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28_2 - 強く、強く、強く

「クロスライトニング!!」

 聞き慣れたルーダの詠唱の声と続く雷鳴を背にシックは駆けた。


 ルーダの魔導でも足止めすらできない竜がしつこく追いかけてくるのを、ただひたすらに逃げ惑うしかできないのが歯がゆい。抱えているエリスを下ろして先に逃げてもらおうかとも思ったが、敵の狙いがエリスである以上ひとりにするのは危険なだけだ。

 されどこのままでは体力が尽きるのは時間の問題。遠くない未来に竜に追い詰められるだろう。

 打開策を見出すべく這わせた視線がシュキハの姿を捉えた。

 先ほどエリスに暴言をぶつけ、その命を奪おうとした物体と対峙している。ヤマトの人間同士、エリスに危害を加える算段でもつけているのだろうか。


「全然効かないよー!」

「効くように努力してくれ」

「無茶なっ!」

 後を追いかけてくるルーダの泣き言はいつものように適当にあしらう。先ほどから魔導を連発しているルーダの負担も大きいだろうが、成人女性をひとり抱えて走っているシックにかかる負担も大きかった。騎士として鍛えていても、間もなく体力の限界を迎える。

 前方に岩壁。振り返ればしつこい竜が見えた。

 もはや逃げ切れないと悟る。シックは足を止めて腕の中のエリスを地面に下ろした。


「ルーダ、援護しろ」

 振り返りざまに剣を引き抜く。

 石の鱗を持つ巨大な竜に剣一本でどこまで対抗できるかわからない。それでも逃げられない以上は戦うしかなかった。

 逃げるのをやめたシックらに合わせるように竜もその足を止める。そのまま突っ込んでこられても困ったので、意外ではあるがその行動は予想外の行幸だった。

 あぎとを開けた竜が雄たけびを上げる。びりびりと空気が震えた。

 怖気るルーダがそれでも呪文の詠唱に入ろうと構えを取った。


「君が今放てる最大を右足に放て」

「わかった」

 竜の推定戦力、己たちの戦力、洞窟の中という狭い空間――把握できる現状すべてを脳内で整理して導き出した戦略。

 隣でルーダが息を吸い込むのが聞こえてくる。


「天の怒りよ!」

 駆けだしたシックを抜いて雷撃が竜の右足に直撃した。耳をつんざく轟音と弾ける白い光が聴覚と視覚を一時的に奪い去る。シックは構わず駆けた。

 ルーダの魔導の効力が薄れたタイミングで、追撃をかけるべく剣を斜めに振り下ろす。

 手元に返ってきたのは固い手応え。歯を食いしばってさらに一歩踏み込む。聞こえるはずのない鋼のしなる呻き声がシックの耳に届いた。

 耐え切れずに剣が折れ飛ぶ一歩手前、見極めて剣を引く。


「クロスライトニング!」

 尾を引く雷が、竜の右足に直撃したと同時に弾けた。

 竜が咆哮を上げる。それは今までの威嚇のための咆哮とは違う。

 次に打ち付けたら剣のほうも寿命を迎えるだろうが、今はそんな先のことを気にしている場合ではない。追撃できるタイミングを逃したらこの先同じチャンスが巡ってくるとは限らないのだから。


 四肢にグッと力を込めたシック――の脇を何かが通り過ぎた。

 目を開く間もなくそれは竜の右足に直撃して火の粉を散らした。

 止まりかけた足を加速させて再度剣を振り下ろす。固い手応えと共に鈍い手応えもまた感じた。

 竜の咆哮が一際大きくなる。

 動いた足がシックの体を吹き飛ばした。


「シック!」

 岩壁に叩きつけられる合間に誰かに呼ばれた気がした。幻聴だったかもしれないけれど。


 圧をかけられた肺が思い出したようにひきつれた咳を誘発する。咳き込むシックの背中を誰かが撫でる感触に、シックは表情に苦痛をにじませたまま目を開けた。

「俺の雄姿に惚れたか?」

「バカ言ってる余裕あるならやめるわよ」

 言いながらも背中を擦るエリスの手がその動きを止めることはなかった。シックの咳も軽口を叩いた後もすんなりとおさまってくれるようなものではなかった。打ち所が悪ければこの程度で済まなかったのだからマシなほうなのだろう。

