騎士連中の間で結婚ができるかどうかで賭け事の対象にされていたあの女傑が。

「魔の被害は?」

「指揮官とみられる絶魔フアルコが撃墜されるのを複数人が目撃! 指揮系統を失った魔軍は散り散りに逃げ惑っています!」

「乱入者の数は?」

「ひとり!」

 ヨーヒが立ち上がる。その横顔は完全に軍人のそれだった。

 剣帯に下げた剣を確認する。ヤマトに置き去りにしてきたと思ったが、混乱状態の中でも剣だけはちゃんと持ってきたらしい。

「疾風騎士団と連携して速やかに撤退を開始。今後は疾風騎士団団長の指揮に従え」

「は! し、しかし乱入者は――」

「私が出る」

 部下の反応を待たずして歩き出すヨーヒの後をシックも追った。


「君も撤退軍に混ざれ」

「断る」

 即答したら軽くねめつけられた。

「この状況で降って湧いたように現れた何者かがたったひとりで人も魔も斬って回っている。俺にはどうにも黄昏のにおいを感じてならない」

「…………下手をしたらエリスに再会する前に命を落とすことになる」

「そのときは俺に天命がなかったということだ」

 ヨーヒが立ち止まる。シックも立ち止まった。

「大馬鹿者の理論だな」

 軽く何かを足元に投げる動作をしたヨーヒから告げられた評価に、シックは満足そうに笑んだ。

 足元で顕現した幻影怪鳥(ゼロウィング)がヨーヒとシックの体を背に乗せ浮上する。初めて乗るゼロウィングに驚く暇もなく、風を切ってゼロウィングは天高く舞い上がった。


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