40 - ただしどえす
狭くはないが広くもない和室の隅。
隠れるようにして口いっぱいに饅頭とかいうヤマト特産の菓子を頬張っていたトウナが、怪訝な表情で振り返ってきた。
「ふぇあーふぇ?」
断りもなしに室内に侵入後第一声で告げた単語を繰り返す。口の中に嚥下しきれていないものを詰め込んでいる状態ではきちんとした単語になっていなかったが、それでも意味は通じるのでシックはうなずいた。
もごもごと動かされる口が止まる。ごくんと音を立てて口の中のものが飲み込まれた。盆に載せられていた湯気の立つヤマト特有の取っ手のないコップを口元に運び、ずずっと音を立てて喉に流し込む。そこでようやくトウナは落ち着いたように息を吐いた。
「んで?」
部屋の隅からこちらへと近づいてきながらトウナが怪訝そうに首を傾げる。
シックは小さく嘆息して先ほどと同じ言葉を繰り返した。
「俺と手合せしてほしい」
目を見てはっきり告げたにも関わらず、トウナの怪訝そうな表情が晴れることはなかった。
少しは行間を読んで理解に努めてほしいとは思いつつも、彼にそれを求めるのは酷なことなのかもしれないとも思う。基本的にヤマトの傭兵連中は脳筋であることを忘れてはならない。
シックは調子を整えるように軽く喉を鳴らした。
「俺は君たちに比べて圧倒的に戦場での経験が足りない。その経験不足はこの先、確実に足を引っ張ることになる。ましてや相手取るのは黄昏という得体の知れない存在だ」
「まぁそうだな」
「認めるのは少々悔しいが、君は格上だ。だから君と手合せをさせてもらいたい」
「あー、なるほど。オレ様相手に手軽に経験値稼ぎっつーわけか」
そこまで説明してようやく理解してくれたらしい。怪訝そうだった表情が納得の色に塗り替わった。
が、それもすぐにしかめられる。
「まぁ付き合うのは構わねぇけどよ、それよりおめぇ休まなくていいのか? つか風呂はどうしたよ」
にこりと微笑む。
それは地雷だった。
「脱衣所の前まではついて行った」
それだけで察したらしい。憐みの目と白い目とを同時に向けるという器用なことをされた。
薙刀を振り回すアザトと槍を振り回すシュキハに追い掛け回されたときは、正直捕まったら殺されると思ったものだが。命と男の尊厳を賭けた死の鬼ごっこは良い刺激になった。反省はしていない。
話を戻すために咳払いをする。トウナは苦い表情で頭をガリガリとかいた。
「やりてぇってんならまぁ付き合ってやる。ついてこい、道場に案内する」
欲望に忠実なシックの行動を責める言葉は呑み込んだようだ。
軽く顎を引いて合図をすると、廊下へと出たトウナを追ってシックも今しがた入室したばかりの部屋を後にした。
道場には先客がいた。
足を踏み入れるなりあからさまに不愉快そうに舌を打ったのがシックの耳にも届いた。
「オロ、おめぇなぁ」
合わせた歯の奥からトウナが陰険な唸り声を上げる。
先客の腕にいた見知らぬ娘――服装からすればこの屋敷の使用人か何かだろうか――が、突然の乱入者に慌てて逃げ出すのをシックは目で追った。ぎりぎり着衣に乱れはなかった。
「真昼間から道場で盛ってんじゃねぇよ」
「混ざりたかったのか?」
「ンなわけねぇだろ!」
壁についていた手を離し、至極つまらなそうにオロが前髪をかき上げた。過分に垂れ流されるそれは色気だ。ルーダがいたら男なのに赤面することは必至だった。
そういえばルーダは今頃どこで何をしているのだろうか。こちらで今後の方針を決めたら探しに行かなくてはならないだろう。野垂れ死んでいなければいいが。
「オレはこいつに付き合ってやってんだよ」
「ほう、それは知らなかった。貴様には男色の気があったのか」
「ねぇよ!」
「トウナ、悪いことは言わない。筆おろしは早めにしておけ」
「ぶっ殺すぞ!」
流れるようなやり取り。いつもこうなのだろう。
シックは小さく笑みをこぼした。
「へぇ、モテそうなものなのに未使用だったのか君は」
「あ゛?」
「気を使って夜這いをかけさせたりしたんだがな。大真面目に説教して帰したときは大いに失望した」
「ちょっ――!」
「顔に似合わず純情なのか? 案外想い人でもいたりしてな」
「ちが」
「ならさっさと組み敷けばいいものを」
「お」
「チェリーボーイにいきなりそれはハードルが高いだろ。まずは手頃な女を無理にでも抱かせてみたらどうだ?」
「なら俺の許嫁にでもやらせるか」
「それはさすがに倫理的にどうかと思うが」
「どうせ家が用意した女だ。使い物にならなくなれば別のを用意する」
「クズ男の極みだな。ああ、褒めているんだよ、一応。後ろから刺されないように気をつけることだね」
「ふん」
完全にトウナが沈黙した。うつむいてプルプルと震えている。
