24_3 - 歴史の暗躍者
3人目の主人公
チチチ、チチチ――……
鳥の鳴く声が夢想に沈もうとしていた意識を現実に引き戻す。水面に映った己の顔から目を逸らし、シュキハは重い息を吐いた。
「なぜ助けた?」
「あの娘がお前たちの言う災厄であるとは思えぬ」
「災厄はあの娘が抱えている。娘の意思に関係なく世界に災厄を振りまく。野放しにはできぬ」
「人ひとりの命だぞ。可能性の有無だけで奪っていいものではない」
「災厄の覚醒を阻止すること。それがヤマトの――スオウの意思を受け継ぐ者たちの役割。そのためにおんしも研鑽を積んだのであろう」
言い返せずにまぶたをきつく閉ざす。
鼓膜を揺らす鳥のさえずりが揺らぎそうになる心を辛うじてつなぎとめてくれた。
「トウナもこちらへ向かっておる」
息を詰める。
それはシュキハにとって最も聞きたくない名だった。
「あやつの手を煩わせる前におんしの手で災厄を排除せよ」
振り向いてもそこには誰もいなかった。
チチチ、チチチ――……
静寂の中に鳥のさえずりだけが響く。
ひとつ嘆息して、シュキハは水にさらしていた小太刀を引き上げた。切っ先から滴る水を懐紙で丁寧に拭き取っていく。
シックから洗うことを頼まれたエリスの小太刀。傾きかけた太陽に掲げれば艶やかな光を返した。
刃物マニアと言うとおかしな見方をされるが、優れた刀匠に鍛えられた刃を見るとうずうずと心が浮足立った。先ほどの会話で沈みかけた気持ちを忘れさせてくれる。
思わず漏れる感嘆の息。
持ち主のエリスも大切に扱ってきたのだろう。刃こぼれひとつない。
鼻を近づけてにおいを嗅ぐ。シックが最も危惧している血のにおいはあらかた消えたようだった。
柄を撫でる。丁寧に彫り込まれた細工もまた素晴らしい。
「鳥……鳳凰か?」
ただの鳥にしては華美すぎる姿と、伝説上の生物とを脳裏で比較する。
まだシュキハはエリスという女性のことを深くは知らないが、不思議と鳳凰のイメージとエリスがしっくりとはまった。
強く気高く美しく、そして何にも縛れない。
それはシュキハにはないものだ。
「………………トウナが来る前に、か」
シックから受け取った卸したてのスカーフを刃に巻きつける。なぜ彼がスカーフなんてものを――しかも卸したてを――持っていたのかはわからないが、尋ねたとしてもまともな答えが得られるとは思えなかった。
息を吐く。
如何に自分が厄介な立場にあるのかを、ここに来てようやくシュキハは自覚した。
踵を返して元来た道を辿る。普段から人の往来はおろか動物の往来もない、けもの道すらない茂みをかき分け進む。
「ちょっと。顔近づけないでってば」
「それは無理だ」
「なんでよ」
「君があまりにも魅力的すぎるから」
「それは認めるけど」
賑やかな声に誘われるように茂みから顔を出す。
負傷したシックの手――何があったかは知らないがひどい有様だ――にエリス自ら包帯を巻いてあげている姿は川辺に出かける前と変わらない。結構長い間川辺にいたと思っていたのだが、まだ処置は終わっていなかった。聞こえてきた会話から推測するに、恐らくシックのせいで遅々として進んでいないのだろう。
女の敵だとエリスが言っていたのは記憶に新しい。見た目を裏切らない軽薄さは、確かにシュキハも感じていた。シュキハも気をつけろとは言われたが、シックがシュキハに対して向けてくる感情はエリスに対するものとは違って警戒心が主だ。アザトと接触したらしいことも言っていたので、ヤマトの女というだけで無意識に警戒心が働くのだろう。
「おかえり」
「ああ」
騒ぐ2人に関与する気がないという意思表示なのか、やや離れた場所に座っていたルーダが声をかけてくる。
こちらはシックと違いシュキハのことを特に警戒している様子は見せない。護衛と呼ぶにはあまりにも頼りない男ではあるが、あの3人組の中にも自然に馴染んでいるようにシュキハには見えた。エリスとシックに口を揃えてへたれと評されているのが少し可哀想だが、フォローは残念ながらできない。
「あの2人はいつもああなのか?」
「うーん……」
曖昧に濁されて苦笑された。つまりはそういうことだろう。
隣に腰を下ろす。なぜかはわからないが、ルーダの手元には同じ大きさの石が結構な数転がっていた。気になったが触れないでおこうと決める。
緩やかな風が駆け抜けていく。青々とした姿態を気持ち良さそうに揺らす草花は、見ているだけで気持ちを穏やかなものにしてくれた。
「ルーンスポットって普通の場所なんだね」
「初めてか?」
「うん、エリスから聞くまで存在も知らなかった。シュキハは来たことあるの?」
「世界中を回っているからな」
へぇ、と感心したようにルーダが相槌を打つ。
相手がシックだったらまた何か勘繰ってきただろうか。
その点を考えるとルーダという男は接しやすい相手だった。記憶喪失という苦しい言い訳も普通に信じているようだし――良心はうずくが――共にいてとても楽だ。シック相手のときのように身構えなくても済む。
