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43 - 太陽の華

 つかむことを求める、伸ばされた白く細い指。トレジャーハンターという職業のくせに、やけに手入れの行き届いた形の良い爪が彼女らしさを演出しているようだ。鍬などの農具、剣などの武器、そういった類のものを握る機会がなかったのだろう手はシックの手とは比べようもないほどにきれいだった。女性の手だという点を差し引いたとしても柔らかそうで、光に誘われる虫のように思わずその手をつかみそうになってしまう。

 シックの本能を押しとどめたのは理性ではなかった。ましてや感情でもない。隣にいる毒使い、オロに腕を物理的につかまれていたからだ。

「我が都へと至れ。辿りつけし者だけを永遠の都へと招き入れよう」

 誘惑するような甘い微笑を向けて、睦言を囁くようにエリスが言う。

 ――違う。

 まるで違う。エリスはシックに対してそんな甘い微笑は見せない、企みもなしに甘い声を出さない。

 ヴェザ、奴はそう名乗った。神王などと思い上がった自惚れを口にして。

「賢者の少年は? 彼の力で君の力は封じられていたはずだが」

「我が駒が始末した」

「…………エリスは?」

「この器の名か? ならば奥底に沈んでいる。我が都へ至るまで死に絶えてもらっては困るゆえな」

 伸ばされていた手が下ろされる。つかまれることがないことを察したのだろう。

 視線が外される。もはやシックに興味などないとばかりに。


 じりじりと距離を詰めていたトウナは、エリスの視線が移動しきる前に床を蹴った。

 刀身が躍る。

 きれいに水平を切る軌道を描く刀に迷いなど微塵もない。やるべきことをやると決めた男の動きにためらいなどあるはずがなかった。

 対するエリスの動きもまた迷いはなかった。

 軽く上げた手を向かいくるトウナに向け、見ることのできないナニカでその剣戟を弾き返す。反撃のつもりなのか突き出した反対の手から発せられた螺旋状の濁った魔力の渦が、一旦距離を取るために跳躍したトウナを追撃した。

 その濁った魔力の渦を横合いから飛び出してきたシュキハの槍が突き消す。魔導に疎いシックの目から見ても濃密と思えた魔力の渦を、ただの槍の一突きで相殺したことは驚嘆に値した。

 タイミングを同じくして、オロが袖下からナイフに似た鋭利な何かを投擲する。エリスはそれを左腕を振るだけの動作ですべて叩き落とした。

 攻勢は止まらない。

 シュキハの背を踏み台に、トウナが宙に舞う。踏み台にされたシュキハもまた、体勢を低くしてエリスに迫った。

 上と下からの同時攻撃。あれだけ仲の険悪さを惜しげもなく披露していた割には見事な連携だった。


 ――だからこそ。


 強く床を蹴ると同時に剣を引き抜く。返却されたばかりの片手剣は、離れていた時間を抗議するように手への馴染みをなくしていた。

 それでも剣が本来の役目を放棄することはない。握る柄を通して返ってくる重さにシックは顔をしかめた。

「ふっくくくく」

 喜悦に歪んだ笑い声を背中に受けながら、シックは強引に剣を振り切った。力に逆らわずに跳んでくれたのか、思っていたよりもシックに負荷がかかることはなかった。

「おめ――」

「わかっている。君たちの行動こそ正しい。俺のやっていることは事態を悪化させ、エリスに苦痛を強いるものだ」

 後方に着地したトウナを遮って言葉を紡ぐ。

 体に急制動をかけて立ち止まったシュキハが戸惑いの視線を向けてくるのを受けて、煩悶とした感情を表情に乗せてシックはかぶりを振った。

「それでもダメなんだ。たとえそこにいるのがエリスとは似ても似つかない醜い下種野郎だとしても、その体は紛れもなくエリスのものだ。彼女の体に一筋でも傷がつけられるところを黙って見てはいられない」

