24_1 - 足りないもの
「なにこれ」
ルーダは思わず呻いていた。
ホロワ山脈での一件が落ち着き、エリスをシックに任せてルーダはティッケを送り届けに賢者の邸宅まで来たのだけれど。
そこは、波打つ黒い物体の巣窟と化していた。
床にびっしりと蔓延る黒い物体。ティッケが石を投げたら飲み込まれた。その中心で寛ぎモード全開で本を読んでいるナルの仕業であることは想像に難くない。やけに分厚い本は邸宅内に保存してあった魔導書らしい。ティッケが言っているで間違いない。
変化はそでだけではない。
邸宅内にあった本、調度品、食料、衣類、それらすべてがなくなっていた。運び出してくれたのだろうけど、スリの常習犯であるナルがやったのだと思うと盗まれたという思いしか湧いてこない。泥棒だと呟いたティッケの言葉を笑って否定しなかったし。
「師匠へのお土産っしょ」
犯人の主張はこうだ。
それはともかく。
ティッケをナルに任せることで話はまとまった。いまいち信用しきれない人ではあるが、あのパレニー・ラキッシュを師に持つナルを今は信じるしかない。邸宅で蠢いている黒い物体は魔導的なものであるようだし、力ある魔導師であることは間違いない。
「キミは甘い人っしょ」
ナルはそう言って笑ったけれど。
「ま、おちびのことは心配ないけ。キミは安心して旅を続けるといいっしょ」
「ありがとう」
素直に礼を告げるルーダになぜかナルは不満気な顔をする。何を期待しているのだろうこの人は。
早々に理解を諦めた脳はとりあえず無視することで解決となった。理解しようとしても絶対無理だし。
「兄ちゃん、エリーのことたのんだな。ぜったいぜったい泣かせるなよ?」
ナルに対して引きつった笑顔を向けるルーダに、ティッケ。不安そうにしているティッケの頭を撫でて、ルーダは大きくうなずきを返した。賢者に連なる家系の人間だとしても、まだ幼いティッケをこれ以上不安にさせたくはなかった。
別れのあいさつも済んで、さぁシックたちのもとへ戻ろうと踵を返す。そのルーダの背に声がかかった。
「少年」
「あの、一応ルーダって名前があるんだけど。それにもう少年って歳じゃ……」
「少年」
もう何も言うまいとルーダは口をつぐんだ。
この人には何を言っても無駄なのだ。諦めと共にルーダは噛み締めた。
「あれ、続けてるけ?」
「あれ? ……って、あの練習? うん、続けてるよ」
国境の村で教えてもらった魔導制御の練習法、少しでも時間に空白ができたら忘れずにやっていた。あれのおかげで、砂漠の監獄で思わぬ威力を発揮して看守を無力化することができた。今ならあのときよりももう少しだけ威力の大きな魔導を放てるだろうという確信はある。所詮は付け焼刃である感は否めないけれど。
ルーダの返答に満足するでもなく、ナルはひとつうなずいてみせた。
「キミに一番足りないものは何かわかるけ?」
「え? 足りないもの?」
とっさに浮かんだのは実力だった。魔導師としての実力、エリスの護衛としての実力。
返事を聞くまでもなく、ナルはまた勝手に話し始めた。
「魔導にできないことはほとんどないんよ。実現できると思えるものの大半はできちゃうのが魔導っしょ」
「それはいくらなんでも暴論じゃ――」
「強く思い描くことは魔導を実現するための大切なプロセスなんよ? 自分にはそれができると信じることは、強い魔導師になるために大切なことっしょ」
突き付けられた指が左右に振れる。振り子を目で追うような感覚に陥りながら、ルーダはギュッと口を引き結んだ。
自信、確かにそれはルーダに欠如している要素のひとつだ。国境の村でもそれをどうにかできないかと思案した。結局何も妙案が浮かばぬうちにナルに出会ったわけだけれど。
「自分が魔導師であることに誇りを持つっしょ。それだけでキミはまた少しだけ強くなれるっしょ」
ナルは難しいことを平然と言ってくれる。
だけど。
それができていたら苦労しないのだと、言い返すことはしなかった。代わりにうなずきを返す。
満足そうにナルは笑ってくれた。




