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番外編1_1 - 本日も晴天なり

本編が始まる半年以上前の話。

主役はナル。

「待て!」

 うららかな春の陽射しが柔らかく降り注ぐとある街の一角。

 理由もなく浮き足立つ季節にそぐわない怒声が響き渡る。情緒の欠片もない呼び掛け――というよりも命令か――は、当然のようにきっぱりと無視した。

「無視するなっ!」

 歩き去る速度すら落とさなかったナルを怒声が追いかけてきた。

 しかし所詮は物理的な拘束力を持たないただの言葉。従う義理もなければその気もない。

 ナルは再び声を無視した。

「待てってんだろ!」

 しつこい声は周囲の目を集めた。一様に好奇を宿す視線は浴びていて気持ちの良いものでもない。

 そうは思いつつもやはりナルは三度声を無視することにした。

「ナル!!」

 遂に堪えきれなくなったとばかりに背後から伸びてきた手がナルの肩を強く掴んだ。

 今度は物理的な拘束力を持つ手だ。ナルの足はそこで止まらざるを得なくなった。


「さっきからうるさいけ、黙ったほうが周りに迷惑かけないで済むっしょ」

 仕方なく振り返りながら文句を連ねる。

 ナルの肩に手を置いた男の顔がおもしろいように歪んだ。元々不機嫌そうな表情で固定化されているような男の顔だ。それはそれは実に愉快な表情になっていた。

 我慢しようと考える間もなく、ふっと笑う。それに反応して、男のまなじりが限界までつり上がった。

「今日こそはどういうことか説明してもらうぞ」

 残念ながらあの程度の挑発には乗らなくなったようだ。いきなり本題に入られた。

 依然として肩を掴んだままの男の手をいちべつする。


 意地悪くナルは口許を笑みの形に歪めた。

「なんのことけ?」

 男の表情がまた歪む。

 からかわれていることがわかっているから怒鳴り返すのを自制している様がまたおもしろいことにはまだ気付いていないのだろうな、と思うとまた笑ってしまいそうになる。

 つくづくからかい甲斐のある男だ。

 などとナルが考えている間に怒りを宥めるかなんやらかしたのだろう。男が息を吸う気配を感じた。

「学校辞めた理由に決まってるだろ!」

 いまいち怒りが収まりきれていない気がするが、昔に比べればいくらかましになったほうだ。

 未だに離してくれない肩をまたいちべつする。いい加減気付けと言いたいところだが、ナルが質問に答えるまでは離してくれないに違いない。むしろ言って掴んだままであることに気付かせると面倒なことになりかねない。


