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42_2 - 災厄の影

 バン、と激しく床を叩く音が室内に響き渡った。

 喧騒の中にあった室内が水を打ったように静寂を取り戻す。その場にいた全員の視線がその音の発生源に集まった。


「いい加減にしなさい!」


 怒気に染まった声にシュキハは跳ねるようにして背筋を伸ばした。

 普段あまり本気で怒る姿を見せないからこそ、まなじりを吊り上げて声を荒げる姿に鬼気迫るものを感じた。ついでに罪悪感も半端なく刺激される。

「トウナ、あんたもう大人なんだからいちいち妹に噛みつくんじゃないわよ。仲良くなれとは言わないからケンカしないで」

「あ゛ぁ? 誰が妹だ! オレ様はこのアマを妹と認めてねぇんだよ!」

「うっさい! あんたの意見なんて聞いてないのよ! 私がケンカするなって言ってんだからおとなしく従いなさい!」

 恫喝の声を出すトウナに正面から言い返すエリス。逆にトウナが引いた。

「シュキハも。あんたもトウナの神経逆撫でする対応すんじゃないわよ」

「いや、しかし拙者は――」

「あんたの意見も聞いてない! 返事は、はい!」

「はい!」

 ぴしゃりと言い放たれてまたしても背筋が伸びた。

 正論を吐いているだけに横暴だと言い返すこともできなかった。形の良い柳眉を持ち上げて作られた怒りの表情を正面から受け止めるのもシュキハには荷が重かった。


「あとそこ! 卑猥談義に花咲かせてんじゃないわよ!」

 怒りの矛先が別の場所に向かう。

 鋭いエリスの眼光は、壁際にいるシックとオロの2人を射抜いた。

「ん? なんだ? 嫉妬か?」

「しないわよ!」

「ああ、混ざりたいのか」

 さすがと言うべきかどうか。

 怒気をはらんだエリスの声を受けてもシックが怯むことはなかった。むしろこれ幸いとからかおうとするところがなんともシックらしかった。

 というか愚かと言うべきか。

 ぶちっとエリスの中で何かが切れる音が聞こえたような気がした。

「……トウナ、あいつ斬って」

「お? いいのか?」

「いい許す」

「よっしゃ、任せろ」

 けしかけられたトウナがなぜか嬉しそうに刀を抜くのを、背後に回って羽交い絞めにすることで止めた。放っておいたら本当にシックと一戦交えそうだった。

 自重しろ、という念を込めてシックをひと睨みする。片眉を上げて視線を逸らされた。


「はぁ……もうなんなのよ、このまとまりのなさは」

 額を押さえてかぶりを振るエリスにかける慰めの言葉は思いつかなかった。彼女を悩ませている原因のひとりがシュキハだ。何を言ったところで苦笑い以上の反応を得られそうになかった。

「疲れたのなら添い寝でもしようか?」

「いらない」

 相変わらず自重しない男はいるが。

 さらに深々とエリスはため息を吐き出した。そのまま体を倒してこてんと横になる。いつもはバンダナに隠されている金糸の髪が畳の上に広がった。

「あ~、癒しが欲しい」

「俺は?」

「エロいことするからやだ」

「……ふむ、それはつまり期待しているということか?」

「頭腐ってんの?」

 すげなく断られてシックが肩をすくめた。彼は自重という言葉を搭載していないらしい。


 羽交い絞めにしていたトウナが身じろいだのを感じ、慌ててシュキハはその拘束から手を放した。むしろ羽交い絞めにした直後に暴れると思っていたのだが、意外にもおとなしくしていたトウナが無言でシュキハから距離を取った。

 その表情は苦々しい。

 まさかエリスの言うことを聞いて自重してくれていたのだろうか。だとしたらシックよりも物わかりがいいことになる。釈然としないのは感情のせいだ。

 やる気をなくしてゴロゴロと猫のようにダレているエリスを見下ろす。

「賑やかじゃのう」

 事態を鎮圧するのを諦めたエリスに代わって、事態を鎮圧するのに最適な人物の声が差し込まれた。

「微笑ましいものを見たみたいな反応やめてください」

 昨日と同様、一段高い上座に座したハスノミヤがコロコロと笑った。恨みがましいエリスの視線を受けて一層楽しそうに笑みを深くする。

 そんな表情を見るのはシュキハが記憶している限りでも初めてだった。

 トウナを見れば、嬉しそうな恥ずかしそうな悔しそうな、そんな複雑そうな表情を浮かべていた。

 長らく使命に縛られてきた彼女だ、その呪いにも似た縛りを意図もあっさりと絶つ発言をしたエリスに感謝の念もあるだろう。トウナはそれがありがたくも気に食わないのかもしれない。