 しばらくそうして咳き込んだ後、その咳もようやく落ち着いてくれた。


「ありがとう、助かったよ」

「雇用主としての義務だからね」

 素直に礼を言ったのにかわいくない返しをくれる。らしいと言えばらしい言い回しに自然と苦笑がこぼれた。

「さっき加勢してくれた?」

「ええ、私の炎でも目晦ましくらいにはなるでしょ。それにただ守られてるだけの弱い女だと思われてもイヤだし」

 先ほど竜に直撃して弾けた炎はエリスが放ったものだったらしい。勝気なセリフもエリスらしいと思えば微笑ましく思えた。

 改めて礼を述べると、気恥ずかしそうに目線を逸らされた。


「ちっ、しぶてぇな」

 エリスの表情が固まる。

 背中の痛みはまだ引いていないが、シックは構わず立ち上がった。

「他人の思惑通りに動くほど素直な性格をしてないものでね」

 刀を肩に担いだ姿勢で睨んでくる男に軽口を返す。ピクリと不快気に男の表情が揺れた。

 男の背後にいちべつを向ける。シュキハが倒れていた。

 見ていない間に仲違いでもしたのか、あるいは初めからシュキハはあちら側ではなかったのか。経緯はわからないが、シュキハが倒れて動かないという事実だけを情報としてシックは取り入れた。


 斜に構えた男の視線から隠すようにエリスの前に立つ。

「丸腰で俺様とやりあおうってか。勝てると思ってんのか?」

 言われて気付く。手元に剣がない。先ほど吹き飛ばされたときに取り落としてしまったのか。

 気にした様子も見せずにシックは笑ってみせた。

「ヒーローは圧倒的不利でも負けたりはしないものだ。悪役の君は捨て台詞の用意でもしておいたほうがいいんじゃないか?」

「笑えねぇ冗談だ」

「冗談のつもりはない」

 剣呑な鋭さを増した男の眼差しを受け流して右手を上げる。


「クロスライトニング!」


 横手から飛来した稲妻は男が刀を一振りするだけで消し飛んだ。なかなかしゃれたことをしてくれる。ルーダの自信がこれで消沈しなければいいが。

 どの道ルーダの魔導がどう効力を発揮していようがシックには関係がなかった。

 繰り出したシックの体当たりが、刀を横に振ったことで体の開いた男を地面へと引きずり倒す。武器が手元にない以上は、相手にも武器を使わせない状況を作り出すしかなかった。