 エリスの前に立ってヤマトの3人と対峙する。

 口にしたことが理にかなっていないと理解していても、シックはそこに立たざるを得ない感情を抱えていた。


「いつの時代も、うぬらは成長せぬ愚者だな」

「君がさっさとその体から出ていってくれれば済む話なんだがね」

「それはできぬ相談だ」

 嘲笑を受けて表情が歪む。叩き斬ってしまいたい衝動はそれでも、その肉体の持ち主を護るという感情を超えることはなかった。

「そも、この器は我がために用意された器。どう扱おうと我の自由だ」

「望んで君の受け皿になったわけじゃないさ。偶然が重なった結果に過ぎない」

「ふっくくくく。偶然、とな」

「……? 何がおかしい?」

 今にも飛びかかってきそうなトウナをけん制するために振り向けないまでも、背後の存在が漏らす声音が愉悦に歪んでいたのは察せられた。トウナもシュキハも、その様子に怪訝そうに眉根を寄せている。

 シックの発言の何におかしなところがあったのか、エリスの体を操る下種野郎はエリスの声帯を使って笑い続けていた。


「――……太陽の華」

 口元を袖で隠しながらも、青くなった顔までは隠せずに、ハスノミヤ。

 全員の――エリスは除く――視線が声を発した主に集まった。

 両の目が閉ざされたままなのは変わらない。それなのに、笑い続けているエリスに向けられるあるはずのない視線には怯えにも似た感情がにじんでいた。

「太陽の華? 魔の王が呼んでいるとか言っていたエリスの呼び名か?」

 昨日のエリスの発言はよく覚えている。魔の王バーリハーを最警戒人物に認定した発言の中に含まれていた単語だ、忘れるはずがない。

 ふるふると弱々しくハスノミヤが首を振った。

「まさか。いや、じゃが……――」

 ひとり問答を繰り返すハスノミヤに苛立たしげな視線を向け、耐えきれずに後ろを振り返る。

 笑い続けていたエリスは、物言いたげなシックの視線を受けると存外あったりとその笑いを奥へとひっこめた。


「太陽の華エリシアナ――それはノエキスト王朝最後にして至高の作品。その華は、太陽神シルフェリウスの御心に沿うために用意された。その華は、世界の終焉に咲くために用意された。その華は、黄昏の王を覚醒させるために用意された」


 歌うように紡がれる言葉を理解するのは、今のシックには無理そうだった。

 いったいなんの話をしているのか。いったい誰の話をしているのか。

 やけに動かしにくい首を回して顔の位置を戻す。トウナも、シュキハも、オロも、ハスノミヤでさえも、一様に愕然とした表情を浮かべていた。エリスを見るその眼差しは、ひとりの生命体を見るものではなくなっていた。

 指先が痺れる。手が震える。口の中が乾いてうまく息ができなかった。

「この器はうぬらと同じヒトではない。世界に黄昏を招くために創られた華だ」

「……ウソだ」

「ふっくくくく」

 嘲笑がシックを追い詰める。

 もはやトウナをけん制することも忘れて、ふらつくようにしてシックはエリスへと体ごと振り返った。

 エリスだ。何度も舐めるように眺めまわしたエリスそのものだ。変わらない。中身が違っても。

「この器に惹かれずにはおれなかっただろう? 愛さずにはおれなかっただろう? これはそう作られている。目的を遂行するまで華を守護する人材を確保するために。うぬは良い守護役として働いた」


 心臓が止まったかと思った。

 手から剣が滑り落ちる。

 妖しく笑むエリスから自然と離れるように後退っていた。

「ここまでの旅路、ご苦労だった。うぬはもう必要ない」

 それがエリスからシックへ向けられた最後の言葉だった。

 エリスが右手を上げる。それは攻撃のための動作ではなかった。

 空間が歪む。エリスの斜め背後、空間から吐き出されるようにして黒い人影が吐き出された。軽く被せられたフードの下から覗く深い紫色の双眸に射すくめられるように、シックの体はびくりと跳ねた。

 いちべつされたのはその一瞬だけ。

 現れた黒い人影、魔の王バーリハーは膝を折ってエリスに跪いた。


「待て。おめぇをこのまま黙って見送るとでも思ってんのか?」

 シックを押しのけトウナが前に出る。

 抜身の刀を提げ、無防備に見えてその実油断のない足取りで近づくトウナに、エリスはただつまらないものを見る視線を向けるだけだった。

 言葉もなくエリスのいちべつがバーリハーに向く。

 影が動いた。

 金属同士が奏でる不協和音が鳴り響く。抜刀したバーリハーの紅い刀身の刀とトウナの刀とが鍔迫り合う。激しく火花が散った。

「どけ! おめぇにとってもそいつは仇なんだろうが!」

 怒鳴るトウナに対するバーリハーの返事はなかった。表情もなく、感情もなく、絶妙な力加減をもって鍔迫り合いの状態を維持する。引くに引けない、押すに押しきれない、そんな絶妙さだ。シュキハもオロも下手に手を出せない状態だった。均衡が崩れれば危ういのはトウナのほうだ。

