34_1 - 忍ばずに寄る影
己の呼吸音しか聞こえない。集中すれば集中するほど、丹田辺りで渦を巻く魔力のことにしか意識が向かなくなる。
魔導にとって最も大切なのは言わずもがな、魔力である。だがただ単純に魔力を使えばいいというわけでもない。まだ幼い頃に母親が言っていたことだが、それを今ルーダは実感していた。
丹念に練って練度を高めた魔力はなんの手も加えていない魔力よりも質が高い。当然だ。イモだってそのまま食べるより蒸かしたほうがおいしいのと同じ。
もっとも、ナルから簡単な手解きを受けていなければルーダがこの事実に気付けたかどうか怪しいところだ。彼女の師匠である魔導師に師事できなくても、ナルに師事するだけでもきっとルーダの魔導師としての実力は上がるだろう。そう思える。
(そのためにはここで足踏みなんてしてられないよね)
エリスの宣言とやらは終わったらしい。あまり聞いていなかったが、シックがなんだかご機嫌になっているので悪い内容ではなかったのだと予想しておく。
見える範囲で軍人を数え上げる。6人。封鎖地区の規模から計上すれば、約3割強といったところか。すし詰め状態で押し込まれていなければだけれど。
息を吸う。
誰かが地面を蹴る音が耳に届いた。
「トールハウリング!」
練り上げた魔力に属性を乗せる。迸った雷撃は目標を定めず、ただ縦横無尽にその威力を発揮した。
が、直撃した間抜けな軍人は流石にひとりもいなかったらしい。多少怯ませることには成功したものの、体勢を立て直した軍人たちはすぐにでも軍刀やら魔銃やらを構えてルーダに襲い掛かってきた。
それでもルーダは慌てない。心臓は早鐘を打っているし、呼吸も早くなってきているけれど。慌てない。
魔導師は冷静であれ。それは魔導師を志さない者ですら一度は聞いたことのあるフレーズ。ただそれを正しく理解している者はそう多くはない。
「クロスライトニング!」
近くの軍人をまずはひとり無力化する。雷に打たれた軍人は抵抗もできずにその場に崩れ落ちた。加減はしたけど心停止とかしていなければいいな、と密かに願う。
「トールハウリング!」
迂闊に近づきすぎた軍人が雷撃に絡み取られて膝を突いた。気は失っていないが、しばらくは痺れて動けないはずだ。
「クロスライトニング!」
さらにもう一人。雷撃から距離を取ろうとしていた軍人を打つ。
これで残りは半分。
息を吐く、一息つくつもりで。
前方の敵以外はどうなっているか、横目で確認して――そこでルーダは動きを止めた。
「なんで?」
「うんうん、疑問に思うことはいいことっしょ」
ナルがいた。
洞窟の中で出会った真っ黒な物体ではない。正真正銘、ナルだ。
エリスを中心に配した守りの一角、シックと対面する位置にさも当然のようにいた。違和感を覚える方がおかしいのだとでも言うような自然さで。
「短い人生、なんの疑問も抱かずに生きてもおもしろくないけ、日々自問自答をするのは大事っしょ」
ナルの前方にいた軍人は、半分以上埋まっていた。自身の影に。土に、ではない。影にだ。
ステッキで肩を叩きながらしきりにうなずくナルの横顔を見る。凝視する。まだ残っている軍人を無視してひたすら。
視線に質量でもあるのか、頭を傾けたナルがどこかめんどくさそうに見える動作で振り返ってきた。
「キミは足りなーいね」
肩を叩いていたステッキの先がルーダに向く。ルーダの向こう、残っていた軍人たちに。
うわ、だの、ぎゃ、だのが聞こえてきて振り返る。残りの軍人が今まさに影に沈んでいくところだった。まるで底なし沼だ。暴れてももがいても影に沈む速度は一定のまま。
「けーど、多少は成長してるっしょ」
屈託なく笑って、ナル。自分が起こした事象については毛ほどの関心もなさそうだった。発動が失敗するとか、防がれるとか、ルーダが心配するようなことの一切に頓着していない。そうなることがナルにとっては当たり前のことなのかもしれない。
困惑が表情に乗る。彼女と対峙したときはいつもそうであるように。
「なんでいるの?」
「血が騒いだん?」
「いや、聞かれても」
平常運転すぎるナルに呆れることも諦めた。
事情はさっぱりわからないが、加勢してくれていることだけはわかった。というかナルだけで封鎖地区内の軍人なんて簡単に無力化できそうだ。
「ナルちゃんに会えてうれしいけ?」
「そんなに――アタッ」
反射的に答えたらステッキで小突かれた。額がひりひりする。
「ってイタッ! 痛いよ! ちょ、なに?」
それだけで済むと思ったのに、なぜかナルは額を押さえたルーダの腹をどすどすと遠慮なくステッキで突いた。抗議の声を上げるルーダなんてお構いなしで。
おかしいな、今は真面目な場面のはずなのにナルが現れた途端に不真面目度がうなぎのぼりだ。
助けを求めるように周囲を見回してみたが、軍人たちは影に埋まっているし、エリスもシュキハもルーダたちのことなど無視してシックとリドル大佐の一騎打ちを静観している。影に埋まっている軍人がもはや額しか見えなくなっているが、呼吸とか大丈夫なのだろうか。ナルが簡単に人の命を奪う人でないことを願うしかない。
というかルーダもできれば一騎打ち観戦組に入りたかった。
いい加減鬱陶しくなってステッキを払いのける。ナルが意外そうな声を出した。
「も――」
「せっかく練った魔力がこの程度で散ってるっしょ」
「う?」
文句を言うために開いた口は疑問の形で固まった。
パチパチと瞬くルーダの腹を――丹田のあたりをもう一度ナルのステッキが突く。今度は手加減をしてくれたのか、それほど痛くはなかった。
「キミはずっとここに魔力を集中させてこねくり回しておくといいっしょ。意識しなくても常にできるようになるまで」
「え? ええ?」
「お、あっちももう終わりみたいけ」
指さされてそちらを向く。決着がついた現場を見る前に後ろから目を塞がれた。
――この人は何がしたいんだろう。
疑問が生まれるのは当然のことだった。
ルーダは迷う。ここで紡ぐべき言葉は何かを。
これまでの彼女の言動を見ていれば、ある程度だけなら推測することも可能なような気がしたのに何も思いつかなかった。不思議生物の烙印を押したとしても誰もルーダを責められまい。
「あたいはキミを誘拐に来たんよ」
耳元で囁かれた言葉を理解する前、ルーダの視界はさらなる闇に閉ざされた。