 マウントポジションを取られた男が、その顔に初めて焦りの色を乗せる。


「単純な力勝負なら、君より体格のイイ俺に分があるだろう?」

 固めた拳は的確に男の顔面を捉えた。がづっと鈍い音、拳にもまた痛みが走る。殴り合いのケンカなど今までしたことがなかったが、直接人を殴ると思っていた以上に拳が痛い。

 シックの腕を取ろうと伸び来た男の手首を逆につかんで、また一発。

 悪くない造形だった男の顔が、なかなかの男前に変わっていた。


「君はなぜあの子を狙う? 災いの元凶と君は言うがその根拠は?」

 まともに話をしてくれるか疑問ではあったが、聞く機会はここを置いて他にないと思った。

「ハスノミヤのババァの予言でそう出た」

「アザトという子も言っていたが、その予言にどれだけの信憑性がある?」

「ババァの先見に外れはねぇ。それがババァの力だからだ」

 意外なことに男はシックの問いにまともに受け答えしてくれていた。それがどれだけ信用できるかはわかったものではないが、真顔でうそをつけるほど器用な男には見えない。

「そのハスノミヤがあの子を殺せと?」

「……ババァが見た未来を実現させねぇために俺たちが動いてる」

「つまり勝手な判断ということだな。なぜ安直に殺しの手段を選ぶ? 他の方法を考えず」

「それが一番手っ取り早ぇからだ。世界にとって毒にしかならねぇ女のことは忘れろ。一時の後悔はいず――」

 振り下ろした拳が男の口上を遮った。

 こんなにもすぐ手が出るタイプではなかったはず――女性に対して別の意味で早く手は出るが――だったのに、エリスのことになると自分でも無意識のうちに手が動いていた。


「君にこんなことを聞くのは滑稽かもしれないが……死ぬ覚悟はできてるよな?」

 囁くように告げる。問いかけの形を取っているが、それは宣告だった。

 ぷっと男が口から血を吹き出す。シックの想像を裏切ることなく、男は動揺の気配を見せることはなかった。そのあたりの覚悟は監獄にいた看守たちとは全然違うらしい。


 くっと男の口角が上がる。

「おめぇ、この場にいるのが俺だけだと思ってねぇか?」

「なに?」

 追い詰められているはずの男の顔に浮かんだのは余裕の笑みだった。

 はっとして振り返る。

「引きつけるなら最後まで引きつけろ」

「見殺しにする気かよ、相棒」


 男がいた。組み敷いているほうの男とは別の、ヤマトの民族衣装に身を包んだ男。その腕にエリスを抱いていた。まぶたを閉じて力なく脱力しているエリスを。

 反射的に立ち上がりかけたシックの腕が後ろからつかまれる。振り返れば組み敷いているほうの男がシックの腕をつかまえていた。腕を引いてみたが簡単に振りほどけそうにない。


「その子をどうする気だ」

 わかりきっていたことだが尋ねずにはいられなくて。

「ここは少々騒がしい。静かな場所へ連れて行ってそこでバラす」

 気を失っているエリスを肩に担ぎ上げながら男が言う。腕を引いたが痛みが走るだけだった。


 ルーダを見る。地面に倒れていた。

 男を相手にしている間に相棒とかいうその男がやったのだろうか。竜の姿もいつの間にかなくなっていた。


「待て。その子になんの罪がある?」

「存在していることそれ自体が罪だ」

 エリスを担ぎ上げた男の言葉はどこまでも冷淡だった。めまいがするほどに。

 腕を引く。振りほどけない。


「その子も被害者だ!」

「ンなこと俺らには関係ねぇ。世界に黄昏の刻を招かないためにその女は死ななきゃいけねぇんだ」

「世界の安寧に比べればこの女の命に価値はない」

 悟りきった声も、抑揚のない冷めた声も、焦りに逸るシックを追い詰める威力を容赦なく発揮する。

 ぐるぐると焦りだけが脳内をめぐる中、馬乗りしている男に決定的な隙を与えることになるのを承知でシックは強引に体を捻った。腕を拘束していた手が外れる。立ち上がろうとしたシックの足を男が払った。無様に転倒するシックの傍で男が立ち上がる気配がする。とっさに地面の上を転がった。


「いい顔になったな、トウナ」

「うっせ」

 腕を突っ張り地面から体を引きはがす。わざわざシックが立ち上がるまで待っていてくれたわけではないだろうが、結果的にシックが立ち上がるタイミングとヤマトの男2人組が合流するタイミングは重なった。


 状況を分析する。

 敵は2人。ヤマトの男。片方はトウナと呼ばれた刀を持ったサムライ、片方はそのトウナに相棒と呼ばれたエリスを担ぎ上げている男。

 味方はいない。ルーダは倒れ、敵か味方かも判然としていないシュキハも倒れている。

 人質が1人。動くと殺すなどという低俗な脅しをかけてこないのは、シックが抵抗してもしなくてもエリスを殺す腹づもりだからだろう。

 武器はない。探せばどこかに転がっているだろうが、それを探している時間を2人が与えてくれるとは思えず、また、竜との交戦で耐久度が著しく低下した剣がどれほどの役に立つかわかったものではない。

 打開策が見つからない。

 考えれば考えるほどに泥沼にはまり込むだけだった。


「やめとけ。俺らはこの女を始末したいだけだ」

 それは果たして慈悲か否か。

 シックは微笑を浮かべた。

「悪いがそれはできない。まだその子に俺を惚れさせていないからな」


 トウナと呼ばれた男の手に刀はない。シックに引きずり倒されたときに取り落としたのだろう、地面にしどけなく転がっている。

 相棒の男の手にも武器らしい武器はない。佩刀もしていないので、元よりそちらの男は刀を得物としているわけではないのだろう。指先まで隠れるあのそで下に何かを隠している可能性があるので、安易に武器なしとは決めつけられない。


