41 - シュールにファンシー
「――と、いうことで出発するっしょ」
リブエンド荒野で戦争に参加をした翌朝、出会い頭のナルの一言がそれだった。
ちなみにどうでもいいことではあるが、ナルが親しげに話していた2人の男はジスターデ国の疾風騎士団団長と帝国の最高司令官だったらしい。シックの上司とエリスの兄代わりの人物だ。決してどうでもいいことではないけれど、その事実をまともに理解しようとするとルーダの精神衛生上よろしくないのでどうでもいいこととして聞かなかったことにした。
それはともかくとして。
戦場から戻ってきたルーダらは、昨晩と同じ宿に泊まった。もちろん、戻ってきてから夜遅くまでナルによる魔導指導を受けていたので現在の時刻は既に朝とは言い難い刻限になっていたけれど。
それもともかくとして。
朝食バイキングも終わってしまった食堂を前に肩を落としていたルーダに対して、上階から軽快な足取りで降りてきたナルは当たり前の顔をして宣言していた。ルーダの頭の上に浮かぶのは当然クエスチョンマークである。
「はーい、しゅっぱーつ」
返事すら待たずに腕を引かれて宿の外へと強制連行される。抵抗は無駄なのでこういうときはもう何もかも諦めてされるがままに任せてしまったほうがいいと学んでいた。人生何事も悟ったもん勝ちである。何に対する勝利なのかは知らないけれど。
腕を引かれるままにファーニ・エモの大通りを歩く。活気があって、いい街である。
そういえばせっかく魔導学校のあるファーニ・エモにいるのに街の散策すらしていないことを思い出した。そんな時間がなかったせいだとは言え、憧れの地に来たというのに。
首を巡らせて背の高い建物を探す。目的の建物はすぐに見つかった。
街の中心からやや西寄りに、悠然と建つ学び舎。魔導学校。
「ねぇナル。ちょっと魔導学校見学に行かない?」
「イヤっしょ」
即答だった。いっそ清々しいほどの拒否っぷり。
「少しくらいはいいんじゃないかな」
「あそこ行くとうるさいのが絡んでくるけ。少年を連れてくとさらにうざくなるっしょ」
「それって教師?」
「教師のほうがまーだかわいげがあるっしょ」
言いながらぴらぴらと手が振られる。それで話は終わりということか。
未練がましくもう一度魔導学校を振り返る。ただの建造物でしかないそれがルーダに優しい言葉をかけてくれることはなかった。
諦めがついたところで顔を前に戻す。
迷いない足取りで進むナルの足は街の外へと向いていた。珍しく影の中を移動せずに普通に足で移動するらしい。
「今日はどこに行くの?」
「帰るんよ」
「帰る?」
「そ」
実家にでも帰るのだろうか。
そんなことを考えていると唐突に足を止められた。遅れてルーダも足を止める。
「どうしたの?」
「歩くのめんどいっしょ」
「へ?」
とぷん、と足元から水の中に落ちた音が聞こえた。
ルーダももう慣れたものである。影の中の空間は見慣れ始めてきていた。ここに入ればもはや歩く必要もない。
仕組みは知らないけれど、一度行ったことがある場所に影があればそこに出られるらしい。なんという便利すぎるチートな術。
「ほい、到着」
などと考えているうちに移動が完了した。
影から放り出されるのを待っていると、予想に反して影の中にドアが出現した。毒々しいまでに真っ赤な色の悪趣味なドアが。
「しーしょー。たっだいまー」
ドアを開ける前に大声でナルがそう言う。
が。
「う~あ~~! 師匠!! どうやったら玄関まで魔導書を散らかせるっしょ!?」
ドアを開けた瞬間には悲鳴に変わっていた。
ナルの後ろから覗き込む。開けたドアから溢れかえるほどの量の本が散乱していた。そのどれもが鈍器として扱えそうなほどに分厚い。
「これ、入れるの?」
「どければいいんしょ」
がっさがっさと乱暴に魔導書らしき本を脇にどけて歩けるスペースを作りながら、なんとか苦心しながら中に入っていくナル。恐々と本を踏まないように避けながらルーダもその後に続いた。ドアを閉めるのも忘れずに。ドアの外に本が取り残されていないかを確認するのも忘れずに。
中に入ってみれば、ますます悲惨な状況が確認できた。
壁際にうずたかく積まれた本、本、本。積み上がった本の後ろには本棚が見えるが、いずれもパンパンに詰められていた。詰まれた本はその本棚に収まりきらなかったものなのだろうか。その割には詰まれ過ぎなような気がするのだけれど。