正直な話をすれば、護衛のくせにルーンスポットも知らなかったという事実は驚きだった。
良い意味でも悪い意味でもエリスという女性はその辺りに無頓着ということなのか。護衛にする者に質を求めていないことは驚くよりも呆れるよりもただただ疑問だ。かといって量を求めているわけでもないようだし、目指すものの価値を考えればエリスの無計画なおおらかさはシュキハに不信感を抱かせた。
したたかに何かを企んでいるのだとしたら、アザトの言うとおり排除しなければならない人物となりうる。観察し、見極める必要があった。
「もうすぐ日が暮れるね」
「火の準備をしなければならぬな」
「あ、火ならエリスが出せるよ」
「ほぉ、それは便利だな。ならば薪を集めるか」
一度は落ち着けた腰を再び浮かせて立ち上がる。同時に立ち上がったルーダがエリスらに向かって薪を集めに行く旨を伝えた。
顔を上げたシックと目が合う。
出会った当初のようなあからさまな警戒心は表に出ていないものの、眼差しには挑発するような色が乗っている。シュキハがエリスを観察しているように、シックもまたシュキハを観察しているということだろう。
ついと顔を逸らす。ルーダを置いていく形でシュキハは先に歩き出した。
後ろから軽い足音を立ててルーダが追いかけてくる。
「ルーダ、襲うんじゃないぞ」
「襲わないよ!」
背中に届いたシックの軽口に真っ赤になって、ルーダ。肩越しに振り返ればやはり挑発的なシックの眼差しにぶつかった。
「まったく、シックはああいうことばっか言うんだから」
ぶつぶつと愚痴をこぼすルーダに視線をよこす。
時間的には短いという話だが、その短い付き合いの中でずいぶんとシックにからかわれているらしいことが窺える。
「シュキハもシックにセクハラされたら遠慮なく制裁加えていいからね」
「心得た」
返事はしたもののシックにセクハラされる可能性は極めて低いだろうとシュキハには思えた。シックはシュキハを警戒しているし信用もしていない。そんな女相手にセクハラをかます間抜けな男ではないだろう、シックは。
どれほどの実力の持ち主かはわからずとも、歩き方や立ち居振る舞いからまったく戦闘経験のない者でないことくらい察しがつく。
ふと、思いつく。
薪となる枝を探すためか――まだこの辺りには落ちていないと思うのだが――足元に視線を落としているルーダに顔を向ける。
「彼は元々何をしている御仁なのだ?」
ルーダが顔を上げる。
「騎士様だよ。ジスターデ国の」
「騎士?」
「うん、魔導は得意じゃないみたいだけど剣の腕とか冷静な判断力とかはすごいよ」
なるほど、と納得すると同時にまずいという気持ちも膨らんだ。
実際にジスターデ国の騎士と関わったことはないが、ジスターデ国の騎士団が非常に優秀であることはうわさで聞いている。平和ボケしている国という評価を与えられながらも、騎士団はとても優秀だと他国にまで評価されているのだ。だからこそ魔との戦争が勃発したときもいの一番に先発隊を編成し、他国に対して共闘し当たることを高圧的にではなく訴えることができていた。
ヤマト内部でもジスターデ国に対する評価は高い。傭兵として仕事を請ける際はジスターデ国が敵にならないようにしたほうがいいとまことしやかにささやかれるほどだ。
「優秀なのだな」
口内に苦い味が広がる。皮肉のつもりではないがそう言ったシュキハに、おかしそうにルーダが笑った。
「頼りにはなるよ。あの性格さえ直してくれたら申し分ないんだけど」
「エリス殿は?」
「トレジャーハンターで資産家のお嬢様らしいよ」
「うん?」
訳がわからず聞き返す。ルーダが苦笑した。
「バードランド家ってジスターデでは有名な資産家があるんだけど、そこの一人娘なんだって。でもお嬢様生活に刺激がないからってトレジャーハンターになったみたい」
贅沢だよね、と続けるルーダの話を聞きながらシュキハは眉間にしわを寄せた。
有名な家柄の一人娘を暗殺したとなれば、真相究明の手はヤマトにまで伸びるだろう。はっきりとヤマトの人間が動いていることはアザトの口からシックに伝わっている。帝国に責任をなすりつけることも難しい。下手をすれば国と国との争いにもなりかねない。
ルーダを見る。
「あ、枝発見」
最悪の事態を避けるためならば、ヤマトはシックとルーダも消すだろうか。
のん気な様子で枯れ枝を拾うルーダから視線を外して振り返る。エリスとシックの姿を確認することはできなかった。
内臓が冷える感覚を、こぶしを握ることで紛らわせる。
(トウナはできるだろうか……)
胸中で自問する。答えはすぐに出た。
彼ならばやるだろう。できるできないの問題ではない。必要ならば非情な決断も厭わない。それが彼だ。
「シュキハ?」
「ん? あ、ああ、すまない」
怪訝そうな顔をするルーダに引きつった笑顔を向けて慌ててシュキハも枝を拾った。




