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39 - ナルちゃん無双

 影から飛び出したらそこは戦場でした。


 脳内で流れたフレーズをルーダは消化できずに持て余していた。

 リブエンド荒野――かつて平原だったそこが荒野になったのは約1000年前、暗黒時代だ。初代賢者として歴史に名を残す賢者フラウリーブが放った魔導が、平原だったそこを荒野と化してしまったと言われている。それからと言うもの、人と魔が表だって争う際に利用されるのがこの荒野となった。これは賢者最大の誤算だ。

 その場所にルーダは来ていた。

 いや、襟首をつかまれて運ばれていた。もちろん襟首をつかんでいるのはナルだ。

「ぎゃっく~さつ~ぅ~ぎゃっくさつ~」

 不穏どころではない調子外れな歌を口ずさむナルに逆らう意思は既にルーダから失われていた。

 もはやなるようになれの精神である。人はそれを諦めの境地という。


「ねぇナル」

「なんけ?」

 ダメ元で話しかけたらちゃんと返事が来た。多少驚きつつも、だからと言ってこの場から逃げられないことは確定的に明らかなのでありがたみはなかった。

「このまま突っ込む気なの?」

 ルーダにとっての最大の心配事はそれだ。

 ファーニ・エモから移動する際――拉致される際とも言う――に、ルーダの経験を積ませるためとは言っていたが、このまま突撃されたらルーダは普通に死ねる自信があった。ナルがフォローを入れてくれるにしても限界がある。

「なーに言ってるっしょ。まずは人間側の陣営に行くに決まってるっしょ」

 一歩また一歩と戦地に近づく足を止めず、あっけらかんとナル。

 これは意外だった。

 ただ引きずられるだけだった体を起こして立ち止まる。ナルは止まらず進んで行ってしまった。慌てて追いかける。

「乱入して人間側に敵だと思われてもめんどうだかーら」

「ナルもちゃんと考えるんだね」

 何気なく皮肉を口にしたらケラケラ笑われた。





 ナルを舐めていた。

 人間側の陣地に張られたテントに、するするっと入り込んだ自然さがまずスゴイ。あまりにもその場に溶け込みすぎて見張りが稼働するヒマを与えなかったのだ。見た目はあんなにも派手なのに。他人に警戒されない空気を自然と醸し出せるのがナルの特技らしい。

 そしてテントに入ってすぐに中にいた面々に受け入れられたのがもう驚くのを通り越して呆れるばかりだった。

「おう、まーた来たのか魔導師の嬢ちゃん」

「にゃーん、ナルちゃんって呼ぶっしょ、おっちゃん」

「誰がおっちゃんだ」

 たまたま立ち寄ったカフェで知り合いに出会った、そんな気楽さで会話を交わす。

 気安くナルが会話をしている相手は、無数の傷を刻みながらも意匠の凝った堂々とした騎士鎧に身を包んだ中年の男性だった。黙っていれば厳めしいであろう顔も、ナルとの会話で今は完全に緩み切っていた。

 誰かはわからないが、恐らくそれなりに立場にある人物なのだろうと想像はつく。外にいた騎士とは一線を画す貫録があった。


「また君か、ナルディンシーニ」

「にゃーーー!」

 もうひとり、テントの奥にいた男性の発言でナルが発狂した。

 いきなりの奇声に大きく肩を震わせたルーダをよそに、奥にいた男性に飛びかかったナルをひょいと軽い動作で男性が避ける。どことなく慣れた動作だった。

 テントの中央に置かれた木製のテーブルを飛び越えたナルの姿がテーブルの向こうに消える。中年騎士の男性が頭を掻きながら苦笑していた。やはりこちらも慣れているように見える。

「フルで呼ぶなってお願いしたけ? したけ?」

「そうか、それはすまない」

「心がこもってなーいー」

「以後、フルネームで呼ばないと約束しよう」

「こっち見るっしょ! あたいの目を見て誓いを立てるっしょ!」

 驚愕からルーダは大きく口を開けていた。

 あのナルが軽くいなされている。人をからかい倒してケラケラ笑うのがデフォルトのあのナルが。地団駄を踏む勢いで食ってかかっているにも関わらずほとんど聞き流されているその姿に――ルーダは込み上げてきた笑いを堪えるのに必死だった。

