34_2 - 折り返し地点
片手剣と軍刀がぶつかり合う音が乱闘の合図になった。
鍔迫り合いはほんのわずか。すぐにお互いに距離を取る。
騎士として理想的な体型をしているシックではあるが、リドルはそのシックよりも頭ひとつ分大きい上に厚い。体を動かす最低限の筋肉しかついていない薄い体つきのルーダと並んだらさぞ面白かろう。筋肉のある魔導師もそれはそれで嫌ではあるが。
軍服の上からでもわかる盛り上がった筋肉が発揮する膂力を相手に、正面から打ちあおうとはシックも思っていない。
考える。リドルに比してシックが勝っているもの。
スピード、はシックも自慢できるほど早いというわけではないのでこれを勝負球にはできない。シックのほうが多少手数が多いかもしれないという程度でしかないからだ。
なら若さからくる体力か? シックよりも分厚い胸板をしている大男と競って勝てるとは思えない。男の、ましてやリドルの年齢になど微塵も興味はないが、下手をすればシックの倍以上の年齢であるかもしれないのにだ。
腐っても大佐といったところか。
「知れば知るほど君のことをキライになるよ」
つい口を突いて出た言葉は紛れもない本音だったが、対峙するリドルは軽口あるいは挑発と取ったらしい。ただでさえ愛想がいいとは言えない顔を不快気に歪めて鼻を鳴らす。どうやらますます機嫌を損ねてしまったようである。器の小さな男だ。リトルに改名したほうがいいのではないか、と口にしかけたところでぎりぎり我慢した。オヤジギャグ臭がするセリフは自分には似合わない。
挑発して理性を失わせるのは古今東西、戦法としてよく使う手だ。というか既に勝手に激怒して理性を失っている状態ではあるが、これ以上挑発し続けたら憤死でもしてくれるのではないかとすら思える。
シックが所属するジスターデ国の疾風騎士団団長曰く、冷静に状況を判断できない指揮官は指揮官失格である。よほど優秀な副官がいるか、部下に全幅の信頼を置かれているでもない限り、その指揮官が指揮する部隊には先がない。そのはずなのにリドルが大佐として存在していられるのは、この帝国によっぽど人材がいないか上の見る目がないかである。
(まぁ、エリスが慕っている彼が愚鈍ではないことは間違いないけどね)
脳裏に浮かんだヨーヒの鉄面皮を、リドルの振り下ろした軍刀を受け流すことでかき消す。何が悲しくて男の顔なぞ戦闘中に思い出さねばならないのだ。テンションが下がるではないか。
それもこれもすべてリドルのせいだ。そういうことにする。
再び距離が開いたリドルに、今度はシックから突っ込んでいく。一分一秒でも早く、この男をエリスの視界から消したいという思いが強かった。
片手剣の柄を両手でつかみ、下方からすくい上げるようにして剣を振り上げる。待ち構えていた軍刀とぶつかり火花を散らすのを視界の端に捉えながら、さらに踏み込みリドルの顔面に頭を振り下ろす。頭ひとつ分高いリドルなので、振り下ろした頭が捉えるのは顎だ。
が、そんなに簡単にリドルもやられてはくれないらしい。
シックが頭を振り下ろすのに僅かに遅れて、リドルもまた頭を振り下ろしてきた。
火花が散る。目の奥で。
とっさにリドルの腹を蹴り出して後退する。衝突した額の痛みよりも、ちかちかと瞬く意識のほうがよっぽど重症だった。
頭を振る。抑えた額から血、などという事態にはなっていないが、熱を持った額は相手の頭蓋が恐ろしく頑強なことを示していた。筋肉だけに飽きたらず骨まで無駄に頑丈らしい。
「そんなところに回す栄養があるなら脳にもっと栄養を与えるべきだったな」
悪態は、当然ながらリドルが理解できるものではなかった。
ただシックが理解できたことはある。このままではじり貧だ。
