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29 - 血濡れ毒蛇は肉を食む

 どこかで水が跳ねる音がする。

 壁面が発光するよくわからない構造の洞窟の中、道を照らすのはルーダが発生させた雷球のみ。それとて完全に闇を照らしだす役を担ってくれているわけでもない。


 シックに背負われたエリスは眠り続けていた。童話の中の眠り姫のように。

「なんか、エリスの寝顔に見慣れてきた気がする」

 何も追ってはこないと思うが、背後を警戒するように歩きながらつぶやく。はは、とシックが乾いた笑い声を上げた。

「それだけ俺たちがこの子を護りきれていないってことだ」

「あ……」

 見えたシックの横顔はいつものそれとは違っていた。

 戸惑うように目線を彷徨わせる。いつもニヤニヤとしているシックのそんな表情を見せられると、どう反応して良いものかわからなくなった。


「シック、ちょっと来てくれ」

「どうした?」

 助け船――ではないだろうが――とばかりに前方からシュキハの声がシックを呼んだ。

 歩調を速めて前方で立ち止まっているシュキハに追いつく。2人――というよりもシック――が追いついたのを確認すると、シュキハはくいっとさらに前方を示した。2人の視線がそちらに向く。


 立方体が浮いていた。


「キューブ?」

 全世界どこにでもいると言われている最もメジャーな魔の姿に、思わず気の抜けた声が出る。

「一匹だけか? キューブは単独行動しないはずだが」

「ああ、他に気配は確認できぬ」

「哨戒……だとしてもおかしいな。俺たちの前にヤマトの2人がここを通ったはずだ」

「偶然とかじゃないの?」

 横から挟んだ口はいちべつをもらうだけの効果しか得られず見事に無視された。


 前方に浮かぶキューブから視線を外さないまま、シュキハが背負った槍に手をやる。

「始末するか?」

「そうだな、仲間を呼ばれても面倒だ」

 話を進める2人を眺めながら、やっぱり自分は2人とは考え方が違うのだな、と場違いとわかりつつも痛感してしまった。過ごしてきた環境は違えど、2人は戦うことを生業にしてきた人たちなのだ。

