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2 - 絶望は既に舌の上

二人目の主人公

 見下ろした手の平は、豆が潰れた痕ばかりが目立つ不格好なものだった。剣を握る仕事をしている以上は仕方のないことだとは言え、畑仕事を嫌って田舎から飛び出してきたことを思い出せば、鍬を片手にしていても手の平の運命はさほど変わりはしなかったのだろう。そう思うと固くなったその手の平がことさら滑稽に見えた。


 同じく田舎を飛び出してきた兄に言わせれば、剣を持つ人種よりも鍬を持つ人種のほうが偉いのだそうだ。

 笑いながらそう言った兄は、今はもういない。

 人と魔の戦争にジスターデ国が誇る飛翔騎士団の一員として参加し、そのまま帰らぬ人となった。訃報が届いたのは先月のことだ。

 兄は騎士だった。戦争に参加すれば命を落とすことも覚悟しなければならない。

 そう頭では理解していても、尊敬する兄の死はショックだった。


『お兄さん、黄昏に興味ある?』


 街中で突然そう声をかけられたときには、これも運命かと思えた。

 普通ならば悪質ないたずらと思うところだろう。兄と言う目標を失ったシックにとっては、ていのいい言い訳になった。半ば自棄になっているのだろうという自覚はある。

 シックは開いていた拳を握り込んで苦笑した。


「おーい! シックさーん!」

 夢想の終わりのタイミングに合わせて名を呼ぶ声が聞こえてきた。


 もたれていたブロック塀から背中を離して、声がした方向へと顔を向ける。周りの注目を集めることも気にせず、大きく手を振りながらニコニコと駆け寄ってくる男に軽く手を挙げて応える。

 声をかけられたときもそうだったが、その男――そう言えば名前を聞いていなかった――の歳不相応な言動は笑いを誘った。


「お待たせ~。さっき言ってた人連れて来たよ。この人が黄昏へと道案内をしてくれるエリスさん」

 そう言って男が示した場所には、残念ながら誰もいなかった。後方からゆっくりとした足取りで近づいてきている者はいるが、それがこの男の言う人である確証もない。


 シックは無言で残念そうな視線を男に向けた。

 笑顔の男がくるりと方向転換する。


「早く来てよー!」

 子供のように両腕をばたつかせて誰かを呼ぶ男の動きは、やはり笑いを誘った。

「遅いよ」

「あんたが早いのよ。私に合わせなさいって言ってるでしょ」

 シックがそうだろうと思っていた人とは違う人が男の文句に言葉を返す。

 わずかに目を開いた。


「仕切り直しでコホン。シックさん、この人が黄昏へと導いてくれるエリスさんだよ。で、こっちが僕のスカウトしたシックさんだよ、エリスさん」

 シックと女を交互に示して男が紹介をする。


 値踏みするような女の視線を居心地悪く受けながら、ふっとシックは鼻から息を漏らした――やはり悪質ないたずらだったらしい。ならば暇つぶしに付き合ってやるのもやぶさかではない。