シックはオロと目配せし合って、素早くその場から離脱した。
「殺す!!」
やおら抜刀するトウナ。
首まで真っ赤に染め上げた顔をしていては迫力も半減といったところか。羞恥メーターが振り切れた結果暴れるとはなかなかに純情ボーイらしい反応である。なまじ腕が立つ分、性質は悪いが。
「いつもこうなのか?」
鋭い薙ぎ払いを頭を下げることでぎりぎりかわしながら尋ねる。
頭上を通り過ぎて行った鋼の気配に背筋が冷えた。多少の加減は入っているようだが、避けていなければ冗談抜きで喉がぱっくりといっていただろう。
「鉄分が足りていないからな」
「おめぇが原因だ!」
火に油を注ぐ発言を真顔で言い切ったオロに、間髪入れずトウナが叫んだ。
まずい。これはまずい。楽しすぎる。
「避けんじゃねぇこの淫乱ども!」
「むっつりよりはマシだと思わないか?」
「思わねぇよ!」
涼しい顔をしてトウナの刺突から避けるオロの動きは流れるようだった。かつ、トウナをヒートアップさせる言葉を投げることも忘れないところはさすがとしか言えない。
「道場にトウナと来たということは打ち合いでもするつもりだったのか?」
「ああ」
ひょいひょいと軽く体を振るだけでトウナの攻撃を避けながらの突然の話題変更。多少虚を突かれつつもシックはうなずきを返した。
ふむ、と考えるようにオロが腕を組む。
「貴様はジスターデの騎士だな?」
「……ああ、言った覚えはなかったが」
肯定することに躊躇をしたものの、ごまかしたところで無駄であることはすぐに悟った。
「動きを見ればわかる。型からは大きく外れていたが」
肩をすくめる。
やはり無駄だった。一応は納得できるそれらしい理由を説明しているが、オロの目を見ればそんな不確かな経験談からではない確信に裏付けられているのが見て取れた。
「ならば疾風乱舞は使えるな?」
「よく知っているな。ああ、もちろん使える」
片眉を上げる。
ジスターデ国が誇る疾風騎士団の用いる一発芸とまで揶揄されることが多い――主に疾風騎士本人たちから――技術の正式名称を、こんな遠く離れた地で聞くことになろうとは。
「持続時間は?」
「せいぜいが1分だな。俺は魔力総量が極端に少ない」
それがどうかしたのかと問う前に鼻で笑われた。いや、本人はただ鼻から息を吐いただけのつもりだったのかもしれないが、残念ながら10人中9人が鼻で笑ったと言うだろう。
「勘違いしている愚か者が多いが、疾風乱舞が使用しているのは魔力ではない」
「なに?」
「広義の意味では魔力と分類されるが、正確に言うならばそれは闘力だ。魔導師の扱う魔力とは大きく異なる」
「おめぇらオレを無視するな!!」
いつの間にか攻撃の手を止めていたトウナが地団駄を踏んでいた。いちべつを向け、すぐに外す。
「やけに詳しいな」
「魔力に関連付くものはでき得る限り調べ尽くした」
「それは……すごいな」
トウナは道場の隅で膝を抱えていた。ぶつぶつとつぶやいている声がややうるさい。
「騎士団の上層部は暴走を防ぐために筋力増強などと言っているが、真の疾風乱舞は肉体の再構築をしている。完璧に使いこなすことができれば、持続時間などないに等しい上に使用後に疲労で倒れることはない」
冷や汗が流れるのを感じた。
もしかしなくてもオロの説明は疾風騎士団のトップシークレットだ。軍事機密とも言える情報をなんの気負いもなく、そしてなんの狙いもなく気楽に口にしてくれる。
団長が聞いたら――いや、あの人が聞いたら豪快に笑って終わりだろう。良くも悪くも平和ボケ大国ジスターデの人間。そのあたりの危機感は極めて低い。
「そして闘力は肉体をいじめればいじめるほど鍛えられる究極のマゾヒティックな性質を持つ」
「ん?」
不穏な単語が聞こえた。
「喜べ。この俺自ら貴様のマゾな性癖を開花させてやる」
初めて見た。オロの微笑を。
一般的にはそれをどエスの微笑みと言う。
「これから貴様には常に疾風乱舞を発動した状態でトウナと打ち合ってもらう。俺も中長距離から手を出すが、貴様が相手をできるのはトウナだけだ。俺への攻撃の一切を禁じる」
「おいオロ、それはまずオレに了承を取るのが筋じゃねぇのか?」
「貴様は通常攻撃の一切を封じて桜華一刀流だけで攻撃をしろ。距離を開けて睨み合うのも鍔迫り合いの状態を3秒以上維持するのも禁止だ」
「はあ?!」
「殺さないようにせいぜい威力の調整をするんだな」
「お、おい。ちょ、待てよ。ムリだって」
「休憩は挟まない。真の疾風乱舞に覚醒するまで続ける。だが案ずるな。幸いにも道場はルーンスポットの上にある。死ななければいくらでも体力も魔力も闘力も回復する」
どエスが笑う。実に楽しそうに。
「調教の時間だ」