 なんという貴重な姿。ここに映像を記録する装置があれば間違いなく記録していただろう。実に小気味良かった。


「おう、嬢ちゃん、このタイミングで来たっつーことは怠惰殿の差し金か?」

 キシャー、とか異音を発し始めたナルの背に中年騎士が問いを投げかける。

 怠惰殿というのは恐らくナルの魔導の師である怠惰の魔導師パレニー・ラキッシュのことを指しているのだろう。

「んー……ヒマなら行ってこいと師匠には言われたけーど」

「おいおい、戦争に暇つぶし感覚で参加かい」

「魔導師不足で困ってんしょ? 今回もばっちり活躍するけ、崇め奉るといいっしょ」

「なんでそんなに偉そうなのさ」

「ん?」

 つい声を出してしまったことで、中年騎士の視線がルーダに向いた。薄々そうではないかと思っていたが、そこで初めて気づいたとばかりに中年騎士の目が見開かれた。

 いくらナルのインパクトが強烈だからと言って、手練れの騎士に気付かれない自分ってなんだろう――ルーダは内心で肩を落とした。

「そちらは?」

 奥の男――軍服を着ているから帝国の人間だろう。仕立ての良さがここからでもわかることから、リドルよりも階級は上だろうと予想できる。ナルが普通に対応しているので恐らくリドルのような腐った軍人ではなさそうだ。何より嫌みのない整った顔の造形から悪い軍人というイメージが湧かなかった。

 金髪蒼眼の正統派の貴族とはきっとこの人のことを言うのだろう。妬む気持ちが湧かないほどの器量良し。シックはシックでかなりの器量を持っているが、彼はどちらかと言えば庶民の中の飛び抜けた逸材だ。そこにいる軍人とは出発点が違った。


「それはあたいの弟子っしょ」

「え、いつからそうなったの」

「出会った瞬間から?」

「聞いてないよ」

「言ってないけ」

 少しも悪びれない態度に言い返す言葉も浮かばなくなる。

 嘆息するルーダに満足したのか、ナルは満足そうにうなずいた。

「あたいと同じ魔導師っしょ。名前は少年」

「違うよ!?」

 さすがに聞き流せなかった。だけどナルには聞き流された。そして中年騎士と軍人にも聞き流された。

 ここに味方はいないらしい。


「それよーり、あたいはどこに行けばいいっしょ?」

「俺の部隊だ」

「だが途中までは私のゼロウィングで運ぶ」

「リョーカイリョーカイ、空からの襲撃け。影は作ってくれっしょ」

「心得ている」

 自己紹介もさせてもらえないまま、勝手に話しだけが進んでいく。

 作戦なんてあってないようなものだった。戦争なのだから綿密に作戦を練るものと思っていたのに、3人の打ち合わせはそれだけの会話で終了した。

 ナルが振り返ってくる。

 にんまりと笑って、

「経験値荒稼ぎっしょ」

 逃げ道を完全に塞がれた。






「にいぃぃぃぃいぃああぁぁあぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!」


 悲鳴が空に消えていく。

 つい今しがたまで乗せてもらっていた幻影怪鳥(ゼロウィング)は既に遠い。ルーダを突き飛ばした張本人であるナルもまたルーダと同じく中空に身を投げ出していた。後から飛び降りたにも関わらず、ルーダを追い越して地上に落下していっている。その手には鈍色の光沢を持つステッキが握られていた。

「少年、あたいの雄姿をその目に焼き付けるっしょ」

 地上に向かって何やら魔導を放つナルの声は右から左に抜けていくだけだった。地上に到達したら死亡が確定している自由落下の中、冷静にナルの言葉を理解することなどルーダにはできるはずがなかった。

 それでも近づく地上に顔が向いている以上は嫌でも地上の様子はうかがえた。


 蠢く魔の軍勢。

 確認できるだけでも複数種類の魔がいた。一番多いのは四足獣の魔。人型の魔はそう多くない。

 視界の中にいるそれら魔は例外なく、自分自身の影に足を取られてもがいていた。封鎖地区でも見られた術だが、あれが今しがたナルの放った魔導なのだろう。あれは対処の仕方を間違えたらまさしく底なし沼のごとく抜け出すのが不可能になる。

 そんな風に観察している間にも地上との距離はぐんぐんと迫ってきていた。

 死の直前には走馬灯を見るものだと思っていたのに、一向に見えそうにない。

 地面と激突する寸前、ルーダは目を閉じた。

 ぼふん、と。

 ああやっぱりな、と思いながら目を開ける。地面に差したゼロウィングの影がクッションのようにルーダを受け止めていた。

 影に触れる。もう普通の影に戻っていた。

 無策でナルが行動するとは思っていなかったが、それでも本気で死ぬかと思った。


「出血大サービスっしょー!」

 体を起こす。ナルは既に元気に動き回っていた。

 魔の作る影が蠢き魔の足に絡みつく。動きを止めた魔に向かって袖下から取り出したカードを向ければ、それは炎の舌を伸ばして哀れな魔を飲み込んで焼死させた。

 空からの突然の襲撃者に色めき立つ魔に、落ち着くヒマをナルは与えない。

「ナルちゃんの両手が真っ黒に燃えなーい! 影火!」

 今度は両手に一枚ずつ。

 が、今度は炎はそのカードから発生しなかった。発生源は魔の足元、影だった。影から立ち昇った炎が絡みつくようにして魔の体を這い上り、頭部だけを狙い澄まして燃やしにかかる。大変にエグイ光景である。