室内にはテーブルも見えた。四角い木製のテーブルだ。4,5人が囲んで座ってもまだ余裕が残る程度には広い。その上や下、椅子に至るまで本が散乱していなければ。
元使用人としての職業病が疼かないほどにひどいありさまだった。
ゴミではないだけマシ。その程度の慰めしかなかった。
「な、なにこれ」
「いつものことけ。……お? 少年、ちょい見るっしょ」
「ん?」
苦笑を浮かべるナルという実に珍しい姿を見れたのはともかくとして、手招きをされて近づいていく。足の踏み場くらいは確保された道を通りナルの傍に行くと、そこからもう少しだけ離れた部屋の隅を指で示された。
本でできたタワーが数個。中には倒れて崩れたものもちらほらと。
異常な光景であることは確かだが、他の場所とどう違うのかは判然としなかった。
「ボーズ」
ナルが呼ぶ。だけどそれはいつもの『少年』とは違う。
首を傾げるルーダをよそに、ナルが視線を向ける本の山が崩れた。
「あ、ナル姉ちゃんおかえり!」
「へ?」
崩れた山から少年が生えた。いや、ルーダではなく。
「あれ? ルー兄ちゃんなんでいるの?」
ティッケだった。
本の中に半ば以上埋もれていたティッケが本の中から這い出てくる。
祖父を亡くし今はナルの師に保護されているティッケとの久しぶりの再会に、しかし感動を味わうことができなかった。崩れた本の海の中から這い出てきた姿に引くことしかルーダにはできなかった。
「少年はあたいの小間使いになったんしょ」
「なってないよ!?」
「へぇー、ルー兄ちゃんすごいな」
「なってないからね!?」
平然と嘘を拡散するナルに抗議の声を上げるものの、いつものごとく無視されるだけで終わった。ティッケも悪乗りしたようにナルに合わせるものだから、そちらに否定の声を上げてもナル同様に無視された。数日前まではこんな子ではなかったのに。
毒された――誰にとは言わないけれど――ティッケを抱き寄せる。せめて自分が滞在している間はナルの悪影響を受けないように守らなくては、と妙な使命感が湧いた。
それが容易なことでないことはわかっているけれど。
襟首をむんずとつかまれる。
顔を上げると、
「ボーズとの感動の再会は後にするっしょ。まーずは師匠にあいさつに行くのが筋っしょ」
なんか常識を諭された。
「はい」
渋々ながら抱き込んでいたティッケを離す。ナルが一緒に行くのならば毒されることもないだろうと希望的観測。
ひらひらと手を振るナルに手を振りかえすティッケに、ルーダも負けじと手を振っておいた。
散乱する本で隠れていた階段を下へと降りる。
下階もティッケが埋まっていた階と同じ惨状を晒していた。辛うじてドアがいくつかあるのが確認できたが概ね本で埋まっている。中に人がいたら確実に出てこれないに違いない。
その階は素通り。さらに下へと降りていく。
階数はどうやら地下2階までらしい、階段を降り切ったところで途切れていた。
この階は上階に比べて惨状が6割増しだった。もはや放し飼いされた本の生息地である。曲がり間違っても人がいていい場所ではない。
「しっしょー。連れて来たっしょー」
もはや本をどかす作業すら放棄したナルが本の上を歩いていく。貴重な魔導書が混じっていたらどうするんだとは思うものの、この本のプールをかき分ける根性はルーダにはなかった。大人しく本を踏みつけながらついていく。
行きついた先は壁だった。ドアがあるのは見えるがどう頑張っても開けられそうにないので壁と変わらない。
ナルを見る。ナルは慣れた動作で壁に触れた。
破壊。
躊躇の気配は微塵も見られなかった。ドアを開ける感覚で壊された壁を潜り抜けて向こう側へと消えていく。ルーダが唖然とするヒマすらないほどにスムーズな流れだった。
「え、えー……」
絞り出した情けない声は誰にも拾われない。
「お、おじゃましまーす」
小さな声でそう言ってルーダも壁に開いた穴を潜り抜ける。
壁の向こう側はさらにカオスだった。
本だけが散乱していた今までの場所とは違い、魔法陣の描かれた紙だとか、魔導文字が羅列された巻物だとか、鈍器にしか見えないよくわからない道具だとか、回転しながら飛び跳ねる自然界には存在しない物体だとか、足元を行進する親指サイズの生物の集団とか、山になった布きれだとか、もちろん魔導書も今までの倍する量が散乱していた。
