23 - 優しさは苦い薬
鋭利な刃が墓標のように突き刺さる。斜めに傾いたそれは悪趣味なオブジェにも見えた。
「敵を見誤るなど武士の名折れ。不甲斐ない」
悄然とうなだれたシュキハが地面に突き刺さった槍を引き抜く。傍らにはその槍に弾かれた軍刀が転がっていた。
肩から力が抜ける。ルーダなどは膝からも力が抜けて座り込んでいた。
「…………すまない、助かった」
「む? いや、当然のことをしたまで。礼には及ばない」
地面から引き抜いた槍を背負いながらシュキハが事もなげに肩をすくめてみせる。
リドルを乗せたゼロウィングはいつの間にか消えていた。軍刀を投げてすぐに飛び去って行ったのか、どちらにしろ興味はない。だがエリスの存命を知ればまた敵対することになるだろうことは想像に難くない。
一連の騒ぎなど気付いた様子もなくぶつぶつと呪文を唱え続けるティッケをいちべつする。手にしていた剣を剣帯に納めると、聞き慣れない発音で紡がれるだけだったティッケの呪文から意味の理解できる言葉が耳に届いた。
「……――白夜の禁呪、宵と暁の章、忘却の枷」
それが結びの言葉だったのか、そこでティッケは息を吐いた。心なしか疲れたようにくたっとしている。
「お疲れ様。終わったのか?」
「うん。これであの魔力が悪さすることはないと思う」
額の汗を拭っているティッケの隣で膝を折る。規則正しく胸を上下させているエリスの顔色は、確かに先ほどよりもマシになっているように見えた。
「忘却、と言っていたが記憶を消したのか?」
エリスの顔に触れようと伸ばした手を途中で引き返す。彼女の肌に触れるには汚れすぎていた。
地面にぺたんと尻を落としたティッケがふるふると首を横に振る。
「おかしくなってたときの記憶はないだろうけど、記憶を消したわけじゃないよ。名前に意味があるかどうか知らないけど、禁呪の中に忘却と名がつく術はたくさんあるんだ。そのどれもが黄昏に対してしか効力を発揮しないってじいちゃんが言ってた。あ、禁呪ってのは賢者の一族共通の能力のことな」
「共通? 個人の能力って遺伝しないよね?」
横からルーダが口を挟んでくる。魔導師とそうでない者との違いなのか、説明の中の食いつく場所が間違えているような気がしないでもない。
「賢者の血筋は特殊なんだってさ。禁呪は男しか使えないからかあちゃんは違うけど」
「へぇ。そうなんだ」
興味津々に体を乗り出すルーダの顔を横から押す。ルーダには悪いが魔導談義で盛り上がられても困る。話についていけないし、何よりも今はそんな話どうでもいい。
「原理はどうでもいいが、とにかくこれでエリスは起きるんだな?」
「と思う、たぶん。じいちゃんも生きてたころにこれをエリーにかけてたんだと思う。じいちゃんが死んで禁呪の効果が切れて暴走したんじゃないかな」
「なるほど」
ロウアーニが死んだことが契機でエリスの異変が始まったのだとしたら、ティッケの推測は間違っていない。アザトもそんなニュアンスのことを言っていたことや、魔がわざわざロウアーニ個人を狙って現れたこともその推測を裏付ける理由になる。
「もう一度アザトに会う必要があるな」
「アザト?」
「ん?」
何気なく漏らしたつぶやきに誰かが反応を示した。
視線を向ける。ハッとしたようにシュキハが顔を逸らした。驚くほどわかりやすい反応をする女だ。
「彼女を知っているのか?」
「いいいいいいいや、しし知らない」
隣でルーダも半眼になっていた。ルーダに同情されるほどウソが下手なシュキハには憐れみすら感じる。
「…………黄昏がどんな存在か知っているか?」
「黄昏? あの?」
立ち上がる。口元に薄い笑みを浮かべる。何かを察したらしいシュキハの肩がびくっと震えた。
「アザトというヤマトの女性は黄昏を不吉の象徴と断言した。その鍵を持つこの子を排除するとまで言った」
シュキハの表情が揺れる。
「何かを知っているのなら教えて欲しい。俺はこの子を守りたいんだ。ヤマトは何をどこまで知っている?」
詰め寄りたい気持ちを抑えてその場から訴えかける。
今はどんな些細な情報でも貪欲に集めなければならない時なのだ。
「……お――」
「お?」
「………………………覚えてない」
「なに?」
予想外の切り替えしに怪訝も露わな声音が飛び出す。
気まずげに視線を彷徨わせるシュキハに、耐えきれずにシックは詰め寄って行った。
「冗談に付き合っているヒマはない。人ひとりの命がかかってるんだ」
肩を強くつかむ。痛そうにシュキハの表情が歪んだ。
「ほ、本当だ。半年ほど前から以前の記憶がところどころ欠如している。アザトという名に聞き覚えがあるような気がするが、それが誰かまでは思い出せない」
表情が険しくなっていくのが自分でわかる。
突き飛ばすようにつかんでいたシュキハの肩から手を放す。
