28_1 - 桜の吾子
両手に構えた二槍の重みを意識する。幼い頃から振り回していた槍は、今さら意識せずとも己の手足のように扱うことができた。
それなのにこの状況になって槍の重みを意識してしまうのは、対峙する男の存在のせいなのかもしれない。シュキハにとってその男は畏怖すべき対象だった。
黒髪黒眼、着流し姿で刀を持つ男トウナ――ヤマトが誇る傭兵部隊の筆頭に上げられるヤマト最強の侍。そして、伝説の英雄スオウの血を引く男でもある。
「邪魔すんじゃねぇ。おめぇは事の重大性を理解してやがるのか?」
低く唸るようにしてトウナが言う。
気圧されそうになりながらも、シュキハは眉間に力を込めることでそれに耐えた。
「今一度考えなおすことは――」
「白夜の民たるおめぇが今すべきことはなんだ!! 俺の邪魔じゃねぇだろ!」
恫喝に右足が半歩後ろへ逃げた。
意識の底にある。トウナに対する畏怖の念。それが邪魔をする。
が――
怯む心を叱咤し踏みとどまる。
「おなごひとり犠牲にして成立する安寧など真の安寧ではない!」
トウナの顔を睨むように見据えて返す。見るからに不愉快そうにトウナの眉間にしわが刻まれた。
槍を構える腕から力を抜く。無駄な力が入っていた腕が緊張から解放された。
正直に言えば、トウナとは戦いたくない。どうあがいても敵わない相手だということは嫌というほどに知っているからだ。
――だけど。
ここに至るまでに何度も見たエリスの笑顔を脳裏に描く。楽しそうに、呆れながら、怒りながら、拗ねながら、時には陰らせて。
自由に生きたいのだと、そう言ったエリスの気持ちを守りたいと思う。
それが、今のシュキハの気持ち。
ふっと吐息をこぼすようにしてトウナが笑った。とても皮肉そうに。
「そうかよ。なら俺はおめぇを斬るだけだ」
トウナが刀を構える。
一瞬――視界の中心からトウナが消えた。ような気がした。
本能が告げる。横だ。
とっさに前方に体を投げ出したシュキハの腕に鋭い痛みが走った。
「動きが遅ぇんだよおめぇは!」
声が追いかけてくる。それは刃よりも鋭くシュキハを捉えた。
振り向きざまに槍を振るう。水平に薙いだ槍はトウナの体に到達することなく、空を裂いただけに終わった。
トウナとの間に距離が開く。
リーチの長さではシュキハに分がある。俊敏性でもシュキハが勝るが、反射速度ではトウナには劣る。腕力は比べるまでもなく、経験量など足元にも及ばない。
圧倒的に不利であることは火を見るよりも明らかだった。勝てる要素がどこにも見出せない。
「今なら許す。槍を置け」
内心の焦りを見透かしたようにトウナが言う。
ふざけるな、と反発する言葉はすぐに喉から出てこなかった。それはシュキハにとってひどく魅力的な誘惑に思えた。
気持ちが揺れる。
エリスを見捨てたくない。だけどそれ以上にトウナと戦いたくない。
今日知り合ったばかりのエリスよりも、長い付き合いのあるトウナを優先しようとしてしまうのは人として当たり前のことだった――そう、言い訳をする。
「ぎゃあぁぁぁーーー!!!」
耳朶を叩く悲鳴が知らず俯いていた顔を上げさせる。
石竜に追われて逃げ惑うルーダたちの姿を視界が捉えた。
同じく振り返っていたトウナが鼻を鳴らす。どこか苛立ったように。
シュキハはシックを見た。エリスを抱えて走るシックを。
昨夜の言葉を思い出す。
『もし君がエリスに危害を加えたら俺は君を殺す』
宣言だと告げられた脅しにも似た誓い。まっすぐに淀みなく言い切ったシックに羨望の眼差しを送っていたことにシュキハは気が付いた。
トウナの足先が逃げる彼らへと向けられる。
半ば反射的にシュキハは腕を前へと突き出していた。
「っ――! おめぇ!!」
シュキハの放った突きを危うげなく避けたトウナが非難のこもった眼差しを向けてくる。
こくん、とシュキハは喉を鳴らした。
「拙者はまだエリス殿のことを何も知らない。命を捧げるに値する人物であるかも何も」
「んなこと知る必要はねぇ。あの女は今日ここで死ぬんだ」
「死ぬに値する人物であるかも拙者は知らない」
みるみるうちにトウナの眉間に濃いしわが刻まれていった。
気圧されそうになるのを、シックを見ることで辛うじて堪える。
「可能性だけで命を摘む行為を拙者は是とはしない!」
詰まりそうになる喉を開いてシュキハは啖呵を切った。
目を見開くトウナに槍の穂先を向ける。
勝てるかどうかなどを考えたところで意味はない。少しでもあがいてトウナを足止めできれば、それだけシックらが逃げる時間を稼ぐことができる。
昨日今日出会ったばかりの他人のためにそこまでする義理はないだろうに、と思わないでもないけれど。
険しいトウナの瞳が揺れる。それははっきりと動揺だった。
「え?」
逆に戸惑ったのはシュキハのほうだった。
トウナは強い。未熟なシュキハのように一度決めたことを曲げるような性格はしていない。女の、とりわけシュキハの意見で動揺を示すような人ではなかった。
そのトウナが瞳の奥にとは言え、動揺を浮かべている。
信じがたいと同時に、まだ説得するチャンスは残されているのだというかすかな希望が芽生えた。
「――可能性ではなく確信だ。我々は世界に黄昏の刻を招くわけにはいかない」
シュキハは息をのんだ。
いや、正確には息を止めざるを得なかったと言うべきか。
首筋に細い何かが差し込まれる感触に怖気が立った。
誰かが背後からシュキハの体を押さえつけている。無防備にさらされた首筋に針のようなものを突き刺しながら。
「戯言に耳を貸すな、トウナ。家族の縁を切った相手ならばなおさらだ」
「……悪ぃ」
誰かの声とトウナの会話を耳に入れながら――
背後からの拘束から解放されたシュキハの体はそのまま地面に吸い込まれていった。




