番外編1_2 - 本日は曇り後晴れなり
ナル話続き
曇天。
何度確認しても空は分厚い雲に覆われていた。今にも雨が降りだしそうな暗い雲が空を隠している。
いっそ雨が降ってしまえば諦めもつくが、中途半端に曇っているだけだと出掛けていいものかどうか迷ってしまう。
傘なんてかさ張るものを持ち歩かなくてはならないのもネックだった。
「あー、困ったっしょ」
声に出して気持ちを表現してみても、解決には至らなかった。当然だが。
ナルひとりだけならばここまで困らなかっただろうにと思うと、自然とナルの視線は窓の外から室内へと移動した。
埃を被ったシーツを剥ぎ取ったスプリングのイカれたソファーの上、我が物顔であぐらをかいて座っているラッシュと目が合う。始終不機嫌そうにつり上がっている目が、ナルと目が合った瞬間にいっそう鋭さを増した。
面倒くさい男である。
結局のところ、ナルが悩んでいるのはラッシュと一緒の部屋にいることだった。
別に嫌いな人間というわけではないし、貞操の危険を感じているわけでもない。ましてや元カレであることが気まずいとかそんな俗世的なことを思っているわけでもない。
ただ、機嫌の悪い――というよりも単に拗ねている――ラッシュと一緒の空間がいるのが嫌なだけだ。いろいろ面倒くさいから。
とは言っても、いつまでもこの状態を維持しておくわけにもいかない。
ナルは眉尻を下げて嘆息した。
「キミはホントめんどい人だーね」
「なんだと?」
「めんどい」
「二度も言うな!」
噛み付くようにラッシュが吠える。
聞き返してきたから言い直してあげたというのに、本当に面倒くさい男だ。
「なんなんしょ。どうしてキミはついてきたん?」
「ナルが危険なとこに行こうとするからだろうが!」
「なーにが危険なん?」
「この山が! 今まで何人の行方不明者を出してると思ってんだ!」
「知らんけ、そんなこと」
「俺も知らねぇよ!!」
ラッシュが理不尽に怒鳴る。
口には出さない――またうるさいので――が、本当に心底面倒くさい男である。
確かにラッシュが言う通り、ナルたちが今いるこの山は数多くの行方不明者を出している危険な山だ。たまたま猟師小屋を見付けて風雨を凌げているが、これがなかったら相当辛い状況に陥っていただろう。
だからラッシュの心配はわかる。
しかしわかるからと言ってそれがイコールラッシュがナルについてくる理由にはならない。
渋面を作るナルに、唸るようにしてラッシュが続けた。
「お前、師匠とかヤツに無茶な命令とかされてんじゃないのか?」
出た、と思った。
趣味で隠していた魔導の師のことを先日うっかりと暴露してしまってから、なぜか事あるごとに師について詮索されることが多くなった。
ナル個人としては師のことをラッシュに教えても別段困らない。しかし、ここまで師にこだわるラッシュを見ているとなんとも言えないモヤモヤを感じる。
「キミはめんどい」
「し・つ・も・んに答えろ!」
正直に告げただけなのにやはり怒られた。
お手上げ状態だった。
ラッシュの目的は果たしてなんだというのか。まさかヨリを戻したいのか? 自分から別れを切り出した元カノと?
正気の沙汰とは思えない。
自分を卑下する気はない――むしろ自画自賛するほどだ――が、ラッシュに執着されるほどではないと冷静に自己評価している。
魔導学校を自主退学し、現在職にも就いていない条件の悪い女だ。魔導師としての将来が約束されているラッシュとは釣り合っているとは思えない。
しばらく考えるように沈黙を保っていたナルだったが、途中でラッシュのことで考えることが面倒くさくなって考える行為を放棄した。
「キミはあたいとヨリでも戻したいんけ?」
ストレートに尋ねるナルに不意を突かれたように、バッとラッシュの頬に朱が乗った。
「そ――! そうじゃ、ねぇよ」
感情的に言い返してこなかったのは意外だった。半分はからかう意思を含んでの問いかけだっただけに、ラッシュのその反応は予想外だった。
言いにくそうにもごもごと口を動かすラッシュを黙って見つめる。こういうときに催促すれば意地を張って黙り込む性格であることは知っていた。
「ホントのこと言うと、ナルのことは今でもすっげぇ好きだ。別れようって言ったのは、なんか、自分にいろいろ余裕なくて、ナルに八つ当たりとかしそうになってるのに気付いたから……嫌われたくなかった」
懺悔のようにラッシュが語りだす。
言われて思い返してみた。学校がつまらなくなってきたナルと違って、要領が悪いなりに必死になって勉強していたラッシュ。確かにそれまで以上にキレやすくなっていた。それでも――いや、そのときの気持ちまで思い出す必要はない。
ラッシュにフラれたのをきっかけにして学校を自主退学したので、その後ラッシュがどうしていたのかは知らない。師匠に出会って師匠の使いで魔導学校に出入りするようになるまでは、ラッシュがどうしているかなど考えもしなかった。
「自分の勝手で別れたのにヨリ戻したいとか、そんなんは言わねぇ。……でもナルが危険なとこ行くの黙って見送るのはできねぇ」
それは下手をすればストレートな告白よりも胸に響く告白だった。ナルの性格を知っているからこその告白だとも言える。
冷静に分析しているナルではあったが、内心ではむずむずとする痒さで妙な気分だった。
「あたいは今の生活が気に入ってるっしょ」
独り言のように言いながら窓の外に視線を移す。
「…………三十路迎えるまで互いに独り身だったら結婚するけ?」
沈黙が落ちた。
ナルとしては意を決した提案だったつもりだが、ラッシュからの返事はなかった。
ちらりとラッシュに目を向ける。
あんぐりと口を開けて固まっているラッシュの間抜けな顔が笑えた。
「――…は、おま、……え?」
混乱している。実にわかりやすい。
ラッシュを指差して、ケラケラと声を上げてナルは笑った。こういう状態のラッシュを見るのが一番面白い。
ナルの言葉を理解していくにつれ、徐々に侵食されていくかの如くラッシュの顔が首から赤く染まっていった。
「おまっ――! そういうことお前から言うとか信じられねぇ!!」
上擦ったラッシュの怒声にナルはまた笑う。
男としては確かに格好が付かないだろう。しかし待っていても言ってくれない言葉であることはわかっているのだ、ナルから言わなくて誰から言うというのか。
「返事は?」
「待ちきれなくなったら奪いに行く! 首洗って待ってろ!!」
半ば挑発するように言うナルに、今度は別の意味で顔を赤くしたラッシュが言い返してきた。いちいち喧嘩腰なのはラッシュだから仕方がない。むしろそうだからこそラッシュなのだ。
窓の外に目を向けると、あれほど微妙だった空がにわかに明るくなってきていた。
本日は曇り後晴れなり。
ナルが影空間に入らなかったのは、その存在をラッシュに知られたくなかったから。
知られたくなかった理由は特にない。
ちなみに、ラッシュが本編に出てくることはたぶんない。