 口元ににやりとした笑みを浮かべてシックは両手を開いた。

「へぇ~、トレジャーハンターって聞いてたから厳ついおっさんでも来るかと思ったら、かわいい子が来たもんだ。こりゃラッキーだな」

 ピクリと女の――男の紹介が間違っていなければエリスという名なのか――頬が痙攣する。が、それもすぐに引っ込み、女の顔にもにっこりとした笑みが浮かんだ。

「こいつのスカウトに引っかかるくらいだからどれだけまぬけな奴かと思ったら、予想以上にまぬけそうな奴でびっくりしたわ」

 気の強そうな外見を裏切らず、存分に皮肉を込めた言葉を女が放ってくる。


 くくっとのどの奥でシックは笑った。

 すとんと幕が下りるように女の顔が不機嫌になる。


「ラド、こいつにあれやった?」

「えぇー、やんないよ。僕平和主義だし」

「役に立たないわね」

「そんなこと言われてもー」


 口をとがらせる男。実に不愉快そうに文句を垂れる女。

 巻き込まれない位置から見ている分にはいい退屈しのぎにはなりそうだった――女の手が不自然な動きを見せなければ。


 半ば条件反射とも言える動きで、シックは腰にさげた片手剣を引き抜いていた。扱い慣れた剣は寸分狂わず女ののど元に突き付けられる。

 動きを止めた女の目玉がぎろりとシックを睨んだ。

 ふっと鼻で笑って剣を引く。


「わっ! わわわっ!! エリスさん大丈夫!?」

 時が停止していた男が慌てたように手足をばたつかせて女に駆け寄る。

「ふぎゅっ!」

 その男の顔を押しのけて、女は触れていた小太刀の柄から手を離した。

 顎を上げて女がシックを見る。細められた目が女の不機嫌さを表していた。


「女性に向かっていきなり刃を向けるなんて非常識じゃない?」

「正当防衛のつもりだが? まぁ、もし君に傷のひとつでも負わせていたら責任を取るつもりはあった」

「はっ!」

 シックの軽口に対して威勢よく女が鼻で笑った。おろおろしている男が情けなく見えるほどに力強く。


「まぁいいわ。道中、月種に会うかもしれないことを考えると強いに越したことはないもの」

 一体何を妥協したものかシックには不明だったが、嘆息と共に女の視線が外れた。女のその様子を見て、男がほっとした様子を見せる。


 手が上がった。女の背後で。

 見れば、女の後ろに別の男が立っている。シックがそちらを注目したことで女も気付いたのか、女も背後へと振り返った。


「なによ。文句なら聞かないわよ」

「今もしかして月種とか言わなかった?」

「言ったわよ。ちゃんと耳が機能してるみたいで良かったわね」

「……。……月種って言ったら魔の中でもかなりやばいはずだけど」

 その男が言ったことでシックも思い出した。


 月種。

 人語を解さない魔の中で、人語を解する知性ある魔を総称してそう呼ぶ。基本的に他の仲間と協力して行動するということをしない魔をまとめ上げる力を持ち、単純戦闘力だけでも2倍から3倍ほど跳ね上がるとまで言われている。幸いと言うべきはその月種が多くないことか。


「そうね。強いでしょうね」

 こくりと頷いてあっさり女が言う。深刻さは見えなかった。

 可能性があるから口にしただけで、なにかしらの確信があって言ったわけではなかったのだろう。あからさまに顔色を変えた男には通じなかったようだが、それをわざわざシックが代弁してやる義理はない。


「聞いていいか?」

「なに?」

「そっちは?」

 女の背後にいる男を顎で指して尋ねる。

 こう言ってしまっては失礼かもしれないが、能天気そうに笑っているスカウトしてきた男と比較しても情けないと感じてしまう――たれ目に加えて眉がハの字を描いているから余計にそう感じるのかもしれない。

 先ほどの態度から、シックと同じような立場であることが想像できた。


「ああ、そう言えば自己紹介が全然済んでなかったわね」

 音を立てずに手を合わせて、今さら気がついたとばかりに女の表情がパッと明るくなった。先ほどまで不機嫌そうにしていたのに極端なものだ。


「じゃあまずは私からね。私はトレジャーハンターのエリス。黄昏への水先案内人を務めるわ」


 自身の胸に手を当て、はきはきとした口調で女が自己紹介をする。

 それに続いてシックをスカウトした男が、はいはいとうるさく主張しながら手を挙げた。


「僕はラド~。エリスさんと同じくトレジャーハンターだよ~」


 それは無理がある嘘だろうと思った。

 トレジャーハンターと名乗るにはその男はあまりにも頼りなかったからだ。

 専門ではないので詳しいことまで知っているわけではないが、遺跡や未開発地区へと足を踏み入れるトレジャーハンターにとって絶対的に必要なものは体力だ。衣服に隠れていてもわかる薄い体つきのラドと名乗るその男が、遺跡探索などに耐えうる体力を持っているとは思えなかった。

