35_1 - とある誘拐犯の愉快な言い訳
黒。
心に浮かんだのはただの一字だった。
闇ではない、黒だ。
さらに言うならば、それは限りなく黒に近い何かだった。
「えー……」
不満気に声帯が震える。
両の手の平を見下ろしてみて、それが見えることをルーダは確認した。
思った通りだ。そこは闇が広がっているわけではないようだ。
かと言ってそこが明るいわけでもない。建物の影のような暗さに満たされた限りなく黒い空間と表現するのが一番的確だろうか。
「リアクションうっすいっしょ」
ルーダ以上に不満気に声が言う。
実に理不尽な態度であるはずなのに、そのさも当然とでも言うべき態度で来られると、悪くもないのに申し訳ない気分にさせられる。反射的にごめんと言いそうになった口は慌てて塞いだ。この状況で謝罪を口にすべきはルーダではない、彼女だ。
「あのさ、遊びに付き合ってる余裕ないんだけど」
姿の見えない相手に言う。彼女はその言葉でなぜか機嫌を直したように笑った。
「だーじょぶだーじょぶ。遊びじゃないけ」
「じゃあ帰してくれないかな。みんな探してくれてるかもしれないし」
「それはないっしょ」
にこやかに言われた。
探してもらえないほど自分はあのパーティーにとって空気だったのだろうか。地味にショックだ。
「2人ともヤマトに捕まったけ、キミを探してる余裕なんてないっしょ」
思考が停止した。
「きっとこうなるからキミだけでも確保してこいってのが今回の師匠からのお使いっしょ。やーっと休めると思ったのに人使い荒いけ」
「………………え?」
「ついでだからキミを使えるレベルにしてきたらとも言われたんよー。自分がしたくないからってあたいになんでもかんでも押し付けすぎだと思わんけ?」
「えっと…………え? え、あー……?」
「だから怠惰の魔導師なんて通り名を付けられるんしょ。あたいがいないと寝食忘れてやりたいことしかやらないのがそもそもダメなんしょ。師匠はもう少しくらい可愛い弟子のナルちゃんを労わるべきっしょ。可愛いもの好きなんだーかーらー」
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
「なんけ?」
つらつらと愚痴を垂れこぼし始めた人物の姿は未だにどこにも出現しないながらも、それでもその口上を止めなければ思考は置いてけぼりにされる恐れがあった。
意味もなくパタパタと腕を振り、前後左右上下に至るまで黒に支配されたそこを見回す。
都合よくドアや窓があったり、怪しげな魔法陣が輝いていたり――そんなものを期待したわけではなかったけれど、振り向いたそこに派手な魔導師がいたことには心底から驚いた。軽く飛び上がったかもしれない。いたずらが成功した悪ガキのようにニマニマと笑っている女魔導師を見るに、気のせいではなく本当に飛び上がったのだろう。
ナルだった。彼女以外がいたら逆に驚くくらいでは済まなかっただろうけれど。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
「ヤマトに捕まったってどういうこと?」
一番の問題はそれだった。
よくわからないところによくわからないきっと一生わからない魔導師に誘拐されたことは、その問題の前では些事にも等しいことだった。
もっとも、それはナルにとっては違ったみたいだけど。あからさまに面白くなさそうに唇を尖らせた。
「言ったままっしょ。帝国の軍人さんを倒した後に、良くない魔力のお姉さんとイケメンお兄さんがヤマトに捕まったんしょ」
「そんな――」
「魔力枯渇寸前のお兄さんとそもそも弱いお姉さんだけじゃ敵うわけないけ。ちなみにキミがいても結果は変わらなかったっしょ。ヤマトの巫女ちゃんは幻惑の魔導使ってたけ。だーれもそれに気付いてなかったのが今日の最大の笑いポイントだーね。イケメンお兄さんなんて眩暈まで起こされてたのに」
言いながらケラケラと本当に楽しそうに笑った。
魔導師でもその存在を知らない者が多い幻惑の魔導を一般人が知っているとでも思っているのだろうか。ルーダだって目にしたことのないそれを一目見て感知できる自信はない。
「ナルがいてくれたら捕まったりしなかったんじゃない?」
「なーんであたいがそこまで面倒見てやらなきゃいかんっしょ」
バッサリと切り捨てられた。
気まぐれに助けてくれているだけのナルに求めるのは筋違いだとわかっているけれど、落胆を隠すことはできなかった。
と、そこではたと思い出す。
「そうだ、シュキハは? 捕まったのはエリスとシックだけなの?」
「だーかーらー、2人はヤマトに捕まったって言ってるっしょ」
「う、うん、それはわかってるよ。でもシュキハがまだ捕まってな――」
途切れた先の言葉は口にできなかった。
気付いた。気付いてしまった。ナルが言っていることの意味を。
目が泳いだ。そんなルーダに容赦なくナルが追い打ちをかける。
「巫女ちゃんが幻惑使って気引いてる間に後ろに回り込んでガッと」
「しゅ、シュキハが?」
「名前は知らんけーど、キミたちと一緒にいたござる娘っしょ」
「うそだ! だ、だってシュキハは!」
「あたいがウソつく意味がどこにあるけ」
煩わしそうにナルが身を引く。
「事情なんて人それぞれけ。キミも今はキミにできることをするっしょ」
ポンポンと気軽に肩を叩いて、やはりどんな状況で聞いても底抜けに明るい声でナルが続けた。慰めるような言動をしないところにナルらしさを感じて、がっくりとルーダは肩を落とした。
彼女にかかったらすべてのことが笑い話になるのではないか。そんな予感すらする。
諦めにも似た感情は、思索の凍結を促した。シュキハの真意は考えない、それでとりあえずは心の平穏を取り戻せた。
「おれにできることって?」
「あたいと魔導の修行?」
なぜか疑問形。
だけどそれはルーダにとっては願ったり叶ったりだった。
「わかった。じゃあお願いします」
にっこりと。
満足そうにナルが笑った。