 そんな呑気とも言えるやり取りの最中。

「あ」

 それは何気ない小さな声だった。庭園から届く鹿威(ししおど)しの音のほうがまだ大きい。


 最初に気付いたのはトウナだった。次いで、シュキハにハスノミヤ。

 遅れてシックとオロもそれに気が付いた。

「離れよ!」

 ハスノミヤのその忠告はやや遅かった。

 衝撃が体を貫く。重いとは言い難い体は容易に床面から足裏を引きはがした。

 優に数メートル吹き飛ばされて、壁に激突する前に体勢を整えて着地する。見れば、シュキハ以外の者たちも同程度の距離を移動していた。誰も無様に転がっていないところはさすがとしか言いようがない。

 動いていないのは忠告の声を出したハスノミヤと、ゆっくりと体を起こしたエリス。

 どろりと魔力が漏れ出すのが視えた。

 言い知れぬ不快感がこみあげてくる。


「……――エリ、ス……?」

 呼びかけるシックの声に応える様子はない。

 小刻みに震え、漏れ出す笑いを堪えている姿は怖気にも似た不快さをシュキハに与えた。護衛する対象だと言うのに。

 本能が発する嫌悪感を抑えられそうになかった。

「よもや再び(まみ)える日が来ようとは」

 呆然と、だが憎々しげに、そう言葉を紡いだのはハスノミヤだった。

 エリスが顔を上げる。その横顔に浮かんでいたのは笑顔だったが、シュキハの見知ったどの笑顔とも違う怖気さをはらんでいた。

「跪け、下郎ども」

 静かに。

 寒気を覚えるほどの声音に、半ば反射的にシュキハは背負った二槍をその手に構えていた。

 不意に空気が張り詰める。瞬後、頭上から押しつぶされるような圧が襲い掛かった。

「桜華一刀流、寒椿!」

「桜華二槍流、狐柳!」

 シュキハの声はトウナの声と重なった。

 頭上からの圧に逆らい構えた二槍を振り下ろす。視界にトウナの姿はなかったが、恐らくトウナも同じようにして刀を薙ぎ払っていただろう。

 空間が硝子に爪を立てたときのような甲高い軋み音を上げた。


「小癪な」

 最後に小さな音を残して頭上からの圧が消えた。

 桜華一刀流、および桜華二槍流、それはヤマトの英雄スオウによって遺されたヤマトの秘技。対魔用に昇華された刀と槍の技術は、魔力を絶つことすら可能だった。

 そしてもうひとつ。

 エリスを挟んだ向こう側にシックと共にいたオロの袖下から伸びた無数の糸がエリスの体に巻きついた。

 ヤマト、いや世界広しといえどもオロにしか扱えないであろう、具現化させた思念の糸による拘束術。これもまたスオウの遺した走り書きのような理論を元に1000年の時を費やして研究された成果である。ヤマトの巫術、符術、大陸の魔導を組み合わせたり組み替えたりの試行錯誤の末にオロの代で完成した秘技中の秘技。

 だが。

「下賤の民風情が」

 波状に魔力が放出されて糸は容易く断ち切られた。


 煩わしそうにエリスの視線が左右に振られる。睥睨する眼差しからは侮蔑以外の感情を見出すことはできなかった。

「白夜の民、か。あの役立たずに始末させたと思っていたが、種を残していたか」

 エリスの顔で、エリスの声で、エリス以外の言葉を吐く。揺らめくエリスの影はエリスとは違う姿を形作っていた。

「君は、誰だ?」

 ひとりだけ、事態を呑み込めないでいるシックが誰何の声を上げる。

 ゆらりと揺れるようにしてエリスの視線がシックに向いた。

 その顔が笑みに歪む。扇情的でもあり、蠱惑的でもあり、毒々しくもある。

 エリスは勿体つけるようにしてゆるゆるとかぶりを振った。

 漏れ出す魔力。どす黒い。威圧するような魔力の高まりに、槍を握る手に汗がにじんだ。


「神王ヴェザ」


 分厚い雲に覆われた太陽は大地を照らさない。

 地上に落とされた災厄の影は、ひとりの女の声を借りて目覚めの産声を上げた。


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