 グッと拳を握る。

「その子はジスターデ国でも有数の資産家の娘だ。その娘をヤマトの人間が殺めたとなると、外交上に大きな問題が起きるんじゃないか? ヤマトはジスターデからの輸入に頼る部分が大きかったと記憶しているが」

 ヤマトの2人が目配せし合う。明後日の方向からの説得だったが、ぞんがい効果があったらしい。半ば冗談のような軽口だったため意外だった。


「貴様らの口も封じれば問題は明るみに出ない」

 話し合うでもなく相棒のほうの男が冷静に告げてくる。これでシックも彼らの標的に組み込まれた。

 それでいい。一番厄介なのはシックを無視してエリスを害されることだ。少しでもシックに神経を向けてもらわなければ困る。

「――などと言うと思ったか?」

 息を詰める。

 まるでシックの考えを看破するように、相棒のほうの男はあくまでも同じ温度で言葉を連ねた。

「貴様の証言にはなんの力もない。ヤマトの力を甘く見ないことだ」

 男の声はどこまでも冷淡に聞こえた。

 上げて落とす――タイプは違うが、どことなくシックと似たようなベクトルの性格をしている男であるようだ。やりにくい。


「浅知恵を働かせることに長けているようだな」

「それほどでも。君こそよく頭が回るみたいで羨ましいよ」

 内心の焦りを悟られまいと軽口を叩く。表情を動かさない男相手では何をしたところで見透かされている気分に陥るだけだったが、軽口を叩くことは己の平常心を保つためにも必要なことだった。

 男の顎が上がる。身長はそれほど変わらないはずだが、そうするだけで見下されている気分になった。


「どけ。貴様の想いは世界に破滅しか招かない」

「なら納得できる理由を話してもらいたいものだな。その子と世界の危機とどう結びつく?」

「知る必要はない」

 聞き飽きたフレーズだ。エリスも、魔の王も、ヤマトの人間も、皆が口をそろえてそう言う。

 いい加減うんざりだ。

 もはやシックも部外者ではないという思いがあった。

 前髪をかき上げた手をそのまま2人に向ける。


「トールハウリング!」


 それはただのパフォーマンス。シックの行為に気をやった2人の背後から千々に這う雷撃が迫った。

 男たちの顔に驚愕の色が乗る。

 駆けだしたシックが放った蹴りは、雷撃を受けて怯んだトウナの脇腹に的確に突き刺さった。

 その脇を通った人影が男に担ぎ上げられていたエリスの体を奪い取る。トウナからの反撃に備えて距離を取ったシックは、そのままエリスを奪還した人物と共にルーダのもとまで下がった。


「おめぇら――っ!」

 怒気をはらんだトウナのうめき声を背に聞きつつ、奪い取るようにしてシュキハからエリスを受け取る。

「おい、効いてねぇじゃねぇか、おめぇの薬」

「貴様の一族は耐性があるからな」

「あっちのひょろいのは?」

「知らん」


 ぐったりとしているエリスの頬を撫でる。身じろぎひとつしないエリスの、安らかではない寝顔を見るのは果たしてこれで何度目になるだろう。

 どんな手段を用いたのかはわからないが、名を呼んだ程度では目を覚ましそうになかった。

 怒りよりも、悔しさが先に立つ。

 護ると言いながら結局エリスを危険な目に合わせている己が口惜しかった。


「……引くぞ」

「あ? 引くってあの女はどうすんだよ」


 エリスを抱えたまま男たちを見る。

 何やら言い争っているヤマトの2人。決定的な隙ではあったが、そこを狙ったところでやぶ蛇にしかならないことは目に見えていた。エリスの安全を第一に考えるならば、今のうちに逃げる手段を講じたほうが現実的だ。

