44_2 - 黒いカード
「少年。少年」
体を揺すられると共に声をかけられる。
わずかに沈んでいた意識を浮上させて、ルーダはゆっくりと目を開けた。
「起きるっしょ、少年」
「ひぁっ!?」
全身をまさぐられる感触にルーダは飛び起きた。
ぞわぞわと駆け巡る不快感に身をすくませる。視線を感じて顔を上げれば、にやにやと見下ろすナルの視線とぶつかった。
体を抱く。
「ぁたっ」
軽くはたかれた。ろくでもない想像をしたことに気付いたのだろうか。
痛くはないが頭を撫で、そこではたと思い出す。
「ティッケは!?」
「師匠が連れてったっしょ」
勢いよく立ち上がろうとしたら頭を押さえられた。大きなリアクションを取ることを封じられて不満を感じながらも、冷静沈着な様子のナルを見て慌てるような状況ではないのだと思うことにした。
立ち上がることを諦めてあぐらをかく。
「けーど、助かるかどうかは五分五分け、楽観はできんっしょ」
「うえぇ!?」
「ま、賢者の血を絶やすわけにもいかんけ、どうにかするっしょ」
あっけらかんと言い切るナルの能天気さに、ルーダはがっくりとうなだれた。
頼りにしていいのかどうか迷うところである。
うなだれたままであの時の光景を脳裏に描く。
目の前にいたのに守れなかった。
仕留めたと油断して何もできずにいるルーダの目の前で、醜悪に伸びた爪で刺し貫かれるティッケの姿。生々しく鮮明に思い出すことができた。
固めたこぶしをぐっと腹に押し付ける。
貫かれた痛苦を想像しただけでも顔が歪んだ。
「にしても困ったっしょ」
記憶に沈みそうになっていた意識がナルのつぶやきで浮上する。
顔を上げる。ちょうどナルがルーダの前に座ったところだった。
「なにが?」
「襲ってきた魔は追い返せたけーど、ボーズを治療するために師匠が封印解いたかーら庵から追い出されたんしょ」
「封印? ――ってあれ? ここどこ?」
今さらながらあたりを見渡す。
見事に何もない場所だった。むき出しの岩肌、草木ひとつ生えていない固い地面、枯れた細い木。岩肌を上へ上へと視線で撫でていくと、首が完全に後ろに傾いたころで終わりが見えた。
総合的に判断を下す。
ここはどこかの谷底だ。
「言ってなかったけーど、師匠の庵は異空間にあるんよ。ここに入口があったんしょ」
かくんと首を戻す。
「封印解いた師匠の流出魔力に耐え切れずに消滅したけーど」
「そ、そんなにすごいんだ」
「師匠の魔力総量は少年のとは桁が違うっしょ。少年が手も足も出なかった魔も一瞬で蒸発させてたけ」
「あう」
事実を突きつけられてルーダはへちょりとうつぶせるように倒れこんだ。
今の時代で最強と言われる魔導師と対抗しようとは思わないが、それでも自分では太刀打ちできなかった敵を苦も無く打ち倒されると己の無力さに打ちのめされる。ナルとの修行もまったく意味をなさなかったのだと思うと惨めさはいや増した。
ナルの手がぺしぺしとルーダの頭を叩く。
体を起こす気になれずに目だけ向ける。呆れたような半眼を向けられていた。
「キミは高望みしすぎっしょ。あれは中堅魔の月種だったかーら、キミには荷が重かったっしょ。月種でさえなければキミでも十分に余力を残して倒せたけ」
慰めの言葉も心に響かない。
口を尖らせるルーダの頬をナルの手が挟んだ。割と強く。
「仕方がない少年だーね。手出すっしょ」
何かを諦めたようにナル。
訳がわからないまでも、従うようにルーダは体を起こして右手を出した。そこにナルが一枚のカードを乗せる。黒いカードだった。
「マナチップ?」
「師匠がキミにあげた白のマナチップや、あたいが使ってる赤とか青のマナチップとはまったくの別物っしょ」
裏返しても陽にかざしても真っ黒。特に強い魔力も感じられない。