 ルーダならばまず始末するという選択は出ない。どうやり過ごすか、それを考える。

 どちらが賢い選択なのかわからない。


 いや――

 ちらりとエリスの顔をいちべつする。

 エリスの安全を第一に考えるならば、正しいのはきっとシックたちだ。少しでも危険を回避するための行動こそが賢い。

 きゅっと手を握る。


「だったらぼくがやるよ」

 真面目な顔を突き合わせていたシックとシュキハがルーダを振り返った。

 こくりとうなずく。

 精神統一の時間はそれほど多くかけなかった。

 右腕を水平に構え、手のひらを前方に浮遊する立方体に向ける。のんびりと漂っているように見える立方体は、そんなルーダの動きにはまだ気付いていないようだった。

「クロスライトニング」

 構えた腕の先から雷撃が迸る。それは狙いを違うことなく真っ直ぐに立方体へと走り抜けていった。

 立方体が振り返る――前がどちらかわからないので実際のところ振り返ったのかは不明だが、なんとなく振り返ったような雰囲気を感じた。

 バチンッ、と低く音が響く。

 弾けた雷光が一瞬目を閉じるのが遅れたルーダの網膜を白く染めた。


「おい、なんの冗談だ?」

「え?」


 雷光が消えた先、無傷の立方体が鳴いていた。確かに雷撃は直撃したはずなのに。

 すばやく槍を構えたシュキハが駆け出す。クルルル、と鳴く立方体は動じた様子も見せずにその場で浮遊していた。逃げるそぶりすらない。

 おかしい――ルーダの放った魔導を防ぐことができたことも、元来臆病な性格の雑魚魔が逃げ出さないことも。

 違和感をルーダが口にする前、立方体の前へと到達したシュキハが槍を突き出す。鋭い一撃は有無も言わせず金属質の光沢を持つ立方体を刺し貫く、はずだった。


「ただのキューブじゃないよこいつ!」

 瞬きした刹那、立方体の姿は眼前にあった。シュキハの足でも2,3秒を要した距離をものともせず。

 ほとんど悲鳴に近い声を上げるルーダの横で、無言でシックが剣を引き抜く。エリスを背負ったままで。


「クルルルル……王、待つ……」


 とっさに魔力を練り上げようとしたルーダの動きはそこで止まった。

 しゃべった。雑魚魔キューブが。

 それが意味するところはひとつしかない。

「月種――?」

 呆然とつぶやく。

 拙いながらも人語を解した立方体はくるりと向きを変えると、駆け戻ってくるシュキハの脇を通り過ぎて元いた場所まで滑空していった。


「……敵意はないようだな」

「う、うん」

 つぶやくシックにうなずきを返す。

 戻ってきたシュキハは戸惑いを隠せない様子だった。ルーダも同じ気持ちだ。


「王、待つ……」

 立方体が繰り返す。

 ルーダはシックと目を合わせた。


「逢引のお誘い、か?」

「王って……樹林で会ったあの魔のこと?」

「さあ? 案外別の王様が出てくるかもしれない」

「別の王様って?」

 問いには答えずシックが肩をすくめる。

 歩き出したシックの後を慌てて追った。

「誘いに乗るの?」

「道はここしかない。それに待ち伏せされていたのなら、あのキューブを退けてもまた別の誰かが来るだけだ」

 気楽に言うシックだが、目から警戒の色は薄れていなかった。


 シュキハと目を合わせてうなずきを返す。

 薄暗い道を照らす雷球を先行させる形で前方へと進ませた。ただの光源としての役割を果たしている雷球だが、とっさのときに迎撃用にも使えるはずだ。

 ぴちょん……ぴちょん……

 水のはねる音が先に進む連れ大きくなっていく。音源が近づいてきているのか、それとも誰も一言もしゃべらないからか。

 通路内に響く水音はやがて質量のある水が大量に落下する音へと変化した。


「クルルルル……王……」

 前方の立方体が鳴く。スピードを上げた立方体とは反対に、ルーダたちはその足を止めていた。


 立方体が向かった先、こちらに背を向ける形で佇む人影がある。黒いローブに身を包むその人影は、頭上で円を描いて飛ぶ立方体を見上げてからゆっくりと振り返ってきた。

 深い紫色の双眸――最初に目についたのはその人物の瞳の色だった。フードを目深に被っていても、向けられた双眸のその深い紫色は思わず委縮してしまうほどに強い意志を宿している。

 無意識に震えそうになった四肢を、ルーダは唇を噛むことでなんとか耐え凌ごうとした。

 そこにいた人物には見覚えがある。旅を始めたその日に樹林で襲いかかってきた魔の王。


「君か、バーリハー」

 やけに冷静にシックが言う。ビビるルーダとは大違いだった。

「何をしに来た? この子なら渡す気はないぞ」

 魔の王の視線がシックに背負われたエリスに向けられる。いちべつする程度の時間、眺めただけですぐに視線は戻ってきた。

「お前たちの中の疑問を解消するために我は来た」

「へぇ、それはどういった心境の変化で?」

「問いかけには答えない。我にも時間がない」

 にべもない魔の王の言葉にシックが肩をすくめる動作をした。実際はエリスを背負っているので仕草だけ。


「詳細を語るには時間がなさすぎる。我の提示する話のみ語る」

「提示する話って?」

 口を挟んでも良いのかと思いながらも、疑問は口を突いて出た。

 魔の王のいちべつがルーダの姿をかすめる。睨まれたわけではなかったが、逃げるように腰が引けた。

「リブエンド荒野の現状、賢者狩りを行う者たちの動向、帝国軍とヤマト人の配置、いずれお前たちと事を構えることとなる三匹の月種の話……そしてエリシアナの命の期限についてだ」


 ひゅっ、と。

 それは息をのむ音だった。


「命の期限って……エリスの命が、残り少ないってこと?」

「それは最後だ」

 魔の王の返事はやはりにべもなかった。冷たいわけではないのに思わず口をつぐんでしまうような迫力がある。

「リブエンド荒野の現状について話す。前線の指揮はシロハが執っている。絶魔フアルコの月種だ」

「フアルコだと?」

「そうだ」


 脳裏に思い浮かべる。

 絶魔フアルコ――ルーダの記憶が正しければ、目の前の王の種である絶魔リオンに次ぐと言われる強さを持つ魔だ。白い翼を広げて飛翔する有翼人種に近い魔だったはずだ。


「一時期は魔が優勢だったが、最近になって人が押し返し始め五分の状況に戻った。帝国の総司令官が戦場に赴いたゆえだろう」

「ああ、確かに彼が前線の指揮を執ってから盛り返したと聞いてる。昨日はわざわざ家出した妹に会うために近くまで来てたようだが」

「え、シック知り合いなの?」

「この子の兄のような存在らしい」

 示されたのは背負われたエリス。

 帝国のビッグネームと兄妹的な関係にあるという事実は驚くに値するのだろうが、もはやその程度で驚くような感覚をルーダは失っていた。へぇ、とごくごく普通に受け入れている自分自身に激しく違和感は覚えていたけれど。