 お飾りの王の座に甘んじながらも、魔の王の名は伊達ではない。その強さはトウナを軽くあしらえるほどだった。

 空間が軋み、バーリハーの周回に魔力球が出現する。赤、青、黄、と色とりどりの魔力球は、離れていてもそれが内包する魔力で肌が焼かれるほど。まともに受けたらそれだけで致命打になりそうだった。


 シュキハが、オロが動く。

 だが遅い。

 一斉に放たれた魔力球は、鍔迫り合いから脱せられないままのトウナに容赦なく降り注いだ。

「トウナ!」

 誰かが叫んだ。女の声だったのからシュキハかもしれない。ハスノミヤの可能性もある。どちらにしろ誰かが叫んだことだけは確か。

 もうもうと立ち上がった色づいた水蒸気のせいで状況の把握は困難になった。色づいていることから埃や煙などではなく、バーリハーの作り出した魔力球によるなんらかの影響なのだろう。

 どんな悪影響が出るのかわからないので、シックは鼻と口を押さえてさらに後退した。

 視界不良な室内に金属同士がぶつかり合う音だけが響いてくる。トウナが無事だったのか、シュキハに攻め手が変わったのか。


「ぅぐっ」

 水蒸気の向こうからくぐもったうめき声が聞こえてくる。

 何が起きているのか目を凝らしても見えてこない。ただ、そのうめき声を最後に剣戟の音は聞こえなくなってきていた。

 ふわりと柔らかく空気が動く。

 視界を汚していた水蒸気が渦を巻いた。

「――ぉ……の、れ……」

 視界が晴れる。

 シックは目を瞠った。

 抉れた脇腹からおびただしい量の血を流しながらも、刀を杖代わりに立つトウナ。そのトウナを支えるシュキハとオロ。

 そして。

 紅い刀身を胸から生やしたエリスと、彼女を貫くバーリハー。

 血の滴りを持たない刀身に貫かれたエリスは、いっそ艶やかなひとつの作品のようにも思えた。


「我、に、逆らうか」

「沈め。その肉体はエリシアナのものだ」

 紅い刀身が波打つように輝きを増した。エリスの顔が苦悶に歪む。

「華に、魅入ら、れ、たか。おろ、か、な」

 一息に刀が引き抜かれた。反動で倒れこんできたエリスの体を、絹でも手にするように優しくバーリハーが受け止める。

 刀身が生えていたはずの胸から血が噴き出すことはなかった。それどころか衣服が破れている様子も見られない。あれだけ野放図に垂れ流されていたどす黒い魔力も霧散していた。

 出会ったころから一度も感情を乗せたことのないバーリハーの顔に柔らかさが浮かぶ。慈しむように。

 ――遠い。

 少し前まではその場所はシックのものだったのに。今はその場所がとても遠い。踏み出せない足が縫いとめられたように動いてくれなかった。


 バーリハーが踵を返す。空間が縦に割れた。

「待て、王よ。華をどこへ連れて行く気じゃ?」

「黄昏の手の及ばぬところ」

「そなたはその道を歩むのか? エドゥとは異なる道を」

 肩越しに振り向いたバーリハーの深紫の双眸にはなんの感情も宿ってはいなかった。冷やかさもない。ただ無感情。だからこそ余計に薄ら寒さを覚えた。

「この身もこの魂も、エリシアナのために使うと契約を交わした。エリシアナがどんな存在であろうとその契約が朽ちることはない。たとえこの契約が我が同胞を裏切ることになろうと」

同胞(はらから)よりも愛する者を選ぶのじゃな」

「…………親友(エドゥ)の愛した女、黄昏の悪意に呑まれぬよう気をつけろ」

 それが最後だった。

 エリスを腕に抱いたバーリハーの体が割れた空間の中へと吸い込まれていく。

 一度もシックに視線が向けられることはなかった。


 体が膝から崩れ落ちていく。

 蠱毒のように喰らい合う感情のままに、シックは頭をかき抱いた。


承終了。次話から新章である転が始まります。

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