 言い争っているトウナの視線が一度だけこちらに向く。シックではなくエリスに。

 剣呑な光を宿したトウナの目は、しかしすぐに逸らされた。


 ふっと照明が消えるようにして広い洞窟内を照らしていた光が消える。明るさに慣れた目は突如として訪れた暗闇にすぐに慣れてはくれなかった。

 戸惑うルーダの声を聞きながらエリスを抱き寄せる。


「ルーダ、明かりを」

「い? あ、う、うん、わかった。スパークサークル」

 敵に自分たちの居場所を教えることになるとわかりつつも、暗闇の中で戦うことが如何に下策であるかシックは知っていた。気配を消すことに長けている者が敵であればなおさらだ。

 バチバチと小さく音を立てながら発生した雷球が、空間を包む闇を少しだけ押し広げる。

 先ほどまで男たちがいた場所に男たちの姿はなかった。当然だろうとは思うが。


「――……立ち去ったようだ」

 警戒に数秒。最初に口を開いたのはシュキハだった。

「引いた? 彼らの目的がこの子ならここで引く理由がわからない」

「不利な要素ができたから一時的に引いたのだと思う。オロはそのあたりの引き際を見極めるのがうまい」

「オロ?」

「袴を着ていたほうだ」

「知っているような口ぶりだな」

 そこでシュキハの表情が歪んだ。この期に及んでまだだんまりを決め込むつもりなのか、気まずそうに視線を逸らされた。


「俺としては君が敵なのか味方なのかそろそろはっきりさせたい。ここで黙秘を続けるのなら俺は君を敵とみなす」

 突き放した言い方ではあったが、現状を考えるとまだ優しいほうだと思えた。ルーダが止めに入らないところから考えるに、シックの言動が一般的に見てもおかしいわけではないらしいことがうかがえる。

 目を逸らしていたシュキハの眼差しがシックに戻る。促すつもりでシックは頷いた。


「……オロは幼馴染に近い存在だ。共に過ごした時間は長くないが、多少ならば知っている」

「なら教えてくれ。エリスはそいつに何をされてこうなった?」

 聞き出したいことは山ほどあった。だけどその中から重要と思えるそれ一点のみ。他の疑問は落ち着いた時にでも聞き出せばいい。浮足立ちそうになる気持ちを押さえて、シックは冷静に己の感情を抑え込んだ。


「薬を使われたのだと思う」

「薬?」

「神経を麻痺させる薬だ。首の付け根に針で刺された跡がないか?」

 首元を隠すエリスの髪を払う。目を凝らさなければわからないような小さな赤い跡が確認できた。覗き込んできたルーダのせいでできた影ですぐに見えなくなってしまったが、確かにシュキハの言う通りのものはあった。


「恐らく拙者とルーダに使用されたものと同一のものだ。早ければ半日で目覚める」

「…………同じものを使われたのなら君やルーダがこうも早く起き上がっているのはなぜだ?」

 一瞬納得しかけ、すぐに矛盾に気づく。

 眉根を寄せて怪訝な表情を作るシックに、こともなげにシュキハは肩をすくめてみせた。

「拙者は毒に耐性がある。あれしきの薬ならばそなたが稼いだ時間の間に回復することなど造作もない」

 都合が良すぎて説得力に欠ける――とは思ったものの、とりあえずは納得することにした。


 ルーダを見る。

「あ、おれは助けてもらって」

 視線に気づいたルーダがなぜか足元を指さして言う。

「誰に?」

「あったいっだよーん」

 一際明るい声が洞窟内に響く。ルーダの足元からにゅっと生えた黒い物体が、むくむくと膨れ上がって人型を作り出した。


「いつも冷静で飄々としてる男が熱くなるシーンに感動してついつい手を貸したくなったけ。ヤマトの色男たちが魔導師じゃなくて良かったっしょ」

「魔導師だと都合が悪いのか?」

「そらそうっしょ。近くで魔力使ってるのに気付かない魔導師なんていないかーら」

 黒い以外は普通に人らしく身振りを加えて言葉を発するそれが、ひらひらと泳がせていた手らしき部位をくるりと翻す。その手につかまれていたのは一枚の白いカードだった。

 見覚えがある。

 得体が知れないからと、暴走したエリスが負傷させたリドルに対して試しに使用してみたものと非常に酷似していた。


「それは?」

「こーれーは、白のマナチップって言うんしょ。誰でも治癒の恩恵にあずかれるありがたーい代物け、敬って崇めてもいいっしょ。欲しけりゃくれてやるっしょ」

 街中で知り合った怪しい魔導師からもらったとルーダに聞かされていたので不信感しか湧かなかったが、真っ黒い外見の物体から説明を受けるとさらに不安感をあおられるだけだった。この目の前の黒い人型がひたすら怪しいという事実だけを強調されただけに終わった気がしないでもない。