昼日中の現在ではそれほど脅威ではないが、闇化という切り札を残しているリドルとガチンコ勝負を続けてもシックが勝つのは極めて困難だろう。というか闇という属性は確かかなり稀で強力な属性のひとつではなかっただろうかとふと思う。魔導師でもないのでよく知らないが。
シックがリドルに勝つための条件。闇化の能力を使用する時間を与えず迅速に一撃を加えること、であろうか。
となればだ。
もはやシックが取れる戦法などないに等しい。あまり気は進まないが、奥の手を使わざるを得ない。
「ああ、そうそう、キミにひとつ言っておかなければならないことがあったんだ」
柄の握りを確かめる。まだ馴染まないながらも、応えてくれる。
シックは微笑を浮かべた。
「俺は疾風騎士団の騎士だ」
同時、地を蹴る。僅かに驚いたように目を見開いていたリドルだったが、それが決定的な隙になることはなかった――これまでだったならば。
リドルが反応を示したとき、その時には既にシックはリドルの目の前にまで到達していた。振り下ろした剣がリドルの左肩口を捉える。半ば強引にそのまま振り下ろす。引き締まった筋肉繊維を、人肉を引き裂く感触が。剣を通して手元へ返ってくる。慣れてしまえばそれはどうとでもない感触だった。
振り抜いた剣を引き戻す。即座に突き出す。吸い込まれるようにしてリドルの胸に突き刺さった。
吹き出した血が顔にかかる。生温い粘液は、こればかりはどれだけ慣れても慣れる気はしなかった。
剣を引き抜き腹を蹴る。リドルの体は抵抗せずに後ろに倒れていった。
体に重力。溜まらず膝を突く。
ドッと汗が噴き出した。
手から片手剣が滑り落ちる。それまで軽々と振り回していたのが嘘のように重く感じた。
体内を巡る酸素が足りない。肩で息をしても不足だと体が責める。過呼吸気味に激しい呼吸を繰り返すシックの背中を誰かが擦った。
しばらくそうして呼吸を繰り返し、徐々に落ち着いてきたところで背中の手も離れる。名残惜しさに振り返るも、背中をさすってくれていた誰かはシックの横を通り過ぎて仰向けに転がるリドルの傍へと向かってしまっていた。
嘆息して剣を拾い上げる。まだ重く感じる剣を鞘に戻し、体を引きずるようにしてリドルのもとへと歩く。一歩進むごとに息が切れた。
リドルの傍にはエリスがいた。動かなくなったリドルの瞼に触れ、それをそっと閉じさせる。
自然とシックの鼻から息が漏れていた。
「優しいな」
「一度は惚れた人だから」
反応は返さなかった。
代わりに彼女の隣に腰を下ろす。立っているのはまだツラかった。
並んでリドルの顔を見下ろしてみても、憎らしさは湧いても他の感情は湧いてこない。静脈に手を伸ばし、完全に事切れているのを機械的に確認するだけでそのリドルだったものに対する興味はなくなった。
振り返って戦況を確認する。あちらも既に終わっているようだった。ルーダの姿が見えないことを疑問に思いつつも、軍人たちが仲良く地面に伏して目を回している様子から見るにやられてしまったようではなさそうだ。
「それよりさっきの何したの? あんた急に強くならなかった?」
顔を戻す。
「疾風騎士団に所属している騎士なら誰にでも使える基礎的な技術、かな」
「今まで使ってなかったわよね?」
「ああ、俺は魔力総量が少ないからな。使うと魔力切れでしばらく動けなくなるんだ」
「ふ~ん」
聞いてきた割に興味のなさそうな返事をくれる。
もっとも、興味津々に聞いてきたとしたらそれはそれでシックが困ることになったわけだが。
簡単に言ってしまえば、魔力による身体能力向上だ。魔導師が魔導として世界に現出させる魔力を、筋力の増強に回すという一見単純なように見えて突き詰めると複雑な使用法をしているのだが、その辺りをうまく説明する自信がシックにはなかった。
騎士見習いのときに散々原理を説明された記憶はあっても、その原理を具体的に記憶できているかと言えば即座にNOと言える。