「賢者狩りはリッキーとイドリンが行っている。中堅魔ベットルと中堅魔モンケだ」

 脳裏に思い浮かんだのは賢者ロウアーニが殺害されていたあの凄惨な現場だった。

 怖気が走る感覚と共に怒りもまた湧いてくる。

 あの場にいた黒い甲冑をまとったような魔が、彼の言う中堅魔なのだろう。ベットルとモンケというのがそれぞれどんな形をしているのか知らないので、どちらなのかは分からない。


「どうして賢者様を?」

「理由は我には語れない」

「じゃあ誰なら語れるの? やらせてるのはあなたなんでしょ?」

「我ではない。これ以上は語れない」

 追究の口はシックの手に阻まれた。首を振るシックの目が冷静になれと言っている。たったひとりの祖父を理不尽に奪われたティッケのことを思うと、苦しくて悔しくて仕方がなかった。

「続けてくれ」

 うつむくルーダから視線を外したシックが魔の王に話の先をうながす。あくまでも冷静に。


「賢者狩りを行っている二匹は現在、レトポーフの山奥で魔導師と交戦中だ」

「もう見つかったのか。思ってたより早かったな。魔導師というのはナルという女性のことか?」

 知らん、と一言だけ返ってくるのはシックも予想していたのだろう。予想を裏切らずに一言だけを返して来た魔の王にそれ以上の確認を取ることはなかった。恐らくはナルかその師匠だろうと思うことにした。


「賢者は結界で事なきを得たが、魔導師が負傷した。リッキーも消耗したようだが」

「え、だ、大丈夫なの?」

「今すぐ命にかかわるレベルではない。もう一人の魔導師が戦線に加わればリッキーたちの不利となる。近いうちに手を引くだろう」

 ドキドキと胸がざわついた。

 本当に先ほどまで(影だけとは言え)会話をしていたナルが、自分の知らないところで怪我を負っていたのだとしたら。ティッケの安全のためと安直にナルを頼ったルーダのせいだと指をさされても否定できなかった。

 罪悪感が湧き出てくる。


「どうしよう……」

「応援に駆け付けることができない以上は無事を祈るしかないさ」

「でも、だって、相手は月種だよ? しかも2体なんて」

 ぽん、とシックに背中を叩かれた。

 触れ合った部分からじわりとしみだすようにシックの体温が伝わってくる。それだけで浮足立っていたルーダの気持ちが沈静化していくのがわかった。


「続きを頼む」

 悔しいがシックはおとなだ。ルーダよりもずっとずっと。今何を優先すべきかよくわかっている。

「帝国軍が国境付近で網を張っている。エリシアナを狙う愚劣な男もそこにいる」

「大佐もしつこいな」

 ため息交じりに、シック。その様子からは、うんざり、という単語以外感じ取ることはできなかった。


「ヤマトの」

「クルルルル……王……」

「感づいたか。予想よりも早いな」

 魔の王の頭上にいた立方体が鳴く。立方体の言っていることはさっぱりわからないが、魔の王から余裕が失われたのはなんとなく感じられた。


「時間がなくなった。エリシアナの命の期限だけを教えておく」

 空気が、変わった。つばを飲み込むのも躊躇うほどに。


「黄昏に到達してもエリシアナは死なないが死ぬ」

 矛盾した物言いだった。ルーダの頭の上を疑問符が飛び交う。

「役目を終えた夢喰い人は楽園へと招かれる、とエリスは言っていたな。そういうことか?」

 慎重なシックの問いに対する返事はなかった。しきりに鳴く立方体に促される形で魔の王は立ち去る気配を見せていた。

「待て。それだけか? 何か対策はないのか?」

「……今彼女を生かしている鍵の代わりになるものを用意すればいい」

「代わり?」

「絶魔ルインの生命の輝き、ルナティックソウル」

「じょ、冗談でしょ? 絶魔ルインは既に滅んだ種だよ? そんなのどうやって手に入れられるっていうのさ」


 魔の王のいちべつに怯む気持ちは完全に薄れつつあった。危険かもしれないという考えすら頭の外に追い出し魔の王との距離を詰める。警告するように目の前に立方体が現れなければ、魔の王に詰め寄っていただろう。

 見る。深淵を彷彿させる魔の王の瞳。

 先に逸らしたのは魔の王だった。


「この滝を越えた向こう側に無人の小屋がある。エリシアナを休ませてやれ」

 踵を返した魔の王が吸い込まれるようにして消えていく。ルーダの進行を妨げた立方体も後を追って消えた。

「――……すべての謎が明かされるほど都合よくない、か」

 悟ったようにシックがつぶやく。

 抗議のつもり――半ば以上ただの八つ当たりでしかないが――で振り返ったルーダの額はシックの指先で軽く弾かれた。


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