 効果を目の当たりにしている身としては納得できそうな気はしたが、完全に信頼できないものをエリスに対して使う気にはなれなかった。


「でも助かったよ、ナル。ありがとう」

「あーあ、キミは呆れるくらいにバカな人け」

「なんでっ!?」

 口を挟むように黒い物体に礼を述べるルーダに対して、気持ちが良いぐらいあっさりと黒い物体が批判を返す。ショックを受けたようにのけぞるルーダの顔面に白いカードを張り付けて、もう一度改めて呆れるように黒い物体はため息をついた。


 コントのような掛け合いをする2人を眺めていたシックの眼前に黒い指先が突きつけられる。

「こっちの色男を見るっしょ。これが普通の態度け」

 ルーダの頭上に大量の疑問符が飛ぶ。

「キミたちにとってあたいは得体のしれない魔導師っしょ? 一度や二度助けられた程度で簡単に信用しちゃダーメダメ」

 はぁ、と理解していないことが明確な返事をするルーダの額に黒い物体の掌底がヒットした。

 間抜けな声を上げて後退るルーダと、また説教っぽいことを言い始めた黒い物体。本人が言っていた通り得体が知れない人物ではあったが、少なくとも敵と言い切れる立場の人物ではないのではないかとシックには思えた。言っていることは至って正論だ。


 黒い物体のテンションについていけず引きつった表情をしているシュキハに呼びかける。

「確認したい。エリスに使用された薬が君たちに使用されたものと同一だと言い切れるか?」

 シュキハの表情が曇る。考えるように間を開けて、シュキハは首を横に振った。

「オロは一度手元に置いた獲物を無傷で返すほど生易しい性格はしていない。遅効性の毒を使用されていたとしても不思議ではない」

「命にかかわるレベルの毒か?」

 神妙な面持ちでシュキハがうなずいた。


 眠るエリスの顔を見下ろす。今はまだ穏やかな表情を浮かべているが、これが苦痛に歪む可能性がある。その事実だけでシックの中の焦燥感は湧いた。

 抱き寄せたエリスのひざ裏に手を入れて立ち上がる。

「いつまでもここにいても意味はない。外が安全とは言いきれないが、こんな場所よりはマシだろう」

 シュキハが無言でうなずき、先行するようにして洞窟の出口――入ってきた崖側の出口は崩されたので別の出口だ――へと歩いていく。黒い物体とじゃれていたルーダも慌てたように近づいてきた。


「プリティでナイスなナルちゃんからキミたちに餞別をやるっしょ」

 歩き出そうとしたシックとルーダの背から黒い物体の声が追いかけてくる。

 ルーダと一緒に振り返れば、黒い物体が白いカードを掲げていた。

「発動」

 何かを言うヒマもなく、白のマナチップとやらを勝手に発動させた黒い物体。それはすぐに効果を発揮した。

 すぅっと波が引いていくように体から倦怠感が消え、まだ残っていた両手の火傷の痕すらも根こそぎ修復していく。予想以上の効果だった。以前にシックがリドルに対して使用したときとは比べられないほどに。


「ほい、終了~。出血大サービスっしょ」

「あ、ありがとう、ナル」

「今度治療費もらいに行くけ、ちゃんと用意しとくんだーよ」

「えぇ!?」

 形を保つことをやめた黒い物体がぐにょりと溶けるように地面に沈んでいく。最後に手の形をした黒い物体がバイバイと手を振って、それは完全に消え去った。

 嵐のように騒がしくはないが、通り雨のような女性だ――それが黒い物体に対して抱いたシックの感想だった。


 無駄に力の入っていた肩から力が抜ける。

 歩き出したシックをルーダが追いかけてきた。


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