白は治癒の力を、赤は恐らく火の力、青は恐らく水か氷の力を宿している。ある程度は色で効果を予想できるこれまでのマナチップとは確かに違う気がする。黒はあまりいいイメージではないし。
「それはドーピングっしょ」
「ドーピング?」
そ、と短く答えてナルが目を閉じる。眉間にしわを寄せている様子は珍しかった。
「少年にはおすすめしないけ、渡したくなかったんだけーど」
そこでため息ひとつ。
「思考速度の加速とーか、魔導師に必要な能力が強化されるんよ」
「なにそれすごい」
「たーだし、使ったら3日後に全身筋肉痛になるっしょ」
「なにそれこわい」
まるで久しぶりに運動をした中年のような恐ろしい反動があるらしい。
微妙にすごいんだかそうじゃないんだからわからないものの、筋肉痛程度の反動に比べて与る恩恵は割と破格とも言える。二十歳にもなる前に世の中年男性と同じ症状を体験するのは精神的にかなり抵抗があるけれど。
なんにしろ今のルーダにはそれを突き返す理由がなかった。
「ありがと。大事に使うよ」
「使わないなら使わないままのほうがいいっしょ」
「なんで?」
いそいそと黒のマナチップをしまい込みながら首をひねる。
マイナス部分は確かにあるものの、それも冷静に考えれば嫌がらせレベルのものでしかない。ナルが渡すのを躊躇するほどではないと思う。むしろ嬉々として使わせるレベルの嫌がらせではないだろうか。
疑問符を浮かべるルーダを見て、ナルが盛大に呆れたように首を振ってため息を吐いた。少しイラッとした。
「キミは全然ダメっしょ。ダメダメっしょ」
こき下ろされた。
理由もわからない発言に思わずムッとなる。
ナルはまたため息を吐いた。
「外からむりくり引っ張り上げるのはキミの成長に悪影響を与えることもあるんしょ」
「悪影響って?」
「説明するのめんどい」
「へ?」
「めんどい」
思わず気の抜けた声で「えー」と言ってしまった。
そこまで言っておいて説明が面倒だからと説明を拒否するとは。おあずけを喰らった気分である。
とはいえ食い下がって求めたとしても、一度やる気をなくしてしまったナルをその気にさせることは困難極まる。甘味処に放り込まない限りは無理だろうと思う。
諦めの息を吐く。ナルはなぜかにひひと笑っていた。明らかにルーダの反応を楽しんでいるのはわかったけれど、それに対してコメントする気にはなれなかった。
「要は、無理に剥いてもサナギは蝶にならんっつうことだな」
「そうそう、それっしょ」
「あー……あ? ……ああ、なるほど。……――なるほど?」
諦めていた説明をうまいこと例えられて納得の声を上げる。ニュアンスがなんとなくわかった程度だけれど。
「ん?」
「あれ?」
疑問を感じたのは2人ほぼ同時だった。
顔を見合わせて、それからゆっくりと首を横へと巡らせる。
「いやはや、しかし困った。一足遅かったか」
無精ひげの生えた顎をさすりながら男性が言う。さも知り合いですみたいな空気感を出しつつ手頃な岩に腰かけていた。
場違いとも言える派手な柄のインナーの上に革のジャケットを羽織っている姿から、なんとなく胡散臭さを感じるのは、恐らくその系統の人種にルーダが接し慣れていないからだろう。大きく開いた胸元から覗く程よく鍛えられた胸筋と胸毛は、長いこと直視していることができなかった。
なんと言ったらいいものか。シックにはまだない大人の男の色気みたいな。
左腕に抱くようにして持っている飾り気のない杖がアンバランスすぎて、それが男性の魅力を損なっているようにも見えた。それでも十分に垂れ流しているフェロモンで胸焼けしそうになる。
「人生遅すぎることなんてないっしょ」
「はは、いいこと言うねぇ」
「崇め奉ってもいいけ?」