心配そうにこちらを見るルーダと目が合い、反射的に目を逸らした。
「すまない」
ウソか、本当か。
それを判断することはできない。彼女の証言以外に証拠は何もないのだ。言動がおかしくても、それは記憶を欠如しているゆえと言い訳されれば強く追究もできない。女性相手に拷問を仕掛けるのも気が引ける。ルーダも反対するだろう。
「んっ……」
空気がどんどん気まずくなっていく中、不意に聞こえてきたのはエリスのうめき声だった。
小さく身じろいだエリスが痙攣するようにゆっくりと瞼を開ける。
シックはエリスの傍に片膝をついてその顔を覗き込んだ。
「おはよう、眠り姫」
にっこりと微笑みかける。
軽く瞬きを繰り返して、エリスの視線がシックの顔の前で止まった。
一言。
「うざ」
ルーダが吹き出した。遅れてティッケも。
「頭痛い。二日酔い?」
寝ころんだまま前髪をかき上げてぼんやりとエリスがつぶやく。寝起き様に傷つく言葉を浴びせておいてこの態度はさすがと言うべきか。なんとも彼女らしい。
「二日酔いではないが似たようなものだな。ヨーヒに会ったのを覚えているか?」
「ヨーヒ兄様? ……あ、そういえば。ヨーヒ兄様はどこ? 帰った?」
「ああ、忙しい身の上だからさっさと帰ったよ」
本当に帰ったかどうかは知らないがここに来ていないのだから帰ったと思っていいだろう。帝国軍の総司令官ならば忙しいのも本当だろうし。
「俺がヨーヒに絡まれている間に薄情にもひとりで逃げた君はここで力尽きて倒れていた」
「え?」
聞き返してきたのはルーダだった。
余計なことは言わないだろうが、もう少しくらい臨機応変にアドリブを利かせてもらいたいものだ。幸いにしてエリスは気付いていないようだが。
「本当? うわ、恥ずかしい。最悪」
上半身を起こしながらぼやくエリスに右手を差し出す。
が、その右手を見てぎょっとエリスが目を剥いた。それで自身の右手がひどく焼け焦げていることを思い出して慌てて背後に隠す。あまりにもいつもの癖過ぎて自然にやってしまったが、この行動はまずかった。
「ちょ、ちょっと、あんたその手どうしたのよ」
「君が気にする必要はない」
「何よその言い方。怪我してるの見たら普通気にするで――」
言葉は最後まで言い終わらぬうちに途切れた。
隠したシックの右手を見ようと無駄な努力をしていたエリスの視線がシックの背後で止まっている。振り返れば、転がっている小太刀が見えた。シックの血がこびりついたままで。
上げていたエリスの腕が落ちる。
混乱しているのだと。察したときには行動に出ていた。
腕の中に閉じ込めたエリスが細かく震えている。急にシックが抱きしめたことにも抵抗しなかった。
「ぁ……私が、やったの……? あんたの……それ、私が……――」
視線だけでティッケに問う。言葉にこそしなかったがシックの尋ねたいことを察してくれたのか、ティッケは首を横に振った。どうやらこれが原因でまた暴走することはないらしい。
「君は何もしていない。これは俺が弱いから負った傷だ」
「でも――」
「何も覚えていないのならばそれが真実だ」
腕の力を緩めてエリスの顔を覗き込む。不安そうに歪むエリスに微笑みかけ――どさくさに紛れて唇を寄せる。
ガンゴンゲシ
三方向から打撃を受けた。
「…………なぜ君からも攻撃を受ける?」
振り返って抗議すると、当然とばかりにシュキハがふんぞり返った。
「精神的に弱ったおなごの心の隙につけ込む卑劣な男を見過ごすことなどできない」
「そーだそーだ」
「エリーから離れろ色欲魔」
今度は三方向から言葉の暴力を受けて肩をすくめる。個人的にはティッケがなぜそんな言葉を知っているのか問いただしたいところだったが、聞ける雰囲気ではなかった。
せっかくのチャンスだったのに仕方がない。
無念そうに嘆息してシックはエリスから体を離した。
「……――そっちの人は?」
一連のやり取りで冷静さを少しでも取り戻したらしいエリスがシュキハを指さす。
エリスの指の先をたどってシュキハをいちべつし、そして何事もなかったようにエリスに視線を戻す。
「通りすがりの変な人だ」
「失礼な」
即座に返ってきた批判の声は無視してエリスの小太刀を回収する。きれいに血のりを拭いてから返そうと思ったが、それだけではにおいまで取れないことは明らかだ。
小太刀の刃を見下ろして軽く吐息する。止めるにしてももう少しやり方があったかもと思うと、己の未熟さ加減が身に染みた。
「拙者はシュキハと申す。旅の傭兵をやっている」
「へぇ、傭兵ねぇ。……あ、じゃあさ、私に雇われない?」
「断固反対する」
エリスとシュキハの会話に耳を傾けていたシックは、自然な流れであるかのように勧誘にかかったエリスに強い口調で異論を唱えた。
きょとんとした視線が向けられる。
シックは嘆息した。
「主観で悪いがその子は信用できない」