 つり上がった目で睨むように――本人は目付きが少しだけ悪いと思っているのだから本当に愉快な男だ――見据えてくる男を見返して軽く肩を竦める。

「4年も前のことなんて忘れたっしょ。他におもしろいことが見つかったからなんじゃないけ?」

 いかにも適当なことを言うと、予想を裏切ることなく男の顔に怒りが湧いた。わかりやすい男だ。

「そんな理由で辞めたんならなんでここに来るんだ!」

「用があるからっしょ。ラッシュ以外に」

 男の――ラッシュの顔に浮かんだ怒りが、いよいよ噴き出しそうなほどに激しさを増していく。後ひと押しで爆発するだろう。

「じゃあ誰に用なんだ!? 定期的に会いにきやがって」

「ラッシュに言う必要あるけ? あたいは別にラッシュに迷惑かけてないけ、毎回絡んでくるのはそっちっしょ」

「そ―……れは…」

 怒りの爆発スイッチを押すことなく、逆に絞れさせる言葉を投げ掛ける。

 溜まったものを放出するのは精神的に楽だろうが、そんな優しいことを許すナルではない。ラッシュはとことんまでからかい倒すからこそ楽しいのだ。

 肩からラッシュの手が離れる。やっと気付いたらしい。強く掴まれていたのできっと痕が残っているだろう。後で慰謝料を請求しようとナルは胸中で決めた。


「魔導師には、なったんだな」

「は?」

 いつものパターンを想定していたナルは、予想していなかったラッシュの言葉に意表を突かれた気分で間の抜けた声を上げた。

 まさかラッシュ相手にしないだろうと思っていたきょとんとした表情でラッシュの顔を見返す。一瞬、してやったり顔をラッシュがしたような気がした。

「魔導学校を自主退学したくせによく魔導師になれたな」

「魔導師なんて免許があるわけじゃないけ、名乗ったもん勝ちっしょ」

「じゃあ自称魔導師ってことか?」

「近いっしょ。けーど、師匠には許可もらったけ」

「師匠?」

「あ……」

 ぽろっとこぼれた言葉に動きを止める。

 からかうためにと4年間も秘密にしてきたことが、こんなにもあっさりとバレる日が来るとは。不覚としか言えない。

「師匠ってなんだよ。お前誰かに弟子入りしてたのか? まさか、だから学校辞めたのか?」

「………」

 基本的に鈍い頭の作りになっているラッシュが、その可能性にこうも早く辿り着いたことに対してナルは驚いた。今日だけ張り切って稼働したのか、迷惑な脳ミソだ。

 沈黙は肯定と取ったのか――実に単純な思考回路だ――またラッシュの表情が険しさを増した。


「どうなんだよおい! 答えろよ!」

「違うっしょ」

「そんなん信じられるか!」

 脊椎反射のような迅速さで否定されたことに若干イラッとした。

 詰め寄ってきたラッシュの、至近距離にまで迫った顔を見返すナルの顔には面倒くささがありありと浮かんでいた。嫌がらせにキスでもしてやろうか、などと邪な考えが脳裏をよぎる。盛大におもしろい反応をしてくれることは想像に難くない。

 ナルは邪な考えを実行する代わりにため息を吐いてみせた。

「辞めた理由は師匠じゃないけ」

「じゃあなんで辞めたんだよ」

「それはラッシュには関係ないことっしょ。個人的なことけ」

「なら師匠ってのは何者だ。信用できるやつなのか?」

「第一印象は間違いなく不審者っしょ」

「はあ?!」

「けーど、あたいにとってはこの世で一番信用できる人」

 言って微笑む。

 喉元まで用意していた言葉を飲み込んで、ラッシュがはなじろんだ。


「そ……」

「?」

 それまで固定化されていた視線が外された。歯の間に何かが挟まったような、そんな使いふるされた表情で顔を逸らすラッシュ。

 ナルは首を傾げた。

「そいつ………………………男なのか?」

 ひどく言いにくそうに言ったわりに、ラッシュの問いは躊躇する必要があるような内容ではなかった。

 在学中に付き合っていた時期があったからそのせいなのか。告白してきたのも振ってきたのもラッシュのほうだというのに、まだナルに未練でもあるのだろうか。

 自惚れた可能性はとりあえず脇に置いて、ナルは不自然に清々しい笑顔を浮かべて答えた。


「あたいの心の目には女に見えてるっしょ」

「心の目ってなんだよ?!」

 またしても脊椎反射のような迅速さでラッシュが返してくる。

「師匠の性別なんて興味ないけ」

「興味なくても見てわかるだろ?」

「物体Xとしか判別できないっしょ」

「どんな人間だよ!」

「さあ?」

 興奮した調子で声を荒げるラッシュ。対するナルはどこまでもマイペースだった。

 なぜかぐったりとした様子で肩を落とすラッシュの様を見ているのは、やはり何年経ってもおもしろい。


「また来るけ、そのときに師匠の話をしてやるっしょ」

 うなだれているラッシュの肩に軽く手を置いて告げる。

 からかうネタが減ってしまったのは残念だが、減ったのならばまた増やせばいいだけの話。

 にこやかな表情でラッシュにとっては邪悪なことを考える。そんなナルにラッシュが気付いたことは今までに一度もない。

 今回もやはり気付かないまま、ラッシュは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。

「じゃ、あたいは帰るけ」

「ああ。………ナル」

「ふお?」

「気を付けろよ。その……世の中物騒になってるから」

 微妙に視線を外して、ラッシュ。頬がほんのり色付いているのは、照れているからだろう。

 にへらとナルは笑った。






 うららかな春の陽光が降り注ぐとある街の一角。

 二十歳にもなって、たかがキスされた程度で真っ赤になっている男がひとり。

 本日も晴天なり。


番外編のくせに続きがあるナル過去話。

明日か明後日か近いうちに続き更新しまっふ。

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