同僚騎士のみならず先輩騎士や後輩騎士の大半がそうであるように、シックはこの力の行使を半ば以上勘で行っているのだ。騎士見習いのときからまさに血反吐を吐くほどに繰り返し体に教え込まれた技術は、剣を振り回すのと同じく体が勝手に反応して発動してくれる。
100メートルを1秒フラットで駆け抜けられるほどの強化はしかし、使用後は魔力をごっそりと抜き去り筋肉に悲鳴を上げさせる諸刃の力でもあった。その力を使えば確実に勝てる相手かつ状況でなければ危なっかしくて使えないのだ。
それを説明して果たしてエリスにスゴイと思ってもらえるだろうか。好感度をアップできるだろうか。惚れさせられるだろうか。
間違いなくないだろう。
当たり前のようにその結論に達し、シックは問い詰められない限りは進んで説明しないことを決めた。
チリーン……――
反射的にシックが取れた行動は、ため息を吐き出すことだった。
聞き慣れたというほど何度も聞いたわけではないのに、その涼やかな音は耳について離れそうにない。
未だに立ち上がるのは億劫ではあるが、それでもシックは四肢に力を込めて立ち上がった。しゃがみ込んだままのエリスの前に立つ。エリスもすぐに立ち上がったが。
「君もたいがいしつこいな」
「それがわしの役目ゆえ」
「ワーカーホリックでは婚期を逃すぞ」
返した軽口には返事がなかった。わかっていたことだが、ノリが悪い。
初めて相対したときと変わらぬ姿のヤマトの女性、アザト。向かおうとしていた森への入り口を塞ぐように立つ彼女の傍には他に誰もいない。隠れ潜んでいる気配も感じられないが、洞窟で出会ったヤマトの侍たちの気配を消す技術を思い出すとそう楽観視もできない。万全ではない状態ではあっても、シックは警戒するように周囲に視線を這わせた。
「構えずとも良い。此度はおんしらに話があって参った」
「話?」
おうむ返しに返すシックに応えたのは涼やかな鈴の音だった。口を開くのを面倒がっているのか、そうすることが癖なのかは知らないが、その鈴の音がアザトの声だと錯覚しそうである。
ジッとアザトを見る。距離が開いていることもあるが、目深に笠を被っているせいでアザトの表情を窺い知ることはできない。どんな内容にしろ相手の表情が見えない状態で会話をするのはやりにくいことこの上なかった。
そんなシックの気持ちを知ってか知らずか、笠を外すことなくアザトは口を開いた。
「おんしらをヤマトへ招待したい」
「は?」
間抜けな声が漏れた。シックとエリスの口から。
言われた内容が理解できず、シックとエリスは顔を見合わせた。お互いの顔に乗っていたのは怪訝なそれだ。
「我が主ハスノミヤ様が直々に対話をしたいと申しておる」
「……拒否をしたら?」
答えはやはり鈴の音。
が、それだけではなかった。
不意に視界が眩む。一瞬、意識が乖離したような感覚に襲われた。俗に言う、眩暈というやつだ。
「シック!?」
耳に届いたエリスの声は、ふらついたシックに気付いて上げられたにしてはやけに切迫していた。
「ぐっ――」
エリスの声に遅れて、ようやくシックの喉から苦悶の声が漏れた。だがそれは、眩暈を起こしたがゆえに漏れた声ではなかった。
背後から引き倒される。横面を地面に押し付けられ、背中を膝で押さえられ、さらには利き手である右手を捻りあげられた。万全ではない今のシックでは跳ね除けられない強さで。
せめてもの抵抗のつもりで眼球を動かす。シックを取り押さえている者の姿を確認するために。
「残念ながらおんしらに拒否権はない」
平淡に。アザトの声を聞く。シックを見下ろすヤマトの人間を睨みつけながら。
そこにいたのは、ヤマトの侍でもその相棒でもなく。
「どういうつもりだ?」
旅の連れ、シュキハだった。