ヤマトの人間だし、との続きは胸中だけに留めておいた。
エリスはまだ知らない。自分がヤマトに命を狙われていることを。知らないままでいい。
ぱちぱちとエリスが瞬きする。その横でルーダもきょとんとしていた。君は合わせろよと思わなくもないが、ルーダに多くを望んでも馬鹿を見るだけだ。失礼な話かもしれないが、先ほどのマナチップの件もある。
「無類の女好きのあんたが反対するなんて」
「今は君一筋だからね」
「はっ!」
軽口はいつものごとく鼻で笑われた。
落ち込んだ風を装うために肩を落としてかぶりを振る。効果はなかったが。
「その子はラドの審査を受けていない。彼の審査眼に合格した者でなければ悪いが信用できない」
「それ言ったらルーダはどうなるのよ。こいつも私のスカウトよ」
「無理やりだったけどね」
ちらりとルーダにいちべつを向ける。鼻で笑うとあからさまにルーダが落ち込んだ。
「おれはこの姉ちゃん信用できると思う」
落ち込んだルーダの頭を撫でるエリスの横で、それまで黙っていたティッケが手を挙げて発言した。怪訝な眼差しを向ける。まさか気付いていないとは思っていなかったのだが、ティッケがそこにいたことに今さら気付いたようにエリスが目を見開いていた。
余計な発言をするなと視線で訴えてみる。跳ね除けるようにティッケが首を横に振った。
「子どもの勘だろ? こっちはエリスの安全を守る責任がある。寝首をかかれないとは限らない」
「そのような卑劣な行い、拙者は決してしない」
「言うだけなら誰でもできる。もし信用して欲しいと言うなら知っていることは洗いざらい話すべきじゃないか?」
「記憶にないものは語れない」
「その記憶の欠如というのが真実と証明できるのか? 自分がヤマト人と知っているならばなぜヤマトに帰らず大陸に留まってる」
「それは……」
大きく息を吐く。
女を追い詰めることはあまり好きではないのだが、この際そんな些細な好き嫌いを論じている時間はない。エリスに降りかかる可能性のある火の粉は残らず振り払うのが今のシックの役目だと思った。
おろおろとしているルーダは頼りにならない。事態を理解していないエリスでは的確な判断は下せない。まだ幼いティッケには事の重大さが理解できていない。
シュキハとの睨み合いは数秒ほど続いた。
「いいじゃない」
沈黙を破ったのは呆れたエリスの声だった。ティッケを足の間に挟んで抱きしめながら――いつの間に2人の間のわだかまりは解消されたのだろう――エリスが見上げてくる。その眼には不信感があった。
決定的な拒絶の理由も述べていないのだからエリスの不信感がシックに向けられるのは致し方ないこと。ぐっとシックは言葉に詰まった。
「私はこの子を護衛に加えたい。雇い主は私。最終決定は私がするわ」
「仲間の言葉は無視か?」
「無視はしてないけど反対理由としては薄すぎない?」
反論はできなかった。そこを指摘されると弱い。
「ねぇシュキハ、もし時間に余裕があるなら私の護衛やってくれない? 報酬はできるだけあんたが望むものを用意するから」
「拙者は構わないが……」
うかがうように向けられた視線から目を逸らす。
「どこまで何から守ればいい?」
「秘密」
「は?」
この期に及んで――ある意味こんな状況だからなのかもしれないが――秘密主義を貫くエリスに戸惑うようにシュキハが声を上げた。シックたちも最終目的地がどこかは聞いていないのだから当然と言えば当然だ。
嘆息ひとつ。
「彼女は黄昏の在り処を知っている。俺たちは彼女を黄昏の在り処まで護衛するのが仕事だ。敵は魔だけじゃなく帝国の軍人を含めてすべてだ」
「…………黄昏を、なんのために?」
「戦争を止めるため、かな。広義に解釈すると」
あいまいでいて荒唐無稽な理由を口にするシックに、エリスが呆れたように両手を万歳させていた。そこは話を合わせてくれても、と思わないでもないが彼女にはあまり多くを望まないほうがいいのかもしれない。
先ほどルーダに対して思ったことをエリスにも、と気付くなり疲労感が増した。
「わかった。拙者の力が役に立つのならばぜひ使ってくれ」
内心で舌打ちをするシック。それに気付くはずもなく、パッと手を合わせてエリスが嬉しそうに表情を綻ばせた。
また嘆息ひとつ。
歓迎するようにさっそくシュキハに話しかけるエリスを横目にルーダに目配せする。初めはきょとんとしただけだったルーダだったが、目線で意思を表示すればやや時間をかけてからシックの傍まで来てくれた。
先ほど回収した小太刀の刃の部分を布で巻く。きれいに血のりを拭き取っただけではエリスに返す気にはなれなかった。
「あのカードはもうないのか?」
「カード? て、さっき大佐に使ったやつ? なんで?」
手を見せると、思い出したようにルーダの顔が引きつった。