ルーダの常識では計り知れない空間がそこにあった。
「師匠! まーた無駄に盗んできすぎっしょ!」
「ああ、おかえり」
圧倒されているルーダの耳にナル以外の声が届く。やたらくぐもっていながらもほんわりと柔らかい声。
慌てて視線を転じれば、布の山と対峙しているナルを発見できた。ティッケと同じように布の山に埋もれているのだろうか。本に埋もれているよりはまだ受け入れられそうな気がする。
「やぁ、いらっしゃい。待っていたよ」
布の山が動く。のそのそと震えるようにして近づいてくる。中から誰かが出てくる気配は、ない。
「私はパレニー・ラキッシュ。君の話はよく聞いているよ」
低すぎもなく高すぎもない、違和感を覚えるほどに中性的な声音で話しかけられてもルーダには困惑しか抱けなかった。
やたらカラフルな布を重ねて重ねて重ねまくった結果布団子と化しているその物体が普通に話しかけてくるのだ、困惑せずに応対できる人間が果たしているだろうか。
布の塊はよく見れば目であろう場所が少しだけ開いている――ような気がする。息はどうやってしているのか甚だ疑問ではあるが、恐らくは魔導的な方法でもって快適に過ごせていると思われる。近づいてきた布の塊から感じる魔力が圧倒的過ぎて腰を抜かしそうになるほどだから。というかその呑み込まれそうなほどの魔力を感じなければこの布の塊の中があのパレニー・ラキッシュだとは信じなかった。
「師匠、少年がドン引きしてるっしょ」
「そうだね。私の姿を見て引かなかったのはファーだけだよ」
「個性あふれる姿だと思うけーど。それとナルちゃんと呼ぶっしょ」
「もこもこしてそうで可愛い名前なのに」
「ナルと呼ばんと返事せーん」
「頑なだね」
「師匠に言われたくないっしょ」
微笑ましい――脳内変換――師弟の会話を繰り広げる2人を見るともなしに眺める。鮮やかな空色の髪と薄桃色の双眸が特徴的なナルと、そこら辺にある布をぎゅっと固めたような物体Xとが普通に会話をしている光景は、なんとも言い難いシュールさにあふれていた。ビックリ箱をひっくり返したような室内と相俟って、いっそファンシーな光景とも言えた。
偉大な魔導師、現世最強の魔導師、不倶戴天の魔導師――ルーダの中にあったパレニー・ラキッシュへの尊敬ポイントがおもしろいように減少していく。
――だって布の塊だもん。
自分への言い訳完了。
「あの」
やっと声を出す気になって手を上げて注目を集める。ナルはともかくとして布の塊はこちらを見ているのかどうなのか確認が難しい。
「なんで布の塊なんですか?」
「生きるためかな」
オブラートにも包まないストレートな問いに、よくわからない答えが返ってきた。
首を傾げる。
そんなどう考えても生活しにくい恰好で徘徊していたほうが生きにくいと思うのだが、布の塊にはそうではないのだろうか。
「私は先天的に魔力の制御がしにくい体質でね。封印の術を施した布を巻いておかないと体内からどんどん魔力が放出されていってしまうんだよ」
「魔力が?」
「そう。魔力が枯渇したらどうなるかはナルから聞いた?」
「あ、はい。消滅してしまうって」
「そういうことだよ。昔はまだファッションで通じる程度の布でも生活できていたんだけどね、歳を取るごとに放出量が増えてきて今ではこんな有様だよ」
ろくでもない理由を予想――期待とも言う――していたのに、返ってきた答えは割とシャレにならない深刻な問題だった。
尊敬ポイント減らしてごめんなさい。胸中で謝り倒しておく。
しかし、そんなに厳重に封印していながらも漏れてくる魔力で威圧されるのだから、パレニー・ラキッシュが保有する魔力量は最高ランクの魔導師が赤子に思えるほどだと想像できる。やはり最強の名は伊達ではないらしい。
「あ、じゃあもうひとつ質問なんですけど。パレニー様は女の人ですか? 男の人ですか?」
もののついでとばかりに気になっていた性別を尋ねる。
布の塊という外見からは判断が付けられるはずがないし、声も中性的過ぎて判断材料にできない、口調もほんやりと柔らかくてこれまた判断つけがたい。
なぜか布の塊の向こうでナルが親指を立てているのがよくわからない。
「ふふ」
笑われた。
(あれ?)