 やはりこれは悪質ないたずらなのだという確信がシックの中で濃くなった。


「おれはルーダ。えっと………………無職です」


 恥じるようにうつむきながらもごもごと男が言う。

 彼もまたシックと同じくこの悪質ないたずらに巻き込まれたひとりなのだろう。かわいそうに。


「シックだ」

「すごいんだよシックさんは。疾風騎士団の現役騎士様なんだ」


 横から割り込んできたラドがシックの代わりに、興奮した様子でエリスと名乗る女に我がことのようにアピールする。興奮しているせいで上気した頬は赤く、その言動とも合わさってラドをより幼く見せた。

 興味がなさそうに生返事を送るエリスだったが、シックを見やる眼差しから険は多少抜けていた。代わりに挑発するような色が乗っていたが。


「現役の騎士がこんな眉唾の勧誘に乗ってくれたの」


 はっきりとそれは挑発だった。そしてそれを隠しもしていない。

 悪質ないたずらだと勘繰っているシックに気づいたわけではないだろうに、本能的になにかしら察したのだろうか。だとしたらたいした女だ。

 シックはエリスの挑発に乗るように口元をにやけさせた。


「隊長によれば俺は不良騎士らしいからな。激戦地のリブエンド荒野に連れて行ってくれないもんだからこんな話にも飛びついたってわけだ」

「あら、戦地に行けない程度の実力しかないんだ」

「君の護衛をするくらいの実力はあるつもりだけど?」

「あら頼もしい言葉。でも私を守る必要はないのよ。必要性があるとも思えないし」

「へぇ、たいした自信だな。だが女性を守るのは男の役目なんでね」

「必要ないってば」

「君の意思は関係ない。こちらとしても案内人に死なれては困るから。それに」


 2人のやり取りにポカーンと口を開けていたラドが、あ、と声を上げた。

 一歩踏み込んだシックから伸びた手がエリスの頬に触れる。


「イイ女に傷がつくのはもったいない」


 滑らかな肌をシックの指先が撫でる。

 パシッと小気味良い音を立ててシックの手が振り払われた。

 笑んでいたエリスの目が据わる。後ろ足を下げて距離を取ったエリスとシックの間に、跳び込むようにしてラドが入り込んできた。


「あんたがそうしたいなら好きになさい。でも一つだけ忠告しておくわ」

 細められた目がシックを捉える。その碧玉の奥にわずかな嫌悪の情が湧いているのにシックは気が付いた。

「私に触らないで」

 一言をはっきりと発音するように告げるエリスの口元に笑みが浮かぶ。

「危険よ?」

 不透明な笑みだった。

 楽しんでいるのか、怒っているのか、試しているのか。いずれにも当てはまるようでいて、いずれにも当てはまらないような。


 眉尻を下げてエリスの様子をうかがうラドも、一連のやり取りに飽きたようにそっぽを向いているルーダも、エリスのその笑みの本質を見抜くことはできないだろう。女性経験の多いシックにも見抜けないのだ。


 くっと喉の奥で笑みを漏らす。

「それは黄昏の在り処を知っていることと関係しているのか?」

 まっすぐな眼差しを見返してまた一歩踏み込む。間にいたラドが「ぎゃふ」と鳴いて横にずれた。

 エリスの目がにぃっと弧を描く。


「…………利口な人は好きよ。でも利口すぎると寿命を縮めるわ」

「それは脅しか?」

「好きに解釈して」

 先ほどとは違ってエリスは楽しそうに笑いながら肩を竦めてみせた。


 脇を通り過ぎたエリスが、街の入口に立ってくるりと振り返る。

 降り注ぐ太陽の光が、バンダナの隙間から覗く金糸の髪に反射してキラキラと光った。眩しかったわけでもないのに反射的に目を細めたシックに気づかず、両腕を軽く広げたエリスが高らかに宣言する。


「さぁ、共に黄昏の刻を迎えましょう」



 後の歴史家は言った。

 まるで戦争の始まりを告げるように訪れた皆既日食は、太陽を隠している間に世界にどんな変化をもたらしたのだろう。再び顔を覗かせた太陽は、月の陰に隠れる前に空にあった太陽と同じものだったのだろうか。

 後の時代に黄昏の戦争と呼ばれることになる大地の覇権を賭けた戦争は、このときまだ始まってもいなかった。



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