 断末魔の悲鳴を上げる魔から思わずルーダは目を逸らした。


 改めて現状を確認する。

 進軍する魔の軍勢のただなかに落下してきたらしいことは魔の多さを見れば嫌でも把握できた。遅まきながらこちらを敵と見定めた魔がじりじりと距離を縮めようとしていることも。

 ひくっと頬が引きつる。

 喉を鳴らしていた魔が、地を蹴った。

「あーらよっと」

 軽い掛け声が聞こえてきた瞬間、ルーダに向かってこようとしていた魔が影から這い上がった氷壁に閉ざされた。いや、その魔だけに留まらず、その周囲にいた魔がすべて氷に封じられた。

「さーてと、そろそろ来る頃かーね」

 なにが、とは尋ねなかった。

 氷に閉ざされた魔の向こう側から黒い群れが近づいてくるのが見えた。先頭集団は立派な軍馬に乗っている。軍馬に騎乗しているのはこれまた立派な騎士鎧に身を包んだ体格のいい騎士連中だった。頭ひとつ分抜きんでているのはテントで見たあの中年騎士だ。

 何者かは知らないままだったが、思った通り偉い人だったらしい。ひとりだけ明らかに覇気が違う。

 中年騎士は軍馬の速度を落とすことなくルーダの脇をものすごい勢いで通り過ぎて行った。気付かないうちに近づいてきていた四足獣の魔を振り回した槍で吹き飛ばしながら。


「助力感謝する!」

「いーってことっしょ」

 戦場にあってもナルの態度は変わらない。それでも、豪快に魔軍へと突っ込んでいく中年騎士をフォローするあたり、ナルも戦場には慣れきっているのがわかる。

 後続の騎士団が到着すれば、そこはもう乱戦の様相を呈してきた。

 人魔入り乱れるとはまさにこのこと。刃がきらめき、咆哮が轟く。

 ルーダだけが何もできないまま固まっていた。

 おろおろと視線を彷徨わせる。

 乗り遅れた感が半端ない。かと言って今さら参戦しようにも、魔だけを狙って魔導を放てる自信がなかった。雷という特性上、ただひとりを狙うというのが苦手なのだ。どうしたところで余波で近くにいる人間も感電する。技術力がつけばそれでも可能なのだろうが、今のルーダには正直厳しい。

 せめて邪魔にならないように空気になっているしかない。

 他ならぬルーダの経験を積むために来たはずなのにおかしいな、と頭の片隅で思いながら。


 ナルの姿を探す。活発に動き回っているのか――魔導士が取る戦闘スタイルとしては明らかに異端だけれど――すぐに見つけることはできなかった。

 それでも元気に魔導を放っていることは戦場を見回せば確認できる。

 騎士に飛びかからんとしていた四足獣の魔が、自ら伸びた影に一瞬だけ足を絡め取られてつんのめる。絶好の隙を作る羽目になった魔は次の瞬間には騎士の突き出した槍で刺し貫かれていた。

 またあるところでは、空から飛来した鳥型の魔の攻撃を騎士を影に沈めることで回避させたり、魔が吐き出した炎の息吹を影から生えた氷の壁で防いだり、魔の攻撃で負った傷を騎士がそれと認知する前に逆再生のように治癒させたり。実は何人もナルがいるのではないかと思えるほど様々な場所で、絶妙なタイミングで、最適の魔導を選択して使っていた。

 あちこちに動き回るという異質な戦闘スタイルではあるが、立ち回りはまさに魔導師の理想とも言えた。

 戦局眼とでも言うのだろうか。自分ができることとできないことを驕ることも卑下することもなく十全に把握し、俯瞰する視点から広く大局を見極め、今すべきことを瞬時に判断して躊躇わずに実行する。

 どれだけの経験を積み重ね、どれだけの鍛錬に励めばその境地に至れるのだろうか。想像もできなかった。


 ――経験。そう、経験だ。


 魔を討つことだけが経験ではない。

 知る、いや、()ることが魔導師には他では得難い経験値になる。

 知識として漠然としたイメージを持っていた魔導師としての理想的な戦い方を、ナルのそれを見ることで確かな形として脳に刻むことができた。より正確に、より精緻に。

 つい先日ナルから学んだ、魔導を磨く上で欠かせない要素のひとつだ。

「やっぱり、敵わないな」

 苦い表情を浮かべて――それでも少しでも近づけるように、ルーダは経験値を重ねるべく戦場を見渡した。


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