もしかしなくてもあれだろうか、ごまかされたのだろうか。
ナルも向こう側で残念そうに肩を落としていた。彼女も知らなかったのだろうか、弟子なのに。
性別を秘密にされる理由がわからないけれど、本人にとっては何かしら重大な理由があるのかもしれない。ナルの師であることを考えるとなさそうな気がするけれど、きっとある。あるに違いない。
「ところで少年くん」
「あ、パレニー様もそう呼ぶんだ」
そもそも自己紹介すらさせてもらえなかったわけだが、少年と呼ばれるのに慣れている自分がいるのも確か。ナルにより仕組まれた罠だ。
「君には白のマナチップをあげるよ。これからに役立ててほしい」
「へ?」
いきなりの申し出に間抜けな声が出た。師に促されてナルが差してきた白いカードを見て目を丸くさせる。
何度となくその癒しの力を目の当たりにしてきたため、くれるというのならばこれほどありがたい申し出もない。が、無条件でそんな便利なものを差し出されても素直に受け取れるほどルーダは図太い性格をしていなかった。何よりも、愉快犯の如き性格をしているナルの師がなんの裏もなくそんな虫のいい話を突然降らせるとも思えない。
ついつい疑わしげな眼差しを送ってしまったルーダに、ふふっと楽しそうにパレニーが笑い声を漏らした。
「警戒しなくても大丈夫だよ。それをあげる代わりに実験体になってくれとも頼まないから。なってくれるなら歓迎するけど。なってみる? 痛くはしないよ、できるだけ。軽く死にたい気分になるかもしれないけど、なったらきっと新しい扉が開かれるかもしれないよ。素敵だよね」
「いえ結構です」
「残念」
本気で残念がられても困るものがある。
天才魔導師の行う実験がルーダの想像の斜め上を行くことは予想できるし、パレニーが実験と口にした瞬間に遠い目をしたナルを見れば無事に帰還できるとは思えなかった。
「けど本当にこれはただの好意と思ってくれていい。ナルを通して君たちを観察することでいろいろと知ることができたからね。ただ研究しているだけでは辿り着けない歴史の真実を紐解けた。それはその対価だよ」
そこまで言われてしまうと受け取らないわけにはいかなかった。
おずおずと出した手にばらばらと白のカードが降る。受け取れきれずに落ちたカードを慌てて拾い上げようと身を屈め、足元を行進していた小人たちに持って行かれてしまった。ああ、と手を伸ばすも時既に遅し。
頭の上からケラケラと楽しげな笑い声が聞こえてきたので、ナルもこうなるのを見越していたに違いなし。
というかあの小人たちはなんなんだ。天才魔導師が生息している場所には不可思議生物まで生息しているのか。
「師匠、まーた勝手に召喚獣が増えたけ?」
「可愛いから追い払えないんだよね」
「テンテにでも点呼させないとあたいらだけじゃ把握できないっしょ」
「任せる」
召喚獣って術者が自らの意思で召喚するからこそ召喚獣と呼ぶはずなのだが、そんな無粋なツッコミを入れてもどうせ無視されるだけなのでルーダは口のチャックを閉めた。呼ばれていないのに勝手にやってきて棲みつくとか常識外れの現象も、ナルの師をやれているパレニーだからと枕詞を付けると少しも不思議ではなくなる。
思考の放棄は最近身に付けたルーダの得意技である。
「それと少年くん」
「はい?」
「シンシアーナ・ノエキストの名に聞き覚えはあるかな?」
いきなりの話題転換について行けずに困惑した。
それでも質問には答えようと、眉根を寄せて顎先に手を添える。思考の素早い切り替えも魔導師には必要だと言っていたナルの言葉を思い出したからだ。
シンシアーナ、人の名前だろうことはわかる。恐らくは女性のもの。ノエキスト姓にはまったく聞き覚えがないので、少なくともルーダが務めていた屋敷と繋がりのある貴族や資産家ではない。が、シンシアーナの名には何か引っかかるところがあった。最近聞いたことがあるような気がするのだが、それがどこでだったのか覚えていない。
たっぷりと数十秒時間をかけて思考して、それからルーダは顔を上げた。
「最近になってどこかで聞いたことがあるような気がします。その人がどうかしたんですか?」
「彼女は君の雇い主エリシアナ・バードランドの実の母親だよ」
「あ」
思い出した。
ラドだ。魔を飼っている井戸の前でラドがその名を口にしていた名前だ。シンシアーナ様、と確かに言っていた。
「……? エリスの母親が何か? 既に亡くなっていると聞いてますけど」
「うん、これはまだ推測の域を出ないことなんだけどね、彼女は――」
衝撃が轟いた。
足元が大きく揺れて天井からぱらぱらと埃が降ってくる。規則正しく行進していた小人が本の隙間に隠れ、跳ね回っていた物体も動きを止めて小刻みに震えだす。
異常事態。
言われなくてもそれはわかる。
「ファー!」
「任せるっしょ!」
影の中にナルが消えていく。うぞうぞと蠢く布の塊がひとりだけ事態を把握できずにいるルーダを見た。
「魔の襲撃だ」
また大きく、運命が動き出そうとしていた。




