3 - 妖しの影
三人目の主人公はまだいない
――なにやってるんだろう。
踏み固められた道の上をのろのろと歩きながらルーダは思った。
「女を喜ばせるのは男の義務さ」
「それは大いに賛同するわ。だからってあんたが私に触れていい理由にはならないけどね」
前方を歩くエリスとシックを追いかけるように歩く。
街道を行く数はルーダを合わせて3だった。
エリスのトレジャーハンター仲間だと名乗ったラドという男は首都で別れた。てっきり一緒に行くものだと思っていたが、後方支援やら雑用やらで別行動をするので一緒には行けないのだそうだ。
「俺は女性に触れていないと死ぬ病気なんだ」
「発火したくなければ触れないことを勧めるわ」
「恋に火傷は付きものだ。違うか?」
「否定はしないけど、そういうつもりで言ったわけじゃないわよ」
「ならどういうつもりで?」
現実逃避に走るルーダをよそに、前を行く2人の会話は盛り上がりも盛り下がりもしないまま常温で進んでいた。
騎士という割には茶髪にピアス、馴れ馴れしい言葉づかいといかにも軽薄そうな雰囲気を持つシックも飽きないものだ。まるで相手にされていないことを承知でエリスにちょっかいをかけているシックの気持ちをルーダは想像することができなかった。
隙あらばエリスに触れようとするシックの手を叩き落とすエリスも、そんなに嫌なら距離を取ればいいのにと思わなくもない。
それでも会話の中でエリスが楽しそうに笑う姿もルーダは見ていた。なんだかんだ言いながらもシックとの会話をそれなりに楽しんでいることは明らかだった。
「私は炎の魔導が使えるの」
「へぇ、それは火種いらずで便利だな」
「まぁね。――って違うでしょ」
やっぱり楽しんでいる。
ごく自然にノリツッコミを行っているエリスの後頭部を見ながらルーダは思った。
「ねぇ、ルーダ。あんたは魔導の心得ある?」
急に振り返ってきたエリスに問いを投げられる。思わずルーダは足を止めてしまった。
回転率の悪い脳みそは急な事態に対応しきれない。結果停止する。
足を止めたルーダに遅れてエリスとシックも足を止めた。いきなり立ち止まったルーダを不審げに見つめる2人の視線に、慌てたように思考が稼働を再開した。
「あ、うん。多少は」
パッとエリスの表情が明るくなる。シックの目にも興味の光が宿った。
「魔導学校に行ってた?」
「ううん。母さんが魔導師だったから」
無職であることは伝えていたが、その辺りのことを伝えていなかったことをこのときになってルーダは気が付いた。ついでについ先ごろ無職になったことも伝えていないが、そんな恥をわざわざ晒す必要もない。
仮にも危険な旅に同行している人物が、魔導の心得も剣の心得もないのでは雇用主であるエリスも困ってしまうだろう。
――いや、それを考えるなら出発前に聞かれなかったことがおかしいのか。
「ちなみに先天能力は?」
「あ、一応、雷……かな」
「へぇ」
初めてルーダに対して感心したような眼差しを向けてくる。
「じゃあ、あんたは魔導担当ってことね」
「その言い方だと俺に魔導の心得がないと決めつけているように聞こえるが?」
エリスの隣に立つシックがふと口を挟んでくる。
内容ははっきりと不満を内包していたが、内容に反してその顔はにやけていた。エリスよりも頭一つ分高いシックの顔を見上げて、怪訝そうにエリスがひょいと眉を上げる。
「あら、あんたに魔導の心得なんてあるの?」
「いや」
「じゃあ口挟まないの。あんたは騎士らしく剣でも振り回してなさい」
街を出てから繰り返していた会話で既に慣れてしまったのか、シックの発言に特に呆れもしないでエリスは踵を返してまた道を進み始めた。エリスの隣をキープしつつ肩に忍ばせたシックの腕を一連のタスクのようにエリスが叩き落とす。
3歩ほど遅れてルーダも後を追う。
正直なところ半ば強引に参加させられた旅に気乗りはしていなかった。黄昏さえ絡んでいなければ今すぐにでも回れ右をして彼らから逃げていただろう。
そう、黄昏なのだ、ルーダが一行から逃げ出さない理由は。
人と魔の戦争が始まった半年前を境にして世界中に広まったうわさがある。
黄昏――正式にはトワイライト・ストーンと言うらしいが短縮してそう呼ぶ――にはどんな願いでも叶える力があると言う。にわかには信じがたいことではあるが、それを真実であると確信させたのが皮肉にも戦争だった。