「いやいや、遠慮しておくよ」
誰を相手にしていても変わらないナルの言動に男性が苦笑して手を振る。
戸惑っている風には見えなかったので、恐らくナルの知り合いなのだろう。ナルの周りには見た目が変な人が多い。布の塊だったりちょい悪風おっさんだったり。ナルも服装こそ魔導師然とはしているけれど、髪の毛の色とか瞳の色とか明らかにおかしい。
「あれ? ナルの髪って染めてるの?」
ふと浮かんだ疑問をそのまま口にする。
少し驚いたように目を開いたナルは、前髪を軽く指先でいじってからなぜか遠い目をした。
「師匠の実験に付き合ったら」
「副作用!?」
「なわけないっしょ」
指さしてケラケラ笑われた。
ウソだったらしい。
相変わらず意味のないウソを平気で吐く人である。見破れない自分が悔しい。
「その嬢ちゃんにやり返すにゃ、相当な精神修行が必要だぞ、少年」
「わぁ、この人にはまで少年言われた」
言われた内容よりも自分に対する呼称のほうが気になった。少年という年齢ではないと思っているのに、ナル関係の人間は自己紹介すらさせる気もなく皆が皆、ルーダのことを少年と呼ぶ。いい加減ルーダは怒ってもいいはずだ。
「少年に入れ知恵しないでほしいっしょ」
「いやいや、青い少年があまりにも可哀想だったんでね」
「それを楽しむもんしょ?」
「鬼畜だねぇ」
「師匠なら適当にそうだねって言ってくれるけ、おっちゃんもそう言っとくといいっしょ」
「少年すまない。援護射撃は無理そうだ」
「は、はぁ」
そう答えるのがルーダには限界だった。
男性の好意――なのだろう恐らく――に感謝したら良かったのか、ナルの奔放ぶりに呆れたら良かったのか。
「で? おっちゃん誰っしょ」
「知らない人だったの!?」
声が裏返った。
完全にナル関係の人間だと思い込んでいただけに、衝撃は大きかった。布の塊ほどではないけれど。
「知らんしょ。こんな怪しいおっちゃん」
「おいおい、怪しいはないだろ」
本音を隠さないナルの発言にも、男性は苦笑で返すだけだった。やはりどこか慣れていると感じる。
もしかしてあれだろうか、2人が共謀してルーダをからかっているとか。そんなことをして何が面白いのか知らないけれど、特に意味のないことをするのがナルなわけだし。そのナルの関係者が意味もなく協力することも十分に考えられる。
――いや、ないかな。
胸中で結論に至る。いつも通りリラックスしまくっているように見えて、ナルの体内をゆったりと巡る魔力はわずかに警戒の方向性に動いていた。
「おじさんはただの通りすがりの旅人だよ。今は休憩中」
軽く肩をすくめて、男性。
「最強の魔導師ってのに会ってみたくて遥々来たんだが、いやはや、おじさんはどうやら間が悪かったらしい」
「師匠は人嫌いけ、あたいが連れてく人間にしか会わんっしょ」
「ほう、そりゃまた難儀な。嬢ちゃん案内してくれるかい?」
「イヤっしょ」
後ろ頭をかく男性が困ったようにまた苦笑する。
どうでもいいことではあるが、ちゃらい服装をしている割に、その男性には苦笑が様になっていた。普段から苦笑をし慣れているのか、ナルとのやり取りによってそういう印象がついてしまったのか、やけにしっくりくる苦笑姿を見せながら男性は嘆息した。
「せんせーこーげきくらーっしゅ」
魔力が迸る。棒読みに近い間延びしまくった声と共に。横から。
地面を這うように展開された魔力は、男性が腰を下ろす岩の左右から土壁を屹立させ、
「おいおい」
押しつぶした。
ルーダの顎が外れるほどに開かれる。
なんということでしょう。目の前で知り合いがいきなり殺人を犯しました。
こっちにも新キャラ登場。
ナルの名誉のために補足しておくと、ルーダの体をまさぐったのはナルが操ったルーダの影です。