有史以来、一度として人の前に姿を晒したことのなかった魔の王が表舞台に姿を現した。黄昏のうわさにも信憑性が出てくるというもの。
「言い忘れてたけど、私は極力戦闘に参加しないから」
「あぁ、もちろん構わない。イイ女に傷が付くのはもったいないからな」
「私がかわいいのは認めるけど、傷つくのが怖くて戦わないわけじゃないの。必要がないからそう言っているのよ。それと何度も言うようだけど、私に触るな」
それまでの軽口と同様に気軽に言うエリスだったが、触るなと告げるときの声音だけは低く固かった。
伸ばしかけていたシックの手が離れる。が、すぐに何事もなかったようにエリスの肩を抱いた。
「するなと言われればしたく――」
「ていっ!!」
突き飛ばされたシックが数歩たたらを踏む。ぶつかりそうになってルーダも足を止めた。
意表を突いてしてやったりとばかりにほくそ笑むエリス。立ち止まった2人を置き去りにするようにひとり勝手に歩きだしてしまった。虚を突かれたような表情をしているシックを気遣うように見るも、ひとりでずんずんと進んでいくエリスに置いていかれても堪らない。慌ててルーダはエリスを追いかけた。
「あ、あの、エリス」
「なに」
振り返りもせずに、エリス。シックにひと泡吹かせることに成功したにも関わらず、それほど上機嫌な様子は見えなかった。
変にシックのことを話題に出さないほうがいいのかもしれない。
話題を探すように視線を彷徨わせてから、ルーダは気になっていたことを口にした。
「どこに向かってるの?」
出立時、特に行き先は説明されていなかった。疑問には思っていたのだが、なかなか尋ねるタイミングがつかめずにここまでずるずると来てしまっていた。
ちらりとエリスがいちべつをくれる。
「…………最終目的地は言えないけど、とりあえず今は南の樹林に向かってるわ」
「樹林って……確か魔の領域だよね」
「ええ。樹林にはキューブが多く生息しているわ」
情報を補足するエリスの言葉を聞きながら、単語をキーワードに知識に検索をかける。他人に自慢できる学歴は持っていないが、一般に知られていることくらいはルーダも知っていた。
首都の南にある樹林は、首都に住んでいて知らない者はそうそういない。ジスターデ国内で最も危険性のない魔――大陸全土を含めても恐らくは危険度は極めて低い――が生息する魔の領域として有名だ。
「キューブか……でも魔の中でも一番弱いって話だからなんとかなるかな」
「それは認識が甘いな。ちりも積もればなんとやらだ」
「わっ」
会話に口を挟んできたシックがルーダの肩を抱く。
「それより最終目的地が言えないというのはなぜ?」
なぜかルーダの肩を抱いたままの姿勢で尋ねるシックに、ふっと挑発するようにエリスが笑みを見せた。
「秘密」
一言。
追究は受け付けないとばかりにエリスがにっこりと笑んだ。
お手上げを示すように軽く肩を竦めたシックがそこでやっと離れてくれた。
「ほら、見えてきたわ」
それまでの話の流れをぶった切るようにエリスが前方を指さす。伸びた指先を辿って転じた視線の先に、緑が生い茂る樹林が見えてきた。会話に集中していたせいで気づかなかったが、いつの間にか踏み固められていた道から逸れていた。
ごくりと音を立てて唾を飲み込む。
無意識のうちに歩むスピードが緩んでいた。
―――……クルルルル……
背後から聞こえてきた高音に振り返る。
「ルーダ? どうかしたか?」
立ち止まったルーダに気づいたのか、訝しげなシックの声が背中に届く。
「あっ、今、あっちにキューブがいたような気がして」
シックと同じく立ち止まっていたエリスが、シックと顔を合わせてから小首を傾げてみせる。
「樹林の近くだもの。別にいても不思議じゃないわよ」
「基本的に魔の領域のどこにでもいるのがキューブだからな。それに襲ってこないのなら気にする必要もない」
珍しく意見を合わせて発言する2人に説得させられる形でルーダはうなずいた。
トレジャーハンターと騎士の意見が一致しているのならば間違いないのだろう。
気を取り直したように踵を返した2人を追って歩き出す。
もう一度振り返ってみたが、やはりキューブの姿はどこにも見当たらなかった。